032
暴力的な描写が入ります。
苦手な方は、御遠慮下さい。
「なっ·····」
シェリーが叩かれた頬に手を当て、放心している。
ファビオラも何が起こったのか理解出来ない。
「フェレーラ侯爵令嬢、どうして貴方が王太子殿下の婚約者なの?私の王太子殿下なの。返して下さらない?」
声を発した人は、赤い髪のとても美しい女性だった。だがその表情は険しく、シェリーを恐ろしい顔で睨んでいる。ファビオラは、漸く理解する。王太子殿下と婚約したシェリーを憎んで、嫌がらせをしに来たんだと。シェリーを守らなければと自分を奮い立たせる。ファビオラは恐怖心と戦いながら、シェリーの前に立つ。
「やめて下さい!こんな事して、後で大変なのは貴方ですよ!」
ファビオラは、大きな声を上げた。
「あら、あなたに用があるのは私なんだけど?」
赤い髪の女性の後ろから、別の女性が顔を覗かせる。ファビオラは、え?と困惑気味に声がした方を向いた。口元のほくろが印象的な、黒髪の美人が扇子を口元に当て微笑んでいる。
「あなた、マルティネス子爵家の令嬢なんですって?たかが子爵家の、この程度の女がアーベル様の周りをうろちょろして良いと思っているの?」
殺しそうな程、鋭い視線をファビオラに突きつける。ファビオラは、恐すぎて動けない。頭の中では、驚きと驚愕そして恐怖だろうか色んな感情がごちゃませに渦巻いている。
「ねえ、聞いてるの?」
黒髪の女性が、ファビオラの前にカツカツと歩いて来る。
「来ないで、来ないで下さい」
ファビオラは、シェリーをかばいながら徐々に後ろに後ずさる。
黒髪の女性が、持っていた扇子を振りかぶってファビオラに叩き付けた。
ガンッッ
「ねえ、私は、良いのかって聞いてるの。意味が解らないの?」
ファビオラは、自分に起きた事が信じられなくて呆然とする。ただの扇子じゃなかった。額に何かが零れたような気がして咄嗟に手で触れる。ぬるっとした感触があり、手を見ると真っ赤に汚れていた。
「あらあら、オリヴィアさん、やりすぎは困るわよ」
赤髪の女性が後ろから声をかける。
「申し訳ありません、ジャスティーン様。少し気が急いてしまいましたわ」
二人の令嬢が、親し気に話をしている。ファビオラは、二人の会話から名前を聞き思い出す。ジャスティーンと呼ばれた女性は、我が国に5つしかない公爵家のプライス公爵家のご令嬢だと。もう一人のオリヴィアと呼ばれた女性は、オルトヴィッチ侯爵家のご令嬢だ。どちらも、ファビオラには面識のない高位の貴族。ファビオラは、とにかく落ち着け。落ち着かなくちゃと何度も心の中で唱える。
シェリーの様子を窺うと、恐怖からぶるぶる震えてファビオラに必死にしがみついている。扉の方を確認するが、別の女性が立ちふさがっている。シェリーの侍女は、どうしたのかと探すと扉近くで二人の女性から拘束され動けないようにされていた。完全に出口をふさがれてる。自分一人なら扉まで走って、なんとか逃げ出せたかもしれないがシェリーがいる。シェリーを置いて逃げるなんて出来ない。誰かが探しに来てくれるまで、時間を稼ぐしかない。
「ねえ、いい加減質問に答えて欲しいのだけれど?」
オリヴィアが、ファビオラに詰め寄る。
「わ、私は、アーベル様と親しくさせて頂いてるだけです」
ファビオラは、とにかくこれ以上怒らせてはダメだと危機感を募らせる。
「貴方如きが、なぜアーベル様を名前で呼んでるの?図々しいにも程があるってわからないの?」
オリヴィアが、ヒールの踵でファビオラの足を思い切り踏む。
「いっ」
ファビオラが顔を顰める。
「そろそろ、その後ろに隠れてる子を出して下さらない?王太子妃に相応しいのは、私だって教えて差し上げないと。そうでしょう?オリヴィアさん」
ジャスティーンが、黒い微笑を浮かべる。自分は何も間違えてはいないと目が言っている。
