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それが使者のはずがない!

「……」

目を開けると、見慣れない天井が広がっていた。私は眠っていたらしい。しばらく記憶がはっきりとせず、私はただ、天井についているしみを、意味もなく眺めていた。

 なんだか、とても疲れる夢を見ていた気がする。国王の命令で、偏狭の地に行かされる夢。途中、賊にからまれ、酔った男にからまれ、船では雑用をして……目的地の近くの川には落ち、そこでよく笑う女に会って、それから……。

(あぁ、そうか)

村に案内してもらった。リムルという名の村……そこで、彼女の母親に会った。

(母親!?)

一気に私は現実に引き戻された。これは夢ではないのだ。これほどまではっきりとした夢があるものか。いや、夢であってくれるのなら、いっそのことその方がよいのだが……おそらくは無理であろうことは分かっていた。何故かといえば、私の目の前に女がふたり……アキトと、彼女の母親が立っていたからだ。私は、体を起こすなり苦笑した。

「おはよ、旅人さん」

「すまない。眠るつもりはなかったんだが……」

人前で眠りに落ちることなど、滅多に無いのだが……気が緩んでいたのか。あるいは、先ほどの風呂に、何か睡眠効果のある薬草でも入れてあったのか。つい、意識を手放してしまった。

どちらにせよ、ここに長居をすべきではないと思った私は、早々に事を片付けることにした。私は手を、後ろ髪のところに延ばした。髪がほどけている。

「アキト殿、私のリボンを知らないか?」

彼女は知らないらしく、目で母親に訊ねていた。母親は、あぁ……といった感じで、奥からそれを持ってきてくれた。そして私はそれを受け取ると、それですぐに髪を縛った。

「色落ちしてきているんじゃないかい? 何か新しいものを用意しようか?」

私は首を横に振った。そんなこと、できるはずがないではないか。

「これは私にとって、大事なものなんだ。変えることなど出来ない」

「そうかい。誰かにもらったのかい?」

私は、敵となってしまった少年ラナンの姿を思い浮かべながら頷いた……と、その時、私は自分の着ているものにはじめて気がついた。

「こ、これは……」

あきらかに、それは女用の服であった。

「ちょっとサイズが小さかったね。仕方ないか。あなた、おっきいんですもの」

(だったら、このようなものを着せるなよ……)

私は心の中でうめいた。そして、この情けない姿をどうしたらいいのか悩んだ。女の背丈に合わせたそれは、私には少し窮屈で、アキトがはけばおそらく足首のあたりまでは軽く届くのではないかと思われるスカートの裾は、私のひざを少しこすぐらいのところにきていた。

「他に服はないのか? 私の着ていた服は?」

私は頭を抱えながらそう訊ねた。おそらく、無理だろうとは思っていたのだが。私はここで、ふと疑問に感じた。

「貴方の服は今、洗濯をして干しているわ。まだ、乾いていないから」

「……アキト殿、父君はどうなされた?」

彼女は、ラナンに似たオーラを持っていた。だが、私の今の言葉を聞いて、一瞬であったが、彼女の顔色が曇った。それを見て、私は聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと自覚した。

「すまない、なんでもない」

私は頭を下げた。本当に、申し訳ないと思ったんだ。そんな私を見て、彼女は私の額を軽く指ではじいた。痛い……と顔をあげると、そこには笑顔の彼女がいた。少しだけ、ほっとしたが……額が思った以上に痛むことを考えると、やはり少し怒っているのではないかとも思う。

私も……父上や母上のことを聞かれるのは辛いから。どうして察してあげられなかったのかと、後悔した。この家から、男の気配はしていなかったのだから……おそらくは、存命していないのだろう。

(無神経な奴だな……私は)

「ば~か。生きてますよ」

「えっ……?」

アキトはいたずらっぽく笑っていた。

「父さんなら、隣の部屋にいるよ」

「……そうか」

からかわれたような気もしたが、生きていたのならばそれでよいと思った私は、安堵の笑みをこぼした。

「あら……」

「……何か?」

私の顔をまじまじとのぞいてくるので、私は少し身体をひいた。

「貴方も、笑うのね」

その言葉を聞いて、私は何か、ひっかかるようなものを感じた。

「その格好だから、結構似合っているしね」

アキトはそう言いながら、この部屋を出て行った。母親も、大笑いしながら出て行った。

(このふたり……私で遊んでいないか?)

