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夏の没ネタ供養祭! 書いたらやばいと思ったが、やっぱり書きたいモノがあるんです!  作者: 家具付


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8/10

完璧母の残念な娘は、いないほうがマシなんです!(残念ながら、母の娘は……)

コミカライズ用に用意した描き下ろしですが、第二部作らないのでもったいないので投下します!

意外な人とエーダちゃんの話です!

少女は辺りを見回した。辺りは華麗に飾り付けられた、豪華と言っていい空間であり、それは少女がこれまで生きてきた世界とは大きく異なっている物だった。

燃えるような赤毛の少女は、それを見回した後に、居心地が悪そうに身じろぎをした。少女は見る人が見れば、というような事の必要ない、豪華な布地を使用したドレスを身にまとっていた。色は赤く、少女の髪に合わせたようだが、取り立てて特徴のない彼女の顔を、引き立てる事はおおよそなさそうだった。

少女は心底その空間に対しての、苦手意識があるのだろう。顔色は悪く、速く時間が過ぎてほしいと、雄弁に語る表情を取っている。

だが、それはこう言った場面にいる貴族令嬢の振る舞いとしては、落第であろう。

事実密やかな声は、少女を侮蔑していた。


「表情だけでも、喜ばしいように装えないなんて。母君はあんなにすばらしいのに」


「母君は完璧な女性だというのに」


「そんな事を言いますな。下町で不作法に育ったと聞きますから」


「いくら血筋が確かでも、あの振る舞いではねえ」


「母君もおかわいそうに。あんな娘に育ってしまっては」


「顔も髪も性質も、何も、リリー様のすばらしい部分を、受け継がなかったのでしょうね」


「わたくしだったら、とてもこんな場面に姿を現す事なんて、出来ませんわ。恥ずかしくて部屋に閉じこもります」


「下町育ちの、礼儀をわきまえぬ性格、ということでしょうね。のこのこと顔を出せるのですから」


誰も彼もが自分のことを悪く言っている。少女はその自覚もあるらしい。

赤毛の少女はうつむいた。爪先をじっと見て、きつく唇を引き結んでいる。


「あんな娘のために、リリー様が再婚を選ばないなんて、ありえませんのに」


「リリー様には、あんな娘でも負い目がおありなのですよ。手元で育てられなかったという」


「あのリリー様の元で育っていれば、ねえ? 顔も髪の色もどうにもなりませんけど、せめて立ち振る舞いは変わっていたでしょう」


赤毛の少女は誰にも何もいわず、反論する事もせず、ただじっと、爪先を眺めている。

ある意味強靱な精神力である。これだけ周りから悪く言われたら、ただの令嬢では耐えきれずに涙をこぼしているだろうし、気の強い令嬢ならば、彼らの間に割って入り、何かしらのしっぺ返しを行っている。

それらを全く行わず、ただ表情をほとんど変えずに、耐え続けるのは並大抵の精神力ではない。

だが人々の話題の種になり、言いたい放題、オブラートに包んだ物言いで言われ続けるというものは、相当に苦痛なことだ。

事実それらが重なった結果、彼女の母親も、王宮から出奔したほどなのだから。

しかし少女は耐え続けている。その彼女が視線をあげると、彼女とは似ても似つかない、玲瓏な雰囲気を持つ、純銀の髪に紫水晶の特に価値の高い物のような、深い紫の瞳の美女が、あまたの地方の有力な男性に群がられ、言い寄られ、それらを如才なくかわしている。

少女はそれをもう一度確認した後に、周囲を見回す。

少女は腫れ物を扱うかのように、誰からも会話に誘われることはなく、ただ遠巻きに眺められている。

遠巻きに眺められ、美貌と才覚を持ち合わせている母と、あまりにも似ていない事から、好き勝手を言われ続けていた。

そうであっても少女は耐え続けている。他に立ち向かう手段を持っていないからだ。

この領地に、母と自分が到着してまだ、一ヶ月にもならない。そんな事を娘は思いだした。

母はこの豊かな領地の、新たなる美貌の領主で、自分はその一人娘だ。

だが、母と自分は決定的に違うのだ。少女はそれをずっとわかっている。

母は、王族として育ち、何もかも完璧と言われるほどの能力を持ち、世が世なら国母になっていたほどの女性。

自分は、生まれがどこかもわからない、そして下町でこの年齢になるまで育った娘。荒くれ者達の集う冒険者ギルドで、彼らと一対一で言い争いを行うことも辞さない、喧嘩っ早く口が悪く、庶民の行儀作法はわかっても、貴族のマナーなどかけらもわからない女の子。

生まれも育ちも、何より見た目も違いが明白すぎる二人は、親子だと言われても、普通は納得できないし、理解も得られないだろう。

それほどにこの母子は外見にすら共通点がなく、母親の方が

「死んでしまった最愛の夫にうり二つ」

と娘を称さなければ、何かの悪い冗談にしか思われない。

そんな母子は、少女が六歳の時から、十六歳になるまで、同じ場所で生きてこなかったという訳ありだ。

美しい母は、母に恋をしていた男によって貴族世界へ連れ戻され、その男を拒否し続ける事で手一杯の人生を送り、

美しくない娘は、突如母が失踪した事により、生きていくため、食っていくために、格安で住居を貸してくれている大家の元で働き、そしてそれだけでは生きていくにはお金が足りず、幼い頃から暴言と暴力が飛び交うような、冒険者ギルドで母の消息をつかむ目的を持ちながら、働き続けていたのだ。


