第12話 キルケニー
4/2 17:00
リェンはその後のことをよく覚えていない。すぐに警備局の治安部隊と警視庁の担当者が来てイノウエとともに事情聴取されたが、短い時間で終わった。
オフィスの自分のデスクに座り、書類と向き合ってみるが、放心状態で何も頭に入ってこない。イノウエやフレイヤが慰めてくれていたようだが、小さく返事を返すばかりだった。
そしてフラッシュバックのようにトニーの変わり果てた姿を思い出し、涙があふれて止まらないのだった。
頭が真っ白になって、恐怖や驚き、そして悲しみが綯い交ぜになった言葉にならない感情が溢れだし、どうにもならなくなってしまう。
何もできぬまま時間が過ぎていった。
AJはどうやら寝起きで呼び出さた上に、もっと長時間聴取されたようで、日が傾きかけた時間に不機嫌そうにオフィスへ戻ってきた。
「あのバカども!アタシに構ってる暇があるなら、あのトカゲをさっさと捕まえろよ!!」
ご機嫌斜めなAJは自身のデスクの椅子を蹴とばし、ヒステリックな声を上げた。
「あの縦割りの!官僚の!クソったれが!!」
そう叫んで、デスクのファイルの山を、細腕で薙ぎ払う。
オフィスの面々は、触らぬ神に祟りなしといった様子で、特に宥める気も無いようだった。
AJはしばらくの間、あらん限りの罵詈雑言を何かに向かって吐き出し続けた。
落ち着いたのか、罵倒の言葉の語彙がつきたのか、肩で息をしながら黙り込み、周囲を見渡す。
涙に暮れるリェンを見つけ、眉を顰めた。
「おい、新人!お優しいこって。昨日今日あったトニーが死んだら、いっちょ前に遺族顔か?」
泣き崩れていたリェンに矛先がむいた。
「AJ?お茶でもどうです?」
さすがにマズいと思ったのかフレイヤが間に入ろうとするが、意にも介さない。
「てめぇ、泣いてる暇があったらな、少しは捜査に協力してこい!」
「AJ!落ち着けよ」
今度はイノウエも宥めようとする。だがAJのやりきれない感情がイノウエにも牙をむく。
「イノウエ!お前、なんでもっと早くトニーんとこ行ってやらなかった!そしたら、そしたら」
言葉に詰まるAJ。目には涙が浮かび始めた。
「ごめん...」
イノウエは謝ることしかできなかった。
AJは目の端の水滴をジャケットの袖で拭い、またリェンの方を睨みつける。
「お前、この仕事、向いてないんじゃねーの。昨日だってチャンのとこでガタガタ震えてただけだしな。今だって死体のひとつやふたつ見ただけで、青くなってピーピー泣いてる様じゃやってけねーよ」
すべてがリェンの胸に刺さる。返す言葉もない。
「もしお前と脱走したドラゴンが鉢合わせてたら、どうなってた?死体が二つに増えてただけだろ。いや、トニーが逃げる隙くらいは作れてたか。トニーじゃなくてお前が!」
そういうと、AJは自分が何を口走ろうとしたのか気付き、二の句が継げなくなった。
涙の止まらないリェン。AJの言葉はその通りだった。自分の無力さとあらためて死の恐怖に打ちひしがれる。
「AJ!なにをやってる!廊下までお前の喚き声が響いてたぞ!」
ゼイン統括捜査官がオフィスに入ってきた。いつもと変わらない仏頂面、いや目には静かな怒りの炎が灯っている。
「話がある。俺の部屋に来い。」
AJを手招きし、オフィスの中にあるガラス張りの統括捜査官室の扉を閉めようとしたとき、嗚咽するリェンを見た。
「レロア、今日はもう上がって休め。フレイヤ!飯でも連れてってやれ」
そう言って、乱暴に扉とブラインドを閉じた。
「ボス!なんであんな新人がウチにきたんだ!」
ドアを閉めるなりAJはゼインに向けて言い放つ。
「ひよっこなんてもんじゃない。そもそも向いてねーんだ。暴力やら人の死体やらF〇ckワード《お下品な言葉遣い》やらを受け付けない人種なんだよ」
「その件に関しては、ちゃんと犯罪捜査班に配属された理由がある。私も承知している」
ゼインは真顔で答えた。
「なんだよ理由って!」
「今はまだ、機密にあたる。今後お前も知ることになるだろう。だが!それより今はトニーのことだ」
まだ納得していない様子のAJを制し、ゼインは今の状況を説明するのだった。
4/2 20:00
すっかり日の暮れた西エリア。レンガ造りの欧州風の街並みに、街燈が灯り始めた。港湾地区も近く、夜風には潮の匂いが混じる。
春だというのに、寒さが身を刺すようだった。
ゼインは神妙な顔で、とあるアイリッシュパブの扉を開けた。
「マーク!よく来てくれたな」
パブに入るなりゼイン統括捜査官を下の名前で呼んだのは、小柄でセイウチのような髭を持つ禿頭の白人男性だった。
「ロバート、この度はウチの持ち込んだ案件でトニーが」
ゼインは深々と頭を下げる。ロバート・バークは検疫局の生物課課長った。
「いいんだ、いいんだ。それが我々の仕事なんだから。ヤニス、マークを席に案内してくれ」
ロバート・バークの後ろから現れた身長の高いアフリカ系の男性が、ゼインのコートを受け取り、奥へと案内する。
「あー、ロバート、ヤニス。実はもう一人いてな」
ゼインが二人の検疫局員の顔色を見ながら切り出した。
大きなゼインの背中から現れたのは小さな少女のような捜査官だった。
「AJ!!よく来てくれたね!!是非参加してくれ」
「ロバートのおやっさん。アタシのせいでトニーが」
「君のせいじゃない!悪いのはあのトカゲ...おっと、こんなところで話すことじゃないな。君も奥へどうぞ」
そう言ってバークがAJのちいさな背中を押す。
パブの奥の長机に座っていたのは、人種も所属部署も様々な10人ほどのメンバーだった。特にトニーと親しくしていた人間たちだった。
それぞれの目の前には焦げ茶色のビールが注がれたパイントグラスが並んでいる。
「あいつが好きだったキルケニーだ。皆、一杯目はこいつで頼むよ」
アイリッシュビールのグラスを持ち上げ皆へ目くばせする。
「トニーに」
皆も低い声で復誦する。
「トニーに」
そう言って一口飲んだアイリッシュビールは、いつもより苦かった。




