第17話
「おはよー慎弥!!」
机に突っ伏していると、広がオレの背中を叩きながら声を掛けてきた。
「痛って!!起こすにしても限度があるだろうが!!」
「あまりの羨ましっ…いや…朝だから力が有り余っててな」
今、一瞬『羨ましい』とか言ったように聞こえたが意味がわからない。
教室の時計を見ると、ホームルームが始まるまで、もう少しといったところだった。
「なんだ今日はゆっくりだな?」
「まぁな。部室に寄ったら時間がかかってな」
ちゃらんぽらんの割に寝坊とは無縁の広がギリギリの時間に来るのは珍しい。
この調子だと部長からまた無理難題を押し付けられたのかもしれない。
「どうでもいいけど、オレまで駆り出されるような展開は勘弁してくれよ」
「大丈夫だ。お前はメインディッシュだからな」
「???」
普段なら『もしもの時は頼む』ぐらい言って来る広にしては不自然な言い方だ。
「それよりも慎弥…お前そろそろ倒れるぞ」
考えているうちに話が変わってしまったが、確かに広がそう思うのも無理はない。
昨日までだって既に限界だったのに、李華命名の『えるちゃん全裸事件』により昨晩は全く寝れていない。
目を閉じると、のあの裸が浮かんできて一晩中悶々としていた。
『忘れろ』と言われた手前、寝ていないのが丸わかりの顔を見られる訳にはいかず、のあにバレないかヒヤヒヤしていた。
「そんなんで大丈夫かよ?今日って用事があるんじゃなかったか?」
「そうだけど…なんで知ってるんだ?」
今日は、えるの為にネコ用品を買いに行くことになっている。
一緒に行くはずだった、のあからは『急用で行けない』と連絡があり、代理を頼もうとした李華からも同じく『急用』と断られてしまった。
だが昨夜のことがあり、のあと行動するのには戸惑いもあるし、李華にはからかわれる心配もあるので一人というのも気楽でいいかもしれない。
でも昨日の夜に決まったことを、なぜ広が知っているのだろうか?
「えっと…あっ!あれだよ。さっき李華ちゃんに会って聞いたんだよ」
「今、思いつかなかったか?」
「いやいや!!李華ちゃんが行けなくて、一人で行かなきゃいけないことも知ってるし」
「まぁいいや…」
釈然とはしないが、そこまで知っているのだし李華から聞いたと思って間違いはないだろう。
「それよりも、もうすぐホームルームだしオレは行くな。また授業中に寝まくって怒られるなよ」
「あぁ頑張るさ」
実際、広のことよりも授業が心配な訳だし。
「よし、ようやく昼だ…」
なんとか昼まで授業を乗りきったオレは食欲よりも睡眠欲が勝り、そのまま机へと倒れ込んだ。
心地よいまどろみに落ちていきそうになった時、急に腕を掴まれた。
「ふぇ…?」
眠りに落ちかけていた為に変な声を出してしまったが、焦点の合わない目でなんとか犯人を見る。
「紗…菜…?」
「先輩。ちょっと来てもらえませんか?」
そこにいたのは必死にオレの腕を掴んで引っ張っていこうとする紗菜だった。
しかし、紗菜の力ではどう頑張ってもオレを席から立ち上がらせることは出来ずに顔がどんどん赤くなっていく。
「自分で歩いてください!!」
「なんでオレが…そもそもお前、分かってるのか?こんな周りに見られてる状況で」
ようやくクリアになった頭でそう言いながら周りを見渡す。
やはり大部分のクラスメイトが『何事?』という顔でこちらを見ていた。
すると紗菜はオレの耳元に唇を寄せた。
その行動にドキッとしたがクラスメイト女子からの『きゃーっ』という心底楽しそうな悲鳴を聞いたせいで一瞬で冷静になった。
「来てくれないなら、ここでアイドルと暮らしていることをバラします」
「…………………」
オレにだけ聞こえるように呟いたセリフに血の気が引いた。
-ガタッ-
秘密を握られたオレは腕を掴まれたまま、捕まった犯人のように紗菜の後を付いて行くことになった。
紗菜の誘導によりたどり着いたのは、校舎と体育館を繋ぐ通路から校舎の外周を少し進んだ場所にある、ちょうどよく死角になっている場所だった。
「こんな場所よく知ってたな?」
「李華ちゃんから教えてもらいました」
一年以上この学校に通っているオレにとっても初めての場所で、しかもそれを入学して二ヶ月も経たない妹の情報で知るとは皮肉なものだ。
「ということは、のあの話も」
