「白黒思考」という名の誤謬
誤った二分法(false dichotomy)あるいは誤ったジレンマ(false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。
白黒思考
白黒思考 (black-and-white thinking) は誤った二分法の典型的形態である。(中略)他人を「いい人」と「悪い人」に無意識のうちに分類するなどといった傾向もこれに当たる。
以上、まずはwikipedia「誤った二分法」より引用してみました。(注1)
◇
「批判をする前に、問題があるかどうかを運営に聞けばいい」
この短い文の中に、一体どれだけの詭弁が紛れているか。ちょっと芸術的ですらありますよね。
まず、「問い合わせなければ白黒つかないであろう問題に対して、その問い合わせるという負担を批判側だけに負わせている」という問題点があると思います。
そもそも、簡単に白黒つく問題なら、こんな言葉は出てきません。その解決方法として運営に問い合わせるのが有効な手段なら、批判される側にも、前もって運営に問い合わせておくべきだという論点が存在するはずです。それを一方的に批判側の責務にしてしまうのはちょっと乱暴だと思います。
次に、「運営判断は物事を判断する基準の一つでしかないのに、無条件に批判の是非としてしまっている」というのはどうでしょう。運営が許可しても批判に値する、そんなことは世の中に五万とあるはずです。そういったことを無視して「運営が許可を与えたから良い」というのは、これも少し乱暴な考え方だと思います。
あとはそうですね、「運営に問い合わせる内容を問題があるかないかに限定している」というのもあるかなと。例えば、単に許可をもらうのと、より望ましい方法を判断してもらうのとでは、その意義は違うはずです。どういう形で質問すべきかというのは結構重要な問題なのに、それを決めつけてしまっているのは、やっぱり乱暴だと思います。
……と、ここまで、とりあえず思いついたことを書いてみましたが。他にもあるのかな? まあ、考えていけば、キリがないような気がします。
これらはどれも、「白黒つける」という目標のために、取りうる選択肢を覆い隠してしまっているのが問題で、こういう形の詭弁ないしは誤謬を「誤った二分法」という訳です。うん、結構ありきたりな詭弁(ないしは誤謬)ですね。
結論を急ぐあまりに無意識のうちにそうしてるのなら誤謬ですし、確信的に行っているのなら詭弁です。つまり、誤謬なら能力の問題で、詭弁なら倫理の問題となる訳ですが。……ここでちょっと、「ハンロンの剃刀」という、ありがたい言葉を持ち出してみます。
「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」――wikipedia「ハンロンの剃刀」より引用(注2)
要するにこの言葉、「悪意の証拠がなければ無能として扱え」と言っているのです。なのでまあ、誤謬とすべきなのでしょうね。うん、誤謬でいいと思います。
以上、言いたいことを言いました!
◇
……と、これで終わるのもアレなので。
私は過去に、「嘘のタイトルと導入で読者を釣って騙されるのを楽しむような釣りエッセイ(投稿者談)」は下品だと批判するエッセイを投稿しています。
正直、例にあげるほど紛糾していないのですが。それでも、いい感じにグレーだとは思うので、ちょっとこのエッセイを例に、運営とのやりとりがどうあるべきか、考えてみたいと思います。
注1:wikipedia「誤った二分法」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%8C%E5%88%86%E6%B3%95
注2:wikipedia「ハンロンの剃刀」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%89%83%E5%88%80