21.魔獣行進の予兆
「魔獣が出やがった!」
グシェルがルートレイの住人を集め、どんな法螺を吹くのかと心待ちにしていたら、とんでもない法螺を吹いた。
わけではなく、他の農夫たちはとうとう来たかといった面持ちでグシェルの話を真剣に聞いている。
「それで、どれが来たんだ?」
グシェルと特に仲のいいタリアークが問う。
「ボアだ。クラッター・ボアが二体、荒らしに来やがった」
「収穫後だったのは幸運だな。で、ボアはどうしたんだ?」
「仕舞い忘れてた鍬でぶち殺してやったぜ」
「ボアごときでドヤ顔すんな」
クラッター・ボアごときというとその通りだが、まともな武器も防具もなく、ただの農具で二体を相手に無傷で屠殺したというのはそれなりの技量を持っていることになる。
普通の農民であれば魔力に侵されていない獣を追い払うのだって命懸けだ。魔獣が出てきたあかつきには田畑を諦める。
猪の魔獣と侮るなかれ、魔力によって突然変異を起こしたやつらは独自の魔術を使う。獣人の魔装に近い代物だ。クラッター・ボアであれば牙や爪を強化し、その突進は城壁に風穴を穿つほど。
ちなみに、獣人が差別され、奴隷として扱われていたのは魔獣の固有の魔獣――魔化と魔装が酷似しているためである。
ミアとミウの前で魔装と言ったら、
「魔装じゃないにゃ」
「正確には纏爪牙だにゃ」
と訂正された。魔装という表現は人間が呼んでいる名称で、獣人からすれば正しくは纏爪牙らしい。いや、でもあの双子も魔装って言ってたよな? わりと適当なのか。
……人間がという言い方はよくないな。獣人も人間だ。上手い言い方が見つけられなかったのは僕の知識と語彙不足ということで許してほしい。
「しかしそうか、タイミング的にはバッチリだな」
「バッチリっていうと?」
ファーチェの呟きに僕は何がバッチリなのか聞いた。
「魔獣行進さ。メインの大群が押し寄せる前に数体が足並みを乱してやって来る。おそらく数日は小出しで魔獣が来るだろうな」
「まあそいつらはルートレイにいるやつなら子ども以外は対処できる。本体がもうすぐ来るなら巻きで準備しないとだが、まあ町長もラウザントもとっくにしてるか」
「なんでラウザントが出てくるんだ?」
「魔獣行進の時に一番欠かせないからな、あいつは。普段は何もしてねえけど、ラウザントがいなけりゃルートレイはとっくになくなってるよ」
どれだけの実力を持ってるんだ?
軍隊を派遣するレベルのスタンピードで一人いるかいないかで大きく変わるなんて、誇張でも形容でもなく一騎当千じゃないか。
「年に一度ある魔獣行進のために武具を集めてくれてるし、壊れた家屋を直すための材料や荒れた畑を再生させるための肥料なんかも蓄えてる」
「平常時はゴミしか売りに出してねえが、あれでちゃーんと万事屋やってんだよ」
バスラやオルト、タリアークが説明してくれる。
にしてもラウザントへの信頼度が異様なまでに高い。町長の話によるとB級冒険者相当の力を持っているらしいし、過去に何度も魔獣行進の撃退に成功しているのなら必定か。
「なんだ、そっちでも出てたのか」
「おせえぞ――っておい、まさか!?」
遅れてやってきた猫耳の中肉中背の男獣人、ミアとミウの父親ミュクス。
彼は両手に氷の爪を纏い、その爪は何かを貫き、地面に引きずっている。
成人男性の腰ほどの高さに細くも隆々とした四足、黒茶の毛並みには妖しい艶があり、異様なまでに発達した二本の牙は槍。
既に絶命し、ピクリとも動かないが、これこそがクラッター・ボア。
魔装を解き、猪の魔獣が水に濡れる。
「ここに来ようと思ったら魔獣の気配がしてな。四体気配があったんだが一体しか見つけられなかった」
「二体はさっき処分してきたぜ」
グシェルが言いつつ、あれと首を傾げる。
「あと一体はどこにいるんだ?」
「ルートレイから逸れてくれていればいいが、念のため洗うか。幸い今かなりの人数がいるからすぐにわかるだろう」
もしかしたらもう被害が出ているかもと思うと気が気でないが、皆落ち着き払っている。クラッター・ボア程度とはいえ誰も動揺していないのは異常なことだ。あとはルートレイのみんながマイペースっていうのもあるのかな。
ともかく、おそらくいると思しきもう一体のクラッター・ボアの捜索が始まった。
十六人の子どもたちは広場で遊んでいた。広場といっても名ばかりで、整備はされていない。雑草は生え放題だが、ここなら何をしてもいいと大人には言われているので子どもはよくここで遊んでいる。
追いかけっこをしている子もいれば、木の枝でチャンバラをしている子や、花の冠を作っている子もいる。
楽しく子どもたちが遊んでいるのをミライエが微笑んで見守っている。
すると、ドタバタと一定の足音を保って何かが近づいてくる。人のものではない。四足歩行の動物のもとのだ。
ミライエが何かに気づいた。
「みんな!今すぐわたしの後に来て!」
利口な子たちは先生の言葉に従ったが、チャンバラをしていた生意気な二人は、
「なんでさ〜」
「せっかくいいところなのに!」
ブルォォォォオオ!
獣の雄叫び。
子どもたちは一斉にすくみ上がり、叫びの方向を見る。
禍々しい色合いの二本の牙を携えた猪が赤い目をギラギラとさせながら走る。
魔獣はミライエの後ろに行かなかった二人のもとに一直線。
「ナムタ! ケトムス!」
クラッター・ボアは獲物を捕捉してからの加速が尋常ではない。
足の回転が高まり、牙が風を切る。
木の棒を落とし、腰を抜かした二人はカチカチと歯を鳴らして涙目になっている。
「せ、せんせぇ……」
「たしゅけてえ!」
ミライエは努めて冷静だった。
この時期なら魔獣が現れるのは想定の範囲内だ。しかしこの広場にまで侵入してくるのは些か早すぎる。
もしかしたら他にも魔獣が潜んでいるかもしれないと思うと、彼女はここから動けない。
二人を救うために十四人を犠牲にするという選択は取れなかった。
それでもせめてもと、魔術を紡ぐ。
「魔を退ける障壁を成せ!」
二人とボアの間に光の壁が出現。
クラッター・ボアの牙が壁に突き刺さり、跳ね返される。壁は粉々に砕け散った。
ブルモォォォォオオオオオ!
怒った魔獣はそれでも標的を変えず、爆発的な初速で弾丸の如く吶喊。
ミライエは指を組んで祈った。
――誰か、お願い!




