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美数(みのり)②フリーペーパー

 学生時代から小説家を目指してた。本は好きだけど、本に救われたとか、ものすごく好きな作家がいてあんなふうに書きたいとか、そういうタイプじゃない。吐き出したい思いをまとめるのが文章だっただけ。わたしの真実は誰かの真実じゃない。叫べば叫ぶほど大人たちは「若いね」と軽く無視して真面目に取り合ってくれない。生まれた感情を言葉にして人に向けてはならないのか。人の気持ちを言葉で説明するのは傲慢か。自分の言葉で気持ちを吐き出すと誰かが傷つくかのような気にさせられた。

 誰も傷つけない方法を模索してたどり着いたのが「物語を書くこと」だった。鬱屈した思いをフィクションとして昇華させる。「これ虚構の世界だから」という逃げ道を作ってわたしは自由に語った。主に青春小説というのか、十代二十代を対象にした作品を書いて応募し、最終選考まで何度かいった。

 そんな挑戦を続けていると職業としてきちんと向き合いたいという気持ちが強くなっていく。作家として食べていくのは無理でも、どこからかデビューして本を出し「作家」と名乗りたい。この調子なら大学卒業後は作家の肩書きぐらいは得られるだろうと思っていた。そう上手くはいかなかった。卒業後は契約社員として働きながら応募し続けたけど、思うような結果は出なかった。自分より年下の子たちが大賞を取ってデビューしていく。

 両親は芸術とか文学とかに疎く、父は、女が何かを発信するのは趣味程度だと思い込んでいる。女の創作は家族のためであり、仕事として認められるのは男が作ったものだと思っている。母への対応で、間接的にわたしの活動も本気だと思われていないのが分かった。学校に通っていた頃は、娘が作文コンクールで入賞したみたいに喜んでいたが、職業にしたいと言うと「そんな空想物語が仕事になんかならない。考えが甘い」と、世の中の代表おじさんとなって聞く耳を持たない。

 だからわたしは逃げた。いろんなものから。

 ずっと付き合っていた年上の彼と23歳で結婚し、専業主婦の道を選んだ。翌年には子供もすぐ生まれた。

 結婚して子供を育てる人生を優先したから、作家の道は一時中断したんだと、結果を出せない自分をごまかした。

 そこそこ収入のある相手と早々に結婚して「いい人いないの?」「結婚は?」「子供は?」「子供が3歳まではお母さんは家にいなきゃ」を全部、言われる前にやった。「一人っ子じゃ可哀想」はわたしも夫も一人っ子なので言わせない。

 仕事が忙しい夫、幼稚園、小学校からしょっちゅう電話が掛かってくる大変な息子のおかげで、お母さんは子供が7歳になってもいつも家にいる。

 夫と息子のおかげで、作家になれないわたしは格好つけられた。息子の個性は、母親のスペックを超え敵を沢山作ってくれるから、腰を落ち着けて執筆なんかできない。

 作家になれないのは、子育てが大変だから。そういう体裁の陰で、肩書きが手に入らない自分の能力のなさを認めない。

 ずるいよね。

 大変そうなふりして、かっこ悪くならない道選んでいる。

 結婚しなくても、子供が生まれなくても、めちゃくちゃおとなしくて育てやすい子供だったとしても、作家になれた保証がないのに。

 作家、作家。

 後輩がネットでバズって本出して結構売れてるとか、誰かがなんとか賞取ったとか、わたしが考えた物語にめちゃくちゃ似てる話がドラマ化されてたりとか、なんで「わたしじゃないんだろう」って思う日々。

 那由太のせいで腰を据えて長編を書ける環境じゃない。ワンオペ育児に異議申し立てして夫に全面協力させても、いつ作家になるか分からない。結婚に逃げたわたしが作家になると言っても、那由太はすごい学者になってノーベル賞取ると言ってるのと変わらない。希望であって保証はない。生活費をやりくりして自分のお小遣いを作るみたいに、平謝りと片付けに忙殺される那由太との生活、その中から抽出した自分の時間を使ってできることをするしかない。

