13:悪夢
それからの二日間は、特に何事もなく過ぎていった。
あの後、「ホークさんから動くなとくぎを刺された」とハジメさんに告げると、「そうか」と呟いただけで、それ以上何も言ってこなかった。どうやら諜報活動させることは諦めてくれたらしい。
そのため、僕もハジメさんもほとんど会話することもなく、ただただ転移魔法陣が完成するのを部屋で待ち続けていた。
待っている間、ウルフさんが一度だけ部屋にやってきて、玄関部屋から移動するように告げてきた。今更ではあるが、外と通じる唯一の扉を僕たちに任せるのが怖くなったらしい。最終日まで自分が見張るから、僕たちにはトロルさんがいた部屋へ行けと命令してきた。
もしかしたらハジメさんが逆らうかもと思っていたが、あっさりと了承。僕も特に異論はなかったから、すぐに部屋の交換が行われた。
それ以外は本当に何もなし。ピクシーが転送魔法陣完成までの時間をたまに知らせに来る以外は誰も尋ねてすら来ない。当然僕たちから部屋の外に出ることも無し。まして誰かが死ぬなんてこともなく、無事に二日間が過ぎた。
そして、来たる二日後の夜、ピクシーがついに「魔法陣完成まであと一時間宣言」をしにやってきた。毒を心配してほとんど何も食べていなかったため、かなりへばっていた僕はそこまで大した反応はせずにただ頷き返す。ハジメさんは黙したままノーリアクション。
そんな僕たちの様子を見て拗ねた様子のピクシーは、「完成したらまた呼びに来るわ」と言って去っていった。
ついにこの館から出ることができる。そのことにほっとしたのか、僕はうつらうつらと半分夢の世界に入ってしまった。
そんな僕を起こしたのは、不意に聞こえた扉の閉まる音。慌てて飛び起き周りを見回すも、ハジメさんの姿がない。もしかして置いていかれたのかと不安に思い、急いで扉を開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「あら兵士さんお早うございます。ちょうどいいタイミングでいらっしゃいましたね」
この館に来てから始めて見る女王様の満面の笑み。普段の僕ならその笑顔に見惚れていただろうが、今はただただ恐怖しか感じない。彼女の足元には全身をバラバラに切り刻まれたホークさんの死体があり、その返り血を浴びたからか女王様のドレスは真っ赤に染まっている。加えて彼女の手には、今も血が滴っている銀色のナイフが握られていた。
そんな異様な光景を、まるで驚いた様子もなく眺めているピクシーとハジメさん。
何が起こっているのかさっぱり分からない僕は、三人の顔を交互に見つめながら、必死に言葉を絞り出した。
「これは、一体、どういう状況なんですか……」
「見たまんまだよ」
僕の問いかけに、口を綻ばせながらハジメさんが首肯する。
「見たまんま。女王がホークを殺し、俺とピクシーがそれを非難することもなく眺めている」
「つまり、今までエルフさんやトロルさんを殺したのはあなた達三人の仕業だったと」
「いや、俺は関与していない。実際に二人を殺したのは、女王だよ。正確には、エルフと言ったほうがいいかもしれないがな」
「エルフ……」
呆然とそう呟き返すと、女王様はナイフを手放し、両手を顔の前に持ってきた。
パタッ、とナイフが床に落ちる音同時に、女王様の両手が顔から離れる。そして、先程までの美麗な白い肌とは対照な、褐色の肌と長い耳、そして怜悧な雰囲気をまとったエルフの顔が現れた。
言葉も無く立ち尽くす僕を横目に、ハジメさんたちが何やら会話を始める。どうやら僕に真実を話すかどうか決めているらしい。結論が出たのか、ハジメさんが一歩前に出て話し始めた。
「このまま放置してもいいんだが、流石にそれは哀れだからな。この館で何が起こっていたのか、その真相を話してやる」
語り始めたハジメさんの後ろで、ピクシーが呆れた表情を、女王様――もといエルフさんが冷たい笑みを浮かべている。
取り敢えず、彼の話が終わるまでは死ぬことはなさそうだ。
