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美数(みのり)①息子は数学者

「今日も遅くなります。か」

 夫からのメッセージを見て溜め息をついた。きちんと連絡をくれるのはありがたいけど、毎日同じ。 

「父ちゃん?」

 数字の図鑑を読んでいる小学一年生の息子、那由太なゆたが聞いてきた。

「うん。今日の夕飯、海苔巻きだけでいい?」

「恵方巻き?」

「そう」

 今日は2月3日節分。

「いいよ。今年は西北西だ」

「へえ。そうなの」

「豆は7粒。母ちゃんは31粒ね。素数だ」

「素数か」

「父ちゃんは35だから素数じゃない」

「そうだね」

「ねえ、母ちゃん、121は3でも7でも9でも割れないのに、素数ではないよ。二桁九九11×11が121だからね」

「すごいね」

 4歳の時、タクシーに乗ったら料金メーターをずっと見て、教えてもいないのに繰り上がりの足し算を理解していた。5歳では九九を覚え素数の存在を知り、小学校に入ると19×19までの二桁九九を暗記していた。

「ねえ。母ちゃん丸いのは月に一回だと思うよ」

「はい?」

「ということはさ、ということはさ、もう存在しないってことじゃない」

「ゴメン、まず、何の話をしてるのか最初に言って。さっぱり分からない」

 幼稚園入園当初から数字に魅了されている息子。お絵かきの時間に○を描かせようとしてもクレヨンは全然動かず。「那由くん、ゼロだよ。ゼロ書いて」と先生が言うと左回りの楕円を描いたという。右利きの人が意識しないで円を描くと大抵、スタートとゴールを下にして、右回りの円を描く。ゼロは上から始まり左回り。

 那由太の円はずっと、左回りのまま。

 年相応の子と同じ方向を向き、同じ道順を進まない。それが「他の子ができることができない」とされてしまう。彼が理解しているのかしてないのか他の人には分からない。彼自身は、それを分からせることに興味がなくて、頑張らなければならないと思っていない。いや、思っているのかもしれないけど、それが周りには分からない。きっと、ものすごく頭がいい。だけど他の子より幼稚に見えてしまう。自分を守る為にきちんと説明する能力をつけさせようと、一生懸命こちらが向き合っても都合良くかわされる。聞いてないのか、わざと無視しているのか分からない。

 数字の図鑑を開いたまま、那由太は漢字ドリルを床で解き始めた。

「もおお。国語嫌いだ。漢字の宿題なかなか終わらない。算数は1分で終わるのに900秒はかかる」

「単位揃えてくれる? コラーゲン1000mgみたいなズルさを感じる」

「なんで国語ばっかりあるんだろう」

「一年生だからしょうがない。三年生になったら社会や理科もできるから頑張れ」

「もうなんのために学校行ってるのか分からないよ」

「それが、分かるようになるために行くのさ」

「小学校なんてやめてやる!」

「その台詞、ダサい」

「母ちゃん、今日の給食101目焼きそばだったよ」

「は? 話、飛ぶ上に分かんない」

「2進法だよ。五目焼きそば」

「あ、そう」

 毎日こんな日々だ。時々、これをコントにしたら面白いかなと思うけど、それで笑って貰えるなら毎日苦労しない。そう簡単にみんな理解しないんだよ、現実甘くないよと我に返ってしまう。

 子育て本で「おおらかな目で見守りましょう」と自分の子育てをふまえて教えを説く人がいる。イライラしてしまうお母さんへの優しいアドバイスなんだろうけど、「わたしだってそうしたけど、世間が許さないんだよ」と反論したくなる。

 息子とわたしの二人だけだったら、息子を理解してくれる人たちの中で生きていけたら、わたしだっておおらかに見守るだけのお母さんになれる。純粋に面白がれる。毎日がきっと楽しい。

 けど、彼は生まれながらの数学者。夫やわたしの遺伝、共に過ごす生活環境は影響してるとは思えない。おとなしくて自分の世界に没頭する研究者タイプではない。感情のコントロールができず、自分を理解しない人を敏感に察知し攻撃的になってしまう過激な天才型だ。

 小児科の待合室から始まり、公園、幼稚園、児童館、小学校、どこにでもいる自称常識人の反応に怯えている。対個人だと見守るタイプの先生さえ、他の保護者の手前、どうにかして欲しい的なことを言う。よくドラマでキャラの濃いのが出てくると「こんなのいないよ」って言うけど、ヒステリックな保護者はドラマ以上の人に出会う。その人たちの言ってることは常識的。ママ友や先生達と仲良しで、役員なんかも率先してやっちゃう子供のために頑張るお母さん。その子供は聞き分けがよくおとなしく非常に賢い子だったりする。ホント。

 幼稚園でトラブルがあった時、そっちだって悪いじゃんって思う状況でも平謝り。子供にケンカの理由を聞くと相手は自己弁護を上手にして状況説明するが、那由太は自分から言葉を使って表現しようとしない。通訳のようにわたしが確認しないと分からない。都合のいい、こちらには最悪な解釈が事件の概要とされて加害者になる。男の子同士は痛み分けみたいなところがあるが、普通の男の子の言動さえ理解できない被害妄想の強い女の子の親は、地獄だった。

