素志(もとし)①素数の人
『素数の人』
俺は、素数みたいだった。自分以外、誰にも割り切れない。クラスの奴らは同じ最大公約数を持っているのに、俺にはない。孤独だ。
担任はクソだった。クラスのメンバーをジグソーパズルに例えた。一ピースでも足りないと絵が完成しないとか、似たような形でも一つとして同じものがないんだ。みんな違っていいんだ。だから手を取り合って大きなものを作り上げていくんだとか。全員集合させるために出欠確認するまで、いないことに気付かなかったくせに。分かりやすい絵や字の部分があるパーツの奴らはいいけど、色をもたない。端っこでもない俺に気付かなかったくせに、そういうときだけ、一人の存在意義の大切さを偉そうに唱える……
「素数に虚数、俺、天才だな」
セミがうるさい夏の日、俺は突然降ってきたアイディアをメモし、それの土台となった前作を読み返して自画自賛した。セミの声がファンの声に聞こえてくる。
ジンっていうのか自費制作小冊子。「ZINEパスカル」。二年前ぐらいか、お世話になってる洋食屋で本を作ると聞いて面白そうだなと思って参加した。なんでも好きなもの書いていいって言われても思いがまとまらなかった。その時店に来てた常連客の息子が幼稚園生なのに『数学事典』とか読んでて、すげーカッコイイって純粋に思ってしまった。「お兄ちゃんにも見せてって~」って子供扱いしたら機関銃のように素数の話をされて、全く理解できなかった。けど「素数」という存在が俺に響いた。
1と自分自身以外の数で割りきれない数
孤高の存在でカッコイイと思えた。かっこいいと思ってしまったから自分に重ねたくて、10代のころからずっと感じてた思いを書き綴った。
この割り切れない青い感情をいい大人が言ってると「中二病」って呼ばれてしまうんだろう。
役者を夢見て、十年。
役者だけでは生活ができない。劇団員の稽古に給料なんて出ないからむしろマイナスだ。毎日ギリギリだが、なんとか続けている。
大学で上京して学内の劇団に入った。どこでも浮いてた自分、居場所が欲しくてなんでもいいからどこかに所属しようと思った。だけど、飲み会が目的のスポーツサークルとか、就職に有利だからって感じで献身的に頑張るボランティアとか全然興味がなくて、友達も簡単にできるタイプじゃないから一緒にやろうって誘ってくれる人もいなかった。
新入生歓迎会とやらで演劇サークルが芝居をしてた。文化祭のノリだろうと思ってのぞいてみた。正直、よく分からなかった。
けど、数日後、その舞台に立っていた役者を食堂で見てびっくりした。見て分かったんじゃなくて、役者の方から声をかけてきて気づいた。別人だった。声も仕草も、芝居ってスゴイと思った。
「脚本がクソだったから、つまんなかったんだと思う」と言われ、あの公演で判断しないで遊びに来てよと誘われた。サークル以上部活未満な、歴史は浅いけどけど毎日稽古して真面目に活動している団体だった。
みんな別の人間になっていた。時には人間以外のものになっていた。
お面を付けただけでその役だと思って見る学芸会しか、俺は生で芝居を見たことがなかったことに気づいた。こんなにも日常で普通の人が自然に変われるのかと思った。
俺の育った地域で役者と言ったら、テレビに出てる人たち養成所の研究生を経てなるもの。劇場と言ったら、市にひとつだけある公民館のホールだ。そこの舞台に立つのもなんかしら大きな賞を取った人とか、テレビに出てる有名人とかだ。あとは学校の体育館のステージ。とにかく、劇場はステージがデカくて人がいっぱい入る場所だと思ってた。
