018
アーベルの手を取るとグイッと引かれ、あっという間に馬に横乗りにさせられる。ファビオラの視界が一気に高くなった。
落ちないようにと、咄嗟に鞍の突起部分を握ったファビオラは、持っていたバスケットを落としそうになった。気づいたアーベルは、ファビオラからバスケットを受け取り、馬に括り付けてくれた。
ファビオラは、初めて体験する馬の高さに感動していた。視界が高くなるだけで、こんなに見える風景が変わるんだ。
そんな事を考えていたら、アーベルが鐙に足を掛けて馬に跨った。
アーベルの腕が、ファビオラを包み込むように手綱を握る。
ファビオラは、えっと驚き後ろを振り返る。
至近距離に、アーベルの端正な顔があり目が合う。
「馬は初めてか?落ちない様に支えるし、そんなにスピードも出さないから安心しろ」
アーベルの深く濃い青色の瞳が優しく、ファビオラの瞳に映った。
ボンッと音がしたくらい、ファビオラの顔が赤くなる。ファビオラは、勢い良く前を向きなおした。
「は、はい。馬は初めてで・・・こんなに視界が高くなるんですね。感動しちゃいました」
ファビオラは、真っ赤になった顔を必死で隠しながら答える。わかってはいたけど、こんなに至近距離なんだ・・・。しかも、アーベル様の体温がダイレクトに伝わってくるし、どうしようドキドキが止まらない・・・。ファビオラは、ぎゅっと目をつぶって心を落ち着かせる。大丈夫。こんなの特別な事じゃない。私が慣れてないだけで、みんな普通の事なんだから。ファビオラは、小さく深呼吸する。
「そうか。怖くないなら良かった。では、行くぞ」
アーベルはそう言うと、片手をファビオラの腰に回しもう片方の手で手綱を握り、馬の腹を軽く蹴った。
あわわわわわ。またしてもファビオラは、動揺する。でもそれも一瞬の事だった。馬が動き始めスピードに乗ると、アーベルのファビオラを支える腕がなかったら、とてもじゃないが怖くて乗っていられない。この腕がなかったら絶対に落ちる。
アーベルは、そんなにスピードは出さないと言ったがファビオラにしたら充分速かった。どんどん景色が変わって行く。鞍を持つ手に力が入る。
「怖いか?」
頭の上から声がかかる。
「ちょっとだけ・・・」
強がっても仕方ないとファビオラは、素直に答えた。すると、アーベルのファビオラを支える腕にぎゅっと力が入るのが分かった。
「下を見ないで、出来るだけ遠くの景色を見ろ」
ファビオラは、言われた通りに姿勢を正して遠くの景色を見る。アーベルの腕の頼もしさも相まって、怖さが薄れた。
一時間程、馬に揺られた所でアーベルが手綱を引いて馬を止める。周りを見ると、木々に囲まれ鳥の囀りが聞こえる。少し行った所に、川が流れているのが見えた。
アーベルが馬から降りると、ファビオラを持ち上げて降ろしてくれた。
「大丈夫か?気持ち悪くなったりしてないか?」
アーベルが、ファビオラの顔を覗き込んだ。
ファビオラは、突然、間近に迫ったアーベルの顔に動揺が隠せない。っち、近いよっっ。と咄嗟に顔を背けてしまう。
「だ、大丈夫ですっっ。っわ・・・」
大丈夫と言った瞬間ぐらっと足元がふらついた。アーベルが、ファビオラの腰に手を当てて支えてくれた。
「すみません。初めてだったから足元がちょっとフラフラして・・・」
ファビオラは、無意識にアーベルの腕を掴んでいた。
「気にするな。馬を繋いでくるからここで待ってろ」
そう言うと、アーベルは馬を連れて川の方に歩いて行った。アーベルから離れたファビオラは、落ち着きを取り戻す。改めて周りの景色に目をやる。
「わあ、凄い。綺麗」
自然と言葉がこぼれていた。秋も深まり黄色く色づき始めた木々が、空の青越しに広がっている。赤くなった紅葉が、日の光によって色が強調されている。緑と黄色と赤のコントラストが、視界一杯に続いていた。
「気に入ったか?」
アーベルがファビオラの横に立って、優し気な瞳でファビオラを見ていた。
