2:十字館
館の中に入ったのも束の間、疲れ切った僕らを叱咤するように、
「取り敢えず一度、館の中を確認するぞ」
羽を震わせて水滴を乾かしながら、ホークさんが言った。
その言葉を聞き、僕たちは改めて気を引き締め、各部屋の中を探っていく。
女王様が隠れ家として選んだこの館――通称『十字館』はその名の通り十字型の建物である。かつて大魔導士マーリンによって建てられたとされるこの館は、特殊な防御魔法がかけられており、外に通じる唯一の扉に鍵をかけてしまうと外からの侵入は絶対に不可能となる。そのため、女王一行は逃亡先として十字館を選んだのだ。
入ってすぐの玄関部屋は、玄関扉の真反対にもう一枚扉があるほか、床には真紅の絨毯が敷かれ、天井には煌々と光り輝く魔法石が取り付けられ部屋を照らしていた。だが、それ以外には一切物がなく、どこか物寂しい空虚な雰囲気を醸し出している。天井の高さはトロルさんが立っている状態よりも少し高いので大体三メートルちょっと。この世界ではまあ標準的な高さと言えるだろう。
次に、玄関扉と反対側の扉を進むと、正方形の簡素なリビングが現れた。部屋の中央には巨大な木製の丸テーブルが一つ。それを囲うようにやはり木製の椅子が五つ置かれている。先の部屋とは違い、床には真っ白でシミ一つない絨毯が敷かれてこそいるものの、他には一切物がない侘しい空間。四方の壁にはすべて一枚ずつ扉がついており、一同は手分けして残りの三部屋を調べていく。
三部屋は全て同じ長方形の部屋であり、どの部屋にも二台のベッドが置かれているだけ。ただ、各部屋ごとに敷かれた絨毯の色はどれも違っていた。玄関側の扉から見て左手の部屋は青色。正面の部屋は黄色。右手の部屋は紫色……。
念のため絨毯の下を確認するも、特に何も見当たらなかった。
約十分後、誰も館の中にはいないことが確認できると、各々持っていた荷物を下ろし、リビングへと集まった。
僕も着込んでいた鎧を脱ぎ去り、綿でできたシャツ一枚の姿になる。
「まずは一安心、といったところか」
いまだに羽から水をたらしたホークさんが呟く。
その言葉に賛同するように、ウルフさんも鼻をひくひくさせながら頷いた。
「そうだな。この館にはここにいる俺たち以外の匂いはしないし、まず誰かが潜んでるってことはないだろ。何とか女王様を守りきれた、って考えてもよさそうだ」
部屋中をホッとした空気が流れる。
今の今まで、一瞬たりとも気を抜くことができず、懸命に走り続けてきた。その苦労からようやく解き放たれて、皆嬉しそうな表情を押し隠せないでいる。
すると、雨でずぶ濡れになった今でも変わらずの気品を漂わせた女王様が、厳かに頭を下げた。
「皆さま、本当にここまで有り難うございました。宰相の反乱により、本来なら処刑されるはずだった私を見捨てずに王都からの脱出を手伝っていただけたこと、一生忘れません。もし私が再び女王の地位に戻ることができたとしたら、その時は――」
「ちょっと、固いわよクイーン。私達の間柄でそんな堅苦しい言葉はいらないでしょ。生まれたときからずっと一緒にいるんだから。我ら生まれた日は違えども、死す時は同じ日同じ時を願わん、ってね」
少しでも雰囲気を明るくしようとしてか、ピクシーさんがおどけた調子で答えた。
それを聞きクイーンの顔にやんわりと笑みが浮かぶ。だが、すぐに表情を引き締め、黒衣の着物をまとった侍へと顔を向けた。
「ハジメ様、この度は本当に有難うございました。宰相が反乱を企てていることをお教えいただいた上に、時期が落ち着くまで匿ってもらえるとは」
「礼を言うのはまだ早い。確かにこの館までは無事逃げおおせたが、まだワノ国にたどり着いたわけではない。急ぎ転移魔法陣を作成し、ワノ国へ移動してもらおう」
侍の高圧的な態度に、この場のほぼ全員が険悪な視線を投げかける。