……もう一度、母に会いたい。そう思い続けてきた幼い頃からの願いは、嘘ではないと、娘は思っている。


だが、娘が会いたかったのは、果たして貴族の中でも最高位に位置する、王族の血筋を持った母であったのだろうか。

……いいや、そうじゃないと、娘は己の願いを客観的に見つめた。

娘が会いたかったのは、縫い物仕事やそのほかの、雑多な仕事の山をこなしながら、寝る間も惜しんで働いてきた、ありふれた身の上の、ただの母だった。

娘の望んだかわいらしい夢は、母と再会して、ずっと母を待っていた狭い貸家で、二人で肩を並べて、笑い合ったりしながら、また細々と暮らす事だった。

彼女からすれば、王族の母とともに、母が治める事になる新たな領地で、お姫様として暮らしていくなど、考えつきもしなかった事だったのだ。

娘は自分を客観的に見られる冷静さを持ち、自分のようなものが領地のお姫様として、誰からもかしずかれるなんて未来は、明らかにおかしいとわかっていたのだ。

人間は、生まれてきてから育ってきた部分の中でも、特に子供時代に培った生き方が根っこにあるもので、娘は根底にあるものが、貴族のお姫様ではなく、下町でも、わりと恵まれていないほうの生き方なのだ。


母が失踪してから、娘は大家の計らいで、何とか自分でもぎりぎり家賃を支払える、一番狭い部屋を借り続けられた。


だが子供の働いて得た賃金と家賃を比較すると、いくら金額を安くしてもらっていたといえども、簡単に贅沢などが出来る余裕は生まれなかった。

大家のおかみさんは、母が死んだ妹に似ているという事で、何かと気を使ってくれていた。

だが、それはそれこれはこれで、少女の生活は、親が不在にしては恵まれていた方だろうが、平均的な親がいる下町の子供の生活と比べると、どうがんばってもお金が足りなかった。

少女は平民なら誰もが通う事が常識の様な、一般学校に入学する際に、入学金を支払えなかった。

そのため、一時的に大家に借金をし、一般学校に通ったのだが、一般学校の上級生になる際に、古本でもいいから購入しなければならなかった教科書を、買う余裕がなかった。

上級生にあがる際に、支払わなければならない、追加料金は、もっと支払えなかった。

だから、少女の教養は、一般学校の上級生にも満たないのだ。……お金がない事で、結局、退学してしまったのだから。

下町で評判の美少女である、大家の一人娘の友達は、いろいろ言ったのだが、少女はこれ以上大家から借金が出来ないほど、大量にお金を借りている現実が横たわっていた。

だからこれを返済するために、一生を棒に振る可能性があるほど、利子が膨らみそうだったのだ。

そのため少女には、一般教育も半分しか修めていないという負い目があった。

母はまさか、娘が一般教育の半分も修めていないなど、知りもしないだろう。

あまりにも負い目過ぎて、少女は話す事が出来なかったのだから。

そんな状態で、少女は荒くれ者達の集うギルドの受付嬢となり、そこにしがみついてしがみついて、生きてきたというのが半生だった。

はっきり言おう。そんな育ちの少女が、たった一ヶ月で、生まれも育ちも王族様、何から何まで最高級の物を与えてもらっていた母と、同じだけの教育も教養も作法も立ち振る舞いも、社交術も、手に入れられるわけがないのだと。

さらに、そう言った教育を納めるよりも前に、早く新たな領主の姿を見たいと熱望した、土地の有力者達の意見があまりにも多いからという事で、早々と行われたお披露目会に着用する衣装の注文や採寸、縫製その他のために、少女は大量の時間をとられ、頭の中に、最低限身につけておいた方がいい、貴族らしい歩き方をたたき込む余裕もまるでなかったのだ。

少女は貴族社会において、自分の身を守る方法を、何一つ持っておらず、母親からそう言った物を与えられる前に、人々の視線にさらされるという結果になっていたのである。

……母は、まさか娘が何一つわからないなど、想定していないだろうと、娘は予想していた。

誰しも自分の子供時代が基準となる物事は多く、母はあの美しさだ。周りはちやほやしただろう。そして幼い頃から徹底的に貴族世界のことも当たり前のように教育されたり、実際に見てみたり、体験したりしてきたに違いなく、それは娘にとっては完全に部外者の世界なのだ。

しかし、母の基準はおそらく母親自身であり、そして親のいないまま育った娘の、子供時代を見る事も詳しく聞く事もしないまま、こうして時間だけが経過した状態で、今に至っているのである。

そうなった時に、誰しも相手に対して

”これくらいは知っているだろう”と思ったり、”これくらいは理解しているだろう”と予想したり、”これくらいは当たり前に身についているだろう”と、勝手に思いこむ物なのだ。

誰しもそう言った部分はあり、そして、母のそれは、間違いなく娘にとって限りなくあり得ない基準である……それだけの話なのだと、娘はそこまで優秀でもない頭と知識と、経験から推測していた。

自分が子供の頃は出来たのだから、いくら何でも自分の娘はこれくらいまでは出来るだろう。

そう言った思いこみが、きっと母にはあるのだろう。娘はそう言ったあきらめの感情すらある中で、こうして母のお披露目会の、きらびやかな場違いな世界に、一人立っているのだった。

母はきっと、自分に、かつての自分のように社交界をつつがなくこなしてほしいのだろう。

だがきっとそれは土台無理なお話で、娘は何とか、お披露目会が終わる間での間、ひたすら、爪先を見やったり、ぼんやりと周りの明らかに華やかな会話や社交のためのダンスを踊る人々を見続けていたのだった。





疲れた。そんな弱音さえここでは呟く事も許されていない。

そんな現実は、娘にとって考えた事もない世界であり、考えたくもなかった世界だった。

だが娘が今立っている世界はそんなもので覆われていて、娘にとっての逃げ道はろくに存在していない。


「エーダ、誰かお友達は出来たかしら」


母が優しい声で、いたわるような口調でそう言ってくる。だが娘は、エーダは言いたかった。わめきたかった。


「あんな事ばっかり言う相手達の中から、どうやって会話する程度の友達を見つければいいの、お母さん」


そんな言葉がのどの奥まで出てきたのだが、エーダはぐっとかみ殺した。これでは八つ当たりだ。母に八つ当たりをしてどうするのだ、という意識が働き、彼女はぐっと押し黙る事を選択した。