「まず言っておくこととしては、今回の事件はエルフとピクシーの二人が計画したもので、俺は全く関与していないこと。俺が二人の企みに気づいたのは、トロルの死体を見てしばらくしてから。それまではてっきり、ワノ国に女王を連れていきたくない護衛どもの誰かが、仲間を犠牲にして俺に対する悪印象を持たせ、女王をワノ国へ連れていくのに反抗しているのだと考えていた。それにエルフが死ぬ前から護衛どもは俺を快く思っていなかったからな、最初から何か仕掛けてくるんじゃないかと危惧はしていたんだ」
「ああ。だから僕に偵察まがいのことをさせたんですか」
僕というイレギュラーはハジメさんにとって都合が良かったのだ。立場が曖昧で、状況をいまいちよく理解できていないから誰かに話を聞きに行くことが不自然ではない。そうして僕が皆の場所を不定期に訪れることで、ハジメさんを陥れる話し合いや行動を取りにくくさせられる。
いつ突然訪れてくるか分からない邪魔者がいる中では、そうそう密談なんてできないだろうから。
「結果から言わせてもらえば杞憂だったわけだが、トロルの死体が出てくるまでは内心かなり恐れてたよ。もしエルフの死が俺を陥れる罠だったとしたら、それが失敗した今次はどんな手を打ってくるのか。特に魔法というのは俺にとって未知数だったからな。ホークやピクシーの魔法を利用した策を取られたら、俺では対処のしようがないと思っていた」
「ふふふ。ハジメさんが内心では焦っているだろうことは予想がついいていましたからね。その杞憂を取り除いてあげるために、私達は第二の被害者としてトロルさんを選んだのですよ」
笑顔ではあるものの、その目は鈍くどす黒い色に染まっている。彼女の目にはいま世界がどんな風に見えているのだろう。無機質で、無感動な記号の塊で埋め尽くされているのではないか。
姿かたちこそ初日に見たエルフさんと同じだが、その存在は全く別の誰かにすり替わっているように感じられた。
「兵士さんがハジメさんにも殺害のチャンスがあると言った時は多少ドキリとしましたが、そんなに心配する必要はありませんでしたね。あれはハジメさんに、私達が敵でないことをアピールするために行ったもの。その意志自体はちゃんと伝わってくれましたから」
「まあ、八割がた俺が犯人という雰囲気の中で、わざわざ俺では難しい殺人を行ってくれたんだ。この時点で二人を殺した犯人がこちらと敵対するつもりがないことくらい予想がつく。とはいえ、その後にピクシーが渡してきた計画書はもっと早く見せて欲しかったがな。そうすれば無用な疑いをせず手伝うことだってできたのだが」
「あれはあのタイミングがベストだったんですよ。誰も死んだりする前や、エルフ――いえ、アントワールが死んだ直後では、あなたを嵌める策だと勘違いされる恐れがあったものですから。トロルが死に、あなたの犯人への警戒が緩まった瞬間が狙いめだったんです」
「それもそうか。加えてウルフとホークの殺害も俺の力は必要なかったわけで、そもそも計画書を俺に見せる必要すらなかったようだしな」
「いえ、ウルフはともかくホークを無傷で殺せたのは嬉しい誤算でした。正直彼なら真相に気づくまで行かなくとも、私のことを怪しんでそう簡単に隙を見せてくれないと思ってましたから。もし戦うことになったらハジメさんの力は絶対に必要でしたし、あなたを仲間に引き込んでおくことは必須事項だったんです。それに、ワノ国についてから私の正体を知っている仲間が一人は欲しかったので」
「ふん。女王が死んだ以上、その代わりはどうしても必要だからな。お前がそれをやってくれるというなら、俺としては断る理由などない」
「ふふふ、一蓮托生というやつですね」
ほとんど僕を蚊帳の外に置き、二人で楽しそうに談笑し始める。彼らには仲間を殺すことへの罪悪感が一切ないのか。まさに悪い夢を見ているような心地である。
一刻も早くこの悪夢を終わらせたくて、僕は思いつく限りの疑問を一気に吐き出した。
「それで、どうして皆を――女王様まで殺したんですか? 仲間、だったはずですよね?