こんなにも至近距離で芝居をやっていいんだと、当たり前のことに衝撃を受けた。役者になるには、お金を貯めて、オーディションを受けて、そこにいる大人に気に入られて研究生になって、レッスンを受けて、って道を歩まなければなれないものだと思っていた。けど、小さな芝居小屋で自分で「役者です」と言って舞台に立って、チケット売って、見に来てくれるお客さんがいれば役者になれるんだって知った。
小劇団の芝居、自由さ、無限の可能性に俺は魅了されてしまった。役者はもちろん、脚本演出、照明や音響、衣装も美術も自分たちで表現ができる。発信できる。大人が作った大きな組織に所属しなくても、自分で自分のやりたい世界を作って見せることができるんだって知った。
そういう世界があることで俺の人生は変わった。役者として生きる自分に出会った。芝居は俺の「生き方」になった。
東京の小劇場と呼ばれる劇場が体育館じゃなくて体育倉庫みたいな埃ぽい小屋で、そこで芝居をしている自称役者がどんだけの数いるのか、俺の家族はきっと知らないだろう。じいちゃんばあちゃんに「東京で芝居やってるんだ」と言ったけど、どんだけデカい舞台に立ってる役者だと思われてるんだろう。
その劇団は小劇場を借りて商業的な公演を定期的に行てったが、みな在学中楽しむ程度で就職したら基本辞めていく。部活みたいなもんだ。
俺個人が、仕事じゃなくて生き方にしてしまったから、大学卒業後も芝居が辞められなくなった。
大学演劇サークル出身の演劇人の世界は意外と狭い。どこどこの公演にあいつが出てたとか、今度あそこに出るとか、どっこかしらに薄くて細いつながりがある。俺はその頼りない関係にしがみついて、いろんな劇団を転々としている。
その中で有名になった奴もいる。俺もその一握りに入ってやろうと、このまま役者として生活していくことを夢見て頑張ってきた。一度は就職を考えたけど、やっぱり芝居を続けたかった。30歳になるまでやらせて欲しいと親に言った。
もうすぐ29歳。リミットが近づいている。
はあ。
「素くん、溜め息なんかついて、どうしたの?」
豊満なボディを俺の背中につけ後ろから彼女がのぞき込む。薄着ゆえ、胸の形や重みをしっかり感じる。わざとなのか。俺の彼女、菜莉。顔もめちゃくちゃ可愛い。あまりにも理想的過ぎて、お店の女の子に騙されてるんじゃないかと自信がなくなる時があるから、自慢したいけど人に紹介したことがない。役者仲間の友達の友達。俺の芝居を見に来てくれて、お近づきになったという実に健全なお付き合いだが。
「いやあ、青いなって」
ここ何年かの芝居の実績、家賃が払えない経済状況とこれからの生活についての溜め息だが「ZINEパスカル」に書いた文章のせいにする。
「素数の人。あたしこれ、最初、素敵な人かと思ってた」
「だよなー。そう思わせて、あれ? 違うっていう狙い。こういうさ、青さをわざと書く大人の余裕っていうの、そういう面白さが自費製作本にはあるよな」
「そうなの?」
「だって、ぜんぜん俺っぽくないだろ。ギャップを見せたいなあ」
「うん」
「これの続編も考えたんだ」
「続編?」
「虚数の人」
「虚数って?」
「俺もよく分かんない」
「へー。続編ってことはさ、この絵の新しいのもあるの?」
菜莉はZINEパスカルを俺から奪い、最初のページにある絵を見せてきた。三日月が光る夜道を下る少年の絵。繊細でいい絵だ。
「ああ。多分」
「わー楽しみ、ねえ。作者知り合い?」
この絵を描いたのは画家の整さん。店の常連。なんかムカつくぐらいカッコイイ。その佇まい大人の男。
「イケメンだから紹介したくない」
「素くんよりイケメンなんているの?」
嘘だと分かっていても、さらりとこういう事を言ってくれる菜莉。その疑問の顔はまさに天使だ。看護師やってるし。
「いないか」
「うん」
菜莉の王子さまでありたい俺は、かっこつけるしかない。