第5話
千坂家を出発し、電車でひと駅のところにあるビジネス街と繁華街が入り交じったこの地方の中心街。
オレはバッチリ変装をした、のあの背中を一生懸命に追っていた。
「本当に悪かったって」
色々あったとはいえ、約束を忘れて(最初は覚えていたが)のあを待たせてしまったのはオレだ。
もう何度となく謝っているのだが、のあは依然として、こちらには顔さえも向けてはくれない。
幸いなのは、のあが進んでいる方向が目的地と同じというくらいだろうか。
「あっ!昼メシまだだろ?お詫びに奢るよ」
『…………くぅ…』
可愛いらしい音が彼女のお腹から聴こえてきた。
「っ……」
ちょっと反応があった。
後ろから、ほんの少し見える頬が赤くなったような気がする。
オレの帰りが遅くなった以上、昼メシを用意する人物はいない。
外で済ませてくる選択肢もあっただろうが、待ち合わせの時間を決めていなかったので、のあはきちんと待っていてくれたのだろう。
そう思うと心が痛む。
「何がいい?好きなもの言ってよ」
オレのせいでお腹を空かせているのに、この質問は卑怯だったかもしれない。
「……牛丼…………」
しかし、彼女から出たメニューもオレにとっては予想外だった。
「予算は気にしないで大丈夫だから、遠慮しなくていいんだよ?」
「何?牛丼じゃダメだって言うの?私にとってはイタリアンやフレンチのフルコースより価値があるのよ‼」
牛丼屋に女の子が入りにくいという話は聞いたことがある。
しかしアイドルである、のあが言う以上 、きっと生半可な牛丼ではないのだろう。
そもそもオレの知っている牛丼と、のあの言う牛丼が同じものなのかも怪しい。
「A5ランクの肉を使っている店とかなら大丈夫でしょうか?」
正直、そんな店は知らないが探す努力だけはしようと思う。
「んっ」
オレの言葉を受けた彼女が指を指したのは、誰もがよく知るオレンジ色の看板をしたチェーン店だった。
「マジで?」
『コクリ』
その頷きは『ここじゃなきゃイヤだ』という気持ちが籠っていた。
ふと昨夜のことを思い出す。
「ねぇ。普段から食事は慎弥が作るの?」
「あぁ。っていっても普段は李華と二 人分だから、あんまり手の込んだものは作らないけどね。もしかして口に合わなかった?」
両親のどちらかが帰ってくると思っていたので、今日の夕飯は『肉じゃが』『焼き魚』と、海外に拠点を置いている両親が普段はなかなか食べれない和食になっていた。
のあが一緒だと知っていれば、女の子が好きそうなメニューを用意しただろう(李華はそういう献立を好まないが)。
「そんなことないわ。私は好きよ」
その顔はドキッとするほどの素敵な笑顔だった。
あの時はオレに気を使ってくれているのだと思っていた。
だけど、好きな食べ物を牛丼と答えた彼女の問いは真実なのかもしれない。
「私、芸能界に入ってからは、業界的にお弁当も多かったし、たまに寄るファーストフード店とかが好きで、中でも牛丼屋さんが一番好きだったの。昨日の夕飯もそうだけど、温かいうちに食べられるって贅沢なことなのよ」
のあはきっと普通の学生のような生活に憧れていたのだろう。
朝は気だるそうに目覚め、授業中は黒板を見ているフリをして、実は見ていなかったり。
それでいて部活の時間には絶好調で全力投球。
そして帰宅すれば温かい夕飯が待っていて、胃袋の限界まで食べ続ける。
のあの求めていたのは、そんな『普通』なのだろう。
「わかった。じゃあ牛丼にしようか」
そう言ったオレの後ろを、今度はのあが付いてくる。
今の話を聞いてしまっては、別の選択肢などなかった。
だがこの後、オレはこの店を選んだことを後悔した。
オレ達の前に牛丼が運ばれ、オレはいつものように紅しょうがを、どんぶりの上に大量投下した。
その瞬間、のあの顔色が変わった。
「アンタいったい何しているのよ‼」
「何って?紅しょうが入れただけだろ?」
「そんなに入れたら牛丼の味が分からなくなっちゃうでしょ!!」
「分かるよ!!オレはこうして食べるのが好きなんだよ!!」
「そんな邪道は許せないわ!どうしても紅しょうがが食べたいなら別にして食べなさい」
こいつは今、全日本の『牛丼に紅しょうがをたっぷり入れる派』を敵に回したようだ。
「そういうオマエは七味かけてるだろ!それはいいのかよ」
「七味は薬味だからいいのよ!紅しょうがは付け合わせじゃない」
議論は平行線のままヒートアップしていくかに見えたが
「お客様。他のお客様の迷惑になりますので…」
「「はい……」」
店員からの注意喚起により、敢えなく終了した。
その後はいつの間にかオレ達に注目していた周りの客からの視線に縮こまりながら、恥ずかしさから味が判らなくなった牛丼を急いで掻き込み気まずいまま店から出た。
「オマエのせいだからな」「アンタのせいだからね」
「「はぁ~……」」
お互いのせいにしてみたが、途端にため息が出た。
「とにかく目的の買い物に行かないとな」
「そうね。これ以上の時間をムダにしたくないわ。『更に』遅くなってしまうもの」
約束に遅くなったお詫びのつもりの昼食は、結果として贖罪とはならなかったようだ。
『買い物に付き合う』という話だったから、結構な荷物になるのだろうと覚悟していたのだが、予想に反して彼女の買い物は日用品程度で大した量ではなかった。
「なぁこんなもんでいいのか?何かあれば遠慮せずにいいんだぞ」
「実際、買わなきゃいけないものなんてほとんどなかったし、これから住む街の道案内って感じかな」
のあがこの街で生活していくのに前向きであるのは、いい傾向だと思う。
一緒に住むことになった以上、悲しい姿を見るのは迎える側としてもツラい。
「じゃあオレは食品の買い足ししていっていいか?のあの分を考えてなかったから昨日の買い物分じゃ週末には足りなくなりそうだ」
「それなら大丈夫かも。私、週末は仕事しに戻るから」
こっちにいるからと言って、のあは引退した訳ではない。
仕事量は『学業優先』といういかにも学生らしい理由で減らしたそうだが、のあとしては罪悪感もあり活動休止にも、しにくかったらしい。
「そうか。じゃあこれからは早めに言ってくれると助かる」
「そうする」
のあは軽く言ったが、その声は少し楽しがっている印象があった。
「買い物がなくなったなら帰るか?」
「李華ちゃんは帰って来ないって言ってたし、急がなくていいなら寄りたい場所があるんだけど」
オレには伝えてないクセに、李華は彼女には帰って来ないことを伝えていたみたいだ。
「李華のヤツ…で、行きたい場所って?」
「神社なんだけど…」
のあが行きたい神社は特に有名な場所でもなければ、特別な場所でもなかった。
むしろ、社があるだけで何もない、千坂家の近くにある住宅街の神社だった。
「ここかぁ」
何が楽しいのか、のあは感嘆の声をあげた。
「何がしたくてこんな場所に来たんだ?」
小さな頃は遊び場だったが、大きくなると来ることはなくなり、大人なんかは寄り付きもしない。
「『s2kr-part1/3』って知ってる?」
「……あの素人丸出しの動画だろ?」
「あははっ厳しい言い方だね。確かにその通りなんだけど。その動画の一部に映ってる神社がここなんだって」
その顔は宝物でも見つけたような顔だった。
「私、あの動画を作った人に会う為に、転校して来たの」
初めて明かされた真実は、始まりの予感を乗せた風を纏っていた。