第7話 アジアンカンフージェネレーション
4/1 11:30
イノウエは目の前に対峙した男を能力:視覚強化で注意深く観察した。
AJの固有能力のように派手でも珍しくもない能力だが、使い勝手のいい力だ。
動体視力と情報処理能力が同時に強化されるこの能力は自身の経験と結び付ければ、時として相手の動きを先読みできる。
だが、目の前の男、チャイニーズマフィアの幹部であるフレデリック・チャンに付け入る隙は見当たらなかった。
歳は30代中盤だろうか。180㎝ほどの身長に、研ぎ澄まされたナイフのように引き締まった身体。東アジア系特有の切れ長な目は鋭く、鼻筋が通っている。派手なシャツを着て、髪をオールバックに撫でつけているが、モデルや俳優と言われて信じてしまいそうな容姿だ。
力の入れ方を見るに、腰回りやポケットにはナイフや銃器の類はなさそうだ。AJが突入したとき、あらかた武器を能力で切断したおかげだろう。だが武器がなくとも余裕の表情だった。緩めに握った拳をやや前に突き出す構え、力みのない立ち方。中国武術の心得がありそうだ。
こちらの低殺傷弾のショットガンは打ち尽くしていた。腰に備えていた拳銃は、チャンを追いかけて奥の部屋に飛び込んだ時、隠れていたチャンと揉み合いになって取り落し、足蹴にされどこかへ消えた。お互いに丸腰だった。
リーチはチャンの方に分がある。こちらを近寄らせないように動きながら時折素早いジャブで様子を見ていた。
イノウエはやや前傾に構え、円を描くようにチャンの周囲をゆっくりと動きながら、僅かな重心移動などでフェイントを入れて、じわじわと相手の隙を伺う。
「派手にやってくれたな、捜査官」
睨み合いになっている捜査官に向け、チャンは静かに怒りを込めて言った。
「おいおい、AJに言ってくれ。俺はもっと穏便にしたかったよ」
「あのイカれた女に首輪でもつけとけ!」
何でもないことのように答えるイノウエに、思わず青筋を立てて怒鳴るチャン。拳に力がこもる。
その様子を見逃さず、イノウエは低い姿勢のまま前にステップし、チャンの懐に飛び込んだ。慌てて前蹴りを繰り出すチャンだが、僅かに反応が遅れ、イノウエに出足を制される。肩越しに胸ぐらをつかまれ、大外刈りのような体制で投げられた。
チャンの身体が地面に叩きつけられ、鈍い音が響く。イノウエは手を緩めず、すぐさま肩口から袈裟固めにする。
「痛ぇぞ、クソッ!離しやがれ!」
チャンが叫ぶ。
「もう部下もいない。大人しくしろ」
イノウエが冷静に告げても、チャンはバタバタともがいていた。
「ヘイ、フレディ。マジだ。部下は全員、アタシがぶち込んだぜ」
AJがリェンを連れだって入ってきた。
イノウエもフッと気を抜き、もがいて抜け出すチャン。チャンが立ち上がるのを見て思わずリェンは身を固くする。
「早く言ってくれ。マジに痛かったぜ」
そう言って、懐からくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出すチャン。
「悪い悪い、お前らのカンフーバトルが面白くてな」
AJはそういいながらロングコートのポケットからライターを取り出し、小さな身体をつま先立ちにして、身長の高いチャンが咥えた煙草に火をつけた。
リェンには何が何だか分からず立ちすくむだけだった。
4/1 11:30
「しかし、あんまり派手にやられると困る。上になんて報告したものか」
煙草を吸いながら愚痴るチャン。
「上ってのはどっちだ?香港?それともラングレーか?」
AJが茶化したように言うのを聞くや否や、チャンが慌てたように詰め寄る。
「ヘイヘイヘイ!!やめてくれ!!誰が聞いてるか分かんないんだ!」
チャンは叫んでAJを遮った後、周囲の様子を確かめる。
イノウエがリェンの方へ目配せする。目が合ったリェンはすぐに状況を察した。
バージニア州フェアファックス郡ラングレーはアメリカ合衆国中央情報局の本部がある地域だ。チャンの正体は潜入調査中の情報局員、と言ったところだろうか。
AJに詰め寄ったチャンは小声で言う。
「分かってるのか。毎回毎回、これは妨害行為だぞ」
「おいおい、仲良くパブで待ち合せましょうってか?チャイニーズマフィアと捜査官が?そっちのがお互いに拙いだろ」
