解決しない探偵達の事件5
「また何か書かれてるんですか、先生」
クインがほとほと呆れたというように言った。
春の暖かい午後。
太陽はそろそろ西側に傾いで、風が出てくる時間帯だ。
クインはいつものように、アーサー・クリスティの屋敷に赴くと、彼女の前の椅子に腰かけていた。
この変人の様子を見守るのも、警察にあてがわれた仕事だった。
クリスはクインの発言を気にも留めず、羽ペンにさかんにインクをつけて、次々に何やら書き継いでいく。
まるで何かに操られているかのように、鬼気迫る様子だった。
クインはため息をついた。
屋敷の窓は閉め切られ、より一層書籍の埃臭い。
とても年頃の少女の部屋とは思えないが、今は強く注意する気概もなかった。
クインは背を椅子にあずけ、目を閉じる。
ここ数日の疲れがすぐに押し寄せてきた。
さらさらとペンを動かしていたクリスだが、そんな彼の様子が目を引いたらしい。
ぱっと顔をあげると、いぶかしげにクインを眺めた。
「どうしたの?なんだか、元気がないようだけど」
「分かりますか?」
「そりゃあ、これだけ毎日会っていればね。」
「こちらは毎日会いたくないんですがね。」
クインは苦笑ぎみに顔をひきずらせたが、しかしその気勢も長くは続かなかった。
再びため息をつくクインに、クリスの表情も歪む。
「ねえ、いったいどうしたっていうの?」
「どうした、ですか。ホント、どうしたんだが……」
いらいらしたように、ふさふさした気をかきむしっるクイン。
クリスはちょっとびっくりしたようだった。
「あなたがそんな風なの、初めてみたわ、わたし。」
「そりゃ、はじめてのことなんでね。」
「何があったの?」
真剣な表情。
ここまで露骨に心配されれば、いくら変人相手といえども、口をつぐんでいるわけにもいかない。
それに、誰かに打ち明けた方が、気持ちも軽くなるというものだ。
情報を漏らされる心配がないという意味では、友人のいない彼女は格好の相手だった。
クインはそれでも多少躊躇した様子を見せた。
クリスはそれに彼女なりの笑顔で応える。
「ほら、言ってみてよ。なにか分かるかもしれないんだから。」
空想物語を書きふけるような少女になにが分かるわけでもないだろうが……。
クインは話し始めた。
*・*・*
そもそもは、二日前のことに遡る。
「<探偵委員会>について、聞いたことは?」
「馬鹿にしないで。それくらい、わたしだって知ってるわよ。有名だもの」
心外だといわんばかりにクリスが頬を膨らませる。
「警察の、上部組織でしょ」
「警察権を、唯一疎外する権利を持った、超人集団ですよ。」
彼は<委員会>が絡んだ最近の事情を説明し始めた。
曰く、ここ一年、<委員会>が所轄署レベルにまで介入してくることが多くなってきたこと。
そのせいで、自分が出来る仕事の範囲が非常に狭まっていること。
おまけに、事件を解決してくれるならまだしも、手を出しただけだして、後は放置していること。
「どうにも、それが不可解でしてね。」
クインは「ふん」と鼻を鳴らす。
「我々がコケにされるのはいい。どうせ田舎者には分からない、高度な技術をお持ちなんだろうから。問題は、それを<委員会>の連中が、どう考えても活かしてない状況ですよ。」
「どうしてそう言えるの?ものすごく必死で考えてるけど、<委員会>にも解けない謎なのかもしれないじゃない。」
「それはない」
クインは首を左右に振った。
「どうして?」
クリスは首をちょこんと傾げる。
クインは肩をすくめると。
「なぜって、取り上げられた事件はどれも、私達の方で、すでに目途がついていたヤマだからですよ。」
「ヤマ?」
「隠語というやつです。」
理解の遅さにいらいらしたようにクインは言った。
ふんふんとクリスは頷く。
「あなた達でも解決できるレベルの謎だったのね?」
「そうです。使われた<魔法>の種類まで、特定済みだった。ところが」
クインは困惑の表情を浮かべる。
