第1話
校門の側にある桜の木が鮮やかに花を咲かせ始めた4月。
昨日までは平凡、普通の言葉が似合っていた杜下高校。
2年生になって最初の登校日である始業式にその普通は存在しなかった。
オレ、千坂慎弥は騒がしいクラスメイトをよそに窓際の席に座りぼんやりと外を眺めていた。
「さっき、NoeRuちゃんと少しだけどお話ししてきちゃった!!」
「いいな~♪私も今度、声かけてみちゃおっかな?」
始業式の後のホームルームも終わり、普段なら部活に下校にと人が散っていく時間帯。
でも今日はまだほとんどの生徒が残っていた。
2年D組の教室に戻ってきたクラスメイトの女子は、その原因となっている今日、転校してきたばかりのアイドル『NoeRu』の話題で盛り上がっていた。
「NoeRuちゃんか~まさかアイドルと同じ学校に通えるなんてラッキーだよな?なんでも本名はのあちゃんって言うらしいぞ」
先ほどの女子の会話を聞いていたのか、小学校時代からの友人&腐れ縁である玉木広がコチラに近付きながらそんなことを言った。
「相変わらず、広はこの手の話題になると張り切るよな」
「そりゃ新聞部員として乗らない訳にはいかないだろ。本当なら転校前にスクープとして取り上げたかったんだけど学校側のガードが固くてな」
広は1年の時に、今の新聞部の部長からの誘いを受け、新聞部に籍を置いていて、オレもそれなりに顔を出したり(出させられたり)もしている。
「じゃあ部長はだいぶ悔しがってたんじゃないか?」
「そりゃもう大変だったよ。実は部長、春休み中に停学覚悟で夜中の学校に進入までしたからな。発見されずに済んだからよかったけど、転校生の資料も見つけられなかったみたいでな」
「その時は転校生の正体なんて判らなかっただろうに、相変わらず無茶な人だな~」
新聞部の部長は学校内外を問わず有名人で、ちょっとした小話から、真実なら恐ろしい噂まで事欠かない。
それは部員数が現在2人しかいないのにも関わらず新聞部が廃部にならないことが噂の信憑性を高めている(1人当りの仕事量は大丈夫ではないが)。
「でも取材対象がハッキリしないのに大物を嗅ぎ分ける嗅覚は普通の人間には真似できねーよ(苦笑)」
「そこはやっぱり部長ならではだな。で、スクープに出遅れた新聞部はどうするんだ?」
「部長から来た内容は『アレ』だな」
そう言って広が目線を向けた先には教室の後ろ側で何やら輪を作っているクラスメイト男子達だった。
「アイツら何してるんだ?」
「アイドル様に誰が先に声を掛けるかの紳士協定ってところだな」
「なんだそりゃ?人気があるのは知ってるけど会話ごときで順番争いかよ」
確かに普通ならトッブアイドルとこんなに近くで接する機会など、この街では皆無だろうしオレ自身も良い経験だとは思う。
しかし、同じ人間である以上、付き合うならまだしも会話だけで順番争いするのは何か違う気がした。
多分、部長もそんな男子を嘲笑う意味でも、この企画にしたのだろう。
「なんでも白熱しすぎてレートが上がりまくっているんだってよ」
「マジかよ…」
「まぁ慎弥には関係ないよな。アイドル顔負けの美少女が周りにいるからな」
「そういう言い方は誤解を生むから止めてくれ…李華は妹だろうが」
「まぁそりゃそうだよな。じゃあ、もう1人は?」
そんなことは言われなくても解っていた。
広がオレの為を思って『わざと』言い出したことも。
「別に周りって訳じゃないだろ?」
今はこんな言葉で誤魔化すくらいしか出来なかった。
「そっか?まぁお前がそう言うならオレからは何も言わないけどな」
本当なら失望させてもおかしくない逃げの言葉だったが、広は普段と変わらない様子で返してくれた。
「ということで、新聞部は男子連中の、実に青春らしい掛けレートと関わった人間をネタにする訳だ。で、慎弥。オマエには別の頼みがあるんだが?」
「良いよ。なんだ?」
先程の会話で情けないところを見せてしまったし、広が無理難題を頼むならばこんな素直な言い方はしないだろう。
「さすが、話が早くて助かる!!実はな…」
広からの頼みは予想通り、特に難しいものではなかった。
しかし、新聞部のやろうとしていることが無謀過ぎた。
「えっ…だって、男子生徒のアイドルを巡る不毛な争いを記事にするんだろう?」
「それはあくまでも今日のNoeRuちゃん転校を受けての話だ。新聞部が春休みから企画していたのは『有力新入生特集』だ。実際のところは部長が美少女を取材したいだけなんだけとな」
それでは『有力新入生特集』ではなく『美少女新入生特集』ではないのだろうか?(そもそも部長は女性なんだけど…)
しかし、最大の問題は企画内容ではない。
そもそも部員が2人の新聞部で、もう一つの企画を進行するのは無理があるのではないだろうか?
これが広の企画なら多少、手荒であっても止めさせただろう。
「まさか、また部長はオレも部員として数えてるんじゃないだろうな?」
なぜならオレは、幾度となく新聞部に強制連行され、無慈悲な労働を強いられたのだから。
「そこは安心してくれていいぞ。春休みの部長が忍び込んだ時に新入生のデータは抜き出してくれたからな。下準備は出来てる」
「それって犯罪なんじゃ…いや、あの部長には何も言うまい」
既に部長に弱味を握られているオレがしていい発言ではない。
「じゃあオレはNoeRuちゃん柄みで男子連中のとこへ取材してから部室に行くから、頼んだ件は任せた」
「おう。部長によろしく言っといてくれ」
「了解。じゃあな」
広はそう言うと教室の後ろで未だにたむろしている生徒の輪に違和感なく紛れ込んでいった。
「オレは帰るか」
机から立ち上がるとポケットに入れていたスマホが震えた。
確認すると妹の李華からメッセージが届いていた。
『今日の夕飯は3人分よろしく』
「父さんか母さんでも帰ってくるのか?」
李華を溺愛している両親は何かあると大抵は李華に連絡をしてくる。
なので両親関係の連絡は李華を経由してくるのが千坂家の常識だった。
明日は李華の杜下高校への入学式。
2人とも仕事から帰ってはこれないが、入学式には絶対に来ると言っていたが、どちらかが帰って来れることになったのだろう。
「しかし、李華は本当に入学出来るんだな…」
学力的には問題なかった李華だが、両親に甘やかされたせいか、良く言えば自由人。悪く言えば非常識。と、そんな風に育ってしまい、中学時代の内申点は酷いものだった。
正直、進学は不可能かと思えたが、最終的にはなんだかんだで合格してしまうところがアイツらしい。
『3人分、了解。あと広から頼まれたことがあるから帰ってから話す』
先程の広からの頼み。
それは例の新入生企画で『部長に李華のインタビューをさせて欲しい』というものだった。
部長が手に入れたとされる資料と、広の報告により入学式前からアポイントを取れる李華は願ってもいない人材だろう。
李華自身こういったものを嫌がる奴ではないし、広の所属する新聞部にも興味があったようだし大丈夫だろう。
まぁ李華と部長が出会った時の化学反応は恐ろしいが、被害者はオレではなく広になる可能性が高いので気にするまでもないかもしれない。
オレは今も男子の輪の中にいる広に手を手に合わせた後に家の冷蔵庫の中を思い浮かべると、帰りにスーパーに寄って行くことを決めた。