「ええ。もちろんですわ」
オリヴィアがそう言うと、腕にかけていたバスケットから大きなハサミを取り出す。それを、ジャスティーンに渡した。その光景を見ていたファビオラは、驚愕する。そのハサミをどうするつもりなんだと·····。
「まっ、待って。あなた達は、なぜこんな事をするの!意味がわからないわ」
ファビオラは、わざと声を張り上げる。気持ちで負けたらダメだと。
「そうね、じゃあ教えてあげる」
ジャスティーンが、ハサミを弄びながらゆっくりと話し出した。昔を思い出しているのか、どこか遠くを見つめながら。
私と王太子殿下は、昔から陛下と両親が仲が良くて小さい頃からよく遊んでもらったりしていたの。物心つく頃には、お母様がジャスはとっても可愛いから大きくなったらきっとお姫様になれるわってよく仰っていたわ。私も、大きくなったらお姫様になるものだと思っていたの。だって王子様であるベルント殿下が、いつも可愛がってくれていたんですもの。いつ頃からか、段々と殿下が私と会って下さらなくなったの。私悲しくって、お母様に聞いたの。どうして?って。お母様は言ったわ、もう子供じゃないからお忙しいのよって。ジャスも王子様に相応しい淑女にならなくちゃって。
私それから頑張ったわ。勉強もマナーもダンスも、公爵家の令嬢として誇れるくらいになったと思うの。待ちに待ったデビュタントで、殿下にエスコートして頂いた時は本当にお姫様になったみたいだったの。殿下も素敵な女性になったねって褒めて下さったのよ。だから私、殿下が私を婚約者にしてくれるって思ったの。それなのに、何度殿下に会いに行っても何度好きだと告白しても駄目だったの。
私思ったの、殿下はまだ結婚したくないんだって。男性って仕事が楽しくてしょうがない時があるって、夜会で話してるのを聞いたわ。殿下もそうなんだわって。きっと結婚したくなった時に、私に跪いてプロポーズしてくれるんだって。だって私がこんなにベルント殿下を愛してるのよ、殿下が私を愛さないはずないでしょう?他に殿下に相応しい人なんていないもの。その時まで私は待っていれば良いんだって。
それなのに、今年の新年の夜会で間違った発表があったの。ベルント殿下の婚約者は私がなるはずなのに、間違ってしまったのねって、間違いを正さなきゃって、だから今日私がわざわざ足を運んであげたのよ。
そう話す、ジャスティーンの微笑みが恐ろしいくらいに狂気に染まっていた。ファビオラは、どこかここではない遠くでこの会話を聞いてる様な錯覚がする。ああ、だからベルント殿下は、あんなに女性に対して偏った考えを持っていたんだと。こんな女王の様な女が、ずっと付きまとっていたら嫌になるかもしれないとストンと納得してしまった。
「ふふふ。私ばかりお話ししてはいけないわね。オリヴィアはね、私の大切なお友達なの。同じ思いを抱えた同志って言うのかしら?」
ジャスティーンが、オリヴィアの方を見て話を促す。
「私を同志と言って頂けるなんて光栄ですわ。ふふふ。でも、そうね同じ気持ちを抱えてるから、今日私も一緒にお誘い頂いたの。とっても嬉しいお誘いでしたわ」
オリヴィアが、ジャスティーンに向かってうっとりとした微笑を向ける。ファビオラに向き直ると、射殺しそうな眼光で話し出した。
私がお慕いしているのは、第二騎士団のアーベル様。当時はまだ騎士になりたてで、今の様に前髪で顔を隠すような事もしていなかったの。街で馬車が、側溝に落ちてしまったのを助けて頂いたのが始まりで、あの瞳を見て一瞬で恋に落ちてしまったの。それからは、お父様に頼んで騎士団に見学に行ったり差し入れを持って行ったりよく顔を見に行ったのよ。
