016
鳥の鳴き声が聞こえ、朝になった事がわかる。目を開けると、カーテンから陽の光が差し込んでいる。体を起こし、伸びをする。
「よし。今日頑張れば、明日は紅葉狩り!今日も一日頑張るぞ!」
ファビオラは、目覚めと共に気合いを入れた。
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ファビオラは、今週は慌ただしかったなぁーっと1週間を振り返っていた。
キースと食事をした次の日に、予定通りにシェリーのお屋敷に泊まりに行った。恒例のお泊まり会も、いつも通りフェレーラ侯爵家に温かく歓迎された。自分の胸の内に秘めているが、今では自分の実家に帰るよりも、安心する人々の元に帰って来たと思ってしまう自分がいる。
その数日後にキースとも約束をして、仕事終わりにドレスショップに連れて行って貰った。馬に乗る時の服装を聞くと、自分で乗るわけじゃないし折角のデートだから、華美にならない動きやすいワンピースでよいと言うアドバイスを貰う。
連れてきてもらったお店は、ファビオラでも充分買えるレベルの店だった。しかもキースおすすめと言うだけあって、どの服もセンスが良く可愛いものが多かった。ファビオラでは、とても選びきれずにキースが選んでくれた。明るめのワインレッドで、襟や袖、腰周りのレースやリボンが紺色で、シンプルだけどとても可愛くて気に入った。
そんな風に、今週一週間は忙しかったけど楽しかったと思いつつ仕事を進めていた。午後の仕事も順調に進み、残りあとちょっとだなと思っていた矢先に、ベルント殿下の専属執事であるセバスチャンに呼ばれた。
「すみません。セバスチャンさんに呼ばれてるとお聞きしたんですが·····」
ファビオラは、私何かしたかしら?と不安になりながら尋ねた。
「忙しい所悪いね。殿下からの要望で、午後の休憩のお茶をファビオラに頼みたい。よろしく頼む」
セバスチャンは、淡々とファビオラに指示を出した。
「かしこまりました。では、失礼します」
ファビオラは、今日の当番は私じゃないのにーと若干イライラしながらも、断れるはずも無くセバスチャンの前から仕事に戻った。
お茶の時間になり、ファビオラはお茶の準備をして、茶菓子を受け取りカートを押してベルント殿下の執務室の前に立つ。扉をノックした。
トントン。
「ファビオラです。午後のお茶をお持ちしました」
中からベルント殿下の声がする。
「入れ」
ファビオラは、失礼しますと断りを入れ中に入る。ソファーセットの前までカートを押す。視界の隅に、セバスチャンがいつものように控えていたのが見える。テーブルにお茶とお菓子を置こうとしてベルント殿下から声がかかった。
「自分の分と二つ用意しろ」
「かしこまりました」
ファビオラは、不思議に思いながらも今日も何か質問でもあるのかと軽く考えていた。準備が整うとベルント殿下が、執務の手を休めてソファーに腰を下ろした。
「ファビオラも座れ」
今日も相変わらず、高圧的だなぁーっと思いつつベルント殿下の向かい側に座った。部屋の隅にセバスチャンが控えているのも見える。視線をベルント殿下に戻すと、長い足を組み紅茶に口を付けていた。カップを置くと徐に話し始めた。
「今日は、大事な話があって呼んだ」
「はい」
「面倒なので、単刀直入に言うがファビオラ、王太子妃にならないか?」
「は?」
あまりに突拍子もない言葉に、ファビオラは飾り気のないそのままの気持ちが出てしまった。
「驚くのも無理はない。俺は本気だ」
「はい?」
ファビオラが、ベルント殿下を見るといつもの冷たい目で喜べと言うような顔をしている。セバスチャンに助けを求めようと視線を送ると、哀れみの表情で小さく首を振られた。
なになになに?これ、どう言う状況なの?意味がわからない·····。ファビオラは、聞かなかった事にして立ち去りたかった。落ち着け自分と言い聞かせる。まず確認からだと勇気を出す。
