3:護衛団
「あのー、ちょっと時間宜しいでしょうか?」
軽く数回ドアを叩いた後、おずおずと扉を開けて中にいる二人――ウルフ・セルダムとホーク・マスタング――に声をかけた。
二人とも誰かが訪ねてくることなど予想していなかったのだろう。ベッドに横たえていた体を起こし、驚いた表情で僕のことを見つめてきた。
やはり突前尋ねるなんて無礼だっただろうか。そう思い早くも帰りたくなるが、尋ねておいて帰るのも無礼かと考え直し、改めて二人に視線を送った。
ウルフさん――本名ウルフ・セルダム――は、この世界ではそこまで珍しくない狼の獣人である。全身が狼の体毛で覆われ、大きくて丸っこい黒鼻と、僕たちヒューマンよりはるかに大きな耳を持った、まさに人と獣が合体した容貌の持ち主。また、女王様を護衛するために鍛えられたその体は、筋骨隆々として逞しく、筋肉フェチならたまらないだろうプロポーションである。館に来た当初は濡れて体に張り付いていた体毛は全て乾いており、なんとも触りご心地の良さそうなふっさり感を取り戻している。
ホークさん――本名ホーク・マスタング――はこの世界でも数少ない鷹の羽をもつ有翼人である。有翼人自体は珍しいわけではないのだが、鷹の羽を持つものは少なく、そのカッコいい見た目や飛行性能から貴重種としてどの国でも重用されている。また、獣人とは違い顔は人間のものであり、やや浅黒い肌に鷹を彷彿とさせる鋭い目を持ったかなりのイケメンである。こちらも筋肉はついているが、ウルフさんと比べるとややほっそりとした体形に見える。ウルフさん同様、館到着時には濡れていた羽からはすでに水が拭き取られ、大きく猛々しい鷹の羽が背中ではためいていた。
そうして、僕がじろじろと二人の体を観察していると、少し困惑した様子でウルフさんが口を開いた。
「えっと、何の用だ? もしかしてあの侍野郎に部屋を追い出されたのか? あ、いや、そう言えばお前はまだ濡れたままだったな。タオルとか寝袋だったらトロルのリュックの中に入ってるから、あいつから貸してもらえ」
「あ、はい、有難うございます! でも、ここに来たのはそういう事じゃなくて、ちょっとお二人とお話がしたいなーと思ったからで」
「話? 一体何の?」
「そ、それはですねぇ……」
しまった。ハジメさんの言われるがままに来たはいいものの、質問することを何も考えてなかった。というか、聞きたいことなんて特にないよ!
僕が答えあぐねてもごもごと言葉をひねり出そうとしていると、ホークさんが僕から視線を外し、再びベッドの上に横になった。
「侍に俺たちの様子を探ってこいとでも命令されたか。だったら、疲れを取るために既に寝ていたとでも伝えておけ」
あっという間に僕がやってきた理由は看破されてしまった。まあ、話をしに来たと言っておきながらその内容を何も考えていなかったとなれば、すぐにハジメさんの事に思い至るか。だけど……
「えと、はい。ハジメさんに言われてこちらにお邪魔したのは確かなんですけど、やっぱり聞いてみたいこともあるんですよ」
「何だ。あるならさっさと話せ」
疲れているからか、それともこれが平常なのか分からないが、ホークさんの口調はとても冷たい。若干怯みそうになりながらも、僕は勇気を出して口を開いた。
「その、お二方はこれからどうするつもりなんですか?」
「質問が雑過ぎて何を答えていいか分からないな。もっと要点を絞って話せ」
「要点と言われても少し困るんですが、女王様の護衛を務めている皆さんはワノ国にたどり着いたらどうするのかと疑問に思ったんです。女王様は当然丁重に賓客として扱ってもらえると思いますけど、その護衛役である皆さんまで賓客扱いされることはないですよね。そこまで悪い扱いは受けないかもしれませんが、少なくとも女王様の護衛は続けられなくなると思うんです。その時は素直にワノ国の兵士として戦っていくのか、それとも――」
「そんなことはお前が心配することじゃない。こちらもそうならないよう、いくつか手は打ってある。たかが下級兵の分際で余計な口出しはするな」
「……申し訳ありません」
有無を言わせぬ高圧的な態度。別にイラっとしたりはしない。身分差を考えるなら当たり前のことだから。でもまあ、もう少し別の言い方はなかったのかと思ってしまうのは仕方がないよね。
ちょっと気まずい雰囲気になったのを感じ取り、取りなすようにウルフさんが口を開いた。
「ホーク、そんないい方しなくたっていいだろ。こいつは俺たちのことを心配してくれてるわけだしよ」
「心配? ただの好奇心だろ。そいつは俺たちと違ってクイーンに忠誠を誓っているわけじゃない。それこそワノ国で一から新たな生活を始めることに抵抗もないだろうしな」
あまりに決めつけた発言に、少し苛立ちが込み上げてくる。あながち間違っていないことを言われているのが、特に腹立つ。
僕はできるだけ無表情を装いつつ、静かに反論した。
「好奇心なんかじゃありません。さっきエルフさんと今後どうするかについて話し合ったので、皆さんの意見も聞いておこうと思っただけです」
「エルフと話を? あいつ何か余計なことは言ってなかっただろうな」
「余計なことの意味が分かりませんね。もっと具体的に質問してくれませんか」
「貴様……」
僕とホークさんとの間で目に見えない火花が散る。
戦ったら百パーセント負ける相手に、よくこんな突っかかれるなと自分で自分が不思議になる。この後先考えないところが友人の少なさに繋がってる気がするけど、気にしない。ここで反論しないようじゃ僕が僕足りえないのである!
