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素直子(そなこ)①ベストオブ節分

「素数でありたい僕は、虚数に出会ってしまった。もうここにはいられない」


 2月3日節分。しかも今年は節分の日の時点で私が23歳で、彼は29歳。全部素数。これは、大安だろうが仏滅だろうが誰が決めたんだとツッコみたくなる何とか記念日だろうが関係ない、私にとってベストオブ節分だ。明日は立春、明日春が来る。冬の終わりを告げる節分。一緒に年の数だけ福豆を食べるんだ。

 だから「生理痛が酷いんです」と下手な演技をして会社を早退した。実際、私の生理は軽い方だ。自分の経験からは分かりやすい生理痛の人の姿を表現できないので、中学時代のクラスの女子を思い出す。都合が悪くなるとお腹が痛くなる女子。大嫌いだったけど、あの子みたいにやればいいんだと真似てみた。

女性の働き方改革に理解があると装いたい男性上司は、あっさり早退を受け入れてくれた。むしろ生理ネタは女性の方が理解してもらえなかったりする。「自分が今日生理だってあのハゲに明かすようなもんじゃん。例えそうだったとしても、あたしはハッキリ言わない」と早退していく私をネタに給湯室から楽しそうな声が聞こえた。私の演技がリアルだったのか、私が嘘をついてまで早退するような人に思われていないのかは分からない。

 どうだっていい。彼がいるから。早退して男に会いに行くなんて誰も思わないだろう。

 そう思うと悪口も心地よい。

 私は封筒の住所を手がかりに彼のウチを探した。グーグルマップで最寄り駅となんとなくの場所は突き止めていたが、行ったことがない街なので、電信柱に記された住所をたどってアパートを見つけ出していく。何丁目何番地を確認して数字が近づいていくとドキドキしていった。

 大家さんの苗字だろうなと想像できるアパート名。昭和に建てられた木造二階建てで、一階は大家さんが住んでる。隣はミャンマーあたりから来た留学生が住んでて、私が行くと「カノジョカノジョ」と優しく接してくれる。

 そんなイメージをした。

 途中のスーパーで節分福豆を買った。恵方巻きは好みがあるからとりあえず豆だけ。持参してるエコバッグは大きすぎるし、端数が8円だったから2円で小さいレジ袋も買って、それに豆を入れて彼の家に向かう。一緒に節分をするんだ。

 やっと見つけた。

 築年数は古そうだが、木造ではない二階建て。

 大家さんやお隣さんが顔をのぞかせるようなアットホームな雰囲気は微塵もなく、ここに人が住んでいるのか?と思えるほど生活感のない建物だった。共益費とかあるのか、ないのか、清掃も行き届いてなくて汚い。見放された男子寮みたいだ。それはそれで女の影が全く感じられずいい。

 彼の部屋は一階。三つ並ぶドアの真ん中。表札は出ていない。でも、私からの郵便物が確実に届いていたのだから、間違いなくここに彼は住んでいる。

 ピンポンと鳴るだけの呼び鈴を押した。

 反応なし。

 寝てるのかもしれないと思い、1分おきに5回押した。その合間にノックもした。借金取りみたいで恥ずかしいので名前を呼ぶのはやめておいた。

 反応なし。

 冷たい鉄のドアに耳を付けたが、中の様子は分からない。 だけど、人がいるような感じがしない。

 留守だ。

 20分くらいたって認めることにした。

「突然の訪問だったから、しかたないよね」

 そもそも、私は平日会社を早退してきた。彼だって、仕事してる時間だよ。しかも節分。もしかしたら恵方巻きを売る役で大忙しかも知れない。なんで気づかなかったんだろう。

 諦めの気持ちでドアノブを試しに回した。

「ん? 開いてる」

 私はひたすら、中から彼が出てドアを開けてくれることしか考えていなかった。私の訪問に対応してくれる彼の顔ばかり想像して、ドア自体が開いているかどうかを考えていなかった。こうだと思うと他の可能性が見えなくなってしまう私の悪い所。留守だという可能性も今さっき受け入れたばっかりだ。20分間いろんなことに気づかなかった自分の素直さというか、愚かさに笑ってしまう。

 だけど、なんだかウキウキし始めた。

 初めて来た彼の部屋。中で待たせてもらう。想定外だが一歩先に進んでいくようで、この先に私の知らない世界があるどこでもドアみたいな気持ちで、ドアノブを両手でつかみドアを開けた。

「え」

 何もなかった。6畳の畳部屋と台所。1k。家具も食器も、カーテンさえない。人が住んでいない。

「住所、間違えたんだ」

 そう思うしかなかった。

 とりあえず、中に入りドアを閉めた。窓が閉まっている分、外よりは温かいし、カーテンがないのでそんなに暗くはない。

 小さな玄関で、私は彼から届いた封筒をカバンから取り出しじっと見つめた。実家の住所並に暗記して何も見なくても書ける彼の住所。クセのある彼の字を指でたどる。これ、ずっと0だと思ってたけど、6だったのかもしれない。うん。そうだ。でも私から送った時もこの住所で書いたから、きっと、この地域の郵便配達員はもの凄く有能で、住所がちょっと間違っててもちゃんと届けちゃうんだ。似たような名前のアパートが他にあってさ、うん。

 そんなわけないと思いながら、ムチャクチャな設定を創造する。想像の域を超えて確信に近い設定がどんどん構築されていく。

 知らない間に引っ越していた。

 そんな事実を受け入れたくなくて、ここに来たことは夢なのだと思い始めた。そして、ここは誰の家でもない。私は本当に生理痛が酷くて早退した。痛すぎておかしくなってしまったんだ。生理の日じゃないけど下っ腹さえもそう感じ始めてる。ならば、この空間からさっさと出なければと、何もない部屋に背を向け、冷たいドアノブに手をかけた。

「これは」

 ドアの内側に正方形の付箋が貼り付いていた。さっき、凝視していたクセ字。

 

 素数でありたい僕は、虚数に出会ってしまった。

 もうここにはいられない。


 なんだこの謎のメッセージは。

「虚数?」

 この付箋の筆跡は間違いなく彼のものだ。住所は間違っておらず、やっぱり彼はここに住んでいた。

忙しくて連絡を取らなかった間に、引っ越しをしたようだ。

「聞いてないよ」

 彼はここに住んでいて、引っ越した。

 その知らせが私にはなかった。

 私は頭の中で日記を記すように確認し、何もない部屋で立ち尽くした。


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