5:起きるはずのない殺人
「おい、寝てる場合じゃないぞ! 起きろ!」
「え、ちょっと何ですか突然……」
かわいい妖精たちに囲まれて夢の国へと向かう夢を見ていたところ、急に肩を揺さぶられて現実世界に戻された。
いまだ冴えない頭のまま目を開けると、目の前には興奮して目を見開いたウルフさんの姿があった。
「起きたか。なら早くこっちに来い」
まだ状況を掴めていない僕の腕を引き、無理やり立ち上がらせる。そして、広間側の扉を開けるとわき目も降らずに直進し、ある部屋の中に入って行った。
「え、ちょっ、ここって女王様がいる部屋じゃ」
「いいから中に入れ!」
一瞬抵抗しようとするも、力で敵うわけもなく中に押し込まれる。部屋の中にはすでにこの館にいるメンバーが全員集まっていて――と、強烈な悪臭が漂ってきて、僕は思わず顔をしかめた。それと同時に、昨日までは確かに生きて話していた、彼女――エルフ・トールキンの死体を目撃した。
首に縄で絞められたような痕があり、その顔は元の表情を忘れさせるくらい苦しみに満ちた、醜く歪んだ表情へと変わっていた。顔はどす黒く変色し、口からは長い舌が零れ落ちて……。
吐き気を催し、僕は死体から目を背けて部屋の外に飛び出した。さすがに今度は止めてくる人はいない。喉もとまで出かかった内容物を胃に押し戻し、心を落ち着けるために何度も深呼吸する。
考えるな。考えるな。考えるな。
この後またあれを見て、現実と直面しなければならなくとも、今は一度思考するのをやめろ。今の混乱した状態では、どんな醜態をさらすか分からない。
一分以上深呼吸を続けると、ようやく心が鎮まってきた。
僕は一度目を閉じて拳を強く握りしめると、意を決して再度死体のある部屋へと入って行った。
中では、エルフさんの死体を取り囲むようにして、各々青ざめた表情で話し合いが行われていた。
――いや、話し合いというよりこれは、糾弾か。
この場にいる全員の視線は、ある一人の人物に向けられているのだから。
現在最も疑惑の視線を向けられているその人物は、それを特に気にした様子もなく僕へと喋りかけてきた。
「どうやら吐くのだけは免れたらしいな。とはいえ、気分は最悪のままのようだな。それじゃあこの先の話し合いについてこられないんじゃないか」
「おい侍野郎。話をそらしてんじゃねぇよ」
怒気を含んだ声で、ウルフさんがハジメさんを睨み付ける。
そう。当然かもしれないけれど、この場で最も疑われているのはハジメさんだった。僕とハジメさんを退けば、皆エルフさんとは旧知の中。今回の女王様の逃避行にも付き従ってきた、心を許しあえる仲間同士なのである。
まさかその中にエルフさんを殺そうと考えるものがいるわけはなく、自ずと疑いの目は部外者である僕とハジメさんに向けられる。
……その割には誰も僕のことを疑っていないのが気になるけど。
そんな僕の思考を読んだように、ウルフさんの恐喝を無視してハジメさんが言う。
「安心しろ。お前の無実ならすでにこいつらに話してある。昨日の夜、お前は爆睡していて一切起き上がったりはしなかった。ゆえにエルフを殺した犯人ではないとな」
殺した、という一言に衝撃を覚えつつも、僕は困惑気に尋ね返した。
「その、疑いを晴らしてもらえるのは嬉しいですけど、ハジメさんだってぐっすり寝てましたよね? 僕が夜中にこっそりと部屋を出た可能性は捨てきれないんじゃ」
「俺の眠りは浅い。誰かが扉を開けて出入りしていれば確実に目を覚ました」
「そ、そうですか……」
だとしたら昨日タオルをかけてあげたときも起きてたということだろうか? でもそこまで追求するのは、それはそれで何というか……。
少しもやもやとした気分を引きずっていると、ハジメさんは視線を僕からウルフさんへとスライドさせた。
「まあ、そもそもこいつらは俺の証言を信じてはいないだろう。だが、この証言がなくともお前の無実はすでに証明されているらしい。なあ、狼君」
話をそらされ続け、怒り心頭といった表情ながらもウルフさんは小さく頷いて見せた。
「ああ、お前の無実は証明されてる。俺がこの部屋に入ってきたとき、お前の匂いはこの部屋から一切しなかった。つまり、お前はこの部屋に入ってはいないから、エルフ殺害の犯人ではありえないんだ」
匂い。
ウルフさんのような狼タイプの獣人は、その嗅覚も獣と同じくらい高い。僕なんかでは全く気づけない微細な匂いでも、確実に嗅ぎ取り識別することが可能なようだ。
彼の嗅覚にはこの場の全員が信頼を置いているらしく、誰一人として疑惑の声を上げる者はいない。僕としても犯人候補から除いてくれるというのなら特に異論はない――実際犯人じゃないし。
しかし、そうすると……
「なんで、ハジメさんが疑われてるんですか? ハジメさんは昨日すぐに玄関部屋に戻りましたし、女王様とエルフさんがいるこの部屋には入ってないはずじゃ――」
「こいつが死体の第一発見者なんだよ」
「え!?」
驚きで、ちょっと声が裏返る。
正直信じられなくて、僕は呆けた表情のままハジメさんの顔を見つめた。しかし、当の本人はその言葉を否定するどころか、淡々と頷き肯定してみせた。