何事も可能にする母と、何も出来ない自分を改めて見せつけられたような気さえした。

母は、自分がそう言う社交が出来たから、そう言ってくるのだ。

大好きだったはずの母が、ひどく遠い世界の、知らない人のように思えてもくる。

どうしてこんなに遠くなっちゃったんだろう。

そんな感情さえわいてきたのに、エーダはそれを言葉にする程、馬鹿ではなかったので、飲み込んだ。


「その顔色だと、お友達は出来なかったのね、いいきっかけだったのだけれど、あなたはもしかして、人見知りをするのかしら?」


本当は、屈強な荒くれ者だろうが誰だろうが、ひるまずに怒鳴りあいが出来ます、母の評判を悪くしたくないから、やれないだけで。と言いたかったのだが、それはきっと母の求めるエーダの姿ではないだろう。

母が求めている娘は、お上品に笑って、たくさんの人達に絶賛される会話術を持っている娘だ。

もしくは、単に人見知りをしているだけで、本当はにこやかにあの場所を泳ぎ回れる才覚を持っている娘。

エーダはそう察したので、それ以上何も言う事をしなかった。

母のリリーは困ったように、沈黙した娘のエーダを見ている。

そして、母を困らせる娘に対しての、使用人達の視線はとても冷たいものがあった。母はこう言った冷たい視線を向けられた経験がないほどの、完璧なお姫様だっただろうから、その視線がまさか、自分の娘に向けられているなど思いもしないだろう。

思いもしなければ、感じ取ったり、推測したりする事はできない。見えない物は見えないのだ。聞こえない物は、聞こえるわけもない。

感じ取れるものに至ってはもっとだろう。


「疲れました。……部屋に戻ります」


エーダは力のない声でそれだけをリリーに伝え、見張りのように着いてくる、女性の使用人を引き連れて、自室に戻っていったのだった。


「まったく、お嬢様。あまりリリー様を困らせてはなりません。ただでさえリリー様は、山のような求婚の申し出を、お嬢様が成人し結婚するまでは無理だ、といってお断りになられているのです。中には大国のすばらしい身分の方々や、この国の王を遙かにしのぐような、莫大な財宝を持つ資産家の方から、再婚のお誘いを頂いているのです。さすが青の国の真珠百合姫です。尊敬に値します。なのにお嬢様は」


脇を歩きそう言った事を言う、その使用人は、おそらくというか間違いなくと言うか、母に強いあこがれがあるのだろう。おかしな話ではない。

母を見て、その美貌と完成された気品や教養から、あこがれを抱く使用人は数限りなくいるのだから。

そして比べる事も問題なほど、エーダは母と違いすぎていて……簡単に言えば劣っているのだ。

劣っているなどとは聞こえがいい言葉になるだろう。劣るなんて言葉が生やさしく聞こえるほど、エーダと母は何もかもが違うのだ。


「母は大変な人気ですね」


「はい。リリー様はまだ三十代、再婚し、新たに子供が生まれてもおかしくない年齢ですからね」


これはと思う女性としては、間違いのない女性でしょう、と使用人がいい、言葉の裏側でエーダに皮肉を言うのだ。

お前などいない方が、リリー様は幸せな再婚をし、子供を産み、今度こそ幸せな結婚生活を送れるのだ、と。

エーダもそれは薄々察している事だった。母は、自分がいない方が、自由に何もかもを決められるのだから、幸せで楽な道を選べるんじゃないだろうか、という考えだ。

この使用人からもわかるように、この館の使用人の大半が、リリーの信奉者であり、エーダを敵対視しているのも、その結果だろう。誰しも、あこがれの人には幸せになってもらいたい物で、その幸せの邪魔になりそうな小娘など、冷たくも当たるだろう。

わかっていたから、エーダはそれ以上何もいわなかった。

そして、エーダが私室に入ると、使用人はさっさと自分の仕事に戻っていく。彼女は母の小間使いの一人だから、そちらに戻ったのだろう。

そんな風に考えた後に、エーダは、一人で着替えられないドレスをどうやって脱げばいいのだろう、と思い、これも新手の嫌がらせかもしれないな、と苦く笑って、とりあえず靴を脱いだ、その時だったのだ。




感じ取れたのは、どこか懐かしくも感じる、気配。



それは、悪意のない殺意、という純粋な気配だった。


「!」


それを感じ取ったらもう、迷っている時間はない。それを浴びたままでいる事は、死につながるのだ。エーダはそれを知っていたし、知らなければ生きていけない世界で、育ってきた。


「!!」


エーダは必死に、書き物机に飛びついた。そしてひっくり返す勢いで引き出しを開けて、その瞬間に飛んできた、何か、を素早く回避した。

容赦なく引き出しを引っ張られた事で、書き物机は重たい音を立ててひっくり返り、上に置かれていた高価な物たちが散らばった。

それにためらいを覚える前に、エーダは素早く振り返り、背後から襲いかかってきた刃物を、書き物机の中にしまい込んでいた短剣で、受け止めていた。

しかし女の筋力だ。いくらエーダが標準よりは力があるかもしれなくとも、相手が男だった場合、とても不利である。骨格からして違うのだから仕方がない。

力業同士では、勝ち目も生き残るための何かも見いだせない。エーダは受け止めた刃物を受け流し、それと同時に相手に切りかかった。

相手はまさか、こんな館に暮らす高価なドレスを着ている少女が、両手に二刀流よろしく短剣を握り、振り回してくるとは思わなかったに違いない。

明かりをつける隙もない、視界がろくに機能しないような薄闇の中、エーダは相手の気配や殺意から方向や距離を割り出し、襲ってくる刃物……長剣だ、長さやぶつけた時の手応えからして間違いない……を受け流し、時に迎撃し、切りかかり、あらゆる調度品をひっくり返し、布類を切り裂き、応戦した。

