第4話
『新入生代表。望月紗菜。』
「はい!」
その少女の姿を見た瞬間、開場がざわつきだす。
同じ中学校に通っていた2・3年生ですら似たような反応だ。
それほどまでに彼女は人々を魅了していた。
しかし、そんなざわめきはオレの耳に届くことはなかった。
以前、その少女は、かつてのオレがよく知る人物だった。
しかし、今となっては会うことすら避けてきた少女でもある。
2年半もの歳月だ、同じ街に住み、極めつけに妹の親友であるが故。
どうやったって会ってしまう場合はあった。
その度に、オレ達は最低限の社交辞令で、お互いをやり過ごし、深く関わることを避け続けた。
罪悪感を感じなかった訳ではないが、紗菜がオレと距離をおいてくれていることに安堵したのも確かで、李華から紗菜が有名私立に合格したと聞いたときは、紗菜に新たな道が開けたことが嬉しかった。
けれど、そんな彼女は今、オレの目線の先にいる。
内容など耳には入ってこなかった。
そして何がなんだか判らぬ内に壇上から顔を反らしてしまった。
ふと顔を反らした先に、壇上を見つめている、のあの姿を発見する。
真剣に壇上を見つめる表情は、話を聴いているというよりは紗菜の顔をじっくりと眺めているように見えた。
その後は、紗菜が現れた衝撃と、のあの意味深な姿から、何にも集中できないまま入学式は終了した。
入学式後、オレはまず教室へと戻ろうとしていた広を呼び止めた。
「広。少しツラ貸せ」
「なんだ?辛気臭い顔して。新入生に気になる子でもいたか?」
その軽口で理解した。
広はやっぱり紗菜が入学してくることを事前に知っていた。
「で、どっちだ?例の新聞部の名簿か?それとも…」
「言わなくても理解してくれるのは親友冥利に尽きるが、聞かれたくないオーラも感じ取ってくれると助かるんだがな」
「それは無視しているだけだ。でもその反応だと紗菜か」
広は隠し事が苦手ではない。
しかし、話さなければならないことを隠しておける奴ではない。
やはり広は紗菜から進学先の話を聞いていた。
そうなると李華も間違いなく知っていただろう。
結局、紗菜は有名私立と杜下高校の両方に合格し、杜下高校に進学を決めたことになる。
「アイツ、なんで私立に行かなかったんだ?」
「慎弥の言うことだから本当にわかってないんだろうが、それは自分で確認した方がいいんじゃないか?」
広がそう言うってことは、オレが自分で聞かなくてはいけないことなのだろう。
無論、李華が話してくれるとは思っていない。
分かっていながら、会うことに抵抗をもってしまう。
「慎弥。もういいだろ?高校も一緒になったんだ。普通の先輩、後輩としてやり直せないのか?」
「オレ達のことを知っている奴らだっているんだ。また同じようなことがないとは言えないだろ」
「時間だって経ってるんだ。今さら気にする人間もいないさ」
広の言っていることはもっともだと思う。
でも可能性がゼロでない限り、オレに選択肢などないとも思っている。
「ほら~教室に入れ~」
そこへ担任教師がちょうど現れたことは、オレにとって幸いだった。
このまま話をしていてもオレ達の意見は平行線のままだったろうし、お互い意地になり、周りにまで不審な目で見られては、オレが一般的な生徒であり続けてきた意味がない。
「あと千坂は妹の件で話があるから後で職員室に来なさい」
教師の一言に『李華の件も何とかしないと結局は意味がない』と改めて思い知らされたが。
杜下高校の入学式後は2・3年生もホームルームのみで終了となる。
普通なら喜んでさっさと帰宅するところだが、呼び出しを受けてはしょうがない。
「はぁ…」
話し自体は予想よりも、ずっと早く終わった。
しかし、内容も予想外過ぎたせいか、職員室を出た時についため息を吐いた。
「どんな手を使ったんだか」
職員室に入った時、オレの担任、李華の担任だという新米教師、各学年の主任に教頭が待っていた時は正直、李華の停学くらいは覚悟した。
てっきり両親や本人もいると思ったが、3人ともオレに全てを任せ、李華の入学祝いに行ったらしい(もちろんオレはそんな話を聞かされてはいない)。
