第61話
「だったら今度は君が『アイドルとしての』すごさを見せてやればいい」
そんな提案をのあが部長からされていた頃。
『ぶるっ!』
ここ最近は暑い日が多いというのに、オレは背中にひどい寒気を感じ、身体を震わせていた。
「なんだ。風邪でも引いたか?」
玉木家に急遽泊まりに来ていたオレを文句も言わず受け入れてくれた広は、心配そうにこちらの様子を見ていた。
「風邪って…こないだ治ったばかりで不吉なこと言うなよ…」
「でも可愛い子達に看病されたんだ、たまの風邪くらいアリなんじゃないか?」
「お前はあの地獄を知らないからな…」
「???」
何があったかを詳しく伝えてはいない広は不思議そうに首をひねった。
「まぁ知らない方が幸せなこともあるんだよ…」
「慎弥はいつもそうだよな。こっちのことを勝手に蚊帳の外にしてよ…」
逆にオレの気持ちを知らない広は、少しトゲのある言い方をし、オレは突然のことに多少なりとも苛立ちを覚えた。
「人が気を使って言ってるのに何が不満なんだよ!」
「お前が『気を使ってる』 だ?周りも見えてない鈍感野郎のくせして…」
これまでも意見が衝突することはあった。
でも今までは広の言い分も理解した上でのことではあったし、ここまで理不尽な言い様は初めてだった。
「訳わかんねぇ…何の文句があるんだよ?オレが何かしたか!?」
そこまで言って初めて気がついた。
親友として幼い頃から側にいた広のことを理解できない自分の眼が、実は何も見えていないのではないかと。
「じゃあこの際、言わせてもらうけど。慎弥って自分が全て抱え込めば、周りに『迷惑掛からない』って本気で思ってるのか?」
「それは…」
だから、その言葉はオレの心の深くに刺さった。
本当に全て上手くやっていれば、過去の失敗も、そして今の状態もなかったはずだから。
「自分が恵まれていることに気付けよ。李華ちゃん、紗菜、今ではのあちゃんだっている………それに部長だって…」
「そりゃ広の言う通りだとは思う…オレはみんなに助けられてばっかりだしな。悪い…お前にも迷惑かけてるな…」
広に言われたからこそ自分の無力さを改めて強く感じた。
「……………」
「広…?」
広からの返答がないことで『おかしなことでも言ったか?』と更に不安になる。
「あぁ~っ~!!そんな素直だからオレはまた負けた気がするんだよ…!!」
「???」
広の伝えたいことを、オレは未だ掴めずに今度はこちらが首をひねった。
「お前を見習って素直に…というか気づいてるとは思うけど………オレは、オレは部長…朱音さんが好きなんだよ!!」
「???……は?」
「だから慎弥が新聞部に入ってから、部長に気遣ってもらっていたりすると腹が立って嫌な態度も取った。ホント悪かった!!」
『悪かった』と言われたところでこちらからすれば謝られる意味が判らない。
というよりも『広が部長のことが好き?』というのが幻聴かと疑うレベルだ。
「広って…部長のことが…その……好きだったの?」
「いや…我ながら神経質だったと思うし、普通に気づいてたろ?」
「……………」
「……………」
沈黙がオレ達を冷静にしていく。
「「…………えっ?…」」
オレ達は同じタイミングでお互いの食い違いに思い至った。
「「でもさ…いや…冗談だよな…?」」
「「ははっはははは!!」」
「「……………………」」
一度は笑いあったものの、謎の気まずい空白に無理をしながら笑顔を作る。
「なんでまた…」
ようやく絞り出したのは、なんのひねりもない言葉だった。
「なんでって綺麗だろ?」
そして広の返答も、とても直線的なものだった。
「そりゃそうだけどさ…」
確か容姿でいえば部長はかなりレベルが高いし、人気だって出てもおかしくはないと思う。
なのに実際にそうなっていない理由は、言わずもがな普段の言動にある。
オレ達が入学した去年は、部長のことを見た目で判断した新入生が見事に玉砕した挙げ句、トラウマまで植え付けられたという話は伝説のように語られている。
「まさか広も玉砕組だったのか?」
「あのな…オレをあんなのと一緒にするなよ。玉砕したなら同じ部活に入ったりしてないっての…オレにはな、ちゃんとした理由があるんだよ」
広は普段から色々な女の子のことを話題にしているせいか、周りから軽く見られている場合が多い。
しかし、それが好意ではなく新聞部員としての仕事であることをオレは良く知っている。
だからこそ、今回の広の発言はオレにとっても衝撃的でもあるし、実際興味をそそられる話題でもあった。
「なぁ。その理由って聞いてもいいのか?」
「大した話ではないけど、最初は真名になんとなく雰囲気が似ているのが気になってな」
「…………悪い…オレはノーマルなんだ」
