だんしゃり教徒
この本宅の執事はレクター、侍女長をメアリーと言います。二人はすでに髪も白髪交じりで、35年以上、ここに勤めていて、その功績で準男爵(一代限り)です。家令のライリーは一代限り男爵です、実は。
伯爵家を裏切るはずのない、3トップが、あっさりとマーサに取り込まれてしまい、実権は、彼女のものになりました。
私の世話をする使用人がばさばさと削られて。
「浮いたお金で、贅沢したいから」
と、紹介状も用意せずに追い出したんです。
私の世話のために残ったのは乳母と乳母の娘アンリ(私より三歳上)、繰り上げで小間使いから昇格した11歳のヨウという平民の子だけです。
他にもメイドとか、スティルルームメイド、洗濯女も半数、解雇されました。
さぞ、仕事が滞るだろうに、と執事に問えば。
「いろいろあって、追い出す予定でしたので。なんというのか」
言葉を濁したので、ああこれ以上は喋らないなと、彼から聞くのは諦めて、あけすけなアンリに、自室でそっと聞き直しました。
「すごかったのっ。何人かが、小遣い稼ぎに男の人とあれこれしたらしくて。で、お嬢付きのあのさぼり魔たちが、それ斡旋したりしてたらしくて」
口軽いですねー。
「よそではいいませんよー、やだなー。前から探ってて、旦那様、しばらくすごく忙しくなるから、汚いのは、ぽいしようって」
「確かに、解雇されたのは働かない連中ばかり、だわ」
お母様の縁故で入ったメイドと侍女が特に、駄目だったみたいで。
母は死んだとき、一人だったけれども。
それって、馬車に同乗していた侍女が夜会で男を引っかけて、しけ込んでしまっていたから、帰りの馬車に一人で帰ってきたそうで。そしてそれが、よくあることだった、と発覚したので、お母様付きの侍女メイド、葬式の後解雇されていたっけ。
というのも、アンリ経由で聞いたけれども。
乳母と執事たちはそういうの直接は言ってくれないから。
王都の屋敷も管理できないから売られた、と聞かされ。
ああ、母との思い出は、特にないけれども。
祖父母(父の両親)との思い出が、じわっと浮かんで涙が出た。
私が5歳の時、流行病で祖父が。
8歳の時、祖母が突然に亡くなって。
祖父の記憶はあんまりないけれど、この詩が好きでね、とそのモチーフのテーブルクロスと、その題に絡む菓子をよく食べていたのは思い出す。
祖母は怒りっぽい厳しい人だったけれども。
たまに、祖父の思い出の菓子を一緒に食べたなぁという、優しい記憶もある。
カモメの形にジャムを置いて焼いた、ベイクドクッキー。クッキー自体はお船でねぇ。
焼ける人がいない、と思ったら。
数日遅れで、売った屋敷の料理人がこっちに来て、レシピも型もあるからと作ってくれた。
ついでに、料理人の中の下働きの子たちは、けっこうな数がメイドに移動した。
我ながら現金なもので、思い出の菓子を食べたら、特に家のことは悲しくなくなった。
テーブルクロスも持ってきてくれた。
そうそう。
青い海と、島を模して。
カモメは
船と共に
行きて
帰りゆくのです
と。
「ねえちゃま。服ちょうだい。ドレスっ」
懐かしい味の菓子を食べていたら、飛び込んできたミーシャの口に、とりあえずクッキーを差し込んで。
もくもぐしているのを見下ろしながら。
お茶を一杯。
口の中をさっぱりさせます。
ミーシャは年頃の貴族の娘としては、あまりに髪が短いです。それはマーサさんにも言えます。
肩にかかる、ぐらいで、しぐさを見ていると、もっと短くしているのが普通だった様子でした。
髪は二人とも明るめ茶色で、私より若干軽やかに見えます。
顔立ちはこの二人、よく似ていて、ああ母と娘ですねと、ぱっと見ただけでわかります。マーサさんの目は緑で、ミーシャの目はグレーブルー。お父様の子という可能性あるかしら、と思わなくもないですが、庶子でも自分の子なら、教育係とか付けると思いますから、こういう喋り方をする子には育たないかと。
さすがに、お父様だって、愛人と娘なら本名ぐらいおぼえているでしょう。たぶん。