「すみません。確認させて下さい」
「なんだ」
「これから私が話す事に、もしかしたら失礼な事があるかもしれません。不敬に問わないと約束して下さい」
ファビオラは、緊張からスカートをギュッと握りしめる。ベルント殿下は、肘掛に肘をおきながら頭に指をあてている。
「わかった」
ファビオラは、すぐさまセバスチャンに視線を送る。証人ですからね!と眼光が鋭くなっている。セバスチャンも頷いてくれた。
「では、先程の発言ですが·····ベルント殿下が私に、王太子妃にならないか?つまり求婚をしたということで間違いないでしょうか?」
ファビオラは、なんでこんな事になってるのかと頭の中は混乱していた。でも、わかる事が一つある。こんな話は、受けられないと。しっかりと自分の考えを伝えなければと、逃げ出したいのを堪えながら話しだす。
「そうだ。何度も言わせるな」
ベルントは、変わらず冷たい眼差しをファビオラに向けている。自分が考えてたリアクションではなかった為、機嫌も悪い。
ファビオラは、ベルントの返事を聞き小さく深呼吸をする。怖くてしかたがなかった。これから言わなくてはならない事が、どう考えてもベルントが欲している言葉ではないから。でも、言わなければと握った拳が震えていたが、声を発した。
「申し訳ありません。お断りします」
ファビオラの返事を聞き、ベルントは一瞬驚いた表情を見せた。
「なっ、なぜだ!王太子妃だぞ!未来の王妃でもある。貴族の娘なら誰もが憧れ、欲するはずだろう」
ベルントは、声を荒らげた。
「確かに、一度は憧れを持つかもしれません。ですが、それは幼い少女達の夢です。大人になって、現実を知れば誰もが欲しがる地位ではありません。それに、殿下の周りに王妃になりたがっている令嬢が沢山いるじゃないですか?」
ファビオラは、なぜ私なんだと訴えかける。
「俺の周りをウロウロしてる奴らは、煩わしいんだよ。媚びを売ってきたり、自分が俺に相応しいと思い上がりも甚だしい!」
ファビオラは、ベルントの話を聞いていて段々イライラしてくる。
「ですが、ベルント殿下は王太子妃にみんななりたいと考えてるはずだとおっしゃいましたよ。要するに、ベルント殿下が嫌われているようなご令嬢の事ですよね?矛盾だらけですね。まさか、国中の娘は殿下の事を好ましく思ってるとでもお考えですか?それは流石に、自意識過剰かと」
ファビオラは、言いながらも言い過ぎたと思っているがベルント殿下の女性を上から見ているのがどうしても気に入らない。ファビオラに、王太子妃にならないかと言えば喜んで承諾すると考えていた事も気に入らなかった。
「なっ、そんな事思ってるわけないだろう!」
ベルントは、今まで見たことない程狼狽えている。無意識のうちに、そう思っていたと自覚したのかも知れない。
「それと一番大切な事です。私に求婚してくれたという事は、私の事が好きって事ですか?愛してくれるって事ですか?」
ファビオラは、ベルントの目をしっかりと見て聞いた。
「すっ、好き?愛するだと?…………善処するつもりだ」
ベルントは、完全にファビオラから目を逸らした。
「ベルント殿下。私は、ごく普通の娘なんです。結婚するなら私を好きでいてくれて、愛してくれる人がいいんです。私は三姉妹で上は高位貴族と下は優秀な婿を結婚相手に決めました。なので、私は自由だと言われています。私の事を、愛してくれて大切にしてくれるなら平民の方でもいいと思ってるくらいです。これは求婚という名の、王太子妃という仕事のスカウトですよね?私に対する気持ちなんてこれっぽっちもありませんよね?」
ベルントは、きっと自分の行動が間違いだったと気づき始めている。素直に謝罪出来ないのか、感情を見せない無表情でファビオラをじっと見つめている。
ファビオラは、返事をしない事に尚も言葉を続ける。