そう思わずにはいられなかった。




「そういえば……」

服を脱いで裸になるわけにもいかず、私はどうすればこの格好をごまかせるかを考えていると、この部屋の外から母親の声が聞こえてきた。アキトの元気は、母親ゆずりなのであろうな……などと思いつつ、私はふたりの会話に耳を傾けていた。

「今日は、フロートから遣いの者が来る日じゃなかったかい?」

私はそれを聞いて、少し安心した。あの国王には珍しく、私の事を事前に、ちゃんと連絡してくれていたようだ。それならば話もしやすい。早いところ任務を果たし、私は城へ帰ろうと思った。

 

 尤も、城……フロートが好きな訳ではない。


 私の村を滅ぼした存在、それこそが、フロートだからだ。


 私はベッドのシーツをまくると、それを腰に巻いた。これもまた、スカートのように見えるのではと考える者もいるかもしれないが、あのまま素足を大胆に見せてしまうような丈のスカートを、そのままの状態で履いていることよりは、いくらかマシというものだ。そして私は部屋の外に出た。

「母親殿……」

「なんだい、その呼び方は。私はシトフ。村一番の美人だよ」

別に、そこを否定はしない。私は「美人」というものがどういう人のことを言うのかよく分からない。それはそれで失礼かもしれないが、ただ、美人と聞くと……どちらかといえば、アキトのような女のことを言うような気がする。そんなことをいえば、私はこの母親、シトフに殺されかねないと、苦笑した。いい大人、もう二十七にもなる男が、女相手に情けない話だ。

「シトフ殿。フロートからの遣いの件だが、それは私……」

「そうかい! やっぱりなぁ……そんな気はしていたんだよ。やっぱりそうだったのかい!」

言い終える前に、シトフは口を挟んできた。その勢いについつい後退りしてしまうほど、彼女のパワーというものは強かった。何はともあれ、私のことをフロートの使者であると分かってもらえたことはよかった。私はこの流れのまま、村の責任者に会わせてもらおうとした。


 しかしそう簡単にはいかないのがこの村での成り行きらしい。


何やらまたしても、問題が起きたらしい。


いい加減、勘弁してほしいところだ。

 

「あの毛並みはただものではないと思っていたよ。アキト、丁重におもてなしをするんだよ。へそをまげられたら困るからねぇ」

私の事を言っているようにはとても思えなかった。

(毛並み?)

髪の毛のこと毛並みとは言わないのでは……と思いつつも、私は自分の髪の毛を指でいじってみた。自分で言うのも変だが、とりあえず……質はいいような気がする。これといって、手入れをしている訳ではないが、何故か艶が出るほど綺麗だった。

「あの……シトフ殿?」

シトフはにっこりとこちらを向いて微笑んだ。そして、私の肩をポンっと叩いた。

「お前さんは、そのフロートの使者の、付き人みたいなものなんだろう?」

(……付き人? 私が、使者の付き人だと?)

何を言っているのか、いまひとつ話が掴めない。私が何者かの付き人だと言っているのか? 私と同じ日、それも同じような時間帯に、誰かがこのような地にある村に来たとか、そういうことなのか? 偶然、そういう人物がいたとも考えられなくはないが、このような偏狭の地にわざわざ来るなど……あまり、考えられないのだ。

(何者かが、私に成り代わろうとしているのか?)

それこそ、ありえる話だ。私は、フロート国王の側近。その地位を奪おうとするものがいるのかもしれない。

「シトフ殿……その、フロートの使者とか言うものはどちらに?」

私は自らその者をとり捕まえようと決めた。ただ……このような格好で家の外にでることは、少々苦いものを感じた。偽者にも、私が本当の使者だと言っても、信じてはもらえないような気がする。

「何を言っているんだい? まぁ……お会いしたいのなら、会って来ればいいさ」

訝しげな顔をして、シトフは私を表に連れて行った。そして、シトフが立ち止まった先には、あるものが立っていた。アキトは、そのものに食料を与えている。しかし、どうみても使者と思われるものは、そこにはいないようだ。私は、一応あたりを見渡して、近くにひとがいないことを確認すると、もう一度、シトフに訊ねてみた。

「あの……私は、使者に会いたいのだが?」

「だからここに、連れてきただろう?」

呆れたような顔で言われてしまった。私は見逃したのかと思い、もう一度辺りを見渡した。しかし、結果はやはり同じだった。キョロキョロしている私に痺れをきらしたのか、シトフは私の後ろにまわり、私の頬を両手でがっしりと挟んできた。何をされるのかと体中に緊張が走った。

「ここに居るだろう? どこを見ているんだい」

そう言って彼女は、私の首をグキリと右九十度ほど強引に傾けた。急に曲げられた為、首にかなりの痛みが走ったが、それよりも、目に映ったものが信じられなくて、痛みもかき消された。

「これが……使者だと?」

「お前さんはこの使者の連れのものなんだろう? 何を言っているんだい。全く、おかしな子だねぇ」

私は絶句した。何故って? そこにいるのは、「人」ではないのだ。しかも、よりにもよって、私をびしょ濡れにさせた張本人がそこにいるとは……。これが使者? 冗談ではない。