本当に暗すぎて、相手の顔も距離もわからない。ぶつかった手応えだけで、相手を判断するしかない。

そんな中でわかったのは、相手には悪意や憎悪や恨みと言った、エーダに対して向けそうな感情を、かけらも持たずにこんな事をしているという事実だった。

恨みなどの感情を持つ相手は、復讐を遂げる時に心の一部が高揚し、切り方などに変化が出てくる、といったのはいつかの、短剣その他をエーダにたたき込んだジョン兄ちゃんで、それらを感じる訓練さえ受けさせられた事を、どこかで思い出した。ジョン兄ちゃんの爆発的な感情を見せられた時は、大泣きして逃げたかったのに、短剣をふるえ、と怒鳴り散らされて、泣く泣く短剣で訓練をしたのだ。あんなのは二度と体験したくない。

そう思ったエーダが、息が切れてきたので、死にものぐるいで相手との距離を計算し、相手の間合いや移動速度では近づけないほど距離を取った時のことだった。


「なるほど、とても面白い。その凶暴さがお前の本性だろう? お姫様のようにしとやかに微笑む人生を送るには、あまりにも凶悪だ。そしてその戦い方は、見覚えがある。化け物とも称される大盗賊、ジョン・バルロのそれだ。それを受け継いだお前もまた、化け物に片足をつっこんでいる自覚はあるか?」


思ってもみない言葉に、エーダはひるんだ。ひるんだが、身を守る野生の勘に似たものが、エーダから警戒心や防御体勢を奪わなかった。

そして……その時、びりびりに破れた分厚いカーテンの隙間から見えた、部屋の有様にエーダは言葉が出てこなくなった。

なんだこれは、とまずは思ったのだ。なんだこれは。一体何をどうしたら、こんなに部屋がめちゃくちゃになるのだ、と。

あらゆる物が壊れて倒れて、破れて、細かな物が散乱したり砕けて散らばったりしていて、寝台などもひどい有様で、中の綿などが飛び散り、いっそうひどい。

さらに、部屋の床の絨毯には、点々と血が落ちているのか、不気味な染みが散っている。

そこでエーダは、自分が必死になりすぎて、斬られていた事にもろくに気付いていなかったという事実を知った。というのも、自分を見回した時に、ドレスに赤い染みがいくつもついていたからだ。


「……」


言葉もでないままだった。この部屋の惨劇の渦中のような有様が、自分の行った事ならば、それは彼女にとっても恐ろしくぞっとする話だったのだ。

こんな事を、自分は出来てしまうのか。そう思うと、背筋が寒くなり、同時にこんな事が出来る娘を持った母が、はたして苦悩しないだろうか、とも思ったのだ。

エーダは内心でとても動揺していて、言葉もうまく出せないまま、息を荒くし、とにかく、声の主を特定しようと視線を巡らせた。


「俺と来い。悪いようにはしないから」


声の主がそう言った事で、エーダは相手の位置や距離を特定した。そして、闇の色に慣れた目が、分厚いカーテンが破れたことで姿を現した、満月という光源を手に入れ、声の主の姿を映し出す。


「!!」


エーダはその男を知っていた。いいや、ちがう。覚えていて、忘れられるはずもない男だったのだ。


「誘拐犯……!!」


エーダは低い声でそう言った。暗闇で正体の分かった男は、くつくつと余裕のある態度で笑った。


「ひどい言い方をしてくれるじゃないか。まあお前にとっては、その印象しかないんだろうな」


その男は、王子様の誕生祭で、母リリーの特別なドレスを着ていた、エーダの親友であり幼なじみのシャルロッテを、リリーの娘を捜していた屑公爵の元に連れ去った男だった。そして公爵にたてついたという理由にもならない理由で、エーダや、シャルロッテの両親を、本来王家の許可がなければぶち込む事も出来ない、地下牢に引きずっていった連中の、頭だろう男に違いなかった。

この男を含めて、公爵に加担した者達は厳重な処分を受けたと言う話が広められているが、エーダは王子ウィルヘルから、もっと詳しい裏の話を聞いていた。

誘拐の実行犯達を、確かに捕まえたはずだった。

だが捕まえた人間達は確かに後ろ暗い犯罪を犯していた人間だったが、誘拐犯達ではなかったのだ。本当の誘拐犯達は、一体どういう方法を使ったのか、王国の警邏達がどれだけ手を尽くして探しても見つけ出せず、行方もしれなくなったのだと。