「はい。凄く綺麗です。私、こんな自然の中に来たの初めてです。凄く気持ちがいいです」
ファビオラは、満面の笑みでアーベルに言う。
「そうか。少し歩いて見よう」
そう言うと、アーベルはファビオラに手を差し出した。「はい」と答えファビオラも自然にアーベルの手を掴む。二人は、森の奥に歩き出した。
足を踏みしめる度に、サクサクと音がする。ファビオラが、足元を見ると綺麗な色の落ち葉が地面に敷き詰められている。足を止めて、真っ赤に色づいた紅葉の葉っぱを拾う。
ファビオラは、領地のない貧乏子爵家の出なので一年中王都にある屋敷で暮らしていた。家族の誰も、ピクニックに出かける様な趣味を持っていなかったので、王都から出たのは初めてだった。自然がこんなに美しい事を初めて知ったファビオラは、見る風景全てに興味を惹かれ終始感動していた。
ああ、なんてきれいなんだろうと、拾った紅葉の葉っぱを見つめていた。
「そんなの拾ってどうするんだ?」
アーベルは、ファビオラを見て笑っていた。拾った落ち葉を、目を輝かせて見ているファビオラが子供の様にはしゃいでいたから。
「きれいだから、お土産に持って帰ろうかと」
ファビオラが、そう言ってアーベルを見ると笑っていたので急に恥ずかしくなってしまった。
「笑わないで下さい!私、本当にこう言うの初めてなんです。見るもの全部が、新鮮で感動です。アーベル様、連れてきてくれて本当にありがとうございます」
ファビオラが、頭を下げた。
「そんなに喜ぶと思わなかったから、俺も嬉しいよ」
アーベルが、いつもの優しい笑みを浮かべた。今日のアーベルは、前髪を上げて目元が見えるのでその笑顔は、いつもの数倍破壊力があった。ファビオラの心が、一気に持って行かれそうになるのを必死で耐える。勘違いしちゃダメ。きっとこの笑顔だって、私以外にも向けるものなんだから。ファビオラは、自分に言い聞かせた。
その後も、二人でゆっくり森を散策し、途中でファビオラが持ってきたお昼ご飯を一緒に食べた。
自然を満喫したファビオラは、また行きと同じ様にアーベルに包みこまれて馬に乗り王宮に戻ったのだった。
厩に馬を戻して、アーベルはファビオラを寮の前まで送ってくれた。
ファビオラは、アーベルとこうして二人で出かける事ももうないだろうなと寂しさを感じた。でも、元々知り合うはずの人じゃなかったんだし、しょうがないと自分を律する。
「わざわざ寮の前まで送って頂きありがとうございました。今日は、本当に楽しかったです」
ファビオラは、精一杯の笑顔を向けた。
「ファビオラ、新年の祝いの夜会は誰か決まった相手がいるのか?」
突然の思ってもいない質問に、ファビオラは驚く。
「え?新年の夜会ですか?いえ、私いけない事だってわかってるんですが、ここ数年出席してないんです。相手なんていませんよ?」
新年の祝いの夜会とは、新年を祝う王族主催の夜会だ。王族に対する新年の挨拶の為、貴族なら誰もが出席しなければならない。だが、両親と姉と妹がここぞとばかりに服飾にお金をかけるので、ファビオラまで用意するとなると資金が心許ない。正確には全くないわけではないが、ファビオラ的には別にそこまで無理してドレスを作って夜会に出席したいと思わなかった。その為、適当に理由を作って毎年欠席していたのだった。
「なら、来年は一緒に出席しよう。俺に、エスコートさせてもらえないか?」
「え?私をですか?冗談じゃなくて?」
ファビオラは、突然の申し出すぎて頭が追い付かない。何で?何で、私?夜会のエスコートなんて、婚約者とか恋人とかじゃないの?
「冗談言ってどうするんだ。もう決定だからな。ドレスもこちらで準備するから、間違ってもキースと一緒に選びに行くなよ」
「え?なっ、何でキース様?」
「じゃーな。またな」
そう言うと、アーベルは踵を返して去って行ってしまった。
え?ええええええええええ。全然意味がわからない。ファビオラは、心の中で絶叫して頭を抱えた。