後段 "生きてこそ見れる夢"
そこは固い地面の上だった。墜ちてきた場所と思しき明かりが霞むほど高くに見える。
起き上がろうと全身に力を込めた瞬間、激痛が走った。その上、力が抜け出ていくような、消え去るような不快感。
(骨が折れて……脱臼もしてるな…。
あーぁ、くっそ。まんまと騙されるなんて……馬鹿なことしたぜ。)
少し舞い上がり過ぎた、と今更ながら青年は後悔した。冒険者は文字通り命を掛けている連中だ。当然生き残っているのは強いか、賢いか、その両方か。騙されても騙される方が悪いのだ。
最も、ギルドが関わらない限りはと注釈が付くのだが。今回はそのギルドもいない。
ため息が溢れそうになり、肺に刺すような痛みが走る。
(肋骨もイっちまったか…。)
指先一つ、呼吸一つまともに出来ない。
(賽を女神に返すしかない、か。
しかし、それにしても………。)
青年は目だけを動かして周囲を眺める。恐らく湿度の高い洞窟型の迷宮、昆虫型や動物型の魔物が多いだろう。いや、それより植生が豊かだった。きっと効能の高い薬草なんかがある。腕一本でも動けば採取に動いただろう、それほどの宝の山だ。
(でも、まぁ……迷宮の中で死ぬんなら…それでもいいのかもな…。)
青年は目を閉じた。そして、ゆっくりと寝息を立てて眠る。無駄なエネルギー消費を避け、賽を女神に返す。どうなるかは賽の目だけが知っていた。
目を覚ますと、そこは藁を敷いた簡素な寝床であった。周囲は煉瓦で組まれた壁と床、木製の机と椅子もある。出目はかなり良かったように青年には感じられた。体の痛みも全く感じない。
「ご゛ご゛ば゛…!゛ご゛ほ゛っ゛!゛ご゛ほ゛っ゛!゛」
何か言おうと開いた口の中が乾燥しきってへばり付く。咳をしても唾液は全く出てこず、喉が痙攣するかのように震えて咳が止まらない。
「こちらを。」
スッと視界の端に差し出された水差しを受け取り、浴びるように飲む。半分ほど中身がなくなった辺りでもう半分でうがいをして部屋の隅に吐き捨てた。口腔内の不快感がだいぶマシになったところで、水を差し出してきた方へ顔を向ける。
黒く裾の長いワンピースに白いエプロン姿――そう、メイド服を身に纏う。紅茶のような褐色の肌に、血よりも紅い瞳、銀色の髪を清潔感のあるショートで切り揃え、何よりも目を惹くのはその鋭く尖り長い耳。
エルフと魔物との間にのみ産まれるというダークエルフ。元のエルフとは真逆の色の肌、瞳の色、髪の色。そしてエルフと同じ耳を持つという。
(間違いない、ダークエルフだ…!
初めて見た。)
青年の無遠慮な視線をメイドが睨み返す。慌てて青年が目を逸らし、思い出したように頭を下げる。
「あ、その。ごめんなさい!
あと、助けてくれて本当にありがとう!君は命の恩人だ!」
「助けたのは、私ではありませんので。」
「へ?」
冷たくそれだけ言うとメイドが部屋の隅へと寄り、扉をノックした。
「主。目覚めました。」
そして、扉を開く。
まるで小さな太陽が現れたように、室内が輝き出した。金を紡いで織ったような金髪、白磁のような肌、琥珀のように透き通った瞳。王侯貴族のような豪奢で動きにくそうな服の上に輝く三枚の銀板。その銀板の意味を青年は、いや冒険者なら知っている。
一つは、正式な冒険者としてギルドが認めた証。
一つは、偉業をなした冒険者だとギルドが認めた証。
一つは、ユーフォリア国王がその業績を認めた証。
ただ目を合わせているだけなのに、青年の脳内で危険警報が鳴りっぱなしだ。青年は震えながら眼の前少女へ、口を開く。
「あなたが……あの小迷宮の所有者の…?」
「そうよ。
そして、お前の命の恩人。そして……。」
少女は懐から一枚の紙を取り出す。契約書によく使われる神聖文字でびっしりと細かく書かれている。一番上の"借用書"だけははっきりと青年にも読めた。
「お前の債権主よ。」
少女は、その愛らしい容貌に老いた魔女のような悪意に満ち満ちた笑顔を浮かべている。