021
ファビオラとアーベルは、王宮の夜会会場へと続くホールで、順番が来るのを待っていた。夜会会場につながる扉の前で名前が呼ばれ、人々が会場に入って行く。
ファビオラは、馬車からここに来るまでの間、今まで体験した事のない視線の嵐を受けていた。原因は解っている、ファビオラの隣を歩くアーベルだ。今日のアーベルは、髪をセットし前髪をサイドに流している為、濃い青い瞳が見える。騎士らしい逞しい体つきと、キリっとした鋭い眼差し、周りの人間全ての視線をさらっている。とにかく存在感が凄い。その隣にいる、女は誰なんだ?と言った視線がファビオラには降り注いでいた。
ファビオラは、だんだん居た堪れなくなってくる。何でアーベル様の隣にいるのが私なのか、私が聞きたいくらいなんだよ!と段々と顔も俯いてくる。入り口でこんな状態で、中に入ったらもっと大変な事になると思うと、今まで感じた事のない緊張が押し寄せてきた。帰りたい。ファビオラは珍しく弱気な事を考えてしまった。
アーベルがファビオラの顔を覗き込む。
「大丈夫か?緊張してるのか?」
ファビオラが、俯けていた顔を上げる。端正な顔のアーベルが、心配そうにこちらを見ていた。あー、格好いい。こんなに格好良い人の隣に立って私何してるんだろう?夢なのかもしれないと、現実逃避を始めそうになる。
「すいません。夜会なんて久しぶりなのに、こんなに注目されて少し怖いです」
本当は、少しどころではなく帰りたい程怖い。
「ファビオラ、顔を上げてこっちを見ろ」
アーベルはそう言うと、アーベルの腕に回していたファビオラの手に、反対側の自分の手を重ねた。ファビオラは、温かい手のぬくもりを感じ俯けていた顔を上げアーベルを見上げる。
「俺が隣にいるから大丈夫だ。周りの目は気にするな。堂々としていろ」
ファビオラは、アーベルの深い青い色の瞳をじっと見つめた。この瞳だけ見ていればいいのか・・・。ファビオラは、小さく深呼吸する。
「はい」
ファビオラは、力強く返事をして正面を見据えた。
会場の扉の横で、侍従が名前を読み上げる。
「アーベル ハーディング侯爵令息、並びにファビオラ マルティネス子爵令嬢、ご入場です」
アーベルとファビオラは、夜会会場へと足を踏み入れた。
会場内に入ったファビオラは、人の多さに圧倒される。位の低い貴族達から入場する為、普段入場する時はこれほど人はいない。アーベルとファビオラの入場は、沢山の人々の注目を集めていた。殆ど夜会に出席しないアーベルの名前が呼ばれた事に、入場していた貴族達は一斉に入口に視線を送る。目に入って来た美男子に、殆どの者が目を奪われていた。
ファビオラは、心の中で気にしない気にしない、とつぶやく。顔を上げてアーベルを見上げると優しい笑顔を向けてくれた。こんな華やかな場所で、こんな笑顔を向けられて、ファビオラはこの瞬間を一生忘れない様にしようと思った。ファビオラを射る様な視線に怖さは感じるが、今日はアーベルを信じて楽しみたいと思った。自然とファビオラもアーベルに微笑み返していた。
二人の入場を見ていた貴族達は、息を呑む。目元を隠すことなく入場して来たアーベルに、ただでさえ驚きを感じたのに、身内以外の女性をエスコートして、今まで見た事がない笑顔をその女性に向けていたから。
アーベルは、迷う事なく足を進める。ファビオラはどこに行くのかな?と思いながら黙ってついて行く。
「アーベル!」
声のした方を見ると、第二騎士団団長のローレンツがこちらに手を上げていた。アーベルもどうやら探していたらしく、ローレンツの方に歩み寄る。
「今日、一番の注目度だったな」
と、ローレンツはアーベルに笑いかけている。
「全く。久しぶりに出席したからって、鬱陶しい」
アーベルが、イライラしている。それを聞いた周りは、注目してる点はそこじゃないっと心の中でつっこんでいる。
「まあ、それだけじゃないと思うが・・・・。おっ、ファビオラ。今日は、見違えるぐらい綺麗じゃないか!しっかり、ご令嬢に見えるぞ」
ローレンツが、にこにこしてファビオラに話しかける。
「ローレンツ様、本日はおめでとうございます。お褒め頂き光栄です」
ファビオラは、知り合いに会えてようやっと肩の力が抜ける。ローレンツのいつも通りの物言いに、全くもうと思いながら笑ってしまう。
「ローレンツ!こんな可愛らしいお嬢さんに、そんな言い方失礼ですよ!」
ローレンツの隣にいたご婦人が、ローレンツを叱る。ローレンツが、すまんすまんと言いながらご婦人を紹介してくれた。
「ファビオラ、俺の妻でアガサ クルーガーだ。よろしくな」
「ローレンツの妻の、アガサ クルーガーよ。よろしくね。ローレンツが失礼な事言ってごめんなさいね」
アガサが、ファビオラに向かって挨拶をする。
「ファビオラ マルティネスと申します。こちらこそローレンツ様には、いつもお世話になってます。全く気にしてないので、大丈夫です。クルーガー夫人、よろしくお願いします」
ファビオラは、ドキドキしながら笑顔で挨拶を返した。知り合いに、こんな風に奥様を紹介してもらうなんて初めてだ。出来れば、悪く思われたくないと必死だ。
「なら良かったわ。私の事も、アガサって呼んでね。ファビオラちゃん」
「はっ、はい」
ファビオラは、またしても良いのだろうかと動揺する。侯爵家のご婦人なんて、ファビオラにとってみたら雲の上の存在なんだが·····。でも、ローレンツ様と呼んでる手前断れる訳がない。
「それより、ファビオラ。もし仕事関係の人に、ダンスを申し込まれたら躊躇わずに踊っとけよ。アーベルも、わかってるだろう?」
ファビオラは、ローレンツの言葉を聞きハテナ?と思う。確かに、去年は仕事で沢山の知り合いが出来たが、ダンスを申し込んでくれるような人に心当たりがない。
「言われなくても、わかってる」
アーベルは、さっきからなぜか不機嫌である。
「あら、ファビオラちゃんって人気なのね」
興味津々に、アガサがローレンツの顔を窺っている。
「ファビオラは、全くわかってないようだが、その内わかるから今は気にするな」
ローレンツが、ファビオラに言う。
「ファビオラは、凄いんだぞー。後でのお楽しみだな」
ローレンツが、アガサにバチッとウィンクした。すると会場内に、ラッパの音が響き渡り国王陛下や王妃など王室の方々が入場して来た。