第8話
「あの子はもう存在しないんです」
目の前に立つ小柄な少女が、その言葉を口にした時、私の身体から血の気がひいたような気がした。
紗菜ちゃんの顔は、もう会うことの出来ない少女を思ってか、とても悲しげで、それが私に少女が「本当にもう存在しない」ということをより実感させた。
「だからもう動画のことは諦めてください」
先ほどまでは耳に心地よい響きだった紗菜ちゃんの声が遠くに聞こえる。
「私はこれで失礼します。石川先輩さようなら」
頭を下げてから紗菜ちゃんが背を向けて去っていく。
私には、それを引き留めるだけの言葉はなく。
ただ姿が遠くなっていくのを見送ることしか出来なかった。
「…………………」
小学生の頃の私は主体性のない子供だった。
いつも誰かの後に付いて回り、目立つようなことはなかった。
中学生になってもそれは変わらず、友達に誘われたという理由だけで、やる気もなかったダンススクールに通った程だった。
元々、身体を動かすのも苦手で主体性のなかった私にはダンスなど合うはずもなく、かといって友達を置いて辞めることなど出来ないことが徐々にストレスへと変わっていった。
そんな日々を中学二年まで続けていた私は、その頃からストレスが溜まっては物や特に木などに当たるようになっていた。
そんな不安定な生活を続けていたある日、私に運命の出会いがあった。
たまたま見つけた『s2kr』という動画に私の心は奪われた。
お世話にも上手な映像ではなかったが、写し出される二人の少女は輝いて見えた。
下手な撮影も少女達の良さを引き立てる為のように見え、私はその中に関わっている人達の絆を感じ、羨ましく思った。
『私は友達の前でこんな風にいれるだろうか?少女達のように輝きたい』
少女達への憧れ。
それはいつしか私の目指すべき夢へとなっていた。
それからの私は、地味だった印象を変えるべく、苦手なダンスの練習も真面目に取り組み、人前でも物怖じしないように自分から多くの人と会話をしてみたり、文化祭のステージにだって出てみた。
急に前向きになった私をよく思わない人達だっていたが、そんな時は動画を見て、 勇気と活力をもらった。
「ねぇ。のあならアイドルとか行けちゃうんじゃない?」
その友達の一言は、がむしゃらに目標の姿を追い求めていた私に、明確な形を与えてくれた。
彼女達と同じ映像の世界に行って、自分を輝かせたい。
以前なら尻込みして踏み出すことすら出来なかっただろう。
だが当時はアイドルを目指すことの不安よりも、その先の期待感が高まっていた。
それからの私は親を説得し、小さな事務所ではあったが、運良くオーディションに合格した。
事務所の人達は温かく私を迎えてくれ『この人達となら私も夢を叶えられる』と本気で思い、仕事が入るまで厳しいレッスンに耐え、デビューの時を待った。
事務所がやっとの思いで取ってきた人気歌番組の出演をきっかけに注目された私は、一年が立とうとする頃には知名度も上がり、様々な仕事が舞い込むようになっていた。
だが、今までと比べものにならない仕事の量と規模に事務所の人達は変わってしまった。
事務所を大きくすることに執着し、効率の良い仕事ばかりが増えていき、内部の人間関係もギスギスし始めた。
かつてのアットホームさはそこにはなく、仕事の優劣を競うだけの組織に変わっていた。
唯一、当初から私を見守ってくれた32歳になる女性マネージャーだけは、以前と変わらずに支え続けてくれたが、私を担当していることによる周りからの妬み等の風当たりは強かった。
そんな環境に私の心は、また少しずつストレスを貯めることになった。
「えっ…?」
そんな生活を一年ほど続けた時だった。
いつものように覗いた動画サイトから『s2kr』が消えているのに気付いたのは。
私は祈るような気持ちで他の動画サイトや掲示板を探した。
しかし、そこにあったのは《消えた『s2kr』》や《動画消失の真相は?》などといったものばかりだった。
「見つからない…なんで…?」
その時の私にとっては、消えた理由なんて関係なかった。
ただただ訳が解らず、受け入れることなど出来ずにいた。
無気力になりそうにもなったが、次々と入ってくる仕事は待ってなどくれず。
いつの間にか日々をやり過ごすことで精一杯になり、目指す場所もない私は、辞めることさえ考えていた。
「辞めるにしても、それはやりたかったことを全部してからにしない?」
そう言ったマネージャーは、私の為に周囲の反対を押し切ってドラマの仕事を取ってきてくれた。
もちろんドラマである以上、『s2kr』のようなイメージビデオとは違うものだが、彼女が私の為にしてくれたものだと思うと、断る気にはなれなかった。
だからこそ私も割り切ることができた。
『目一杯、役になりきって演じてみよう‼』と。
私に与えられたのは、始めは周りから頼られていたものの、気の強さが災いして孤立してしまいながらも、その境遇を受け入れ、1人で強く生きていこうとする少女の役だった。
決してメイン所の役ではなかったが、これが最後と思い、全力で望んだ。
以前まで学校では周りに合わせてばかりだった自分とは正反対の役柄ではあったが、びっくりするぐらい自然に入り込むことができた。
ドラマの仕事は今までにない充実感があり、その相乗効果か他の仕事にも前向きに臨めるようになり、仕事を続けていくことにも希望を持てるようになっていた。
そんな時だった。
