素志(もとし)②生き方だから
なんで芝居をやっているのかと聞かれ「生き方だから」と答えたい。哲学的でかっこつけてるわけじゃない。それしかないんだ。
違う自分になりたい。ずっとじゃなくて時間制で。
少しの間でいいから自分じゃない自分を生きることで、つまんない自分の人生を送れているのだと思う。自分だけの人生だったら、しんどい。その感覚を本とか映画で満たす人は多い。完全に受け取り専用で満足できるタイプの人間はそれでいい。俺は他人が作った世界を受け取るだけじゃ、違う人生を味わえない。発信側になって、誰かを軽く欺くくらい違う人間として生きているところを見せたい。
違う人間のお面をかぶってないと、本当の自分は生きられないのかもしれないと思うことがある。
真面目に言ったら笑われるだろうな。自分は本当の自分じゃない。何かに操られてるとか、すごい能力あるとか、本当はこんなんじゃないんだとか、いきがってるのと変わらない。
だから俺は、昔の知り合いに会うとき「趣味で芝居を続けている」と言うことにしている。
秋の公演が終わって一段落したので、大学時代の劇団の奴らが集まると言うので出かけた。俺以外はもう芝居をやっていない。就職したり、家を継いだり、金貯めて会社辞めて旅に出たり。幸い男どもは結婚した奴はまだいない。
あいつは今どうしてるか、誰と誰が実は付き合ってたとか、当時の団員の生存確認みたいな、どうでもいい話で盛り上がる。
そこで二つ下の後輩の名前が挙がった。ベンチャー企業の社長として最近雑誌に載って話題になってる人だ。こいつは、俺の芝居を見て感動して入団してきた。俺みたいな役者になりたいと無駄に尊敬してくれた。
「あいつ、すげーよな」
「知り合いって言うと、びっくりされるぜ」
「有名人だもんな」
「俺らの誇りだよ」
そこに集まった奴らがみな、その後輩を絶賛した。
ものすごく人望のあるイイ奴だと思う。イケメン過ぎず嫌味がなく、気が利くし仕事もできる。話も面白くて、あいつの下で働く人は幸せだろうなって思う。
けど、
俺らの誇り?
その俺らに俺は入っているのか。
雑誌のインタビューで書いてあったが、学生時代の劇団でプロモーションの仕方とか、人間関係とかいろいろ学んだとかあった。けど、俺があいつを育てたわけでもないし、まして俺らはあいつと同じ道を目指していた訳じゃないのに、なぜあいつが「俺らの誇り」なんだ。みんな起業したかったのか、社長になりたいのか、あいつだけが成功した有名人だからか。
テレビに出ている芸能人で、商店街とかにいる普通のおじさんにインタンビューして上手いこと言えなかったら「素人さんなんだから」とか言う人がいる。そのおじさんは何かの職人でその道じゃプロ中のプロで、芸能人になんか微塵もなりたいと思ってない。テレビに出る人じゃないから素人呼ばわりされる筋合いない。それに似てる。
あいつが「俺らの誇り」って勝手に決めんなよ。俺は誇りなんて思わない。関係ない。社長なんて羨ましくない。
しかし、この気持ちを言ったら「僻み、妬み、嫉み」で片付けられるんだろう。俺は芝居だけじゃ食っていけない売れない役者だから。
この感情が上手く処理できなくて、イライラする。いっそ後輩が嫌な奴だったらいいのにと思ってしまう。
モヤモヤした飲み会をさっさと切り上げ、俺はアパートに帰った。ポストにB5版の封筒が入っていた。年賀状のテンプレみたいなキレイな手書きの字が規則正しく並んでいる。差出人は見知らぬ女の名前。手触りからして薄い冊子だが、ダイレクトメールや芝居関係のお知らせではなく、個人からだろう。
封を開けると大学ノートが一冊入っていた。
森岡素直子です。
洋食屋パスカルで、素志さんの『素数の人』に衝撃を受けた者です。
先日のお芝居、お疲れさまでした。
アンケート用紙に書ききれなかった芝居の感想送ります。
1ページ目にそう書かれて、10ページ近くびっしりと書かれている。そして、住所が書かれた切手付き返信用封筒が同封されていた。
「すげー、ファンレターだ」
『素数の人』に感動して、芝居のチラシ渡したら見に来てくれた子だ。なんかものすごく陰が薄い感じの。顔はあんまり覚えてないけど、感想書き切れないから送りたいって言われて住所教えた。
芝居の感想は真摯なもので、すごく細かく見ていてくれて俺は嬉しくて興奮した。ノートの続きに思った事を書いた。後輩の話でモヤモヤしてたからか、誰かに話したかったのかもしれない。菜莉には知られたくないかっこ悪い俺の部分、吐き出したかったのかもしれない。そのノートにどうでもいいこと、何ページも書いた。封筒に入れて返送した。
すると、すぐ「返事ありがとうございます」とそのノートが送られてきた。
わざわざ便せんと封筒用意しなくていいから便利だなと思った。
しかし、その後、店舗縮小により俺のバイト先の店がなくなり、解雇された俺は家賃が払えなくなり、アパートを追い出され、29歳の微妙なタイミングゆえ実家に帰ることもできず、年末年始単発バイトをしまくり、芝居どころではない多忙な日々を送り、ノートと共にそのファンの存在もすっかり忘れていた。