おまけ2(ベルント殿下の呟き)
王太子部の執務室で、ベルントが机に向かって一心不乱に書類を片づけていた。あの事件が起こってから、二か月の月日が過ぎた。今日は初夏の様な天気で、心地良い日差しとサラッとした空気でとても気持ちが良い。午後にはシェリーが来て、一緒に王宮の庭を散歩したりお茶をする約束になっている。
順調に行けば、特に問題なく予定通りシェリーに会えるはずだ。だが最近の王太子部は、イレギュラーな事が起こり残業する事が多い。今日も、早めに仕事を片づけておいた方が良いだろうと判断し、ベルントは机にかじりついていた。
「殿下、少し休憩にしたら如何ですか?」
部屋の隅に控える、ベルントの専属執事のセバスチャンが声をかける。ベルントが顔を上げ、時計を見ると休憩の時間だった。持っていたペンを置き、上体を反らす。
「そうだな、少し休憩するか」
そう言うと、セバスチャンがお茶の用意を始めた。それをベルントは、横目で見ながら物思いにふける。あの事件の後処理は、ベルント主導の下全てを終えた。色々な所から横やりが入ったが·····。基本は、全て自分がやったと思っている。あの時、部屋に入ってまず目に入ったのが、顔をぐしゃぐしゃにして泣いているシェリーだった。シェリーに駆け寄り、抱きしめた時の細さに驚き自分が守らねばと強く思った。次に目に入ったのが、つい最近まで部下だったファビオラの姿だった。アーベルが抱きしめていてよくわからなかったが、床に血痕があって髪が散らばっている状況に体が怒りで震えた。
話しかけてきた女が、幼い頃から纏わりついてきたジャスティーンだった事に衝撃を受けた。これを仕出かしたのが、お前なのかと悟った時にシェリーに目がいった。もしかして、狙いはシェリーだったのかと·····。シェリーは、ファビオラが私の代わりにと私の胸に顔を埋めて泣いていた。もしファビオラがいてくれなかったらどうなっていたのかなんて、考えたくもなかった。
「準備出来ましたよ」
セバスチャンが、ベルントの意識をお茶に戻させる。ベルントは、ああと返事をしてソファーに移動した。
「何を考えてらしたんですか?」
珍しくベルントが、ぼんやりしていたのが気になったらしくセバスチャンが聞いてきた。
「この前の事件の事かな·····」
ベルントが、正直に話す。
「反省してるんですか?このままではいけないと思いながらも、放っておいたプライス公爵令嬢の事」
セバスチャンは、ベルントが幼い頃から仕えているので二人の事もよくわかっていた。
「まあ、多少は·····。あいつの事は、関係者全員がそれぞれ反省するべきなんだろう·····」
ベルントが、カップを手に取りお茶の波紋を見て思案しつつ話す。
「そうですね。どちらかと言うと私を含め殿下の周りは、この半年で殿下の人生が大きく動いた事に嬉しさを噛みしめてますね」
いつも無表情を決め込むセバスチャンが、嬉しそうにしている。
「お前、最近完全に楽しんでるだろ!」
ベルントは、最近セバスチャンがやたらと笑いを堪えている場面を目撃していて面白くない。
「そんな、滅相もないです。まさか殿下が、国中の女性が自分の事を好きだと思っていたなんて聞いてません」
セバスチャンが、騒動の始まりとなった話題を持ち出して面白がっている。
「今日は、お前は控えていなくていいからな!」
ベルントは、お茶を一気に飲み干して仕事に戻っていく。嫌な所ばかり見られていて、本当に面白くない。弱みばかり握られているようで、嫌でしょうがなかった。ファビオラがここに配属されるまで、こんな事はなかったはずなのだが·····。どうも自分は、男女の色恋沙汰や女性への機微に疎いと言う事を自覚せざるを得なかった。
午前の仕事を終えて、昼食を摂る。シェリーとの待ち合わせの時間が刻々と近づいて来る。ベルントは、先に行って待ってるのが良いのか、少し遅れて行くぐらいが丁度いいのか考えあぐねていた。結果、時間きっかりに行こうと決める。待ち合わせ場所の、庭園の入口に行くとシェリーが先に来て待っていてくれた。シェリーの姿を見ると、自然と胸が躍る。少し前までは、こんな気持ちを知らなかったと感慨にふける。これもファビオラのおかげだと思うと、何とも言えない気持ちになるのだった。