「ちげーよ!!なにフッたみたいな空気だしてんだよ」
「いや、だってさ…」
広の言う『真名=オレ』であることからして、反射的に予防線を張るのはしょうがないことだと思う。
それに広は女装状態のオレに告白した前科持ちでもある訳だし、オレの鳥肌分くらいは反論も勘弁して欲しい。
「だから違うんだって。少しマジな話になるけど聴けよ」
「あぁ」
広のことを理解できていなかったオレではあるが、親友としてふざけてこんなことを言う奴ではないことはわかっている。
それに広が伝えてくれるなら、オレに断るという選択肢はない。
「前にオレが部長のことを『自分を認めてくれる人がいなかったんじゃないか』って言ったのは覚えているか?」
「そういえば…」
それについては、のあとも話したばかりだったので記憶には新しかったが、言っていたのが広だったことは今になって思い出した。
「最初はそんな雰囲気が気になったんだ。部長はオレの支えなんか必要ないだろうけどさ。でも、のあちゃんが転校して来てから…綾さんだっけか?あの人のことを意識し始めてたんだよ」
「部長が?まぁ確かに『嫌い』って感じではあったけど…」
「まぁ表面的にはな。あれは多分、嫌いなんじゃないんだよ…無理矢理に拒絶して距離を取ろうとしているだけ。部長は『認めて貰えなかった』だけじゃなく『自分を認めたくなかった』。認めてもらいたくなかったんだと思う」
「前者は判るけど、後者は普通のことじゃないのか?」
「そう言える慎弥は、やっぱり部長と似てるんだろうな」
「………………??」
広の言う『認めて貰えなかった』は判る。
誰だって他人に認めてもらうことで自分というものを保てているのだから。
逆にオレからすれば自分を認めることの方が難しい。
誰でも『自分はこんなんじゃない』と理想との差に苦しむことはあるだろうし、過去に後悔してきたことなんて数え切れないほどあるはずだ。
オレだって、そんな自分の姿を肯定する気にはなれない。
「確かに慎弥の気持ちだってわからなくはないさ。お前が感じてきた苦しみをオレなら耐えれない」
「そうは言うけど、オレだってお前や李華がいなかったら無理だったと思うぞ」
広はオレが白い目で見られている時でも変わらずに接してくれていたし、進路だって嫌な顔もせずに『慎弥と一緒のところにするわ』と言ってくれた。
李華だってオレの意図を理解した上で紗菜の側にいてくれたから、オレは安心できた部分が大きい。
「慎弥がそう言ってくれるのは嬉しいよ…オレだって何かしたいとは思って、その結果ではあるし…でも違うんだよ…オレや李華ちゃん。きっと、のあちゃんとも違う」
「違う…?」
オレにとっては広が上げたみんなは自分に近い人達に思えた。
「人間ってのはどこかで『こんなもんか』って折り合いを付けるのが普通で、何かを常に諦めながら生きてる。まぁそうした方が楽だし、変な期待もせずに済む。だけど、お前も部長も勘定の中に『自分』ってものがないんだ。別に元々なかった訳ではないだろうけどな。だから何かあれば最初に自分を切り捨てることに躊躇いがない。それがお前や部長なんだとオレは思う」
「??それで誰かが幸せなら良いんじゃないのか?」
「もしかしたら部長も綾さんの幸せを思って距離を置いているのかもしれない。だけど慎弥、話は戻るけど自己犠牲が本当に誰かを傷つけないって思ってるか?」
「…………」
なんとなくだが広の言いたいことが見えてきた気がする。
オレが良かれと思ってやったこと。
それに対してのみんなの答えはNOだった。
今の部長が同じような状態なら、広が部長を気にかけるのも納得できる。
「で、広はなんとかしてやりたいのか?」
「まぁ好きな女の助けになれるならな…」
「なんだ?歯切れ悪いな?」
「お前に伝えるのとは訳が違うだろ?二人に何があったかも知らないし、オレは完全に部外者だ。それに本人達の中で決着がついてるなら掘り返すのも違うしな。我ながら臆病だし女々しいよな…」
「んなことないさ。別に恋の悩みは女性の専売特許ってことでもないだろ」
「違いねぇな」
広がようやく硬い表情を和らげ、苦笑いを浮かべた。
「とはいえ、部長と綾さんに何があったのか…ん…?二人の間…家の…」
「何か知ってるのか?」
そういえば以前、綾さんが『部長が自分を恨んでいる』と言っていた。
それが広の言うように恨んでいるのではなく、距離を置く口実であるなら…。
「オレが綾さんから聞いたことを話すよ。ただ…」
「『ただ…』?」
「オレにも一緒に考えさせろ。この辺で恩返ししないと精神衛生上よくない」
「全く、お前ってやつは…」
広が困ったようにした後、おもむろに拳を突き出した。
『コツッ』
オレは広の拳に自分の拳をぶつけた。