それもそのはず、今ここにいる中では、僕と侍以外の全員が女王様直属の護衛にして、生まれたころからの友人である。宰相の反乱を告げ、亡命先として自国を提供してくれたとはいえ、一介の兵士にしか過ぎない彼が、女王様に対して一切の気遣いを見せないことに不満があるのだろう。
ちなみに僕は、城内の見回りをしている最中に女王一行が城から逃げるところをたまたま目撃し、成り行きで護衛の一人として連れてこられた部外者である。
突如険悪な雰囲気が流れ始め、おろおろと皆の顔を見回していると、無感情なエルフさんの声がその睨み合いを断ち切った。
「皆さん、ここで仲間割れを起こすのは女王様のためにならないでしょう。ここは一度落ち着くべきかと思います。それからハジメ様。転移魔法陣の作成はすぐにでも始めたいと思いますが、少々時間がかかってしまいます。今この場で転移魔法陣の作成を行えるのは、私とピクシー、それに女王様の三人。三人で力を合わせたとしても、休憩する時間も含めておよそ三日はかかるでしょう。それはご了承ください」
「なら急ぎ行え。魔法陣が完成するまでは、誰か外からやってこないよう扉を見張っておく」
「鍵をかけてる限り、外から侵入するなんて不可能だから――ってあいつもう行きやがった」
皮肉気に答えるウルフさんの言葉を無視し、ハジメさんは玄関部屋へと引っ込んでいった。
その態度にため息を漏らしつつ、ウルフさんも空き部屋に向かい始めた。
「俺たちもいったん部屋に入って休みましょうか。こんだけ疲れてちゃ大した話もできないだろうし。各部屋ベッドが二つずつありましたし、俺とホークで左の部屋を。女王様とエルフで正面の部屋を。トロルとピクシーで右の部屋を使いましょう。……あっと、悪いけどお前は侍を見張っててもらえないか。ないとは思うが、外から敵を引き入れる危険があるしよ」
「了解しました」
体よく部外者二人をまとめられた気がするが、特に反論はない。今この中で信頼を置けない相手がいるとしたら僕とハジメさんの二人だろうし、彼らの気持ちも分からなくはないからだ。それに、僕も女王様の護衛を任されるようなエリート中のエリートと同じ部屋で過ごすのは気が重い。大人しく、ハジメさんと一緒に雑魚寝しているのがちょうどいいだろう。
僕が頷いたのを確認すると、皆それぞれ部屋の中に入って行った。
残されたのは、僕とエルフさんの二人だけ。
挨拶した方がいいのか迷い、ちらちらと視線を向ける。
女王様の世話役を務めるエルフさん――本名エルフ・トールキン――はダークエルフである。体の色が褐色で、尖った耳と金色の瞳が特徴的。クールで理知的な雰囲気をまとっていて、一見近寄りがたそうに見える。
僕以外の全員が部屋に入ったのを確認すると、エルフさんはほっと息を吐いた。そして、先程までの冷たい表情から一転、穏やかな笑みを浮かべて僕に頭を下げてきた。
「申し訳ありません。この度は全く無関係なあなたを巻き込んでしまい。アントワールの気紛れにも困ってしまいますね。いくら王都からの脱出を見られたからといって、まさか連れていくと言い出すとは」
仮にも女王様の従者である彼女が、呼び捨てで女王様の名前を呼んだことに少し驚きつつ僕は全力で首を横に振った。
「いやいや、そんなことはありませんよ! 女王様の状況からしたら、本来逃亡を見られた時点で口封じに殺してた場面だと思いますし! 見逃してくれた上に、女王様の護衛なんて大役まで付かせてくれたのですから、文句なんて全くありません」
「しかし、お母さまやお姉さま、ご友人の方々と引き離すことになってしまいましたし……」
「大丈夫です! 僕は友人が少ないですし、家族とも仲が悪いわけではないですけど基本放任されてますから!」
「そ、そうですか……」
どこか憐れんだような視線を投げかけられているのが気になるが、僕に対する気遣いは減ったようだから良しとしよう。
「それにしても、本当に宰相が反乱を? 末端の兵士だった僕なんかはそこら辺の情報はさっぱり知らされていないのですが」
