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溜息の再会

 とある日、主宮である黎明宮にて武術に長けた者達が日頃の鍛錬の成果を王に披露する御前試合が開催された。

 腕に覚えがある人間であれば、軍人であろうと貴族であろうと、はたまた名もなき一般人であろうと問われない。

 ふらりと立ち寄った旅の人間が優勝を攫い、大きな話題となった年もあったという。

 一般人の間では勝者を巡る賭けも行われるらしい。顔を顰める人間もいるというが、祭りのようなものだとお目こぼしされているとか。

 勝者は『勝利の女王』として一人の女性を指名し、その女性から祝福の冠を授かる。

 特別な女性を指名することが多く、大概の場合は妻や恋人を指名する。

 時として、指名を縁として求婚するといったロマンチックな逸話も生まれる。

 王国の人々にとっては例年の楽しみであり、夜には明かりにて飾りつけらえた庭園にて宴が開かれ、上流階級の人間にとっては重要な社交の場ともなるのだ。

 母が生きていた頃は、シャノンは父母と一緒に観客席にて試合を見守っていた。

 だが今は、夫であるエセルバートと並んで王族にのみ許された貴賓席にある。

 華美にならぬようにと気を付けた深い色調のドレスを纏い、控えめな装飾を身に着けて。

 貴賓席に姿があるのは、国王とエセルバートの母君である側妃様。そしてエセルバートとシャノンだけである。

 王妃様は元々御前試合を積極的にご覧になる方ではないが、今年は息子夫婦と共に欠席すると告げてきたという。

 恐らく嫁の教育で忙しいのだろう、というのがエセルバートの見解である。

 活気にあふれた祭りのような場とはいえ、観戦にあたってもそれなりの作法というものは存在する。

 ジョアンナがキャロラインを連れて御前試合を見ていたか、というのはシャノンの覚えている限りではなかった。

 継母がそもそも御前試合を野蛮なものと倦厭していたのだ。母がそうなら、自分から進んで申し出ない限り娘が観戦する機会はない。

 久しぶりに顔を見るかと思っていたので、少しばかり息を吐いてしまった。

 心配しているのだろうか。

 慣れない環境で、逆風の中学ぶことを余儀なくされている妹を。

 口にしたなら、エセルバートには甘いことだと苦笑されそうだけれど……。

 一際大きな歓声があがり、シャノンは物思いから引き戻される。

 試合の場では、勝者が決したようだ。

 優勝候補とされた人物が、圧倒的な力量を見せつけて優勝した。

 中堅貴族の当主であるが、名をロバート・アレンという。

 元より武勇で知られた男性である。

 物腰優雅で容姿にも優れている為、既婚者ではあるが未だに目を輝かせる女性は多い。

 皆がやはり勝者はアレン卿だ、と口を揃えて言っていたのを聞いたものだ。

 だが、シャノンは、その人物を複雑な面持ちで見つめていた。

 心の中で、盛大に溜息を吐きながら。


 勝者が決まり表彰式が恙無く執り行われ、夜がきて。眩い明かりに照らされた庭園には、着飾った紳士淑女がグラスを手に談笑する光景があった。

 シャノンは夜会用のドレスの着替え、エセルバートに寄り添って会場に足を踏み入れる。

 とある方向に眼差しを向けると、人だかりが出来ている。

 その輪の中心にあるのは、本日の主役とも言えるロバートである。

 表情が崩れないようにと思っても、気を抜けば眉がよりそうになるし、溜息が零れそうになる。

 そちらを見ないように心掛けながら、笑顔も崩さぬように自制心を働かせながら。

 シャノンには一つきがかりなことがあった。

 それは、隣にいるエセルバートについてである。

 エセルバートは優雅な笑顔を浮かべたまま、結婚を寿ぎに歩み寄る人々と穏やかに談笑している。その様子に欠片の翳りもないように思える。

 だが、シャノンは気付いていた。

 幾ら笑顔が崩れることなかろうが、声音も言葉も穏やかであろうが。

 ――確実に、この王子は機嫌を損ねている。

 理由について思案していたところで、調度二人のもとをひっきりなしに訪れていた人が途切れる。

 シャノンが抑えた声音で問いを紡ごうとした瞬間だった。


「……別に、話してきても構わんぞ」


 ぽつり、と低く言われた言葉にシャノンは目を丸くした。

 どういうことだろうと疑問を抱く間もなく、エセルバートは続きを紡いだ。


「婚約していたのだろう?」


 努力の甲斐なくシャノンの顔が、喉を詰まらせたような苦しそうで複雑なものになってしまう。

 そう、今回の御前試合の優勝者であるロバート・アレン卿はシャノンの元婚約者なのである。

 とうの昔に解消されて久しいが、心の中には苦いものが存在していた。

 ロバートは父方の遠縁にあたる男性であり、子爵家の令息だった。

 婚約が定まったのは幼い頃であり、幼馴染とも言えなくもない間柄である。

 母親が亡くなり、カードヴェイル家がジョアンナの天下となった後。

 引き篭もりになった……としてシャノンが閉じ込められ、酷使されるようになってから。

 お義理のように何度か様子を見にきて、ジョアンナに言われた言葉をそのまま受け入れて帰って行った。

 そして、やがて継母に申し入れられた婚約解消に疑問を抱くことなく受け入れたと聞いた。それが最後である。その後、今日この日まで姿を見ることはなかった。

 使用人達の噂によると、もう何の旨味がないので解消したかったので調度良かった、と笑いながら話していたというが。

 シャノンとしてはさして未練がない。

 元々、家同士が決めただけの間柄だった。

 性質としては、あまり合わなかった気がする。正直に言うと気が進まなかったが、父が乗り気だったので異を唱えることは出来なかった。