どちらも一歩も引くことなく、一分近く睨み合が続く。先に音を上げたのは僕でもホークさんでもなく、この雰囲気に耐えられなくなったウルフさんだった。
「ああもうお前ら、ちょっと落ち着け。こんなことで喧嘩しても誰も得しないだろ。えっとよ、ホークの奴は疲れてて気が立ってるみたいだから、悪いけど話はまた今度にしてくれないか。最初に言ったけど、タオルと寝袋はトロルの奴が持ってるから、帰りに寄ってくといいぞ。つうか基本的に食料とかクスリなんかの必需品はあいつのバッグの中にあるから、なんか必要なものがあったら聞いてみてくれ。んじゃ、今日はこれで」
肩を押される形で無理やり部屋の外に出される。
どうにも険悪な雰囲気になってしまったが、ハジメさんの命令はこなせたし良しとしよう。
さて、次はウルフさんに言われた通りトロルさんとピクシーさんのいる部屋に向かいますか。
気分を一転して、反対の扉に向かって歩みを進める。
軽く二度扉を叩くと、「お邪魔します」と一声かけて扉を開けた。
中には、巨大なリュックサックが一つと、ベッド二台を横に並べてそこに寝そべっているトロルさん。その上で足をパタつかせながらくつろいでいるピクシーさんの姿があった。ベッドを二台つなげてもまだトロルさんの方が大きいから、足が大胆にベッドからはみ出ている。
僕の突然の訪問に、トロルさんとピクシーさんは先の二人同様驚いた表情を向け返してきた。
僕は無礼を承知で、改めて二人の姿を眺めていく。
トロルさん――本名トロル・ヘガタンテ――は身長が三メートル近くある巨人だ。複数種いる巨人族の中では、どちらかというと小さいタイプの巨人族。中には毛深くて獣人に似た巨人もいるが、トロルさんは普通の人間を全体的に大きくした姿をしている。髪と髭が長く、顔のラインが全体的に濃くてとてもワイルドな印象を受ける。もちろん筋肉はムキムキで、体の大きさも相まってあのウルフさんよりもはるかに逞しい、まるで金剛石でできたような肉体だ。
一方ピクシーさん――本名ピクシー・クリムゾン――は身長が三十センチ程度しかない小さな妖精である。こちらも姿かたちは普通の人間と変わらないが、背中からはトンボの翅のような透明で薄い翅が生えている。髪の色や目の色が赤く、着ているものも赤で統一されているため、パタパタと周りを飛ばれると火の玉が浮いているように見えるかもしれない。因みにスタイルは抜群で、もしこの姿のまま僕たちと同じ身長になったら確実に見惚れてしまうだろう妖艶な色香も兼ね備えている。
と、ちょうど僕の人間観察が終了すると同時に、ピクシーさんが羽をはばたかせて僕の顔の前まで飛んできた。
「ちょっと、突然部屋に入ってきたと思ったらジロジロと眺めてきて、一体何のつもりよ。私もトロルも見世物じゃないんだけど」
「あ、すいません。どう話しかけようか悩んでて……」
「俺たちに何か用があるのか?」
とてもか細く、しかし腹にずしりと響くような低く渋い声。
一瞬誰が喋ったのか分からず部屋の中を見回しそうになるも、トロルさんと目が合い、彼が声の主であるとようやく気付いた。もっと野太い声をイメージしていたため、声のギャップにやや困惑しつつも、僕は素直に頷く。
「あの、体が濡れたままで少し気持ち悪いので、何か拭くものを貸してもらえたらと思いまして。それと、玄関部屋はベッドがないので、もし寝袋とかあれば貸していただけないものかと」
「む、それもそうだな。気が利かなくて申し訳ない。もちろん今すぐ渡そう」
軽く謝罪の言葉を口にすると、体の大きさを感じさせないような身のこなしでベッドから起き上がり、部屋の隅に置いてあった巨大なリュックを持ってくる。
今回の女王様の逃避行では、ほぼ全ての荷物がこのリュックの中に収められている。というより、他の人は身軽さ優先のため必要最低限のもの(剣とか刀とか、身を守るための武器)以外は持ってきていないのだ。当然城の警護をしている最中に、半ば連れ去られる形でついてきた僕もほとんど荷物は持っていない。