だいたい何で女王様とエルフさんが入れ替わってるんですか? ウルフさんは確かに、死んだのはエルフさんだって言ってましたよ。
それにどうやって皆を殺害したんですか? 隙をついてホークさんを殺したと言っても、ナイフなんか持ってたらいくら女王様相手でもホークさんだって警戒したはずです」
僕の言葉を聞くと、エルフさんは先程床に落としたナイフを拾い、もう一方の手をナイフの上に被さるように置いて見せた。そして数秒と待つことなく覆っていた手をナイフから離す。
すると、先程まで血が滴っていた銀色のナイフは、何の変哲もないただのリボンへと変わっていた。
そのリボンを満足そうに眺めながら、エルフさんは言う。
「あなたも知っての通り私は変身魔法が使えるの。だから人を容易に突き殺せる鋭いナイフを、鋭さのかけらもないリボンに見せかけることだってできる。確かにナイフを手に持っていれば相手が誰でも警戒するでしょうけど、リボンやハンカチを持っている人を警戒したりはしないでしょう? ましてそれが親しい相手なら。
だからどうやって殺したかの答えはこの通り。相手が絶対に油断する姿で近づき、一見凶器に見えないものを用いて刺し殺す。アントワールの場合は絞め殺す、だったけれどね。因みに使った凶器はピクシーの影の中に捨てたわ。あそこならウルフの鼻も利かないもの。後トロルを毒殺した方法も似たような感じよ。こっそり用意していた毒入りのビスケットを乾パンに変化させたうえで、リュックから取り出したように見せかけて渡したの。トロルの奴ほとんど疑いもせずにあっさりと食べたみたいね。彼はアントワールを妄信してたから、当たり前の結果だけど。
それから、私がアントワールと入れ替わっていることにウルフが気付かなかった理由だけど、城を脱出するときから皆に内緒で入れ替わってたのよ。追手は当然女王を狙うんだから、万が一に備えて入れ替わっていたほうがいいと提案したのよ。アントワールは私のことを信じてたからね、あっさりと指示に従ってくれたわ。
そうそう、だからあなたがこの館で喋ったエルフは女王様だったのよ。随分と光栄な話じゃない? 一国の女王と最後に話した人物になれたんだから。
動機は勿論私が女王になるためよ。ワノ国に行けば自由は制限されるでしょうけど、女王を無下に扱うはずがない。おそらく宰相から国を分捕った後はワノ国の傀儡として利用されるだろうけど構わない。その間は、誰もが羨み尊敬する女王の立場を存分に堪能できるんだから。
どう、これで満足してくれたかしら? 全ての疑問が解消された?」
僕は黙って頷いた。女王様が犯人だったとするなら、実際護衛の皆を殺すのは容易かったはずだ。にも関わらずそう考えなかったのは、女王様にその理由がなかったから。でも、エルフさんと入れ替わっていたのだとしたら、全て不思議ではなくなってしまう。方法も、動機も、全て揃っていたのだから。
今までのことを反芻するように天井を見上げながら、ハジメさんが独り言ちる。
「要するに、今回の事件は動機から考えていけばよかったわけだ。一見誰にも動機は無いように見えたが、女王の従者が女王になりたいと考えるのはさして不自然な話じゃない。まして変身して入れ替わる能力まで持っていたんだ。これだけ条件が揃っているなら、もっと早い段階で犯人に気づけても良かったな。それに女王に成り代わるなら、女王を信奉してる仲間を殺すのも頷ける。ばれたら確実に殺されるだろうからな。さて――」
話は済んだとばかりに、ハジメさんはホークさんの死体を蹴っ飛ばしながら、完成した転移魔法陣の中央に移動する。それに追従するようにして、ピクシーとエルフさんも魔法陣の中央へと歩いていく。
僕を除いた生存者全員が中央に集まると、エルフさんが何やら呪文を唱えだす。おそらく転移するための最後の仕掛け何だろう。
今更彼らについていこうなんて思えないし、止めようだなんて無謀なことも考えない。代わりに、今までずっと黙ってエルフの隣を飛んでいたピクシーに声をかけた。
「ピクシーさん、いつもあんなに喧しいのにずっと黙ってたのはどうして? それから僕のことは殺さなくていいの? いろいろ知っちゃいけないことを知った気がするんだけど」
煩わしそうに首を振るも、彼女はご丁寧に答えてくれる。
「真実を知るものが私たち以外にも一人いてくれた方が都合がいい。そう結論付けられたからあんたは見逃すの。ただし、私の影をあんたに付けておいたわ。もし私たちの許可なく外で話そうとしたら、その瞬間に首を絞めて殺すから覚悟しておきなさい」
「へえ。今すぐは殺さないんだ。ここで僕を殺さないと後々泣いて感謝することになると思うけど、いいの?」
「泣いて感謝するようなことをしてくれるのなら大歓迎よ。まあ、そんな機会があるとは思えないけど」
この場でできる精一杯の笑顔を浮かべながら、僕は肯定する。
「きっとあるよ」
「そう。じゃあ期待してるわ」
ピクシーさんも馬鹿にした口調ながらも、笑顔を見せる。
と、次の瞬間、魔法陣から七色に輝く光が放たれ、三人の姿が一瞬にして消失した。
ワノ国へ転移したらしい。
僕は一人だけになった館の中で、さてどうしようと頭をひねる。
しばらく何も思いつかずに立ち尽くしていると、ガチャリと扉が開く音がすると同時に複数の足音が聞こえてきた。