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美数(みのり)③どっちもすごい

 新作のフリーペーパーを持って洋食屋パスカルに行った。CLOSEの札がかかってるけど、ドアを開けて中に入った。

「こんにちは」

「あら、美数ちゃん」

 安積実さんの笑顔と明るい声が迎えてくれる。カウンターの奥にいる商吾さんもわざわざ顔を見せてくれた。ものすごく安心する。

「お店まだですよね。フリーペーパー納品だけしに来たんですけど、いいですか?」

「どうぞ、どうぞ。丁度、(せい)くんも来てるし。ねえ、見て見て」

 先客がいた。と言っても、ご飯を食べに来る客ではない。画家の整さん。

 絵でお金儲けしようって感覚がなくて、普通に会社員として働いてる30代独身。なかなかのイケメン。芸術家って言えば聞こえがいいが、人付き合いが苦手なタイプらしく、わたしと同じようにここに安息を求める、どこかはみ出してる仲間だ。

 安積実さんの手が示す、見せたがっているものは、額に入った水彩画。

 三日月が光る夜道を下る少年の絵。

 印刷されたものは見たことがある。

「うわああ。整さんの原画」

「そう。ここに寄付してくれたの」

「いいですね」

「うちに置いてても見る人いないから」

 整さんは、謙虚に答える。

 本当にスゴイ。素晴らしい。そのへんの美術館にあってもおかしくない絵。いや、美術館にある絵の方がどれだけ価値がわるのか分かんないくらい、この絵にはものすごいチカラがある。なんだけど、整さん本人はそのすごさに気づいていない。謙遜よりも自信のなさによる謙虚な答え。それが整さんの表現とも言える。この絵を前にするとなんとも言えない敗北感を味わう。

「あー絵で表現できるって、やっぱすごいな」

「いやいや。言葉の方が難しいです」

 純粋な感想も慰めに聞こえてしまう。絵と文章。絵に限らない。言葉を必要としない芸術にどうしても適わないって思うときがある。

 絵、写真、身体表現、音楽はズルい。言葉なんてその国の言語が分かる者同士しか理解できないのに、同じ国でも分からない場合多いのに、絵や音楽は簡単に国境を超える。

 言葉は難しい。難しいことを敢えてやってるのだから、比べて卑屈になることもないんだけど、すごく無力だなって思うときがある。

「どっちもすごいよ。美数ちゃん、納品だっけ」

 安積実さんは変な対抗意識を持とうとするわたしを制してくれる。作り手は自分が一番受け入れられたい思いが強すぎて、どれかひとつが選ばれる思ってしまう。受け手は手に入るなら全部欲しい。全部好き。選びたくない。って思ってるらしい。カレーも寿司も好きでいいじゃん。どっちが優れてるとかない。と。

「あ、はい」

 わたしは紙袋から、ハガキ大に作ったフリーペーパーを出した。

『那由太の数楽教室』

「最新号できたのね。これ人気あるよ」

「ホントですか」

「あ、ぼくも好きです。前回の漢字の話、笑った。学校の『こう』って言う字は『恒河沙のこう?』って聞いてきたっていうやつ、さすがですね」

 数学者那由太。数学関係の文章は難しい言葉や漢字をいつの間にか覚えて読めるのに、学校の国語、順番にみんな足並み揃えて学ぶ「漢字」が大嫌い。言われた通り覚えるのが苦痛で自分の記憶で理解しようと努力したんだろうか、しかし彼の世界で最初に覚えた「こう」という音を持つ漢字は、学校の「校」よりも「恒河沙」の「河」だったようだ。

「整さんのツボそこでしたか。へえ。もう那由太なんて名前付けちゃったからか、大きな数が好きで」

「那由太ってどういう意味ですか?」

「言ってませんでしたっけ」

「わたし知ってるよ。那由他も恒河沙も、一十百千万億兆京……っていう単位のもっともっと大きいやつ。って説明でいいんだよね」 

 安積実さんは得意げに言う。

「はい。恒河沙は0が五十二個で那由他ってのが0が六十個。タの字は太いって言う字にしたんで、そのままじゃないですけどね」

「さすが美しい数と書いて美数(みのり)。よく覚えてるね」

「名前に反してバリバリ文系ですけどね。那由太は数字と言うより、寿限無みたいなもんですよ。とにかく数が大きい名前がめでたいかなって」

「なるほど」

 安積実が納得する横で、整さんは首をかしげた。

「すみません、寿限無って何ですか? 虫?」

 虫? わたしは整さんを見た。この人のこういう天然ぽいところが残念なイケメンだけど、逆に女子ウケするんだよね。計算なんじゃないかと勘ぐってしまう。

「整くん、それ落語的返し? それとも素?」

「素です」

 素か。素だよね。

「ええ。あのね、寿限無ってのは、超有名な落語でね。子供の名前なんだけど」

 安積実さんは、子供に教えるみたいに整さんに落語の説明を始めた。

 楽しそうだ。

 わたしは、カウンター隅に作られたフリーペーパーを置くスペースに『那由太の数楽教室』を並べた。ここに那由太とわたしの居場所がある。

 こんな居心地のいい空間でいられるのは、安積実さんの存在は大きい。同じ事を他の人がやっても、もしわたし自身がやったとしても、楽しくできないだろうなって思う。

「安積実さんって素敵ですね。会うとホッとする」

 思わず、カウンター越しの商吾さんに言った。

「僕の愛する妻ですから」

 イタリア人かってぐいらい、さらりと言う。この自分が選んだ人という意味じゃなくて、妻への純粋な愛を感じる。相変わらず溺愛している。

「幸せ者」

 お節介おばちゃんみたいな返しをしたつもりだが、商吾さんの表情は曇った。

「幸せ者か。僕は美数ちゃんのうちが羨ましい」

「羨ましい?」

「那由太。二人をつなぐ確固たる存在がいれば、こんなガキみたいに不安にならないのに」

 楽しそうにしている安積実さんと整さんを見つめる商吾さんの眼差しは、寂しそうだった。あまりにもあからさまで、安積実さんへの愛があふれてて、こっちが恥ずかしくなってくる。

 そういう不安か。

「嫉妬ですか。愛妻家ですね。毎日一緒にいて逆に嫌にならないんですか。うちなんか、夫夜遅いから週末しか会わない感じですよ」

「一緒にいないと自信がなくなる」

 どんだけ安積実さんがいい女なのか。

 商吾さんが自分に自信なさ過ぎるだけか。

 整さんがイケメンなのに天然だからか。

 わたしより年上の三人の方が、青春してるみたいで、なんとも言えない気持ちになってきた。わたしは、日々子育てに追われるやさぐれた母親でしかない女。でも子供がいるだけで幸せ?

 よく分かんない。

 それこそ、比べられるもんじゃない。寿司もカレーもどっちも好きで、どっちも幸せを与えてくれる。考えなくてもいいものをあえて考えて不幸合戦するみたいで嫌だな。

 でも、安積実さんはそういうの超越した所にいる気がする。個人的な愛なんかいちいち相手してるレベルじゃない。

 変な対抗意識で卑下してしまう自分への言い訳と、商吾さんに慰めをこめて、前に聞いた安積実さんの言葉を言った。

「この店が、ここに集まる人が、子供みたいなものだって、安積実さん言ってましたよ」

「子供?」

「はい。わたしもダメな娘としてお世話になってます」

「そっか」

「じゃ、そろそろ行きます。那由太、4時間だから帰てきちゃうんで」

 意外と早く帰ってきてしまうタイトなスケジュールに合わせ、青春してる空間がちょっとむずかゆくてわたしは店を出た。


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