それでも時間を共に過ごしていけば、思い合う心も生じるかもしれないと思っていた時期もあるが……。

 何故知っているのか、と思ったのも僅かの間だった。

 エセルバートはシャノンについて事前に入念に調査していたのだ。

 隠していたわけではないから、少し探りを入れれば知る事は難しくなかっただろう。


「もう話すことはありません。それに、あの人だかりに近づきたいとも思いません」


 シャノンは視線を人だかりに向けたままだが、溜息交じりに冷静な声音で答えを返した。

 偽ることのないシャノンの本心である。

 あの近くに敢えて寄りたいと思わないし、そもそもが終わった話であり、過去である。

 少なくとも、シャノンに今更彼と話したいことなどない。

 エセルバートはシャノンの淡々とした返答に、そうか、と短く返したきりだった。

 少しして、人だかりも落ち着いたようだった。

 徐々に場を辞する人も現れ始めたころ、エセルバートは少し外すといって姿を消した。

 シャノンは緩やかになった人の流れをぼんやりと見据えながら、一人静かに佇んでいた。

 尊大とも言える声が飛び込んできたのは、そろそろエセルバートが戻ってくるかと視線を巡らせた時だった。


「久しぶりだな、シャノン」

「……お久しぶりでございます、ロバート様」


 先程まで人だかりの中心で見せていた朗らかな笑みや、穏やかで丁寧な物腰など何処にもない。

 明らかに自分より下と侮る相手への蔑みすら垣間見える眼差しで、今宵の主役であるロバート・アレンはシャノンを見据えていた。

 口元には嘲る笑みを刻みながら、鼻を鳴らしてロバートは言う。


「相変わらず生意気な癖に面白みがない女だな」


 シャノンは思い切り冷めた眼差しを向けながら、慎ましく沈黙を守っている、

 武術に長けてはいたが、そこまで知略に長けていたわけではなかったな、とシャノンは心の中で呟いた。

 仮にも第二王子の妃という立場にある女性にかける言葉ではない。

 シャノンがその気になれば、相手を不敬の罪に問うこととて可能である。

 それを気にしないのは、ロバートがあくまでシャノンを自分より下のもの、と今でも思っているからだろう。

 シャノンはけして自分に牙を向かないという、根拠を問いたくなる自信を露わにしたまま、ロバートは尚も言い募る。


「どうせ、今でも女だてらに読書家を気取っているのだろう。相変わらず小賢しい」


 全く変わってないな、とシャノンは冷静な表情の下で盛大に呆れ、心の中で溜息を吐いていた。

 合わない、と思った理由がここである。

 上流階級には女性を従属物と見下す男性が少なからず存在するのだが、ロバートはその典型だった。

 シャノンが自分のやる事為す事全てに称賛を送らないと生意気だ、と責めた。

 何れ妻となるのだからと、最初から自分の奴隷か何かのように扱い、意に沿わないと手を上げることすらあった。

 この人と結婚することになるのか、と思うと思わず盛大に溜息をつくようになっていた程である。

 何よりシャノンが愛する読書を「女のすることではない」と吐き捨てた。

 ただ、ドレスや宝石より本を好む女性に対する男性の反応としては、悲しいかなこの考え方の方が一般的なのである。

 エセルバートが珍しいのだ。

 シャノンが本の虫であることを好意的に受け入れてくれたのは、あともう一人……。


『シャノン、また本を読んでくれ!』


 あの日の弾むような声が、懐かしく蘇る。

 大書院で出会った少年は、シャノンが読書を愛することを称賛してくれた。

 時折不貞腐れたように寂しいと訴えることがあったが、本を読んで聞かせると輝くような笑顔を見せて続きをせがんだ。

 名目上は婚約者である相手から理不尽な仕打ちを受けていたシャノンにとっては、彼の笑みは救いでもあった。

 そんなシャノンの追憶など知らぬロバートは、肩を竦めて盛大に溜息を吐いてみせた。


「せめて、キャロラインぐらいの可愛げがあれば救いがあっただろうが……」


 成程、とシャノンは思う。

 ロバートのような男性にとって、従順で素直で疑うこともせず、その上愛らしいキャロラインは妻としては理想的な相手だろう。

 もしかしたら、キャロラインに乗り換えようと考えたのかもしれない。

 キャロラインが相手だったなら婚約継続も考えただろうが、おおかた娘を王族に嫁がせる野望を持ったジョアンナに断られたのだろう。

 立場の弱い娘をもらったとて何の利もないし、とカードヴェイル家から離れていった。

 そして、精一杯に利を得られる結婚をしたというわけだ。

 ロバートは、シャノンとの婚約役解消後すぐに資産家の令嬢と結婚したという。

 しかし表彰式にて、勝利の女王として冠を授けたのは確か妻ではなかった。

 美貌と妖艶な色香で有名な未亡人だった。

 貴族との縁組を望んだ新興の資産家の妻に対して、ロバートが求めたのは莫大な持参金だけなのだろう。結婚してそれが自分のものとなった以上、妻に構う必要はない。

 実に胸具合が悪い話だ、と思いながらシャノンは努めて平静な表情を保ち続ける。

 シャノンが沈黙したままであるのを、返す言葉がないのだろうと勘違いしたらしいロバートは口元に皮肉を刻んで言い放った。


「無駄な知恵だけ身に着けて地味で華がないくせに、よく第二王子殿下の妃になどおさまったものだ。何かまじないでも使ったのか?」


 そんなわけないでしょう、非現実的な。

 あきれ果てて言い返す気力もないシャノンだったが、さすがにこれ以上を容認しては自分を妃としているエセルバートの権勢に影響が出る。

 そう思い、何とか残った気力を総動員して言い返そうと口を開いた。

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