その男達の中でも、一番油断ならない男が、目の前にいた。

誰が探しても、見つけ出せなかった男が。





「今度は何なの。……私を殺しにきたの」


エーダは警戒した声のまま問いかけた。これだけ物音が響きわたるような、大騒ぎをしているのに、未だに使用人が、一人も様子を見に来ないのは何故だろう。

それもこの男が何かをした結果なのか。エーダは頭の片隅でその可能性を考えた。男は複数の子分がいる様子だったから、彼らが何か策を巡らしている可能性はゼロではない。

そして、殺しにきたのならば、誰が何の目的でそんな真似を依頼したのか、聞かなければならなかった。

目的がわかっていれば、対策のたてようがある。

警戒した声で、ハリネズミのように毛を逆立てた状態のエーダに、誘拐犯が言う。とても気軽な調子で。


「お嬢さんがいると、結婚が出来ないかわいそうな、恋に焦がれる男がいてね。どうにかお嬢さんを、ここから排除してくれないかと頼まれて」


芝居がかった口調だった。忌々しささえ覚える口調で、誘拐犯が続ける。


「だが、気が変わった。誘いをかけようお嬢さん。俺とともに来い、お嬢さんにとって悪いようにしないさ」


「そんな言葉で私を動かそうとしたって」


エーダは拒否の言葉を口にしかけて、それが途中で止まった。


「……あんた、ぼろぼろじゃん」


「思ったよりも夜目が利くらしいな。お前は文字通り凶暴だ。俺は手加減をしていなかったのに、これだけ傷が付いた」


言葉が途中で止まって。別の言葉が出てきたのは、男の姿が血塗れで、さらに余裕ぶった態度の男は、顔が青白く、息も取り繕っているが、絶え絶えだったからだ。

まさかこの部屋に飛び散る血は、みんなこの男の?

エーダは自分の体に、傷がないかをそこで確認した。痛みは全くない。ドレスも破れた様子はなく、ただ血がついている。

それでわかってしまったのだ。この男を傷だらけにしたのは、自分なのだ。と。

誰かを呼んで手当を、という事すら頭に浮かんだが、状況が状況だ。男は手当をされる事もなく、賊として処分される事もあり得る。

そして……賊相手に、これだけの事をしてしまう自分も、また。

そんな計算が頭で出来たエーダは、男を無言で見つめた。男は面白がる顔をして、エーダの中の考えを待っている様子だった。


「本当に、悪いようにしないって言えるの」


「面白そうだから」


にこりと、余裕ぶった態度で微笑んだ誘拐犯に、エーダは言った。


「わかった。どうせこれをしたのが私だって知られたら、私もあなたもろくな事にはならない。逃げ出すなら今しかないからね」


これだけの事をしてしまう娘は、貴族世界においては異端児以上の存在だ。

簡単に幽閉の未来が見えて、エーダは吐き捨てる調子でそう言った。

貴族の世界は、簡単に問題のある人間を、地下牢だのなんだのに、幽閉して閉じこめて飼い殺しにして、始末する。

エーダが知った現実の一つだ。事実として、問題を起こしたヴィンセント公爵は蟄居幽閉の身の上になったのだから。

母がそれを選ばないと、断言はできない。というか、こんな娘だからこそ、結婚させられず、自身も一生再婚せず、エーダは命をねらわれ続けるという可能性もうっすら見えた。


「そうこなくては。さて、ここを逃げようか」


幸い、使用人の中に知り合いがいてな、と一体どこからどこまでが嘘で本当なのか、わからない調子で誘拐犯はいい、エーダはそれに頷いて、とりあえずドレスを切り裂き、一部を切り捨てた。


「普通の受付のお嬢さんが、偽装工作までするなんてな」


「血塗れのドレスがあった方が、何かと便利だしね」


「どこで習ったんだか」


「あんたの予想通りだと思うよ」


そういい、エーダは男とともに、誰もやってこない通路を走り、館に存在していた隠し通路を抜けて、外に出たのだった。



エーダが男とともに逃走し、彼の部下達と落ち合ったのは真夜中の事だった。部下達はどこかで見たような、あちこちの貴族の屋敷に潜り込んでも目立たないような見た目をしており、なるほど部下達にも隠蔽工作その他を指示していたのか、とエーダは納得した。