「私をからかっているのか?」

シトフは、心外だというような顔をした。

「からかってなんかいないさ。何を怒っているんだい?」

「何をって……これは、馬ではないか」

この村に来てからというもの、私は可笑しかった。どうも、いつもの自分を見失っているような気がしていた。しかしそれは、少し違っていたのかもしれないと思いはじめた。可笑しいのは私の方ではなく、この村のほうだったのかもしれないと、私は思いはじめた。

「馬って……あんた、付き添い人の身で、よく言うねぇ」

「そうよ。せっかくフロートから長い道のりを経て、来てくださったというのに。それは失礼ではないの?」

私はなんだか、たくさんの視線を感じていた。恐る恐る後を振り返ると、いつの間に集まっていたのか。おそらく村人全員だと思われる人数の民が、ここ、馬小屋に集まって来ていた。

 私は思わずハッとした。自分の今の格好を村人全員に見られてしまったことに気づいたからだ。いい大人が情けない。このような姿をさらすために、ここへ来たわけではないのに……私は一体、何をしているのだろう。泣きたい気分になってきた。

「この方が、フロートの使者様ですかな?」

どうやら、この白髪の老人が村長なのであろう。痩せていて、とても小柄な老人であった。彼は、木を器用にけずった杖で体を支えながら、使者と呼ばれたもの……馬の方に歩いていった。私のことなど見向きもせずに通過されてしまったことが、なんだか物悲しかった。ここまで苦労してきたというのに、私は一体何なのだ……と。

ここ数日。そして、今日という非常に短い間の中で、本当に色々なことがあったが、まさか挙句の果てに、このような馬の付き添い人にされるとは、夢にも思っていなかった。

(……帰りたい)

泣きたくなるような状況。そのようなものが、こんなにもリアルにあるとは思わなかった。

とにかく早くフロートに帰って、ルシエル様に会いたいと思った。誰かにこの件のことを話さなければ、自分は救われないと思う。このままでは、この村人に殺されるような気さえしはじめた。特に、シトフ。あの母親の力は凄まじすぎる。これでも一般人には到底及ばないほど、鍛えてきたつもりであったのだが、私の自信は一気に根元から崩されてしまった。


どれだけ鍛えても、どれだけ努力をしても、結局私は……このような境遇が似合う人間だったんだと、思い知らされた気がして、涙さえ出そうになった。

 

「今回は、どのようなご用件でこのような村へ?」

馬が人間の言葉を話すものか。もっとも、私のようなイレギュラーな人間ならば、馬の言葉を理解することも、話すこともできるがな。それにしても、このような光景をみているだけでどっと疲れがでてきた。

「……可笑しいのぉ。何も話してくださらぬなぁ」

冷たく風が吹いた。私の心情を察してくれているかのようで、どこか少しだけ、救われた気がした。自分のこの切ない思いを分かってくれるのか……と。私は深く息をついた。

(馬が人語を話す訳がない)

しかしどうやら村人達は、本気で馬が人語を話すと思っているようであった。なかなか話をしない、私が乗ってきたただの動物である馬を前に、どよめきが起こりはじめた。そして、その中で声を発するものがいた。

「もしかして……付添い人のこの人が、使者様のことを馬だとか言ったから、お怒りになられたのでは……?」

アキトだった。馬にブラッシングをしていた手を止め、私の方を睨んできた。すると、村人たちも一斉に私に冷たい視線を向けてきた。

(お、おい……)

冗談じゃない。何故ただの馬が喋らないからと言って、私が責められなくてはいけないのだ。何だか段々と、馬が憎らしく思えてきた。よくもこのような村に私を連れてきたな……と。


まぁ、ここへ来たのは何も、馬のせいではないのだが……。


 冷たい視線に耐え切れなくなった私は、わざとらしく咳払いをすると、馬の方に歩み寄った。そして、馬に話しかけた。

「lasoepa。kawrjpageoaw?」

これは、人間には分からない言葉であった。獣や魔族の使う言葉……特別な言葉だった。教科書にも、どこにも載っていない。私が幼き頃、両親から教わった言葉であった。

そのため、村人たちはきょとんとした顔をして渡しを見ていた。それを横目で見ながらも、私は馬の答えを待った。

 ちなみに私は、馬に「何でもいいから話せ。私を困らせたいか?」と訊ねてみたのだ。暫くしてから、馬は私の方を向きながら、声をあげた。もちろん、村人の耳にはただの馬の鳴き声としか耳に入ってはいないはずだ。だが、私にはハッキリと聞こえた。私を下に見た馬の声を……。

「なんだと!? 私のせいだからお頭をさげろだと!? お前、よくもそのようなことを言えたものだ!」

私はついつい馬鹿正直に、馬がなんと言ったのかを村人の前で口に出してしまった。自分でこのようなことを口走ってしまったからにはもう、言い逃れなどできるはずがなかった。