「シェリー。待たせたか?」
声をかけるとシェリーが気が付き、ベルントの方を振り向き笑顔の花が咲いた。シェリーが、可愛い。俺を見て、あの笑顔とか本当に可愛い。
「いえ、今来た所ですわ。今日は、気持ちの良い天気で良かったですね」
シェリーが、嬉しそうに微笑んでいる。シェリーも、俺と同じ様に楽しみにしてくれていた事がわかり嬉しさが込み上げてくる。
「そうだな。まずは、少し庭園を散策するのでいいか?」
ベルントが、シェリーの顔を覗き込んで聞く。シェリーが、はいと可愛らしく返事をしたのでベルントは思い切って、シェリーの可愛い小さな手に自分の手を繋いだ。所謂、恋人繋ぎである。シェリーの反応を窺うと、頬をほんのり赤く染めて俯いている。嫌がっている素振りはない。一度やって見たかった恋人繋ぎを達成できて、ベルントはご満悦だ。では、行こうかとゆっくりと歩き出した。
今の時期は、実に様々な品種の紫陽花が咲いている。シェリーと二人で、綺麗に咲いている花を楽しんだ。庭園の奥まで進み、小休憩出来るベンチに二人で腰かける。もちろんベルントは、手を離さなかった。週に一度ぐらいしかゆっくり会えない事もあり、シェリーの手のぬくもりを堪能する。好きな人に触れたいなんて、意味が分からなかったが今は十分過ぎるほど実感している。
シェリーは、その週にあった事を一生懸命話してくれる。王太子妃教育についてや、家族と話した事、シェリーが読んだ本やシェリーが食べて美味しかった物について。たわいもない事だけど、その積み重ねでシェリーを知っている気がして嬉しかった。反対に、ベルントの話もシェリーはよく聞いてくれる。好きな物や好きな事、どんな仕事をしたのかなど。シェリーが自分の事を、目を輝かせて聞いてくれるのがとても心地良かった。
今日もいつものように話していたが、話が途切れてしまう。するとシェリーが、実は昨日と嬉しそうに話し始めた。話を聞くと、昨日はファビオラとのお泊り会だったらしい。シェリーとファビオラは、学園で同じクラスで仲が良いと言う話は聞いていた。卒業してからは、定期的にシェリーの家にファビオラが泊りに来ていたらしい。ここ半年ほどはお互い忙しく、お泊り会が出来ていなかったが昨日やっと再開出来たのだと、それは嬉しそうに話してくれた。
お泊り会とは、何ぞやと言う所から始まりここに来るまでずっと一緒にいたと。夜も一緒に寝て、朝方まで話してしまったから実は今ちょっと眠たいのと恥ずかしそうにしている。
面白くない。シェリーがファビオラの話をする時は、本当に嬉しそうに楽しそうに話す。今もそう。ベルントは、シェリーと繋いでいる方の手を自分の口元に持っていく。チュッとシェリーの手の甲にキスをする。
シェリーの目をじっと見ると、みるみるうちに顔が赤くなる。
「あ、あの殿下?」
「そろそろ、名前で呼んで欲しいな」
ベルントが、シェリーの目を見てお願いする。シェリーが恥ずかしそうに目を逸らす。
「シェリー、呼んで欲しいな」
ベルントが、シェリーに甘く囁く。
「べ·····ベルント様·····」
シェリーが顔を真っ赤にしつつも、逸らしていた目を合わせて小さな声で名前を呼んだ。なんだ、これ。可愛すぎて無理だろ。ベルントは、我慢出来ずにシェリーの小さな赤い唇に自分の唇を重ねた。
ゆっくりと、唇を離してシェリーを見るとびっくりした顔で固まっていた。俺、今キスした·····?自分がした事を一気に自覚し、身もだえる。シェリーの肩に自分の頭を乗せて、顔を隠す。
「ベルント様·····?」
シェリーが、困惑気味に名前を呼ぶ。
「少し、このままでいて」
そう言った、ベルントの耳が真っ赤になっていたのを知っているのはセバスチャンだけだったとか·····。
おしまい