彼等はお頭と呼ぶ男が一人、依頼を遂行して戻ってくると思っていたらしいのに、一人おまけを連れてきていた事に困惑していた。


「お頭、そっちの血塗れのお嬢さんはどっから連れてきたんですか」


「こちらのお嬢さんが、今回の依頼の目的のエーダインだ」


「ええっ、あまりにも平凡」


「でもそれを血塗れで破れているドレスが裏切っている」


「こんなどこにでもいそうなありふれたお嬢さんを、貴族の男達は目の敵にしてるんですか? ちょっとお嬢さん何したんです」


彼等はそう言いつつ、血塗れのお頭が歩き出したので、それに合わせ始める。

お頭が血まみれである事に言及しないのは、ここで長話をすると言う事の方が無駄だからだろう。

エーダはなんとなくそう予想した。

この男達は、血塗れになる事にもなれているのだろう。そうでなければ、こんなに落ち着いては会話をしないに決まっている。


「いったん戻る。……まず俺達はこの目立ちすぎる姿を、どうにかしなくてはならない」


「了解、お頭」


「……って、お頭、あんたが血塗れで傷だらけじゃないか、あんたをそんなぼろぼろにするような強い護衛がいたのか!?」


「いいや、そんな護衛がいたら、エーダインを連れてこられないだろう?」


……違っていたらしい。男達はどうやら、お頭画餅然としている事のために、底に目が向かなかったらしい。

引きつった声の部下達にお頭と呼ばれた男はにこりと笑い、額に脂汗をかいているのにも関わらず、平気そうな調子で歩き続ける。


「……って事は」


部下達はエーダを見て、お頭を見て、傷があるのはお頭で、と言う事で何かを察した様子だった。

そう言った察知能力はあるのだろう。なければ命取りになる世界に生きていると、見受けられた。


「なるほど、確かに、お頭を筆頭に俺達が受けた依頼は、エーダインをリリー公の元から排除するって事で」


「殺すだけが排除の方法じゃないって事で」


「お頭、本当にやっちまわなくていいんですか?」


部下達はエーダの目の前で、残酷な相談をお頭にする。お頭はにこりとした顔を崩さずに言う。


「だって連れてきた方が面白いだろう?」


面白いかどうかで、決定してほしくないものだと内心でエーダが思っていると、部下達は何かわかったらしい。ため息をついてからこう言った。


「お頭また、面白いかどうかで決定しましたね」


「あんたについて行くって決めているから、今更何もいわないけど、お頭ちょっと面白い以外の事で、方向性決めませんか」


「気に入らなければ、脱退すればいいだろう」


何をごちゃごちゃと、と言いたそうな口調でお頭が言うと、部下達はちょっと笑った。


「脱退するのはちょっと」


「そうそう。お頭について行くって決めたのは俺自身っすからね」


「いい返事だ」


お頭はそう言い、エーダに視線でついてくるように促すと、歩く速度を少し速めたのだった。

そして連れてこられたのは、リリーの領地の、館のある町の中でも、あまりリリーが関与しなさそうな区画だった。

どことなく薄暗い雰囲気の漂うその辺りは、警備の騎士達が日常的に見回りに来るところではなさそうだった。


「……こんな場所に来るのは初めてだ、っていっても、一ヶ月前にここにきたばかりだけど」


「ここに長居はしないけれども、とりあえずこの血塗れの姿を隠さなくてはならないからな」


男はひょうひょうとした声でいい、そして、彼等はその区画では平均的な、やや壊れた部分のある建物の中に入っていった。


「湯浴みをする。誰か準備を手伝え」


「じゃあ俺が今回は」


男は室内にはいると手短に、部下達に命じて、部下の一人のすばしっこそうなのが、手を挙げていそいそと準備の手伝いを始めた。


「誰かエーダインに、この辺りでも目立たない服を探してこい。間違っても娼婦の格好はさせるなよ、客引きだと思われて、どこから情報が回るかわからない」


男は湯浴みのために別の部屋に引っ込む前に、部下達に命じて、別の部屋に入っていったのだった。

そう言うわけで、エーダはとりあえずそこに座っていろ、と指示を出されたので大人しく腰掛け、部下達が持ってきた服に着替え、ドレスはどこかに持って行かれた。

たぶんあれも、自分が死んだと思わせるために使用されるんだろうな、とエーダは推測が出来たので、あまり何かを言う事もなく、それを見送った。

与えられた衣装は、男達が着ている物を少しばかり女の体格に合わせたもので、庶民の物よりも生地は丈夫で、中に鉄線がおりこまれている物だった。そのため重たく、軽い鎧よりは重たいような気がしたエーダだった。


「これってそこら辺で手に入らないわよ、鉄線の織り込まれた服とか、普通は」


「お頭の伝手で、目立たない見た目に仕上げてもらってんのさ」


「だからこれを着ていると、たいていの相手はこっちを見て油断する」


「油断させてぐさり」


男達はにやりと笑ってエーダを見た後に言う。


「エーダインちゃん、なかなか様になってるぜ」


「そうそう」


彼等に警戒心がないのか、それともあっさりした感覚なのか、それともエーダを簡単に殺せるという余裕が見せる態度なのか。

エーダには見当がつかなかったが、表面上の彼等は友好的であったのだった。





「起きて、ジョン!! あなた今月は家賃を払う月でしょう!!」


シャルロッテは大声で、とある店子の家の前で呼びかけていた。さらに強くその店子の家の扉をたたき、中にいる人間が我慢できなくなりそうな位のしつこさで、扉をたたき続けていた。


「エーダちゃんのお師匠様でも、こればっかりは見逃してあげられないの! 二ヶ月分の家賃を支払って! ここにいるんでしょう!」


シャルロッテは大声でそんな中身を繰り返し、しかし扉の向こうは沈黙を続けているので、どうしたらいいのだろうと少し、困った。

しかし彼女はそこから立ち去ろうとはせずに、腕を組んで考え込み始めている。

そんな時だった。


「よくまあこんな時間にぴいぴいと叫べるなあ。ふああああ……さっき寝たばっかりだってのに、目が覚めちまった」


シャルロッテの目の前の扉が、外の人間の事などいっさい気にとめない調子で開き、シャルロッテはそこから現れた男に目を丸くしてから、しばし凍り付いた後に、叫んだ。


「服を着て応対してください!!」


「返事しろっていったり服を着ろっていったり、注文が多いな」


大あくびをしながら、シャルロッテの視線などどうという事もない、という調子で言ったその男は、ほぼ全裸という、大変人前に出るにはよろしくない見た目で、自分より遙かに小さい少女を見下ろして、ぼさぼさの頭をかきながら、のそのそと部屋の中に戻っていった。

そして数秒が経過したと思うと、腰に腰巻きを巻くという雑な隠し方で下半身を覆い、シャルロッテの目の前に手を突き出す。


「あー、……これで足りるだろ」


「え、わ、きゃあ!」


突き出された手が開き、ばらばらと銀貨が落ちる。それを受け止め損ねたシャルロッテが慌てると、その男は


「どんくせえお嬢ちゃんだな」


といいつつ、積極的に銀貨を拾い上げて、今度はちゃんとシャルロッテに手渡す。


「二ヶ月分の家賃、これで足りるだろ。あとええと、なんだ、井戸の管理費と家の前の明かりの維持費だったか? 新品の賃貸ってのは設備が多くて豪華で、金がかかってしょうがねえな。過去一番の家賃の高さだぜ」


「……」


シャルロッテは渡された銀貨の枚数を数えた。その枚数は確かに、二ヶ月分の家賃に、井戸の管理費に、明かりの維持費を含めて数えても問題のない金額で、逆におつりが必要なくらいだった。


