整(せい)②ファンの距離
安積実さんは素直子さんを椅子に座らせた。片手に新しくできた『ZINEパスカル』を持って優しく語りだした。
「素直子ちゃんの気持ち、その胸キュン、分かるよ。ガキっぽいこと、何の迷いもなくやってる大人を見て無性に嬉しくなる。だから私、ZINEとかフリーペーパー大好きなんだよね。これ、子供のころ友達同士で遊びで本作った感覚なんだもん。くだらなくて自由で。こういうことずっと続けていたいなって思う。そういう人守りたいって思う。彼女いても好き。応援したい人。ファンなんでしょ。それでいいじゃん」
「そうだファン。あいつファンの子って言ってたし」
美数さんが賛同する。そして、なぜかちらりとぼくを見て、視線を安積実さんに移した。
ファン。
安積実さんに何度も言われた言葉だ。
だからぼくは親友になってくれと言った。
大丈夫、安積実さんに素良を重ねてはいない。求めてはいない。
「ただあいつさ、ファンの言葉として受け止める器ないから、あんなこと言ちゃうんだよ。私は、素数の人も、交換日記に書いてたことも、あいつの本心だとは思うよ」
美数さんに、ぼくはファンと適切な距離を持っていると言われた気がした。同じ素良を失った悲しみを知っている者として、ぼくは正しい姿勢を保っている。
「じゃあ、私に心は開いてたってことですか」
「うーん。そうだね。旅先で出会った人に、身の上話しちゃうような感覚。何か共有したいわけじゃない。素の素志のファンならばさ、彼女の前ではかっこつけさせてあげなよ」
素か。言葉で表現しようとする美数さんは分かり易い例え話をしてくれるが、素直子さんは納得してないようだった。言葉と感情が合っていない。
「そうですね。相談相手とか言って、プライド傷つけただけですね」
「しょうがないよ。ダメ男見て母性が芽生えちゃった感じでしょ。母親の使命感と愛情を履き違えちゃダメだよ。あなたのためよ、とか言ってる親が一番うざいじゃん。そっと見守ってやろうよ」
「やっぱり、私なんか人のためになれないですよね」
「ごめん、そういう意味じゃ」
素直子さんは卑屈な受け取り方をする。
ぼくはまた何か起こる予感がした。
「頑張ってる人を応援したい。それで自分も頑張れる。って聞こえはいいけど、結局私は何かに依存したかっただけ。相手のことなんか考えてなかった、私なんか」
「そんなことないよ。だって『素数の人』に感動されたって、本当にあいつ喜んでたし」
「そうだよ」
安積実さんと美数さんが必死で説得しているが、何を言っても響かない。素直子さんは無表情で厨房の中に入っていた。何を手にしたのかぼくには見えなかった。
「素直子ちゃん、ちょっと」
商吾さんは取り返そうと厨房から出た。
素直子さんは小型だけど切れ味のよさそうなナイフを持っていた、店の照明に反射して光った。誰も近づくなとナイフを向けながら、後ろ歩きで入り口近くの壁際まで行った。
「もう恥ずかしくて生きてられない!!!」
素直子さんは叫んだ。
「なにが?」
「どこか?」
「なんで、そうなるの?」
安積実さん美数さん、商吾さんがたたみかけるように返す。
「死にたいです」
「死んでどうなるのよ」
「だから、何が恥ずかしいのよ」
「素直子ちゃん、そんなナイフじゃ死ねないから、とりあえず返して」
みんな何かしら、止めようと声をかける。
これは真面目にやっているのか、コントみたいなものなのか聞きたくなった。実際聞いたら「整くん、それ本気で言っているの?」と怒られるだろうが、ぼくには、同じくらいこの人たちがふざけているように見えた。
ぼくはどうすればいいんだ。
「だって、だって先生みたいにって思い上がって、全然違う方向行ってて、バカみたい」
「思い上がってないから」
「そうそう。それにバカでもいいじゃん」
「とりあえずナイフ返そう」
「幼稚園も小学校も中学校もみんなと同じにできなくて、自分でも諦めてた。いつも孤独でいっぱいで、寂しかった。それを埋めてくれたのが先生だった。先生にもう一度会うためだけで、何でも頑張れた」
素直子さんは泣き出した。
本気で言っているようだ。
不思議だ。素直子さんは、素志くんのこと分かりきってるのに、わざと分からないふりして自分の世界で楽しんでいた。誰よりも真実を見つめてて、冷めているところがあるから知らないふりしていると思ったのに。
本心を隠しているようで、どれも隠しきれていない。隠す器用さもない。いろんなところがちぐはぐで、分かってもらえない。
「先生がいたから」
先生。
確かに素良はそういう不器用さ、分かってくれた。
「そうだね、いい先生だね」
「いい先生に巡り会えて幸せだよ」
「うんうん」
「でも、突然いなくなちゃった。私これから、何を支えに生きていけばいいんだろう。先生になる夢も続けられない。どうすればいいんだろうって思ってた時に、素志君の『素数の人』読んだの。同じ孤独を抱えている人がいるんだって知って、よく分からないけど、ダメな自分を肯定してもらってるようで、素志君がダメならダメなだけ、救われていくような気がした」
「褒めてんだよね」
「一応」
「素志くんすごいな」
「それなのに、私、いつの間にか思い上がってた」
「別にいいじゃん。それぐらい」
「そうだよ。何度も言うけど全然思い上がってないよ」
「とりあえずナイフ返して」
「よくないんです。私恥ずかしくて、もう、いなくなりたい。ああああああ」
素直子さんは店中に響く声で叫んだ。赤ちゃんみたいに泣き喚いた。
ガタン!
その瞬間、壁に飾ってあるぼくの絵が落ちた。「月とソラ」が落ちた。
真下に落ち、椅子のふかふかした所で受け止めたので、とくに壊れたりはしていないだろう。
一瞬びっくりしたが、三人は監督に「カット」と言われた俳優たちのように脱力した。示し合わせたかのように顔を見合わせて溜め息をついた。やっぱり、どこか演技じみて見えた。もしかして、素志くんの三角関係をどうにかしよう脚本とやらは、ここまで計算されていたのではないかと、よく知らないぼくは思ってしまった。




