32.勇者なき勇者パーティーの軌跡Ⅵ
荒野の民の長老、スーザンはそう前置きをして、話し始めた。
「まず、〈勇者〉は一度に一人までしか世界に存在しません。これは世界のパワーバランスを保つためです」
「パワーバランスを保つ?何とバランスを保つのだ」
ドゥーンは兜の下で怪訝な顔をする。
「世界の均衡です。人族と魔族とその他数多の生きとし生けるものたち。そのバランスです」
ドゥーンの問に対する答えは抽象的で要領を得ないものだった。
「〈勇者〉が一度に一人しか存在しないように、〈魔王〉もまた一度に一人しか存在しません。そしてそれぞれはそれぞれを敵とし、打ち倒す宿命を負っているのです。過去、この宿命に抗えた勇者も魔王もいません」
その英雄のスキルは授かった人の運命をねじ曲げる。
「今代の〈魔王〉は自身の支配下にある魔族を強化する能力が主です。そして、その能力はあまりにも強大です。対して、〈勇者〉スキルは〈魔王〉のスキルを打ち消します。〈魔王〉に唯一対抗できるのは〈勇者〉のみなのです」
スーザンは一息に喋ると、ドゥーンの肩に手を置いた。
「つまり、あなた方は〈勇者〉を引き戻さなければなりません。それができないのであれば今代は魔王の勝利となりましょう」
「それだけの情報、なぜいまさら開示した?」
「あなた方は、いや、あなたは〈勇者〉を連れ戻すつもりがないようですね。であるならば、先程の問いの答えはこうです。冥土の土産です」
ドゥーンは勢いよく後ろに跳んだ。だがいつもより身体が重い。単に疲労のせいかと思ったが、それだけではなさそうだ。
ドゥーンの肩には糸の虫のような刺青が這い回っていた。
「全ては、大いなる神の采配です」
「神、神だと……ふざけやがって。試練だ?抜かせ。そんなヤツに俺の人生を邪魔されてたまるか!」
ドゥーンは憤激し、壁に掛けてある剣を手に取りスーザンに跳びかかった。
しかし、その剣先がスーザンに到達する前にドゥーンは床に倒れ込んだ。
「大いなる神はいますよ。あなたもその寵愛を受けているではありませんか」
「ちょ、う愛……だと?」
ドゥーンの身体中に蠢く刺青が巡っている。彼はそのままスーザンの返答を聞けることなく命を落とした。
「ええ、スキルは正に大いなる神の明らかな寵愛ではありませんか」
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ドゥーン・アスケイクはケヤソーム皇国で生まれ、育った。
彼は幼い頃から体格に恵まれ、そしてスキルにも恵まれた。
〈重戦士・超級〉という破格のスキルだ。
その強固さから、たった一人をしてケヤソーム皇国の城塞と称えられるほどである。
しかし幼少期の彼のみを知る者がいれば困惑しただろう。ドゥーンは争いを嫌う少年だったからだ。もっとも、幼少の彼を知る者は既にこの世にはいないが。
ドゥーンが七歳の頃の出来事だ。
村に賊がやってきた。いや、初めは賊だと思われていたその集団はただの賊でなかった。
「異教徒を断罪せよ!」
「神のお導きである!」
血塗れた白い法衣を纏ったアカレリ教徒の一団だった。後から知ることだが、この時の集団はあまりにも過激な排斥思想から破門されたトルネロイ派の残党だった。
奇しくもドゥーンの生まれ育った村を通りがかり、異端思想に従って異教徒の村を蹂躙しにきたのだ。
村の大人たちは総出で、トルネロイ派の狂信者に対抗しようとしたが、相手が悪すぎた。
彼らは狂っているが、アカレリ正教の追撃を免れた猛者だった。
ドゥーンの見たこともない魔術が無数に飛び交い、大人たちを、建物を、田畑を尽く破壊した。
ドゥーンは口に手を当て、漏れそうな泣き声を必死に押さえながら、ちょうど子どもが一人だけ入れる木の幹の下の窪みに隠れていた。
たまたまかくれんぼをしていた最中だったのは、幸か不幸か。
日が落ちるまでそれは続いた。
日が落ちるとそれは止んだ。
真夜中、未だ燃え盛る建物を頼りに村を歩いて自分の親を、妹を、友達を探し始めた。
そこから先はドゥーンはあまり覚えていない。
死体まみれの道を進み、自分の家があった場所にたどり着いた。当然倒壊している。
瓦礫を一心不乱にどかしていると、人影があった。
「リーネ!」