「今おつりはすぐに出せないわ」


「じゃあ今度家賃払う時の金として積み立てといてくれ」


「そんな手間をどうしてしなくちゃいけないの」


「支払いを渋られるよりずっといいぜ? 損得勘定ちゃんとしろよ、世間知らずのお嬢ちゃん」


そういってその男は、シャルロッテが返事をする事も待たずに部屋の扉を閉めてしまう。


「……また帳簿に書かなくちゃ……」


シャルロッテはそう言った後に、思わず呟いた。


「あんな人がエーダちゃんのお師匠様だったなんて、悪い冗談みたいな話だわ」


そう独り言を言っていた時である。がちゃりと扉が開き、にこにことした機嫌の良さそうな男性が、別の賃貸の部屋から現れた。


「ああ、今日の朝はとくに素晴らしい! シャルロッテの顔を朝一番に見られて、声で起こしてもらえたんだから!」


「そうだったんですか」


その男性は、今シャルロッテが相手をしていた男とは大違いで、大変身ぎれいにしていて、機嫌は最高にいいといわんばかりで、にっこり笑顔である。


「まったく、この一番狭くて設備の少ない角部屋の住人は、シャルロッテが直接家賃を回収しに来てくれるのに、ずいぶんと自分勝手であきれたものだ」


男性は、にこにこと機嫌がよかったと思えば、シャルロッテの扱いがひどいと憤慨している。

「……でも、二ヶ月に一度、二ヶ月分の家賃を支払うっていうのは、お母さんとここの人がちゃんと取り決めた話なので」


「それは仕方がないけれども、エーダじゃないんだ。シャルロッテが相手なんだから、もうちょっと親切にするべきだ」


「……」


「まったく、一体どんな手を使って、シャルロッテの朝の時間を奪うんだかな、そこの住人は」


とひとしきりそこの男性は憤った後、仕事があるからまたね、といって階段を降りていった。それを見送る形になった後、シャルロッテは自分の仕事の時間を思い出して、はっとして階段を駆け下り、自宅に戻ったのだった。



状況が変わったのは翌日の朝で、朝にはどういう方法が使われたのか、領主のリリーの一人娘が、賊に襲われて殺されて、海に投げ入れられ、死体は見つからなかったが、着ていたドレスは近隣の漁師の網に引っかかっていた。という話が、火がついたような勢いで町中を流れ、そう遅くないうちに、領内すべてにまわるだろうとおもわれる速度で広がっていたのである。

それをエーダが知ったのは、この町にある枚数がとても少ない、新聞の速報によるものだ。速報でこれだけあっという間に情報が回ったのは、何かしらの作為のようなものを感じさせた。


朝一番に起き出したエーダが、玄関の前に放り投げられていた速報を拾い上げて、中で目を通していると、部下達がのろのろと起き出してくる。そんな彼等に、エーダは声をかけた。


「これって」


「お頭の指示だから、俺達は何とも」


「お頭、まだ寝てる? あの人依頼が終わると一日中寝て、それから動き出すんだけど」


本来は二人部屋を数部屋使って寝ていたようだが、女の子と同じ部屋で寝られないと全員が気を使った結果、エーダは一人で部屋を使い、男達はある程度は固まって寝ていた。

だがお頭は一人部屋で確定だったらしく、お頭の部屋に入る男は誰もいなかったらしい。

そのため起き出した男達は、どことなく疲れた顔をしている。寝台の数が足りなかったのかもしれないし、板敷きに布一枚で眠るのは、さすがに体が痛かったのかもしれない。

もしくは、海辺の町の湿気で、寝付きが悪かったか。そんな事をエーダは思った。

エーダに答えなかった部下の男の一人が、お頭を起こすためか、お頭の部屋の方に向かっていく。

そして、かすかな物音の後に、お頭が姿を現した。

血の気の引いた顔なのに、真っ赤という訳の分からない顔だ。

その顔で、お頭が言う。


「依頼の報酬を受け取るのは今日の昼、指定の場所でだ」


その時だったのだ。お頭を起こしにむかった部下の一人が、焦った顔で熱があるんだと騒ぎ出したのは。


「お頭、すごい熱です! 今日はゆっくりしなくちゃだめですよ」


「病気じゃないからゆっくりもしなくていい」


「本当にすごいんですよ!」


「今日を逃せば報酬を受け取る事は出来ないだろう。有力者という物はけちだ」


「でも」


「あ、あの、だったら私がこの人の面倒見るから、あなた達がもらってきたらどう」


エーダが口を挟むと、部下達はしばし考えた顔をした後に、こう言った。


「まあ、あの状態のお頭を生かして置くわけだし、エーダインちゃんがお頭に危害を改めて加えるわけもないか」


「殺すならとっくに殺せてそう」


「もしくは相打ちに持って行ってる」


「お頭、それでいいすか」


「……仕方ない。エーダイン、よけいな真似はするなよ」


お頭は熱のためかぼんやりとした声でそう言い、部下に引っ張られるような形で部屋に戻っていく。

エーダはそれを追いかけ、手渡されたパンに肉とチーズを挟んだものを見て聞いた。


「これは?」


「お頭を見ながら食べられる物」


「頼んだぜ」


「……わかった」


彼等は何か独特の考え方で動いている。エーダを信じているとかそんな話ではなく、何かの判断基準があって、エーダにお頭の事を任せるつもりなのだ。

それの意味が分からなかったのだが、ひどい扱いをしないと言うのは間違いない様子なので、エーダは男をぼろぼろにした負い目もあって、男の部屋に入っていったのだった。

男は寝台に上がるまででも荒い呼吸を繰り返しており、これで何も問題がないと主張するのは少し信じがたい。

この部屋までお頭を連れてきた部下も、エーダが入ってきたのを見届けると、どこかに仲間とともに去って行った。見張りがいない理由は、エーダには今のところわからない。

彼女は寝台に横になった途端に顔色が一気に悪くなった男を見やった。もしかしたら、部下達の前では虚勢を張っていたのかもしれない。

エーダはそんな男の額を冷やしたり、目が開いた時に強制的に水を飲ませたりと、あまり行った経験のない看病と思われる事を行っていた。

というのも、エーダは体がなかなかに頑丈なため、熱など滅多に出さなかったし、そして幼なじみが熱を出した時は、その母親や父親が看病し、エーダにそういった事をさせなかったのだ。