だが結論から言えば何もなかった。
オレはただ、確認を受けただけ。
教師陣がオレを取り囲み終えると、教頭はニッコリと笑い言った。
「妹さんの金髪は地毛だよね?」と。
当たり前だがハーフでも何でもない純日本人の李華の地毛が金のはずがない。
しかも教頭が持っている李華の入学願書の写真は見間違えようがないほどの黒だった。
返事のないオレに対して、近寄ってきた教頭は肩に手を置く。
「地毛で間違いないね」
その手は分かりやすく震えていた。
「はい…」
答えは一つしかなかった。
「待ってください教頭!!私は容認できません」
オレの答えに安堵した様子だった教頭の後ろから男性教師の声が掛かる。
それは先ほど紹介を受けた李華の担任の新米教師だった。
「木ノ下先生。お兄さんもこう言っているんです。地毛では金髪でもしょうがないでしょう」
「おかしいじゃありませんか!!教頭がお持ちの願書では黒髪なんですよ!!」
その通りである。オレとしてもこんな状況でなければ、この熱血系の先生を支持する。
「写真の映り具合でしょう。光の加減でそう見えるのですよ。生徒を信じてこその教師ですよ木ノ下先生」
こんな場面を見せられては生徒が教師を信じられない。
「教頭!!それはあまりにも…」
「あぁ慎弥くんはもう帰ってもらって大丈夫だよ」
「そうですか。では失礼しました」
オレは今も教頭に反論する熱血先生(敬意をもっての命名)に心の中で謝罪しながら職員室を後にした。
未だに李華が何をしたかは見当もつかないが、教師陣からの追求はもうないだろう。
しかし、生徒からの目もあるのは確かだし、李華には何らかの対処はしてもらうべきだろう(受け入れられるかは別として)。
(のあとの約束もあることだし、早めに帰らないと)
時間は決めてないとはいえ、待たせる訳にはいかない。
真っ直ぐに昇降口へと向かうと、職員室で時間を取られなかったおかげか、まだまだ多くの生徒の姿がある。
しかし、靴を履き替えたところで昇降口付近の人だかりが見えた。
(新入生と家族が写真撮影でもしてるのか?)
そうであれば邪魔にならないように早めに抜けてしまえばいい。
だが人だかりに近づくにつれ、それが何の集団なのかがはっきりした。
(昨日から今日といい、なんでこうも次から次へと………)
人だかりの中心にいたのは、長い黒髪に少し低めの身長。
のあが活発なアイドルであるならば、その逆。
おしとやかなお嬢様といった印象を受ける少女。
望月紗菜…オレが今、最も会うことを避けたい人物だった。
紗菜と目が合う。
彼女は男子ばかりの人だかりに頭を下げると、一直線にオレの元へと向かってくる。
「先輩。まだ帰ってなかったんですね。よかった」
オレへの呼び方がかつてと変わっていた。
だが今は、紗菜を囲んでいた人だかりからの目線が痛い。
「久しぶり。じゃあオレは急ぐから」
そう言って紗菜の右側を抜けようとする。
だが紗菜はオレの進路を塞いだ。
次は逆に左側へ進もうとするが、同じように進路を塞がれる。
「どいてくれないかな?」
紗菜は何も答えない。
今度は右に行くフリをして左側を抜けていく。
小さな頃から素直な紗菜は、昔と同じようにあっさりとフェイントに引っ掛かり、オレは横を難なく抜けていく。
「うぅ~……」
その悔しがる声までもが全て昔と変わらなかった。
だが昔と一つ違うのは、抜いたら終了でないというところだった。
紗菜は諦めず、またオレの前に走って来た。
「だから今日は…」
「なぁアイツ誰?酷くねぇ?」
「何様のつもりだよ」
オレが話そうとすると紗菜を囲んでいた集団からそんな声が聴こえてきた。
まぁ無理もない、誰がどう見てもオレが悪役だ。
(仕方がない。暫く悪い噂にはなるが時間を掛けて、また普通の学生に戻ればいい)
かつて経験のあることだし、重要なのはそこじゃない。
割り切って紗菜の横を再度、抜けようとする。
しかしオレが動くよりも先に紗菜が動いたことをより、とっさに動きを止めた。
紗菜は集団の方を見て怒っていた。