「そうなのですか? 兵の間でもそろそろ何かが起きるのではないかと噂になっていると聞いていましたが。あ、ご友人が少なかったからそういった噂には縁がなかったのですね」
「お、おそらくそういう事ですね……」
自分で友人が少ないという分には抵抗を感じないのに、他人から言われると無性に空しく感じるのはなぜだろう……。というかエルフさん、ずいぶんと容赦ないな。最後の一言はわざわざ口に出して言う必要なかったと思うんだけど。
「しかしここまで無事にたどり着くことができたのは幸いでした。どれだけ凄腕の魔導士や強力な兵器を用意しようとも、この十字館を破壊することはできませんからね。私達が十字館に逃げ込んだことを知れば、宰相もすぐに女王様を捕まえることは諦めて、別の手に移行するでしょう」
「それなんですけど、本当にどんな手を使っても壊すことはできないんですか? あまり魔法について詳しくないので、そんな絶対破れない防御魔法があるのかって疑問なんですけど」
エルフさんは頬に指をあて、悩まし気に顔をしかめた。どうでもいいけど、その悩ましげな表情も、かなり様になっていて美しかった。やはり女王様の付き人ともなると、品格や美貌も並外れた人がつくものなのだなと、無意味に感心した。
「確かに、絶対破れないという表現は少し間違っているかもしれませんね。現状、どんな魔法や兵器を用いても傷一つつけることができなかった特殊な魔法がかけられている、というのが正確でしょう。いまだにマーリン様が使ったとされる魔法には再現できていない不可思議なものがあり、この館にかけられた魔法もその一つです。宰相がこれを打ち破る方法を持っているとは到底思えませんので、ご安心ください」
「じゃあ本当に後は、転移魔法を用いてハジメさんが仕えてる国まで逃げれば解決なんですね」
「はい。ですからここまで護衛してくださった皆様には感謝の念しかありません。もちろん、あなたにも」
心を奪われてしまいそうな蠱惑的な笑みを向けられ、僕は顔を真っ赤にして被りを振る。そんな僕の態度を微笑んで見ていたエルフさんだが、不意に真面目な表情へと戻り、真剣な声音で質問してきた。
「ただ、あなたに関しましてはこの先どうするか、できるだけ早く決めてもらいたいと思っています。女王様の護衛である彼らは、当然逃亡先の国にもついていき、その後も護衛の任務を続けるつもりでいます。しかし、あなただけは違う。彼らのように護衛の責務を負っているわけでもなく、ただ成り行きでここまで連れてこられた人物。このまま他国へ亡命する道を選ばずとも、城に戻れば以前と変わらぬ日々を過ごせるはずです――さぼりの罰は受けるかもしれませんが。少なくとも魔法陣が完成する三日目までには、今後どうするのか。答えを決めておいてください」
「この先、ですか……」
正直、かなり行き当たりばったりで女王様についてきてしまった手前、あまり先のことは考えていなかった。このまま女王様についていったとして、取り立てて特技もないただの兵士が重要な役職を任せられるとも思えない。かといって、女王様の逃亡幇助に手を貸し、本来の任務をすっぽかしているのでこのままおめおめと帰るのも危険な気がする。
どっちを選んでもあまり幸福な展開にならないことに気づき、改めて軽いショックを受けていると、再び笑みを浮かべたエルフさんが穏やかな声で言ってきた。
「まあ、そこまで焦って考える必要はありませんよ。考える時間はまだありますし、それでも決まらないとなれば、女王様の護衛として雇うことも検討します。亡命先でそうそうひどい扱いを受けることはないでしょうが、信頼できる仲間は一人でもいたほうが心強いですからね」
「あ、有り難うございます」
ほんの少しの時間を共にしただけなので、本気で信頼できる仲間だと思ってくれているわけではないだろう。とはいえ、言葉だけでも信頼していると言われるとついつい嬉しくなってしまう。