今まで支えてくれていたマネージャーが事務所を辞めることになったのは。
原因はドラマの仕事を含めて、私の気持ちを優先して、事務所の方針に逆らい続けたことだった。
「私からも事務所にお願いしますから辞めないでください!」
決定に納得できなかった私は、彼女に訴えかけた。
「もしダメなら一緒に別の事務所に移ったって…」
希望が見えた矢先だけに私も必死だった。
「のあがそう言ってくれるのは、とても嬉しいわ。でもあなたにはこのまま仕事を頑張って欲しい。だって最近のあなた、本当に楽しそうに仕事をしていたもの」
確かに最近は仕事も楽しくなった。
でも、それは支えてくれた彼女の存在があったからこそであることも確かだった。
「今、事務所を移ったりすれば、悪い噂だって立ちかねない。私はそんな選択をあなたにはさせたくない」
自分が辞める原因を作ったのは私なのに、彼女はこんな時でさえ私のことを考えてくれていた。
「これからも辛いことは絶対にある。でも、そんな時は少し立ち止まってもいいから思い出して。あなたが何故、この世界に入ったのかを」
『s2kr』のことを深く話したことはなかった。
でも、一番近くで私を見てくれていた彼女には伝わっていたのかもしれない。
動画に勇気づけられなければ前に進むことも出来なかった私の弱さに。
『ここまで私を理解してくれている人がいる』
その嬉しさと、そんな人を失ってしまう悲しみに、いつの間にか目からは涙が溢れていた。
「あなたは、もっともっと素敵な女の子になれる。だから仕事だけじゃなくてもいい。多くの経験をして成長して欲しいの」
『アイドルだけが全てではない』と教えてくれる優しい言葉と共に、彼女の想いが伝わってくる。
「だから今は仕事を頑張って。きっと必要なモノが見えてくるから」
「…ぅ…ぐすっ……はぃ………頑張り…ます!!…っ……」
『彼女がここまで言ってくれる自分にプライドを持てる人になりたい』
自分ではない誰かの為にそう思えたのは人生で初めてだった。
「あと一つだけ…マネージャー…いえ『元』ではあるのだけど、言わせて欲しい…出会いを大切にしなさい。人は1人では行き詰まってしまうものだから。それと、もし叶うなら恋だってして欲しいと思ってる」
「…恋…ですか?」
その時…いや、今でもその時の彼女の言葉の真意は分かっていない。
「そう。あなたは素敵な女の子だもの。きっと恋をすれば、もっと魅力的な女性になれるわ」
それはアイドルとしての成功よりも、私個人の幸せを願う言葉だったのかもしれない。
彼女はその言葉を最後にして事務所を去っていった。
その後、私は彼女の言葉を後押しにまずは仕事を精一杯頑張った。
それを続け、いつの間にかトップアイドルと呼ばれるようになった頃、私はある思いに捕らわれるようになっていた。
『『s2kr』を作成した人は、どうして動画の削除へと至ったのだろうか?』と。
考え始めると余計に真実を確かめたくなり、仕事の関係者を頼りに少しずつ情報を集めた。
その過程で奇跡的にも『s2kr』のムービーデータを手に入れた時などは、久しぶりに見た動画を観賞しながらケーキをワンホール食べてお祝いしたほどだった。
しかし、依然として有力な情報を得ることの出来なかった私は、匿名でSNSに
「『 s2kr-part1/3 』という映像に関する情報を探しています。どんな些細なことでもいいので知っている方はコチラまでお願いします」というメッセージをあげた。
今にして思えば情報の正否など確かめようのない方法ではあったが、そこに来た返信は、幸運にも私を真相へと近付かせてくれた。
『生活拠点を移したい』という私と事務所との話し合いは楽なものではなかったが、気持ちが既に決まっていたことと、事務所側が『辞められでもしたら困る』と考えていたことにより、私にとっては最大の譲歩を得ることができた。
住む場所についても母の大学時代の友人が、編入先の近くに自宅があるということで 、私を引き受けてくれることになった。
しかし、いざ実行となってみると不安は増えるばかりだった。
『もし、何も知ることが出来なかったらどうしよう?』
『うまくいって関係者に会えたとしても、私はちゃんと話せるだろうか?』
『気持ちを伝えられたとしても、それが迷惑以外の何ものでもなかったらどうしよう?』
それは、アイドルになる以前の私が、日頃から周りに対して思っていたような、後ろ向きで自分の気持ちを押し留めていた時の考えだった。
そして思った。
『何があっても、挫けず前向きでいられる人になりたい』
私がなりたいと思い描いたのは、きっかけを作ってくれたドラマで演じた少女の姿だった。
その為に決断した。
『演じるのではなく。私があの子になろう』と。
その決断はきっと運命だったのだろう。
ドラマの時、少女を自然に演じられた理由。
それは以前、人に合わせて自分というものを持っていなかった私が、本来あるべき姿を手にしたことに他ならなかった。
出来ることは全てやった。
それを自信とし、遂に私は目的の地へ希望と共にやって来た。
しかし、そこで私を待っていたものは想像とはまるで別ものだった。
紗菜ちゃんが帰り、誰もいなくなった場所を見つめ続ける。
「私は…諦める為にここまで来た訳じゃない…!!」
そんな強がりは暗くなり出した校舎の陰の闇へと吸い込まれいった。
『諦められる訳がない。私は真実の全てを知った訳じゃない』
私は全てを知るために、その場を離れ再び前へと進み出した。