「どういうわけか、<委員会>はそんな簡単な事件を取り上げて、しかも1年以上放置している。下部組織であるこちらとしては、あっちが実権を握っている以上、どうしようもない。だからイライラしているんですよ。」
「なるほど~~」
分かっているのかいないのか。
恐らく分かっていないのだろうが、クリスはかわいらしく腕を組んだ。
考えているらしい。
少々興味深く見守っていると、その澄んだ目を開いて、彼女は推論を述べた。
「単に、仕事してる感を出したかっただけなんじゃないの?なんていうのかしら……そう、汚職?」
汚職とは違うだろうが、まあ、勤務実体を偽造するという意味では、あながち間違ってはいない。
クインは残念そうに肩をすぼめた。
「それくらい分かりやすい理由だったら、まだよかったんですがね。」
「違うの?」
「私もさすがに我慢が出来なくなったんで、直接中央にかけあって、自分の部下を一人、調査に寄越したんです。優秀な奴で、何か掴んできてくれると思ったんですが……」
「汚職の証拠を取ろうとしたわけね。」
「正確に言えば、なぜ、<委員会>は謎を『解決しようとしないのか』、その疑問の答えですがね。理由だけなら、色々考えられた。なにしろ、ほとんどの情報が隠された、ブラックな組織ですから。しかし……」
クインは二日前のことを思い出す。
中央から帰ってきたツィに、クインはさっそく戦況を聞き質した。
ツィはいつもと違う、どこかぼんやりした表情で、それに応じる。
「なんて答えたと思いますか?」
「そうねえ……少なくとも、あなたの期待に違うものだったみたい。」
「その通りですよ。」
なぜ、<委員会>は、事件を『解決しないのか』。
ツィは答えた。
曰く、「『真の解決』を見出すためだと」
「どういうことです!?『真の解決』とは?いったい何が言いたんです!?」
困惑と怒りがないまぜになった心で、クインは続ける。
「ツィは我々が事件に与えた仮説も話したらしい。しかし、<委員会>はそれを一笑に付した。それで、『真の解決』を見出すためときた。いったいどういうつもりだ!!」
クリスはクインの怒りにあてられ、少々戸惑ったようだった。
「ええと……そうね。確かに少し変だけれど」
「少しどころじゃありませんよ。」
再び諦めの色を帯びた視線をクリスに寄越す。
しかし今度は、より深い諦念に駆られてのことだった。
「おまけに、ツィの様子も変だった。いつもはしっかりとした奴なんですが、どこか夢見がちな、ぼんやりした感じで。どうにも信用ならない。わたしは、<委員会>の連中が、何かしたのかと思いましたが……」
クインは「ふう」と息を吐いた。
「<服従魔法>にかけられた様子もない。事実、ツィは<委員会>の構成メンバーまで話してくれました。かなり眉唾ものですが、その中には人間もいたらしい。」
自分と同じ人間が<委員会>にいると聞いて、クリスは驚いた。
「まあ!!ホントに?」
「そうです。……強力な<魔力>の持ち主であることが、<委員会>に入る条件のはずなんだが」
「ええい!!」とクインは羽毛をかきむしるようにして。
「そんなことはどうでもいい!!奴らは、いったい何を言いたいのか?『真の解決』とは!!まるで答えになっていないじゃありまんか。!!」
クインの困惑は深かった。
信頼していた部下の様子がおかしい。
おまけにまともな答えが何一つ返ってこない。
なぜ<委員会>は動かない?
こんな調子で、永遠と奴らの気まぐれに振り回されるだけなのか?
責任ある立場のウルフとして、見過ごせない事態だった。
クインは途方に暮れたように、目の前のクリスを眺めた。
彼女は、再び考えこんでいた。
余り知性がありそうにもないが、とにかく、羽ペンを横におき、思考をめぐらせている。
黙っていれば、その恵まれた容姿とあいまって、どこか尋常でない雰囲気を醸し出していた。
しばらく経っただろうか。
やがて目を見開いたクリスは、どこか満足気な表情を浮かべていた。
何故か自身が書き散らしていた原稿を盛んに眺めて、うんうんと頷いている。
これまた、やっかいな問題にぶちあったかな?