妹の名前を呼び、速度を上げて瓦礫を退かしていく。
残っていたのは四肢があらぬ方向にねじ曲がり、首が皮一枚で繋がっているだけの汚い妹の遺体だった。
「あ、ああ、ぁあああああああああ!」
生き残りはいなかった。
ドゥーンが唯一無二の生存者だった。
彼は絶望の後、茫然自失としたまま一睡もすることなく二日間をかけて村人全員の遺体を広場に運び、並べた。それが終わると、騎士団がやってきた。
「な、なんという……気狂いどもめ」
馬に騎乗しながら村の様子を目の当たりにして絶句する騎士は、ふと広場の片隅に突っ立つ少年を認めた。
「君は、ここの村の子か?何があったか話せるか?」
ドゥーンはこくりと頷き、死んだ目のまま語り始めた。
「……そうか。君だけでも生き残ってくれたのは不幸中の幸いだ。君のような少年に尋ねるには少々酷だが、これからどうする?私の元に来るか?」
「そうしたら、アイツらを殺せるの?」
騎士はドゥーンの少年らしからぬ暗い視線に一瞬瞠目する。
「ああ、君がそれを望むなら、できないこともないだろう」
「じゃあ行く」
そうして騎士に連れ帰られた後、ドゥーンには〈重戦士・超級〉があることが判明し、騎士となるべく鍛錬を積み重ねていった。
いつしかケヤソーム皇国の三傑に選出され、その後魔王軍を討つべく結成された勇者パーティーへの参加を皇帝より命じられたのだった。
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「もはやお前は足でまといだ。勇者だからここまで行動を共にしてきたが一向に成長しない。だが魔王軍との戦いは激化する一方」
俺は〈勇者〉スキルを持つラインハルトをパーティーから追放しなければならない。
「たとえいまお前が反対したとしても、これは全員の総意なんだ。こうしてわざわざ説明しているのはせめてもの誠意なんだ」
それは、俺の個人的な感情だ。総意などではない。ただの私情だった。だが、他のメンバーに話したところで理解をしてくれるような面子でもない。
「お前の気持ちもわからないでもない。だが仲間を危険に晒すことになってでもお前は俺たちと戦い続けるのか?それが勇者だっていうのか?」
ラインハルトは仲間思いなやつだ。だから、こいつを理由にしても納得はしまい。
「このパーティーはお前がいなくても完成されている。いや、いない方が完成されている。勇者がいなくとも俺たちが魔王を倒してやるさ」
かつ、お前がいなければならない理由はない、と説かねばならない。
「装備品は置いていけよ。特にその防具は俺たちでも使えるし、その剣だって剣術の心得がなくとも扱える。とはいえさすがに丸裸で引き返えさせるわけにもいかない。予備の装備は餞別としてくれてやる」
だがこれは言いすぎたかもしれないと後で後悔した。とはいえやると決めたら断固としてやらねばならない。中途半端に優しさを見せる必要はないのだから。
「ひとつ、頼みがある」
「かつての仲間の最後の頼みだ。聞こう」
「勇者が力及ばずノコノコ逃げたなんていくらなんでも外聞が悪すぎる」
「ああ、そんなことか。勇者ラインハルトは忉利天のバグライェーアとの激戦のさなか、仲間を庇い戦闘不能の重傷を負った。とでもしておこう」
「それでいい。ありがとう」
それはそうだろう。初めからそのつもりだった。勇者は最後まで勇者でなければならない。だが、これ以降お前は勇者である必要はない。
「みんなによろしく伝えておいてくれ」
そう言って背中を見せたラインハルトは振り返り際、涙を浮かべているようだった。
だが、それでいい。泣くくらいの方がいいだろう。
戦えるだけの実力のない者が戦場に立つのは馬鹿げている。そんなのは拷問と同じだ。
かつてのアカレリ教トルネロイ派は戦えぬ大人たちを無惨に殺した。それと少しでも同じような真似は俺にはできぬ。
戦える者が戦うべきだ。
ラインハルトはまだ若い。
この調子では魔王と相対する前に死ぬだろう。
そう考え、小さくため息をついた。
「それでも勇者が魔王と戦わねばならぬというのなら、その時はその時だろう。少なくとも今ではない」
もしも俺たちが敗れ去ったとしても、人類は魔族には屈しない。
そうだろう?父さん、母さん、リーネ……。