「確かに。俺が死体の第一発見者で間違いない。朝目が覚めて広間に行っても、まだ転移魔法陣の作成に入っていないようだったからな。早くやれと急かしに行ったんだが、扉を開けたら床に倒れて死んでいたエルフを見つけたわけだ」
淡々と、それが疑われてしかるべき発言だと分かったうえで、一切臆することなく証言する。
疑われても仕方ないと諦めているのか。それとも疑惑を晴らす方法を何か思いついているのか。
ウルフさんを始めとし、ハジメさんが暴れだすのではないかと考えているのか臨戦態勢に入っているものがほとんど。女王様も、青ざめた表情で真っすぐにハジメさんを見据えている。
だが、そんな雰囲気をものともせず、ハジメさんは飄々と言ってのけた。
「まさかお前ら、本気で俺が犯人だと思ってるのか?」
「……お前以外に、誰がエルフを殺すんだ」
怒気、いや、殺意を含んだ声でホークさんが言い返す。
ハジメさんは目を限界まで細めると、急に低い笑い声を上げ始めた。気でも触れたのかと警戒するも、すぐに笑い声は収まり、その口から笑顔が消える。そして、ぞっとするような声音で再度問い返してきた。
「本気で、俺がその女を殺した犯人だと考えてるのか」
「当たり前だ。俺はお前の次にこの部屋に来たが、その時嗅いだ匂いは女王様とエルフ、そしてお前の匂いだけだった。女王様がエルフを殺すわけがない以上、犯人はお前以外あり得ない」
「それは違うだろ。そもそも、この死んでいる女がこの部屋で殺されたわけでない可能性もあるんだ。匂いだけから俺が犯人だとするには証拠が足りなすぎる」
成る程、言われてみればその通りだ。
この部屋にエルフさんの死体があったことから、てっきり殺害現場はここだと思っていたが、そうでない可能性も当然ある。用事を言いつけてエルフさんをリビングに呼び出し、首を絞めて殺害。その後部屋の中に投げ入れるなどすれば、匂いを残すことなく殺害は可能となる。しかし、仮にエルフさんが投げ込まれたとして、女王様はその物音で起きたりしなかったのだろうか?
自然と目が女王様に向かう。しかし女王様は依然青ざめた表情のままで何一つ喋ろうとしない。どれほどエルフさんの死が彼女にショックを与えているのかが、二人の関係を知らない僕にでさえ強く伝わってくる。でも今の表情では、女王様が何か知っているのかどうかは判断しづらい所だ。
それからもう一点。ウルフさんはこの部屋に残された匂いが三人のものだけだと言ったけど、僕の記憶が正しければもう一人含まれているはず……。
と、ハジメさんの意見に対して抗議の声が上がり始める。
「確かにその可能性は否定できない。だが、もしリビングで殺したのならどうしてわざわざ女王様が眠る部屋に死体を戻したんだ。別にリビングに放置しておけばいいだろ」
「それはそうだな。しかしリビングに放置しておかなかった理由としては、俺を嵌めるためだったとも考えられる。この中で女王のいる部屋に躊躇いなく侵入できるのは俺くらいだろうから、うまくすれば今みたいに俺を犯人だと仕立て上げられると考えたのかもしれない」
「ちょっと、それはあんたに都合の良すぎる解釈じゃない。自分は無実だーって遠回しに言ってるようにしか聞こえないわよ。それからもう一つ言わせてもらうけど、私ならクイーンの部屋に入るのに躊躇ったりなんかしないわ。私とクイーンはマブダチだもの」
護衛という身分を感じさせない、堂々とした発言をピクシーがする。ウルフさんやトロルさんなんかは苦笑いしているが、それと同時に彼女が普段からこういう態度をとっていることも知っているだろう。となると、女王様にばれる危険を冒してまで、わざわざ部屋の中に死体を入れてハジメさんに罪を擦り付けようとした、というのは少し無茶があるかもしれない。
ハジメさんもそれを感じたのか、すぐさま前言を撤回した。
「まあその通りだろうな。これは俺を犯人に仕立て上げる罠ではないかもしれない。だが、いいか。俺が言いたいのはこの場のほぼ全員が誰でも犯人足りえる可能性を持っている、ということだ。動機は分からずとも、可能性だけならそこの吐き気を我慢してる雑魚以外全員にあるという事。何より、俺は俺が犯人じゃないことを知っている。だから、動機なんかわからなくとも、お前たちの中にエルフを殺した犯人がいることも確信してるんだ」
ひどく一方的で身勝手に聞こえる宣言。しかし、ハジメさんの立場からしてみれば至極当然のことを言っただけという気もする。
それを理解してるからか、今度は反論しようと口を開くものは現れず、悔しそうな表情をしたまま全員が黙りこくっていた。
どこか一区切りついたのを感じたのか、ハジメさんは、
「何にしろ、俺たちが今やることは決まってる。一刻も早く転移魔法陣を完成させ、ワノ国に移動すること、それだけだ。エルフが死んで魔法陣作成にかかる時間が増えただろうし、そこでグズグズとしてないで一刻も早く作成に取り掛かれ」
そう一方的に告げ、扉を開けて部屋を立ち去って行った。
このままここに残るべきか、それともハジメさんを追いかけるべきか。
数瞬悩んだ後、僕はハジメさんを追いかけることにした。