彼女と彼のおとぎ話
園遊会が無事終わり、一か月ほどたった。
あの後、王太子はグレンダを辺境の修道院へ。
そして、カードヴェイル伯爵夫人を僻地の……彼女が夫を幽閉していた館に、厳重な監視をつけて閉じ込めた。表向きは体調不良の為に遠い土地にて療養するとなっている。
事情を聞いて、自分の犯した過ちを知った時のジョアンナは凍り付いていた。
処遇を聞いたジョアンナは当然猛抗議したが、それならば全資産没収の上国外追放の方がよろしいか? と笑顔のベネディクトに告げられて絶句していた。
容赦も、取り付く島もない相手に、ジョアンナは王太子の傍らにいた娘に縋りつこうとした。
しかし、娘もまた冷たく母を見つめるばかり。それはそうだ、大舞台でのせっかくの努力を実の母が踏みにじってくれたわけだから。
ついにはシャノンにまで縋る眼差しは回ってきたが、当然ながらシャノンにそれに応える義理は全くもってない。
追い詰められた事を悟った継母は、か細い声で幽閉を受け入れたのである。
とても良い笑顔で、お元気で、とジョアンナを送り出す王太子を見て。
ああ、この方には逆らわない方がよさそう、と密かに思ったのである。
カードヴェイル伯爵家は一時主不在の状態となった。
しかし、エセルバートが療養させてくれていた父が、治療が功を奏して回復目覚しいらしい。何れは当主として復帰できるだろうという話なので、先は明るい。
頑張って頂かないと、蒼玉宮の采配に加えて伯爵家の采配までとなったら身体が持たないと冗談っぽく話したところ。
私もです、と王妃様直々に妃教育の仕上げ中の妹は同意したものである。
ただ、二人ともお互い父の帰りを待っているのだと言う事だけは感じ取れて、思わず笑みを零していた。
不測の事態に当初の予定を越えて長引いたキャロラインの妃教育も終わりを迎え、婚礼の支度も整い、妹の晴れの日が目前に迫ったある日。
シャノンは、藍玉宮に赴く準備をしていた。
また行くのか、と咎めるような視線を感じて振り向くと、拗ねたような表情のエセルバートが立っている。
少しばかり苦笑いを浮かべたシャノンは、一つ息をついて事情を説明する。
「キャロラインが……マリッジブルーなるものになりかけているのです」
「これまで、確かに騒動続きだったから、事情は分かるが……」
妃教育の追加に、園遊会での騒動。更にはそれに伴う実母の処分。
ただの婚礼準備でも気鬱になる女性は多いというのに、地位に伴う重みに加えて、続いた騒動だった。
如何に明るい気質のキャロラインでも、心の疲れが出てきてしまっているようだ。
明るかった妹は最近、食欲も落ちてしまっているし眠れていない様子。情緒もやや不安定なのである。
それを落ち着けるべく、妹に請われるままにシャノンはここのところ連日で藍玉宮へと通っていた。
にこり、と笑顔を浮かべるとシャノンは口を開く。
「私の場合、なる暇もありませんでしたけれど」
笑みと共に告げられた言葉に、エセルバートが気まずそうな表情を浮かべたかと思えば、取り繕うように咳払いなどして見せる。
エセルバートが面白くなさそうにしているのは気付いていた。
妹が大事なのはわかる。だが、自分を蔑ろにするのか。もっと構え、と全身で主張してくるのである。
藍玉宮から帰ってきた後は、ここぞとばかりにエセルバートはシャノンを傍から離そうとしない。
宮の人々は本当に仲が良くて羨ましいと囁いているのが時折聞こえてきて、シャノンは面映ゆくて堪らない。
少しばかりの意趣返しは許されよう、とシャノンは内心で狼狽えるエセルバートを見て留飲を下げた。
まったくもう、と苦笑するシャノンを見ながら、止めはしないから少し待て、と何かを取り出すエセルバート。
それは小さな天鵞絨ばりのケースであり、何だろうかと首を傾げながら蓋をあけると。
「これは……お母様の……!」
そこには、翠の美しい宝石による一対のイヤリングが鎮座していた。
繊細な金線の細工に縁どられたイヤリングは、シャノンの母がかつて身に着けていた装身具の一式のうちにあったもの。
継母に売り払われてしまった後に行方知れずになっていたものを、エセルバートは約束通りに探し出してくれたのだ
「どうやら、ばらばらに売りに出されたらしい。今回行方がわかったのはこれだけだが、継続して追わせている」
「ありがとうございます……! ありがとうございます、エセル様……!」
在りし日の幸せな記憶が蘇るような気持ちがして、目頭が熱くなる。
喜びを露わに感謝の言葉を繰り返すシャノンを見て、エセルバートは目を細め心から嬉しそうに微笑んで見せる。
そして、次の瞬間には悪戯な笑みを浮かべながらシャノンの瞳を覗き込み、告げた。
「感謝しているというなら、口付けのひとつでも欲しいものだな」
これだから、とシャノンは優しい苦笑いを浮かべる。
世には理想の貴公子と称されるお方が、随分と子供っぽい事を言うものだと思う。
しかしながら、それを可愛いと――愛しいと思ってしまう自分も大概だ、とも思うのだ。
シャノンは、一つ息を吐いて見せると首を傾げて問いかける。
「少しかがんで頂けますか?」
それを聞いた瞬間、エセルバートはいそいそと、すぐさま身をかがめて見せる。
シャノンは、殊更にこやかに微笑んでみせると、更に問いを口にする。
「頬でも額でも宜しいですよね?」
「……好きなところでいい」
途端に声音が低くなり、明らかにがっかりしたのがわかる。
けれども、シャノンから口付けてもらえるならこの際何処でも構わないと思い直した様子で、身をかがめたまま瞳を閉じて待っている。
その幸せそうな様子が、あまりに愛おしくてたまらなくて。
シャノンは静かに夫の背に腕を回すと、啄むようにその唇に口付けた……。
舞台裏にいた、裏方令嬢と。
笑顔に本性隠した、ひねくれものの王子様。
二人は些か平穏ではない道のりを辿り、想いあい、結ばれて。
めでたし、めでたし。
……いえ、全てはここから。
ここから、世界に唯一つのおとぎ話は始まり、続いていくのです――。