「李華ちゃんから教えてもらいました」
先ほどと全く同じ返答が帰ってくる。
予想通りではあったが、李華がこんなに簡単に秘密を話してしまうとは思っていなかった。
いくら親友とはいえ内容がマズすぎる。
実際、オレはそう考えて広にはこの話をしていない。
「先輩は石川先輩のことをどう思って一緒に生活しているんですか?」
「どう?どうって家族みたいな感じで」
質問の意図は理解出来ないが、弱みを握られているのもあり本音で答える。
「そっ…!?それは結婚を前提とかっ!?そういった家族というか何というか!!」
紗菜の語気が強まり、声も裏返っているし、日本語も変だ。
「はっ?普通に家族としてだぞ?李華と何も変わらないよ」
「本当ですね!?嘘だったら責任とってもらいますからね!?」
「あ…あぁ」
責任と言われても何をどうしろというのかは知らないが、出来ればこの話はもう終わりにしたくて適当に返事をする。
でも紗菜はそれを聞いて納得したのか、徐々に落ち着きを取り戻し始めた。
「李華ちゃんに、朝この話を聞いたせいで授業内容が全く入って来ませんでした。全部、先輩のせいです」
「えっオレのせい!?」
「当然です」
当然とまで言い切られてしまった。
しかも、かわいらしく頬まで膨らませている。
あまり紗菜と行動を共にするのは好ましくないが、冷たくあしらって千坂家の現状を暴露される訳にはいかない。
こうなったら李華用のご機嫌取りを紗菜に実行するしかなさそうだ。
「オレ、放課後に買い物に行くんだけど一緒にどうだ?何か欲しい物でもあったら金額次第ではプレゼントしてもいいぞ」
これまで李華の機嫌を直す為に何度となく使った手だったが、李華が金額を守ったことは一度たりともない。
でも紗菜相手ならその心配もいらないだろう。
「本当ですか!?あっ……でも今日は急用が…」
なんだろう?オレの周りでは急用ラッシュでも起きているのだろうか?
「それじゃあしょうがないな」
「残念です…でも今日こそは話をつけないといけないので…」
「話?誰と?」
「先輩は知らなくて大丈夫です。それよりも買い物に行けない分のお願いしてもいいですよね?」
「お手柔らかに…」
お願いをされたくないから買い物へ連れて行こうとしたのに、結果として墓穴を掘った形になってしまった。
「私を避けている人に拒否権はありません」
そんな前振りをされては、もはや嫌な予感しかしない。
「先輩には私と一緒に授業をサボってもらいます」
「……なんで?」
「とにかく言うことを聞いてください!」
そう言った紗菜はすぐそばに座り込んだ。
「(早く座れってことか…)」
仕方なく紗菜と少し間を空けて腰を下ろす。
「先輩。そこじゃダメです」
「じゃあどこに座れと?」
その問いの答えとして、紗菜は自分の膝をポンポンと叩いた。
「いや、まさかとは思うんだけど『膝枕させろ』とかじゃないよな?」
「っ……………」
マジっぽい。まさかと思ったけと本気だったみたいで紗菜の顔はもう真っ赤になっている。
そんなに恥ずかしいならやらなければいいとも思ったが、うつむいたまま膝枕を止める気もないようだ。
「はぁ……」
授業をサボったりしたら、さっきの状況を見ていたクラスメイト達から何を言われるかわからない。
しかし、ここで紗菜の要望に答えずに先送りするのも怖い。
どうせ『今後の為に体験してみたい』とかだろうし、こうなったら紗菜の未来の彼氏の為にオレが練習台になってやろう。
「わかったよ。じゃあ失礼するぞ」
「はっ!はいっ!!」
そう言って頭を下ろしていくのだが、これが思った以上に恥ずかしい。
それは紗菜も一緒なようで、相変わらず顔は真っ赤なままだ。
ようやく頭を足の上に乗せ終えると頭に柔らかく温かな感触を感じた。
「そのまま寝てしまってもいいですから」
「いや……でもな……」
言葉とは裏腹に溜め込んだ眠気は、極上の感触に既に限界だ。
「本当にすみませんでした。全然、寝てなかったんですよね?それなのに私、自分のことばっかりで…」
紗菜の手がオレの頭を撫でる。
あまりの気持ちよさに目を閉じる。
そして完全に眠りに落ちる寸前。
「慎くん。……ぃ……き……よ」
何かが聞こえた様な気がしたが、よく聞き取れないまま、オレは深い眠りへと落ちていった。