不調の時は誰しも心細いものであるが、母親や父親がそばにいた方が、心強くて安心するという事だったのだ、と今のエーダならわかっていた。

昔はただ幼なじみが心配だったのだが、それと同時に、親に甘えられる彼女がうらやましいとどこかで思っていたものだ。

それでも、あの頃、母親も父親も近くにはいなかったエーダにそれが叶うなんて話はなかった。

……ああ、でも一度だけ。

とある優しくしてくれた男がいた事をエーダはこんな時にふと思い出した。

お世話になっていた、家の大家のおかみさんと旦那さんと、幼なじみが一日だけ、隣町の親戚のところに行かなくちゃいけなかった時だ。

あの時エーダも連れて行くと、幼なじみは言ったが、親戚の集まりには、さすがに居候を連れていく事はできなかった。

そのため、エーダもそれなりに一人である程度のことが出来るようになったのだから、とおかみさんが却下したのだ。

きっともう、おかみさんも旦那さんも、エーダが一人で生き抜くためには、自分達と関わらない事も必要だとわかっていたのだろう。

数えで十二歳になる時だったから、そろそろ面倒を見る時間も終わりに近付いていると、思っていたのかもしれなかった。

十二歳というと、それは庶民の通う上級学校の生徒の多くが、最終学年の年齢で、卒業したらそのまま、どこかに奉公に出る子供も珍しくなかった。たまに留年する奴もいたが、それはかなり不名誉で屈辱だったはずだ。

エーダは通っていないので知らないが。

エーダはすでに、ギルドで働いていたのでそれとは一致しないが、節目の年齢だった事は間違いないだろう。

そして、おかみさん一家が家を出たその朝から、エーダは起きあがれないほどつらくて、動けなくて、一人で布団の中にこもっていた。

……初潮が来た日だったのだ。エーダは幼なじみがもう、初潮が来ていた事を聞いていたし、そのお祝いがあったので、覚えていた。

そのためそう言った持ち物の準備はあったけれども、実際に体験するととんでもないもので、痛みと息苦しさと、それから心細さに頭がめちゃくちゃになり、やられてしまいそうだった。

そんな日に、エーダの自宅の扉を叩いた客人がいた。

だがエーダはその客人を無視していた。痛みと苦しさで、動けなかったのだから。

だがこの客人はとんでもない非常識で、鍵のかかったエーダの家に、鍵をどうやったのか開けて入ってきて、寝台で真っ青な顔で苦しむエーダを見て、いろいろな事をしてくれたのだ。

体を温める飲み物を用意してくれたり、血のついたシーツや下着やそのほか一式を、染み抜きして洗ってくれたり、戸棚を漁って生理用品をエーダに渡して、自分でつけるように指示を出したり。

やたらに手慣れた指示と対応だった。そんな事をする相手なんて、いないだろう客人だったのに。

それから、それでもまだまだ痛いと苦しんだエーダのお腹に、布団越しに手を当ててなでてくれて、にいやりと笑ったのだ。


「貸し一つ分な。こればっかりは女の子だもんな、一人じゃ苦しいわな。後から変態とか騒ぐなよ!」


その客人の面倒見の良さは本物で、翌日までいてくれたのだ。

いたいくるしいつらいいたい。

泣きじゃくっているエーダに、うんうん、男にわからない痛みだから、どんどん吐き出せ、と頼もしく言ってくれた客人は、明くる日の遅い朝にどこかに行った。

エーダが一番辛い時に、寄り添ってくれたのだ。そんな事が似合わない人間だったのに。

そしてその後に、ギルドで顔を合わせた際に、その相手から渡されたのは、そう言った月の物の痛みなどが改善する、薬ではないが、煮出して飲む薬草のお茶で、それを人目もはばからずに堂々と手渡してきたものだったから、そいつは周囲の受付嬢達にボコボコにされる勢いで


「デリカシーがない!!」


「羞恥心って物がない!!」


「気遣いの方向性が違う!!」


「恥ずかしいって言う感情はないのか!!」


「これだからあんたみたいなのは!!」


と怒鳴られまくってふくれっ面になっていた。

それでもエーダは、お礼も言えなかったのだが、うれしかった。

痛みを気遣ってくれる相手がいる事がうれしかったのだ。

その薬草茶は、体質をゆっくり改善する物だったらしく、半年も飲み続けると、毎月の不調はびっくりするほど軽くなった。そしてほとんど感じなくなると、もう飲まなくていいものらしく、その客人はそれを手渡さなくなっていたのだった。

……後から知ったのだ。その人物が、薬の調合師に図々しいほど頼み込み、エーダ専用の体質に合わせた物を、用意してくれていた事を。

それを知った時には、もう町から去っていって、足取りもつかめなくて、以来行方しれずなのだ。

だからエーダは、その客人にしてもらった優しさしか知らない。

その人間がやってくれたことを見よう見まねでやっているだけだった。


お頭はうめいていた。そして、何かを探すように手がさまよっていたから、エーダはその手を握り、言った。


「ここにいるよ」


これもあの時にやってもらった事で、寂しさと心細さが押し寄せてきて、いない母を求めたエーダに、客人が裏声をつかって、そう言ったのだ。

あまりにも悪ふざけの調子だったのに、優しさが感じ取れて、エーダはあの時にとてもほっとしたのだ。

だからそれと同じ事をするだけだった。

そして握りかえされた手に、お頭は安心したのか、また眠り始める。

もしかして、傷が多いから熱を出しているんじゃないだろうか。

エーダはそんな可能性を否定できず、とにかく、出来る事をしなければ、と看病を続けたのだった。


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