エピローグ マーサ
唐突に、娘とともに、家を追い出され、途方に暮れた時に、見慣れた従者さんが私に声をかけてきたのです。
事情を話すとそのまま伯爵の馬車まで連れて行かれてそのまま、王都のお屋敷へ。
「妻が死んで1年で、誰かに家の整理をしてもらいたかったんだ」
ということで、屋敷に残った従者さんと目録を片手に整理したら、まあでるわでるわ、貴重品紛失と酒蔵からちょこまかと抜かれた記録が。
登城して、疲れたように帰ってきた伯爵様は、当然怒り、関与していた使用人たちを解雇、管理しきれない屋敷を手放すことに、即日決めた後で。
「横領、窃盗の使用人を特定したり、お屋敷の不備をあっと言う間にみつけてくれた女将に、お願いがある」とはしっと手を握られて、目を見つめられて、真摯にお願いされたのです。
娘のジュナと領地を守って欲しいと。
代わりに、どうせ女将の亭主が切り盛りしたら宿は三年ぐらいで駄目になるだろうから、買い取って女将にあげよう。屋敷を手放した今、あそこに信用できる宿があるのは助かるからね。
私はありがたく、その依頼を受けたのです。
まさか妻になるとは思わなかったんですが、絵に描いたような契約結婚でした。
ジュナ様、いえ仮初めでも娘になったので呼び捨てましょう。対外的にも必要な建前です。
私が特に何かしなくても、ジュナは大人になっていきました。
親が居た方が良いだろう時には、必ず背後に立ち、矢面に立つ気はあったのですが、着実に小伯爵の器になっていき、私は彼女が無理しすぎないようにサポートするだけでした。
私の娘、ミーシャもいずれ、あっという間に蛹から蝶に羽化してしまうんでしょうね。
王太子殿下の悪意じみた言動と、その後の籠城戦と、庶民である私はお腹一杯です。
新領地の掌握にジュナは出向いてしまいました。ほんとうに、良くできた娘さんです。貴族として育てられると、やはり違うんでしょうか。
帰ってきたときに安らげるよう、花の町を統治、屋敷の切り盛りを手を抜かずに私は伯爵夫人の役割を果たしたのです。
そうして、なんとか無事に伯爵が、旦那様がお戻りになりました。
ジュナにとっては、あの人は保護者で、長々と背負っていた重荷を渡せる相手でしたから、あまりに雰囲気が変わってしまい、動けずにいるジュナのために、私が動きました。
私は戦争から戻ったあの人が、疲れ、荒んでいるだろうとは覚悟していましたから。
終わりとはいえ、戦の空気を感じて育った者との差、です。それは恥じるべきではないです。
私はそのまま、伯爵と一夜を共にしました。
そういう安らぎが必要だと感じたので。
翌朝、ぐったりと眠る伯爵、いえ、旦那様の、深い目の下の窪みをみて、ゆっくりと眠って貰うことにして。
眉間に深く刻まれた皺を、指でそっと撫で広げ、旦那様用の寝室を出ました。
といっても、繋ぎ間ですが。
そこで待機していた小間使いの子に湯を用意させて体を軽くぬぐって貰い、一番楽なデイドレスを着て、髪を整えて、ジュナのいる場所を聞きました。
ジュナは書斎で、領主のやるべき事を昨日と同じように進めてました。
「お疲れなので、まだ寝かしておいてあげています」
「ありがとうございます、マーサ母様」
こちらもケアします。
よく出来た娘なので、父親が帰ったときに、あの目に、ひるんだ自分に落ち込んでいることでしょう。
昨日の理想は、ジュナが旦那様の腕に駆け込んでいくことでしたが、それはかないませんでした。
たぶん、あまりにも、危険な場所に立ち会いすぎて、ジュナはそういう気配を感じやすくなっていたから。
頭を抱えるように抱きしめると。
ジュナは俯きました。
「3年前。父が、去ったとき、父がどんな気持ちだったのか。おかしかったのに、なぜ、気が付かなかったのかと、ずっと思っていました。あのときは、ただ二人きりの父と娘であったのに」
「ええ」
祖父母もなく、近しい身内が侯爵家の、祖母の弟の系譜しかないというのが、20年前の戦争と、あの疫病の怖さです。
「今度こそ間違えない、そう思ったのに。父が、あのとき、私の前に立ったときに、酷く重い、暗い経験をしてきたのが、にじみ出ていて、私は、私こそが、父に添うて『お帰りなさい』とまず言うべきだったのに、できませんでした」
酷い日々でしたが、ジュナは激怒することはあっても、泣いたことはないのです。私たちや屋敷の者の前でさえも。
それが、今、泣くのです。
うん、そうですね。
「マーシャリー様、父に寄り添ってくださってありがとう」
私はぎゅっと、ジュナを全身で抱きしめました。
「貴女は、東に行ってしまうのでしょう?」
「すぐではありません。ライリーをこちらに戻してから(家令の彼は東に残って采配を振るっている)、私と父があちらにいき、あちこちに顔をつないでから一度、戻って、必要なものを集めてから。正式なあちら入りは、十七か十八になるかと思います」
「そう。でも、すぐですよ。三年がこんな感じで流れていったように、貴女が、あちらにいってしまうまでの三年も」
私は涙ぐみました。
この娘は東に去り、ミーシャも時をおかずに手から離れていくでしょう。
宿の話、覚えてるでしょうか、旦那様。仕事でもしないと、この喪失に耐えられそうにありません。
宿は貰えませんでした。
その日の昼。旦那様が黒百合を私に差し出したからです。
黒百合の花言葉は『愛』『恋』『復讐』『呪い』というよくない意味も多いのですが。
事前に何度も聞かされいます。
この家の者は黒百合をプロポーズに使うのだと。
愛する人が受け取ってくれたら、思いが届く、という伝説とかがあるらしいです。
私は受け取りました。
伯爵夫人が宿の女将を兼任できません、さすがに。屋敷の管理と娘二人に気配りするだけでも手一杯だったのです。
ジュナはほっとしていましたが、同時に「本当にいいんですか?」と、聞いてきました。
たとえば、防衛戦に勝利して、意気揚々となんの翳りもなく旦那様がお帰りになったならば、私は彼に求婚されても断ったでしょう。そして、約束を果たしてくださいと、そう言ってミーシャと逃げました。
たくさんの死を、悲しむことのない『強さ』に見える傲慢は、何かの拍子に私やミーシャを踏みつぶすでしょう。
傷ついて、疲れて、私でも理解できるあの人だから、私は添おうと思ったのです。
「わかりますか?」
「なんとなく。父を愛してもらえますか?」
「たぶん」
あの人は、私の手を握って、権力を笠に着ての決定ではなく、問うてくれました。
そして、どうか頼むと。
今すぐに『愛』には至らないでしょうが、時間をかけてはぐくめるだろうと、思っているのです。
という建前をジュナにしましたが、心細いときに、下心なく親切にしてくださった旦那様に、惚れずにいられるかというのもありまして。恥ずかしいから言いませんけれどもっ
これにて完結
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