「だからってこれは!」
語気を荒げるチャンを見てイノウエが間に入って宥める。
「すまない、チャン。これは貸しってことにしてくれ。それに部下たちは留置所じゃない、AJが近くのボイラー室に閉じ込めてるだけだ。すぐに返すよ」
「当たり前だ!部下が全員ブチ込まれたなんて香港の幹部会にバレたら、俺は失脚だ。また街角に立ってポン引きから始めなきゃならねぇ」
「悪かったって」
イノウエが睨みを効かせ、AJも謝る。
「それで、このお嬢ちゃんが今回の新人?」
チャンがリェンへ水を向ける。
「そうだよ、ほんの2時間前に配属されてきたばかり」
イノウエがリェンを紹介しながら答えた。
「可愛そうに。イノウエ捜査官、あんたの時みたいにバックボーンがあるわけじゃないんだろ?ソルボンヌを飛び級で出た天才児って聞いたぜ」
「え!そうだったのか?」
AJが驚きながらリェンをしげしげと見つめる。
「AJ、アンタ、知らなかったのかよ。うちの組織のチンピラだって知ってるぜ」
「いやー、だれかが言ってたような、言ってなかったような...」
三人から見つめられ、リェンはなんとなく居心地の悪い思いになる。
「俺がこの異世界空港の入国・貨物管理局犯罪捜査班に配属されたときも、AJやらゼイン統括やらに連れられて、同じことをやられたんだよ」
見かねたイノウエが話題を逸らすように解説した。
「え?」と驚くリェン。
「まぁー、新人の通過儀礼ってやつだな」
AJもイノウエに続いて口を挟む。
「うちの班に配属になるような野郎どもは、ほとんど元・兵士やら捜査官やら、むこうの世界の騎士様とか、鼻っ柱の強い奴ばかりだからなー。こーやっていきなりカチ込んでみせて、ガツンとかますのよー」
「ちなみに俺は日本の防衛省出身だ」
イノウエが小さく手を挙げて言った。
「だからって毎回俺のところに来るのはやめてくれ!」
チャンが絶叫する。
「いやぁー、便利なんだよなー。令状なしで踏み込んで、バレないのここだけだしぃー」
「異世界空港の複雑な勢力関係を紹介するのにも丁度いいしね」
「あんたら!ほんといい加減にしろよ!」
ほとんど涙目になっているチャンを無視して、AJはポケットからスマホ取り出し、時刻を確認する。
「お、ちょうど昼休憩だ!飯いこうぜ!」
「その前に、俺の拳銃さがすの手伝ってくれない?」
「もう勝手にしてくれ」
傍若無人な捜査官たちを前にして、チャンはうなだれるばかりだった。
4/1 12:05
イノウエの拳銃はソファーの裏からすぐに見つかった。去り際、すっかり元気をなくしたチャンに向けて、思い出したかのようにAJは尋ねる。
「そう言えば!なんか裏の情報よこせ」
「ワガママかアンタ」
ツッコむチャン。イノウエとリェンも思わず同じことを思ってしまう。
「いーじゃん。組織の商売敵の情報とか、あとは本業のほうで利害関係が一致する情報とか」
チャンは溜息を付くが、一つ心当たりがあったようで、神妙な顔になってこちらを向く。
「最近、異世界生物関連の密輸品が増えてる。ウチが扱うようなチンケな漢方じゃない。新鮮なやつ、それも何十Kg級のがだ」
眉をひそめるAJ。
「そいつはおだやかじゃねーな」
「そんな取引が出来るほどのゲートが開いたなら、すぐ魔法感知に引っかかるはずだけどね」
イノウエもチャンの方へ向き直る。
「だから、裏の関係者も首を傾げてるんだよ。闇市場にはかなりの量の密輸品が出回り始めた。おかげでウチのシノギの値段が暴落して困ってる」
「まぁ、生きてる異世界生物やら新鮮な素材があるなら、本物か分からないパサパサなビーフジャーキーモドキに金は払わないわな」
「出回るブツはどんどんエスカレートしてる。ちょっと前まではグレムリンの子供くらいが関の山だったが、最近じゃバジリスクのでかいキバやら、その気になればサラマンダーなんかも手に入るらしい」
「ウチのエルフたちの感知魔法陣を破れるくらいの賢者級の魔術師が手を貸してるか、それ以外の抜け道を見つけた、か」
AJはあごに手を当て、考え込む。
「ま、飯にするか!腹が減ってはなんとやら!また来るぜー」
「チャン、ありがとう。こっちでも色々調べてみるよ」
帰ろうとする捜査官の背中にチャンは叫んだ。
「二度と来んな!!」