その42:猫耳幼女との生活(side奴隷少女)
「ご主人!」
私の叫び声が部屋に響く。こんな大きな声を出したのはいつぶりだったか忘れてしまったけれど、自然と大きな声が出た。先ほどまであった眠気は一瞬で吹き飛び、次には激しい動悸がやってくる……背中を嫌な汗が伝っている。
「ハァ……ハァ、うっ……」
ご主人の呼吸は荒く、顔色がとても悪い。目の下には大きな隈ができており、肌にはじっとりと汗が浮かんでいる。
しかし、私にはどうしたらいいのかがわからない……すると、
「ーー落ち着きなさぁい」
「ひっ?!」
私とご主人の二人しかいない部屋に、聞き覚えのない声がした。ご主人から黒い霧が出てきて、それがやがて人の姿を形作り一人の女性が姿を現したのです。
月明かりなき夜のような色をした腰まで伸びた黒髪と、彼岸花のような深紅の瞳。鮮やかな赤色の妖艶な笑みを浮かべる唇。
露出の多い服装だけど、決して下品ではない……むしろ彼女の美しさを引き出すスパイスのようです。
一目見た瞬間に目の前の女性が人智を超越した存在であることが理解できました。
「だ、誰……?」
声が、体が震えるのを抑えることができない。
蛇に睨まれた蛙のようになってしまった私に一瞬キョトンとした彼女は、
「誰ってぇ……ハァー、何も言ってないのねぇ、この娘は」
やれやれ、といった感じで肩をすくめて苦笑する……その動作一つ一つでさえ計算され尽くしたような色気を放っていて、同じ女である私までドキドキしてしまいます。
私がオロオロしている間に謎の美女さんは、倒れたご主人を俗に言う『姫様抱っこ』で私の横に寝かせて布団をかけます。その手つきはとても優しく、ご主人はつくづく罪な女の子だと改めて思いました。
「ハァ……いくら体が少し頑丈だからって心まではそうじゃないのよぉ、二十日以上も寝ずに無茶するからぁ」
「えっ……」
私は我が耳を疑いました。
二十日以上も寝てない? そんな状態でずっと私のことを……頬を涙が伝いそれを両手でぬぐう。その時、一瞬感じた違和感に気が付いた私は、あまりの驚きで涙が止まってしまった。
「あれ? 手が……腕がある」
失ったはずの片腕が、まるで最初からそうであったかのように元通りになっていたのです。
拳を握っては開き、握っては開きと感覚を確かめ、なんの違和感もないことに本日何度目かもわからない衝撃を受けました。
「その腕……そう、それがあなたの答えなのねぇ」
私の腕を見て一瞬悲しそうな顔をした美女さんは、ご主人の髪を優しく撫でて私には意味のわからないことを言いました。
再び私の方へ振り向いたときには、先ほどの表情が嘘だったかのように、妖艶な笑みを浮かべた最初の顔になっていました。
「あっ、あの……その」
「? どうかしたのぉ、そんなコミュ症みたいにオロオロしてぇ」
「こ、コミュショウ? じゃなくて…その、あ、あなたの名前は……」
「名前? ……ふっ、ふふふ」
一瞬キョトンとした後に、心底おもしろいと言った風に上品に笑う美女さん。口元を片手で隠して、肩を小刻みに上下させて笑う様子はとても綺麗です。
「ふふ、あなたは本当に可愛いわねぇ……この娘が気に入るのも理解できる」
可愛いと言われて少し顔が熱くなってしまいました……気が付かれてませんよね? ですが、そんな私の心情は無視されて、彼女はやはり悲し気な顔をしています。
「名前ねぇ……それはこの娘が目を覚ましてからにしましょうか
。自己紹介も含めてね♪」
「……はい」
元々喋るのが苦手な私は、美しさと茶目っ気を全力で振りまく彼女に若干気圧されながら小さな声で返事をした。
「じゃあそれまではーー」
彼女の両手が私の両頬を、そっと包み込む。少し冷たい彼女の両手が、火照った頬を冷ましていくのが心地いい。
「あなたの過去を、見せてぇ」
私と彼女の額が触れた瞬間、私の意識はナニかに吸い込まれた。
◇■◇■
まず胸に抱いたのは喪失感(寂しさ)だった。
暗い暗い闇の中、身を抱き締めたくなるような孤独感が心を蝕んでくる……しかし、自身を抱き締めるための腕は片方しかない。
全身を包む肌寒さに縮こまりたい……けれども私の脚はもう私の意思では動かない。
今すぐ会いたい……抱き締めてほしい母様は、もうこの世にはいない。
両親は殺された……私の目の前で。
私たち狐人族は、狐の耳と尻尾が特徴の少数民族だ。総じて容姿が整っており、保持している魔力も人族に比べれば高い。
その特徴に目を付けた人達に、私の日常は……幸せも、夢も、家族さえも何もかも奪われた。
最初に父様が殺された。不意討ちの一撃で首が宙を舞ったのを今でも鮮明に覚えている。
男である父上には、母様ほどの価値がなかったのだ。
抵抗する間もなく一瞬で葬り去られた父様を……愛する夫を目の前で殺されたにも関わらず、母様は冷静だった。泣き叫ぶ私を背に隠し、魔法を使っての反撃に打って出た。
しかし不幸にも母様は優しかった……いや、優し過ぎたのだ。あと一歩のところで敵に情けをかけ、その一瞬が命取りになった。
隠れていた4人の仲間による一斉攻撃。
目を開け、私の瞳に映り込んだのは四方向から刀で串刺しにされて口から大量の血を吹き出す母上だった。
盗賊自らの命と私達を売り払ったときの報酬を天秤にかけ、その結果盗賊は自身の命を優先した……それだけのことだった。
私がその時に見た最後の光景は、虚ろな瞳で私を見つめる事切れた母上の顔だった。唯一残ったのは自身の命だけ……いや、私には命だけしか残っていなかった。
そして場面が次々と移り変わっていく。
奴隷としての日々……体が不自由でも容赦なく鞭で打たれ、食事は最低限しか与えられず、精神《こころ》が死んでいくのを感じながら生かされる。死にたくても『奴隷の首輪』がそれを許さない。
目の前で見る自分の記憶は見ているだけで辛かった。でも正直、記憶が曖昧で実感がない。
「悲惨ねぇ……」
「はい……でも」
次に見たのは、真っ白な髪で頭から猫耳を生やした可愛らしい……いや、愛しいあの少女《ひと》だった。
『大丈夫……俺は君を捨てたりしないから』
その一言でどれほど心が安らいだか、どれほど救われたか計り知れない。多分、ありがとうを百回言っても足りないと思う……それくらい私はご主人に感謝している。
「ふぅ~ん……これがあなたの過去なのねぇ」
顎に手を当てて少し考える素振りを見せた後に、彼女はこんなことを提案してきました。
「今度はあの娘の、あなたのご主人の過去を……悲劇を見せてあげる」
私に拒否権はないようで、またナニかに意識が吸い込まれていく。
そして、その後私が見たのは……、
「うっ……あぁ…あっ」
誰も報われない悲惨な悲劇だった。
まいど、四葉です。
久しぶりの主人公以外の視点で書きましたが……難しいですね。これから頑張ります。
さて、今月もギリギリの更新でしたが、来月は少し忙しいので更新できるかわかりません。
ですので気長に待っていただけたらと思います。
それでは、また。