 このまま、ただの主婦で終わっても、わたしは生きていける。

 でも、虚しかった。たまらなく。

 誰のために生きてるのか分からなくなる。

 那由太が幼稚園に行ってる時間、一人で買い物に出かけた。ずっとこうしたかった。洋服買いたかった。本屋でじっくり見たかった。新しい化粧品試したかった。そのはずだったのに、何が欲しいのか分からなくて、店の中グルグル回って、何も欲しくなくて何も買わずに家に帰った。何も感じない。どうでもよくなってる自分がいた。周りのすべてが、わたしと違う時間が流れているような気がしてきた。わたしはこの世界に存在してないみたい。園バスが来るまでの間、一人で泣いた。

 ただの主婦で終わったら、わたしは生きていけない。


 そう自覚したとき、洋食屋パスカルに出会った。

「パスカル」はフランスの数学者の名前。三角形の定理でおなじみの人。那由太の大好きな図鑑にも度々登場してて、店の前を通るたびに気になってた。何も感じない自分をどうにかしたくて、なんでもいいから自分を慰めるものを探して、ちょっとでもいいなと思った気持ちを大事にしようと思い、勇気を出して入ってみた。

 落ち着く場所。家族と仲のいい人が言う「実家みたいでい落ち着く」っていう感じがこれなのかもと思った。初めて来た気がしない、自分の居場所がちゃんと用意されていたかのような居心地の良さ。安積実さんの明るい笑顔と商吾さんのホッとする味。

 そして、フリーペーパー、ミニコミ誌、ZINE。自由に発信する紙の無限の可能性を知った。その存在は知っていたが、応募して受賞して本を出版してもらうことばかり考えていて、自主製作するのは自分とは違うジャンルの人たちの表現だと思い込んでいた。

 自分から直接読者に発信する方法に興味はあった。でも、ただ書いて発信すればいいってもんじゃない。コメント書き込んだり引用できちゃうネットの文章は、今のわたしには逆効果だ。幸も不幸もマウントし合ってるように思えてしまう。全く理解できない人は知識で攻撃してくるし、共感してすり寄ってくる奴はみんな自分の話を聞いて欲しいだけ。自分語りに付き合わないといけなくなるのはしんどい。

 結局そこでのコミュニケーションが必要で、ただ書きたい、ただ読みたいで済まされない煩わしさが絶対あるだろう危惧してしまう。作品が我が子だったとすれば、これ以上子供を守るために書く以外の所で労力を費やしたくないと思ってしまう。自分の文章は支持されるよりも批判される想定をしてしまうからだろうか。

 フリーペーパーという媒体はアナログだけど新しい。書きっぱなしでもいい。自由で芸術性に富んだ媒体に魅了された。

 何も感じなくなっていた自分が息を吹き返していく気がした。

 試しに書いてみた。吐き出したい思いを綴った。読者は限られているからフィクションに置き換えなくてもいい。分かって貰えない人は無視していい。気になった人だけが手に取ればいい。

 『那由太の数楽教室』と題したコピー用紙ホチキス止めのフリーペーパー。那由太の特性は、障害でも作家になれないわたしの言い訳でもないと誰かに証明して、自分で自分を認めてあげたかった。


「めちゃくちゃ面白かった。また書いてよ」

 安積実さんのその一言に救われた。

 わたしは書いてなきゃダメだと思った。

 そして書くこと、受け止めてくれる人が間にいて誰かに読んで貰うことは、どんなカウンセリングも適わない最強のセラピーだと確信した。

一方通行の発信で、なくなっていれば、製本した数だけ読んでくれた人がいるということ。その人がどんな人なのか分からなくていい。

 フリーペーパーはちょうどよかった。

 月1で作り始めた。


 洋食屋パスカル。そこにいる人、来る人たちは、那由太を異質な存在になんか思わないでいてくれた。

 みんな自分がどこかはみ出している意識がある、似たような人たちが集まっていたから。


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