デビュタントの時に、アーベル様と踊れないなら行きたくないと駄々をこねて。その時踊って頂いた事は、今でも宝物よ。その後に、どんな方と踊ってもアーベル様を超える人は出てこなかったわ。だから、私が結婚するのはやっぱりアーベル様しかいないんだわって改めて思ったの。だからお父様にお願いして、何度も婚約を申し込んでもらったのにいい返事を頂けなくて挫けそうになっていたの。
そんな時に、ジャスティーン様に出会って王太子様の話を聞いてきっとアーベル様も同じなんだわって思ったのよ。だって私を愛せない男の人なんていないもの。今は時期じゃないのねって思っていたの。それなのに、今年の新年の夜会に久しぶりに出席なさると楽しみにしていたのに。変な虫がくっついていたのよ。ジャスティーン様に相談したら、丁度いいから二人で駆除しましょうってお話になったの。素敵でしょ。
ファビオラは、絶句してしまう。言葉が出て来ない。これは、本当に関わり合いになってはいけない人種だと。なんて傲慢で自分勝手な人達だろう。もはや諦めの境地だ。きっとこの人達には、言葉なんて通じない。
カツカツカツと、ヒールを響かせてジャスティーンがシェリーに近づく。ファビオラの背にピッタリと張り付かせているが、後ろに回られたらどうにも出来ない。
「ねえ、ベルント殿下との結婚が嫌で、その綺麗な銀の髪を切ってしまうってお話が良いと思うの。それがみんなが、一番幸せになれると思うのよ」
ジャスティーンが、憎しみに満ちた瞳でシェリーの髪を掴もうとしている。ファビオラは、ジャスティーンの前に手を広げてシェリーの髪を掴ませないように阻む。
「そんな事して、自分がどうなるか分かってるの?王太子の婚約者に手を出して、只でいられるはずないでしょう!」
ファビオラは、恐怖心を吹き飛ばしたくて大きな声を出した。誰か、お願い早く来て。
「ねえ、この私を誰だと思ってるの?公爵家の娘なのよ。私は何をしても許されるの。きっとお父様が片づけてくれるわ」
ファビオラは、心の中で叫ぶ。そんな訳ないだろうが!下手したら、公爵家と言えどお取潰しになったっておかしくない。なんで、こんな傲慢でわがままな娘になってしまったんだろうか?もはや可哀そうなくらいだ。
「さっさと、フェレーラ侯爵令嬢を渡しなさい」
ジャスティーンが、シェリーの腕を掴んで引き摺り出そうとする。シェリーは必死に抵抗しているが、恐怖からか体が震えている。
「やめてって言ってるでしょ!こんなんだから、王太子に相手にされないのよ!」
ファビオラは、シェリーを傷つけるくらいならとわざと挑発する。
「あんた、何て言った?たかが子爵家ごときが、調子に乗ってるんじゃないわよ!」
ジャスティーンが、ファビオラの髪を引っ張りジャキジャキと無造作に髪を切り刻んだ。ファビオラは、シェリーに手出しさせたくなかったので、抵抗はしない。それで気が済めばいいとさえ思った。
「キャーーーーーーーーーーー。やめてやめてやめてーーーーーーーー」
シェリーが、切り刻まれた髪を見て悲鳴を上げる。
ジャスティーンの後ろから、オリヴィアが歩いて来てファビオラの腕を掴んで拘束する。
「もとはと言えば、あんたが大人しく切られないのが悪いんじゃないの!」
ジャスティーンは、怒り狂いシェリーの髪を掴んでハサミで切ろうとする。ファビオラは、まずいと焦る。オリヴィアともみ合い、腕を振りほどき後方に押す。オリヴィアは、後ろに倒れ込んだ。シェリーを見ると、ジャスティーンの手を振りほどこうと何とか頑張って抵抗している。ファビオラは、切ろうとしている髪の手前に腕を差し込んだ。
ザクッ!
ファビオラの腕から、ポタッと血が滴り落ちる。カランとハサミが、ジャスティーンの手から落ちる。ファビオラは、そのハサミを誰もいない方向に蹴り飛ばす。
「いやーーーーーーーーーーーーーー」
シェリーが、ファビオラの血を見て悲鳴を上げた。
その時、扉をガチャガチャと開けようとする音が聞こえた。何人もの足音がする。
バタンッ!
「ファビオラ!」