じりじりして座っていたクインは、我慢できなくなって問いかけた。
「どうしたんです、先生。何か分かったんですか?」
「ええ、多分。」
深く研ぎ澄まされた表情。
どこか憂いを帯びてさえ見える。
クインは眉をあげた。
「ホントですか?」
「ホントよ。私を信じて。」
凡そ信用ならない。
クインはしかし、藁にもすがりたい気持ちだったのだ。
どういうことなのか、例えおかしな女の言うことでも、説明を与えてくれればありがたい。
クリスは破顔して
「<委員会>は、私と同じなのよ。」
「……は?」
緊張が一気に解けた。
*・*・*
「……どういうことです、そりゃあ?」
もう何べんも、この手の質問を繰りだしてきた気がする。
人間とウルフが並んで、とてつもない問題にあたっているのは、奇妙な感じだった。
外は暖かいのだろうが、本に囲まれたこの部屋は、むしろ望ましくない熱気が肌に張り付いている。
クリスは同じ言葉を繰り返した。
「<委員会>は、私と同じなのよ。」
「……だから、それはどういう意味なんです?」
語気がやや荒くなる。
しかしマイペースなこの作家はすぐには答えずに、なにやら「うんうん」と唸っていたが、やがて口を開いた。
言葉を選ぶように続ける。
「つまりね、なんていうのか……『空想家』?」
「はあ??」
いよいよ頭がおかしくなったのか。
うろんなクインの目つきに、クリスは不服そうに
「なによ……あたしは別に説明を止めても」
「分かりましたよ、先生。頼みます。教えてください。」
クインとしても、ここで止められると寝覚めが悪くなりそうだった。
「よろしい」とクリスは言うと、続けて
「一つ訊きたいんだけど、仮説って、要は<魔法>によるあらゆる解釈を、退けたっていうことよね。」
「そうですが、それがなにか……」
「それが全ての答えよ。」
「…………それは、どういう?」
「<魔法>を『使わない』『真の解決』を、<委員会>は模索しているの。つまり……」
クリスは自慢げにその胸を張った。
「私と同じように、馬鹿げた『空想』をしているのよ。」
クインはぽかんと口を開けた。
馬鹿な……
そんな。
この女は、何を言っているのだ?
「馬鹿な!!」
「だから、馬鹿げた『空想』だって、言ってるじゃない」
「そういうことではなくて!!」
クインは自然とまた口調が荒い自分に気がついた。
「<魔法>を使わずに、竜の頭を切り落としたり、ドワーフを気がつかれずに殺したり、閉ざされた空間に出入りできるはずがないでしょう!!」
「あら、私の書く物語では、そんなの日常茶飯事よ。トリックってやつね」
「だから、先生が書いているのは単なる馬鹿げた『空想』で……」
「そう。空想」
クリスは極めて落ち着いた調子で言う。
「その『空想』の解決を、<委員会>も思考しているのよ。<魔法>なしの、そんなもの存在しないと『仮定』した上での、『真の解決』を」
「馬鹿な!!」
馬鹿な。
そんな馬鹿な。
クインは今まで生きてきたなかで一番の衝撃を味わっていた。
腰かけているのに、脚がぶるぶると震えている。
ぐったりした脱力感が、また襲ってきた。
クリスは優しげに微笑んでいる。
彼は首を左右に振った。
「そんな……そんなことを」
口が震える。
「いったい、何の為に??」
ほとんど叫びに近い。
クリスは「うーん」とまた考え込んで。
それから、意味ありげに笑った。
「そうね……もしかしたら、だけど。」
一瞬間を置いて。
「それも、私と同じ理由かもしれない。」
「……どういう」
「前にも言ったとも思うけれど、あたしはこの『空想』物語を、ほとんど『本能』で書いているの。それがまるで、必要なことみたいに。」
「……」
無言で受け止めるクインを、クリスは気にせずに続ける。
「そして不思議なんだけど、この、<魔法>も<魔回路>も<魔力>も、何も。人間以外登場しない『空想』物語を書いていると、何かを『思い出した』気持ちになるのよ。」
「……っ!?」
クインの想像の余地は、もはや入り込む隙間がなかった。
普段は変なだけの大人しい少女が、何か恐ろしい存在のように思えてくる。
警官として培ってきた常識が、ぱらぱらと崩れ落ちそうだった。
クリスは立ちあがると、彼に背を向け、まるで夢見るように語る。
「<中央探偵委員会>も、その『本能』に突き付けられてるんじゃないかしら。」
「……ほ、ほんのう?」
「そう。もし、この世界こそが『異世界』で、本当は<魔法>なんて欠片も存在しない世界が現実なんだとしたら」
「そんな馬鹿な!!」
「そして、徐々に人々が、馬鹿げた『空想』を終わらせるために、元の世界への回帰を、心の底で望んでいるのだとしたら」
「先生、先生は自分の言っていることが……」
「分かってるわ、もちろん」
今までにないくらい、明るい笑みだった。
「<委員会>は、この世界の事件を題材に、『議論すること』で、それを『思い出して』いるんじゃないかしら。私が小説を書くみたいにね。」
「つまり」
クインとクリスの目が合った。
「なぜ解決しないのか?……即ち、『議論すること自体が目的』だからよ。」
押し黙る二人。
クインは何も喋れない。
言葉が何も浮かばないのだ。
しっぽを垂らして消沈するそんな彼を見て、クリスは「あはは」と笑った。
「もちろん。」
下をペロっと出して
「馬鹿げた、『空想』だけどね。」
~了~