まあ、屋敷の使用人とか領民とか、集めれば4割ぐらいがグレーブルーの瞳持ちらしいので、よくある目の色です。緑の目、うらやましい。
目の色の比率は、黒が圧倒的に多くて。髪も黒が多いですね。とはいえ、半数、ぐらい。なんか遺伝しやすいし、隔世遺伝で出やすいですね。残りの一割が緑や青、ブラウンなどなどです。髪は、黒が半数、茶色系4割、金銀系の髪が残り一割です。
「おいしー」
「でしょう?」
「いるのはどのドレスなの。どういうのなの」
「礼儀作法、ミーちゃんも教わるから、ちゃんとしたので、汚れても良い奴ほしい」
「汚れて良い、ちゃんとしたの、ねぇ」
手をぬぐって、ドアで繋がる衣装部屋に向かいます。
まあ、けっこうな枚数ありますよ。
困窮していない伯爵家の令嬢なので。
母とそろいで作ったドレスが多いですね。
奥の方が着られなくなった小さい頃ので。
八歳から十歳ぐらいにきていたものを、ばっさばっさと出しましたが。
四十着ぐらいありました。
夜会用とか、なぜあるのか。
私あのころ、昼のお茶会ぐらいしか参加してないのに。
まあ、私をだしにすれば、服が作れましたからね。
「これは汚れてるからやめましょ」
「これっ、これがいい。最初から汚れてれば、ミーちゃん汚しても、怒られない」
「賢いですね」
茶がかかって、うっすら色が染みこんでいるだけですが、外には着ていけません。ああ、あのお茶会のとき、父様の従弟のおうちで、小さいお嬢さんが居たのですよね、四歳の子だったかしら。カップをうっかり倒してしまって、近くにいた私のドレスにかかったんでした。冷めててよかった。
たぶん、ミーシャは晩餐のマナーとかお茶会のマナーとか、実際飲んだり食べたりしながら、作法を習うから、汚れてもいい服なんでしょうが。
うーん。
でも、汚れてる服を渡すのは跡取りの伯爵家の娘としての矜持が許しません。
「せめて、こっちに。日常の服はいいの?」
「動きにくいから、お屋敷にいるときは、こっちがいい」
と、今着ている簡素なワンピースをぴっと引っ張って胸を張りましたが。
「それは令嬢の服ではないですね」
せめてもうちょっと飾りを。もしくは刺繍を。
薄い木綿で、透けそうですし。
という、私のもだもだした気持ちは無視して、ミーシャ、ああもうミーちゃんでいいか。
ミーちゃんは必要な服をぽんぽんぽんと、引っ張り出して、重ねていきます。
晩餐用の正装、お茶会用の準正装、夜会でダンスをメインに行う日に着る正装だけれども、動きやすい服。身内で軽く食事をするときの、簡素だけれども失礼すぎないクラシカルなもの。
を、ミーちゃんが見分けられるわけもなく。
「これはっ?」
「じゃ、これっ」
予備も含めて二枚ずつ、なのでけっこう嵩張ります。
「あとねー」
マナーの先生に言われたことをメモしているのかと覗くと、あまりに綺麗な字で、あ、先生がメモを渡したんですねと、気が付きました。
首をかしげすぎて、体全体右斜めにしながら、
「ゆびわ?」
左に傾いて
「い、や、り・・・?」
イヤリングですよ。
また右に傾いてゆらゆらと。
「ぺ だ と」
ペンダントですかね。
揺れるのは可愛いです。
「貸してちょうだい」
メモを私が確認します。埒があきませんからね。
指輪、首飾り(ペンダント)、耳飾り(イヤリング)、髪飾り、をなるべく、ドレスと似た色か同モチーフで揃えるようにと。無理なら相談すること。
ミーちゃん、Nが読めないみたいですね。先生が達筆すぎて、読みにくいというのもありますが。
「お茶会の練習が先?」
「晩餐テーブルマナー、って」
ああ、そのドレス、暗めのピンクだわー。薔薇っぽいイメージで。父様の従弟のおうちの家紋が剣と薔薇で、あそこの家ぐらいとしか茶会とか晩餐しなかったから。このころ使ってた薔薇のモチーフの指輪、壊したのよね。花弁が外れて。蝶々のもあるけれど、正直なところ、食事のときにはめるのは邪魔すぎ・・・だけど、こんなの子供時代以外にいつ使うのか、という悩ましさ。
そして、壊れた薔薇の指輪を案の定欲しがり。