昔から怒っても表情に出にくく恐くもなくて、周りから見れば判別がつかないくらいではあるが、オレから見れば確かに怒っていた。
今度は紗菜がオレの横を抜けて集団の方へ向かおうとしたが、手首を掴んで引き留める。
「やめろ」
「でも…」
今も周りからは、あれやこれやと罵倒や嫌味がオレに掛けられ続けていた。
「慎弥~!紗菜~!お前ら何じゃれあってるんだ?」
すると人だかりを割って入るように広が姿を現した。
「コイツら兄弟みたいなもんだから、今のは普段のスキンシップだぞ。何を本気になってんだよ(笑)早く散らないと『冗談も解らない勘違い野郎共』って明日の記事の写真撮るからな~」
そう言いデジカメを取り出した広の言葉により、人だかりは納得いかないながらも一人、また一人と解散していった。
「広、悪かったな」
「広先輩。すみませんでした」
まずオレ達はわざわざ渦中へとやってきてくれた広へと感謝の言葉を述べた。
「まぁ部長の許可も出たし、昔馴染みのこととあっちゃな」
広はそう言い笑ってくれた。
「それに必要なものは手に入ったし」
「広、お前まさか…」
広が操作したデジカメには困り顔の紗菜を取り巻く男子生徒がバッチリ写っていた。
「えっ!?いつの間に」
至近距離からの撮影だが、撮られた本人すら、このように気がついていない。
広は確かに『冗談も解らない勘違い野郎共』は記事にしないが『困る少女を取り囲む野郎共』は記事にするのだろう。
「じゃあ最初から全部見ていたんだな」
「助けたんだし、文句は言われたくないんだがな」
広のこの言葉にはさすがに納得をするしかないようだ。
「で、全て見てたオレから言わせれば、お前らは極端すぎる。そこでオレが中立案を出すから今日はそれで納得しろ」
帰り道。オレの斜め後ろを紗菜が歩く。
特に言葉を交わすことがないのは広の提示した中立案によるものだ。
『オレは紗菜を家まで送る。だが紗菜はオレに何も話さない』
それが広の案だった。
紗菜はどうか知らないが、こじれて新たな人だかりが出来ることを嫌ったオレは案かな乗ることにした。
紗菜は広の言ったことだけあり、静かに後ろを付いてきているが、逃げるのを心配してか、オレの袖口を握っていた。
その感覚に懐かしさを感じそうになるが振り払った。
それを許してしまっては何も変わらない。
結局、紗菜の歩きに合わせていたせいか、予想以上に時間がかかったが、紗菜の家まで到着する。
中学までは学校帰りに寄ることもよくあったが、それから3年近くが経っても昔の記憶そのままに望月家はそこにあった。
ようやく紗菜の手が袖口から離れる。
「慎くん。寄っていきませんか?」
呼び方が昔に戻っている。
「話しかけるのは禁止じゃなかったか?」
「それは送ってもらうまでです。もう帰ってきちゃいましたから」
「悪いがその気はない」
よく思いついたものだと思ったがオレの返事は変わらない。
「オレからも一つ聞きたいんだけど、どうして杜下高校に来たんだ?他も受かってたんだろ?」
オレの質問を聞いた紗菜は笑顔で答えた。
「慎くんは何も分かってないんです 。私のことも。大事なものも」
表情も口調も違ったが、それは紗菜が決別の日にオレに言った言葉だった。
家へ向かう帰り道。
オレはさっきの紗菜の言葉を思い出していた。
しかし、高校生になった今も答えは出ない。
帰り道、紗菜が握っていた袖口がやたらと熱く感じ、左手を持ち上げた。
その手首には愛用の腕時計が巻かれていて、表示されている時間が見えた。
そして時間が止まった。
正確には止まったのはオレ自身で、時間は流れ続けている。
「やばい!!のあとの約束がー!!!!」
そこからはひたすらダッシュだった。
きっと自己ベストなど余裕で突破しているだろう。
全身全霊を賭け、ゴール(玄関の扉)を越える。
「悪い!!遅くなった!!」
「遅~~いっ!!!!!!」
『ゴツンッ』
叫び声と共にオレが最後に目にしたのはダンベルだったように見えた。
オレが目を覚ますには30分ほどの時間がかかり、買い物はさらに遅くなったが、ひとまず人生のゴールテープを切らなかったことだけは幸いだった。