「ベルント殿下は、もっと視野を広げるべきです。いつもベルント殿下の周りを囲む令嬢の先には、素敵な令嬢方が沢山います。大人になった女の子達は、王太子妃という大変な肩書きを理解するんです。王太子妃教育だって、どれだけ大変な事か·····。それに国を背負う方の伴侶ですよ?それ相応の覚悟がなければ無理なんです。それを知ってたら、自分からなりたいと近くに寄るはずありません」
ベルントは、ファビオラの話を聞いていた。横柄な態度だったのが嘘のように、真摯に耳を傾けている。
「その·····。愛さなくてはダメだろうか?貴族なんて政略結婚が殆どだろう?」
「確かに貴族は、政略結婚です。ですが、この国の王子は30歳まで自分で伴侶を探させる事になっていますよね?何でそうなっているか、考えた事ありますか?」
ファビオラは、何でわからないのだろう?と疑問でしょうがない。頭脳明晰なはずなのにと·····。
「王太子妃に相応しい女ぐらい、自分で探せという事だろう?王たるもの、人を見る目は必要だから」
ベルントは、求婚したのを忘れたかのようにファビオラの話に聞き入っていた。今まで、早く結婚しろと言われていたが、王太子妃を選ぶという意味を説明する者などいなかった。
「それも、勿論あります。でも、私が勝手に考えるに、国の歴史を見ると明らかですが·····。歴代の王族の問題といえば、王妃と側室の対立。異母兄弟による王子の王位継承の争い。ずっとこれの繰り返しですよね?何代か前の王が、30歳までに自分で相手を見つける様になってから殆どこういった問題は起きてません」
ファビオラは、固く握っていた手を緩め一度お茶を口にした。ベルント主導の話をファビオラ主導に出来、少し余裕が生まれた。
「それは王が、王太子妃に相応しい令嬢を見つけてきたからだろう?」
だから、なんでそんなに能力重視なんだ·····。結婚問題なんて、心の部分が大きく占めるよね?私だけなのか·····。ファビオラは、ベルントを見ながら小さな溜息をつく。
「それは、前提条件です。王が王妃を愛してたから、大切にしたから、尊重したから、二人の仲が強固なものだったんです。王と王妃の仲が良ければ、それだけで国は安定するんです」
ファビオラは、段々白熱して来て言葉を重ねる。
「愛するって、一緒にいたいと思うし、会いに行きたいと思うし、触れていたいと思う事です。その想いが一方通行だと、重いですよね?ベルント殿下が、先程言ったように煩わしいってなります。私では、きっと煩わしくなりますよ·····」
「……………………」
ファビオラが、ベルントを見やると俯いてしまっている。仮にも自分で求婚しといて、失礼じゃないか?
「ベルント殿下、愛されない妃がどれだけ肩身が狭いか考えて下さい」
「わかった·····。きちんと考える」
ベルントは、いつの間にか横柄だった態度を改め姿勢を正してソファーに座っていた。ファビオラを真っ直ぐに見ている。その姿を見て、思ったよりもこの人は素直なのかもなとファビオラは考え直した。
「ベルント殿下が知らない、高位の令嬢で聡明で見目麗しい女性が沢山います。機会を作って一人一人ときちんと会話するべきです。きっと、好ましいと思う方がいらっしゃるはずですよ。それこそ、小さな女の子の様にいつか素敵な王子様が·····殿下の場合は、ご令嬢が現れる、なんて思ってないですよね?きちんと自分の足で見つけに行って下さい」
少し意地悪だったかなと思いつつも、率直な意見を述べる。
「わかった·····」
ベルントは、言われた内容を考え巡らしているようだ。真剣に返事をしてきた。
「その際は、女性を上から見る事なく誠実な態度で臨んで下さいね。第一印象は、大切ですよ!」
最後にファビオラは、笑顔で締めくくる。
「全く·····。ファビオラには、敵わないな」
ベルントも、笑っていた。