「あげてもいいやつほしがってよっ」
「くっつければいいのーっっ」
「剥がれた部品はたしかにとってあるけれどっ」
攻防していたら、義母のマーサさんがきて。
「ジュナはお姉ちゃんなのだから、貸してあげて」
と、言ってきました。なんでしょう。巷の流行り小説のよう台詞のようなのに、全然違うような。
マーサさんはクローゼットに死蔵された品々を見て。
「とりあえず、三ヶ月、ミーシャに預けなさい。で、100日後に、どうしてもこれは手元に置きたいとおもったものだけ、ここに戻しなさい。ため込みすぎです」
マーサさんには
だんしゃり
というが信仰があるそうです。
「スペースがあるといったって、思い出の服なんて、年齢×2ぐらいあればいいでしょう」
使用人も『だんしゃり』されましたね。
いらないものはぽいしてしまいますね、この人。
「えっとでも、ですね。贅沢と経済回す、のが貴族のお役目なのですが」
「死蔵では経済は回りません」
今、着られる服やお飾り以外は、みんなミーちゃんに持っていかれてしまいました。
とはいえ、マーサさんは約束通り、三ヶ月後に、確認してきました。
が。
どの服を取り戻したいと、具体的に言えるほどの思い入れがある服は三着程度で。
「ミーシャが着られなくなったものなどは、売りに出しますね」
と、売られ。
売り上げの半分は返ってきました。
半分は、新しいドレスや靴、お飾りになって、経済を回しました。
ええ、なんだかんだで、新家族と100日目。
お風呂も一緒に入る仲になりました。
使用人が減ったので、各部屋の風呂にお湯を持ち運ぶには手が足りません。もたもたしていると湯が冷める季節です。
一階の一部屋が改良され、床がタイルに、脱衣用部屋と小さい暖炉と大きめの湯船を設置して。
三人まとめて入るんですよ。
わちゃと湯船に三人で入りながら。
「ちゃんと贅沢できてますか?」
贅沢したいって、言ってたのに。
マーサ母様が来ているのは、母や祖母のお古か、使用人のお仕着せの改良したものです。
最初の頃は、屋敷の掌握が先、と動きやすくて汚れてもいいメイド服で、執事か侍女長を連れ歩いていました。
最近、落ち着いてますから、奥様風のデイドレスを作らせて着てますが、外から人がくるときに、作った三着を着回しているだけ。
「食事時に美味しいワインが飲めて、毎日シーツが取り替えられている布団で眠れて、詩の授業を受けられれば、まあ贅沢ですよ」
来た当初、すごく短かった髪も、よく伸びて、結い上げられるようになってます。
「ああ、ジュナはもうじき、13の誕生日ですね。ちょっと良い目のワインを開けましょう。・・・・・・大人扱いになりますから」
この母娘があまりに酷いことをするなら、成人の13歳になったら、伯爵代理を私にするようお城の王様にお願いする予定でしたが。
わざわざ決死の覚悟で屋敷を抜け出して、城までいく、ようなことはされてないので。
ああ、昨年は喪中で、パーティーとか出来なかったな、と思い出します。
「今年もパーティーはちょっと無理なの」
マーサ母様のだんしゃりに誕生パーティーが入ってしまいましたか。
使用人が減っているから、人を呼ぶのも大変ですし、仕方在りませんね。
あまり、人と会うのは好きでもないですし。
「あと2ヶ月で、大人扱いになるので教えますね。先週、旦那様から手紙が来て、臨戦態勢に入った、と」
意味がわからず、いえ、意味はきっとわかったのです。
湯に浸かっているのに、腕にぼつぼつと鳥肌が立って、首の後ろの毛が逆立ったから。
「もう引けないところにきていて、戦時下になります。だから、パーティーはできません。戦争開始の噂が広まれば、あちこちで浮き足立つでしょう。見知らぬ身内が出てきたり。13歳になると同時に、登城して後継者として登録します。代理印は預かっているので、私が出来ます」
「戦地は」
「東です」
領地が、ある、ところ。
お父様は、だから、急いで。
ミーちゃんとマーサ母様に抱きしめられながら、私は父のために祈ることしかできませんでした。