そんなわけで、現状トロルさんが持ってきたこのリュックの中にだけ、その他必要なあれこれが詰め込まれている。しかも、トロルさんが持つタイプなだけあって、人が五・六人は入れるほどの大きなリュックだから、かなりのものが収納されているようだ。
大して待つこともなく、リュックの中を漁っていたトロルさんは大きめのタオルと寝袋をそれぞれ二つ取り出してみせた。
「これで大丈夫か? もし他に欲しいものがあったら遠慮せずに言ってくれ」
「有り難うございます。今は他に必要なものはないので大丈夫です」
トロルさん、ごつい体に反して非常に紳士的だ。ホークさんみたいに高圧的な所もなく、純粋に僕のことを気遣ってくれているのが伝わってくる。寝袋を二つ用意してくれたことからも、ハジメさんの事も気にかけていることが分かる。あまり友好的ではない相手のことも気遣えるなんて、すごくできた人だ。
渡されたタオルで体や髪を拭きながら、ふと気になったことを聞いてみた。
「そういえば、さっきホークさんとウルフさんの部屋にもいったんですけど、二人とも服も髪も乾いてたんですよ。周りにタオルとか置いてなかったんですけど、二人も一度この部屋に来たんですか?」
「いや、来てないな。一度ピクシーが女王様の部屋にタオルは届けに行きはしたが――」
「あの二人の体が乾いてたのなら、それはホークの魔法が原因よ」
トロルさんの言葉を遮り、ピクシーが天井を飛び回りながら言った。
「ホークは風魔法の使い手なのよ。周囲にある風を使役して、鉄を切り裂けるくらい鋭くしたり、小さな竜巻を発生させたりだってできるわ。大方そうやって使役した風をドライヤー代わりにでもして、水を拭きとったんでしょ」
「はあ、魔法って便利ですね」
「何よその反応。普段の生活でだっていろんなところで使われてるじゃない。便利なのは分かりきってることでしょ」
「魔法っていうより魔法石の働きなら知ってますけど……。実際に魔法使う人ってほとんど見たことないですし、あまりよく知らないというか」
この世界において、魔法は決して珍しいものじゃない。しかし、魔法を使用できる人は一部の種族か、魔法を習う余裕がある上流階級の人たちだけ。僕のような平民生まれで、魔法とはあまり縁のない種族は、そうそう魔法をお目にかける機会なんてない。だから魔法の仕組みとかもよくは知らない。あれば便利だろうけど、なくても特に困らないもの、程度の認識でしかなかったりする。
でも、上流階級であり、かつ、魔法を常用するピクシーさんは僕の答えがお気に召さなかったらしい。眉を吊り上げて、不服そうな声で言った。
「魔法石なんて魔法の媒体物でしかないでしょ。いい、私達の周りには目には見えなくとも魔法の元となる――」
「その辺にしておけ」
僕が困っているのを敏感に察知したのか、トロルさんが制止の声を投げかけた。
「魔法について理解させるとなると、どんなに早くても半日はかかるだろう。彼だって疲れてて今は休みたいはずだし、その話は今度余裕のある時でいいんじゃないのか」
「次の機会なんてのが、こいつとあるとは思えないけどね」
フン、と怒ったようにそう言うと、ピクシーさんはベッドの上に戻っていった。
何とか面倒な講義を避けられたらしく、ホッと胸を撫で下ろす。勉強なんて幼少期からほとんどやってこなかったし、今から新しいことを学ぶつもりもない。多少の剣の腕と実直さがあれば、どんなところでもそれなりに楽しく生活できるものだ。まあ、できるだけ退屈しない環境下に身を置きたいものだけど。
「すまないな。あいつは昔からプライドが異様に高くて、自分の知ってることを他人が知らないとすぐに怒るんだ。しかも止めようとするとすぐに拗ねる。早く大人の余裕をもって欲しいと思ってるよ」
彼女のわがままさに呆れつつも、友人としてそれを微笑ましくも思っている口ぶり。
残念なことに僕にはそんな友人が一人もいないため、羨ましいというより恨めしいといった感情が込み上げてしまう――自分ながら情けないことだけど。
僕は最後に軽く礼を告げると、彼らの部屋を辞してハジメさんの待つ玄関部屋へと戻っていった。