 悪意にあふれたネット記事みたいに、浅い視点で切り取られることもあった。那由太が上手く使えないハサミを床に投げつけた日、同じクラスの子が自分の不注意で手を切った。血が出た。その出来事を見ていた別の子供が親に話す。話を聞いた保護者の頭には「那由太がハサミを投げつけ他の子にケガをさせた」という事件が出来上がり、心配して幼稚園に問合せたという。その時の状況を知ってる先生が経緯を説明し「子供の言うことだがら、説明が足りなかったみたいで」で一件落着した。わたしには事後報告だったけど、ハサミの使い方を指導したという。確認もせずに人を悪く言ってはいけないという指導はおそらくされていないだろう。ハサミは投げちゃいけないけど、説明不足な子は「子供の言うことだから」で済まされ、勘違いした保護者は善良な市民ポジションのまま。那由太は一時的でも刃物で人を傷つける危険人物扱いされたのにそれに対する謝罪はない。

 わたしは誰も信用できなくなっていた。幼稚園は、表面上被害者である方を怒らせないようにすることに必死だ。こちらの大変さを理解しているというスタンスを見せようとしてフォローしてくるが、原因は那由太の特性のせいで、二言目には「専門家と連携して」という言葉を出す。個人のわがままに対応できないから、医学的な名前を欲しがる。名前を付けてもらえたら、その視点でしか見ようとしなくなる。この子はこういう特性があるじゃなくて、特性のある子はこういう子だと、特性ありきで判断する。特性と言いながら認めない。矯正させようとしている。場合によっては更正みたいな言い方をして、罪の意識を植え付ける。

 通訳を自認するわたしの態度が気に入らない中堅先生は専門家を登場させたがる。真実が幼稚園や学校、相手の保護者に不利な状況だと困るんだろう。あんたみたいな母親に何が分かる。一人しか育ててない。しかも親になって、たかだか五年だろと専門家の前ではわたしは無力化される。那由太への理解力は全部間違っているかのように言う。はっきり言わないけどそういう気にさせられる。

 その専門家さんに正直に不信感を訴え、不安を口にすれば「お母さんが一番分かってる。だから頑張りすぎないで。お母さんが笑顔じゃなきゃ」と誰目線だよって言葉をかけられる。自分の言葉でわたしが救われてるとでも思ってるのか悦に入っている姿を見せつけられ、泣きそうになった。那由太という男を育てているわたしのレベルがその程度だと思われてるのか、わたしはバカにされているのかものすごい屈辱だった。感動して泣いてると思われたくないので、社交辞令としてのお礼をいって関わりを絶った。

 療育に理解のないバカ親として扱われる。

 誰もが受け入れてくれるわけじゃない社会で生きていかなきゃならないのは那由太だ。秀でたところを認めてもらえるのは、全部平均的に出来た上での話。一部分だけすごく出来るのは逆に「こだわりが強すぎる障害」として扱われてもしかたがない。専門家は長年の経験に裏打ちされた知恵を授けてくれているんだ。彼が生きやすい道を教えてくれているんだ。

 同じような子供を持つ「理解のある親」はそう解釈して仲良く「専門家と連携」してる。

 分かってる。でも、親の理想を押しつけて現実から目を逸らしてるわけじゃない。

 ただ、他の保護者が皆そうだからなのか「みんなと同じ」に出来ることを親は望んでいると思って、親の姿勢も「みんなと同じ」じゃないといけない気にさせる。普通にできないことを自覚し諦めて、視点を変えて受け入れるのが、特性を持った子供の親の正しい姿勢みたい。それが「お母さん頑張ってる」になってる。

 全部まるごと、そのままの那由太を認めて、彼なりのスタートに最初から付き合ってるのに、どうして他の子と同じスタートラインに一度立たせて絶望しないといけないのだろう。

 それが親の通過儀礼なのか。

 そんな日々に絶望してる。自分たちが普通だとか、絶対に間違ってないとは言わない。分かって欲しいとは思わない。浅い共感ほど残酷なものはない。ただ面白がって欲しかった。一緒に可能性を楽しんで欲しかった。

 それができる媒体を見つけた。

 自分の都合で作成できるフリーペーパー。無料で配る自己満足な読み物。

 わたしはノートパソコンを開いた。

「母ちゃんは何してるの」

「本作ってるの」

「売るの? 何円?」

「これは、パスカルに置くフリーペーパーだからタダ。将来的には、本屋で買える本、つくりたいね」

「母ちゃんにも将来あるの? 30過ぎても」

「当たり前だよ。失礼な。母ちゃん、作家になるよ。作家は刑務所入ってもなれる職業って言われてるんだから。いや、作家とか画家とか音楽家はね、職業じゃないんだよ。生き方だよ」

「そっか」

「だから、他の仕事やっててもなれる。何歳になっても諦めない」

「そっかそっか」

「那由太は何になりたいの」

「電車の運転手と八百屋とレゴ名人」

「へえ」

「本日はご利用いただきましてありがとうございます。この電車は」

「それは車掌じゃないのか」

 そう。職業じゃない。生き方なんだ。

 自分をそうなだめて、セラピーのようにフリーペーパーを作る。



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