気恥ずかしくなった僕は、頬を赤く染めながら頭をかいた。
「それでは、私もそろそろ部屋に戻りたいと思います。アントワールを一人にしておくのも少し心配ですし。では、兵士さんもゆっくりとお休みくださいね」
エルフさんは頭を下げると、静々と女王様の待つ部屋に入って行った。
今度こそ、リビングに一人だけとなる。
「兵士さん、か」
今更ながら、自分の名前を皆に知らせてないことに気づき、女王様一行との隔壁を再確認した。やはり、信頼などと言ってくれていても、本心から僕のことを仲間だと思っているわけではなさそうだ。まあ身分に差がありすぎるわけだし、こうして対等に喋ってくれただけでも泣いて感謝すべきなのかもしれない。しないけど。
「さて、僕も戻るか」
すでに誰もいなくなったリビングに残っていても意味はない。そこまで気は進まないけど、ハジメさんが待っている玄関部屋に戻ろう。
絨毯が敷いてあるため足音がほとんどしない部屋の中を進み、玄関部屋へと通じる扉を開ける。
部屋の中には、外へと通じる扉に寄り掛かっているハジメさんの姿があった。雨に濡れてぺっしゃんこになっていた髪が乾いて、ハリネズミのようにツンツンとした髪型に戻りつつある。黒い着物は今も乾いておらず、ぴっしりと体に張り付き妙に重そうに見えた。しかし本人は全く気にしていないらしく、狐のように細まった目を天井の魔法石に向けている。
もしかしたら館の外に出てるんじゃないかなんて思ってたけど、どうやら杞憂だったらしい。まさに門番といった様子で、扉の前に陣取っている。位置的には、館内の人が外に出て行くのを見張っている方の門番に見えるけど。
「どうも……」
取り敢えず一声かけておく。身分的には女王様一行と違い、僕とハジメさんの間にはそこまでの差はないはずだが、そんな気軽に話しかけられる雰囲気ではない。
近くに寄るのも躊躇われ、リビング側の扉横に腰かける。
「ずいぶんと長い間リビングにいたんだな。俺と同じ部屋へ行くようすぐ追い出されるだろうと思っていたが」
腰を下ろした途端、意外なことにハジメさんが話しかけてきた。
僕はやや焦りつつ、ぶんぶんと首を縦に振った。
「は、はい。ウルフさんにハジメさんと同じ部屋で過ごすよう言われたんですけど、その後エルフさんに話しかけられまして。ちょっと話し込んでました」
「ほう、エルフの女と話を……」
切れ長の糸目をさらに細め、興味深そうに笑みを浮かべる。
ゾクリと、背筋に震えが走るような冷たい笑み。
危害を加えられるわけではないと分かっているが、つい恐怖を感じてさらに距離を取ろうと壁に体を張り付ける。
ハジメさんはしばらく笑みを浮かべて何かを思案したかと思うと、
「お前、他の奴らとも話してこい」
などと無茶ぶりをふかっけてきた。
唖然として言葉を紡げないでいる中、ハジメさんは勝手に話を進めていく。
「女王とは話に行く必要はない。行けば会話ぐらいしてもらえるかもしれないが、身分差がありすぎる。どうせまともに会話なんてできないだろう。だが、他の護衛達なら問題ないだろ。別に話す内容は何でも構わない。お前が聞きたいと思ったことを二、三点聞いてくればそれでいい。どうせ三日間やることもなく暇なんだ。挨拶周りだと思っていけばいい」
「ちょっと待ってください! 何で僕がそんなことをする必要があるんですか。挨拶回りと言ったって、別に今日じゃなくてもいいでしょう。皆さん疲れてるはずですし、わざわざ――」
僕が反論していると、ハジメさんの口から笑みが消え、脇に差してある刀へと手を伸ばし始めた。
直接彼が戦っているところを見たことはないが、立ち振る舞いからでも僕より強いということは伝わってくる。それと、人を斬ることに躊躇いを持っていないであろう冷酷さも。
そんなわけで、泣く泣く反論を諦め、僕は彼の言いつけ通り女王様の護衛達の元へと足を進めることとなった。