「やはりお前さんのせいで、使者様は黙り込んでしまっているのですか……」

村長が肩を落としたのを見て、私は慌てて釈明しようとした。

「いや、だからその、使者とは……」

「どうしたら許してくださるのか……」

使者は私だと言っても、もはや信じてはくれないのであろうな。私は、馬を怒る気持ちよりも、少しずつ疲れの方が出てきて、なんだかもう、任務などどうでもよくなってきてしまった。私は馬に持たれかかりながら、投げやり気味に聞いてやった。どうすれば、お前の機嫌は直るのか……と。

「kap;rmwp。amoaa;feapps?」

すると馬はまた鳴いた。その馬の返事を聞いて、私は大きく嘆息した。そして、どうしてこのような馬に乗ってきてしまったのかと、自分自身を怨みはじめた。港にはこの馬のほかにも何頭か馬は用意されていたのに、どうしてよりにもよってこの馬を選んでしなったのだろうか。馬と会話が出来るのだから、相性のいい馬を、きっちりと探して来るべきだった。


 そう、全ては私が愚かだったのだ。


「付き添いのお方。使者様はなんと?」

嘘をつけばよいのかもしれない。どうせ私以外に、この馬の言葉を聞き取れる人間などいないのだから……。でも、ルシエル様から「嘘はそう簡単についてはいけない」と教えられてきたから、どんなに辛くても、出来る限りは、ルシエル様の教えは守りたいと思った。

「私に、畑でも耕して来い……と」

ニヤっとした笑みをこぼした村人一同は、いつの間に用意したのか。鍬を持って私の前に並んでいた。

「では、行きましょうか?」

「はぁ……」


こんなことならば、国王の下で嫌味を聞いていたほうがマシだったかもしれないとさえ、思えてきた。


「さぁさぁ、付き人さん。こちらにどうぞ」

私は、畑と呼ぶには程遠い、ただの荒れ果てた地に案内された。どれくらいの広さがあるだろうか。とりあえず、馬を悠々と走らせることができる広さだ。

「シトフ殿……この荒地を私に耕せと?」

「そうさ。ほらほら、やってみな」

私は大きな鍬を渡された。私も小さな村の出だが……考えてみると、これまでにこのような仕事をしたことがないことに気がついた。

村を焼かれたのは、私が七つの時だ。私は、同い年の子どもたちよりも、一回りもふた回りも体が小さかった為、このような鍬を持つことを、親から許してはもらえなかったのだ。お前にはまだ危ない……と、取り上げられてしまっていた。

(女子よりも、私は小さかったからな……)

私は本当に小さかった。なかなか背が伸びず、十六になって、ラバースSクラスにいた時には、年下の兵士にまで背が低いと言われていて……本当に、辛かった思い出がある。

(まぁ、あれから少しずつ伸びはじめてくれて、助かった)

そんなことをしみじみと思い出しながら、私は鍬を持つ手に力をこめた。昔のことが思い出されてきて、知らず知らずのうちに私の目頭は熱くなってきていた。視界がぼやけはじめてきて、私はやっと自分が泣き出しそうになっていることを自覚し、指で目頭を押さえ、涙を必死に堪えた。

(父上、母上……鍬はやはり、重いです)

本当に重かった。父上も母上も、よくこのようなものを軽々と扱っていたものだと感心した。この年になった私でさえ、重いと感じるのだから、よっぽどだと思う。しかし、驚いたことに、どう見ても同じ鍬なのだが、アキトはいとも簡単にそれを担いでいたのだ。

「アキト殿。重くはないのか?」

「全然。貴方、もしかしてこれが重いの?」

そのような言い方をされてしまっては、重いとは言えないではないかと、内心で毒づきながら、私は自分の力のなさを情けなく思い始めた。

「いや、別に……」

先ほど、嘘はつきたくないとか思っていたはずなのに、私はあっさりと嘘をついてしまった。嘘というより、見栄を張ったというほうが近いか。でも、ここで重いなどと言えば、私の立場が本当にないのだ。剣士として名を挙げてきた私の矜持はことごとく挫かれていった。

「では、やっていただきましょうか」

一応は、アキトとシトフ殿も手伝ってくれるらしい。私は少し安心した。この広さの耕地をひとりで耕せと言われてしまったら……ついには、逃げ出したかもしれない。

(よし……腹を極めてやるか)


私は、鍬をゆっくりと振り上げた。


そして。


ドスン……。


振り上げた鍬の重みで、そのまま後ろにひっくり返った。


「痛……っ」

思い切り尻餅をついた私は、予想以上の痛みに顔を歪ませた。おそらく、運の悪いことに、尻餅をついたところに大きな石でも落ちていたのであろう。やはり、素直に重いと言うべきであったのかと、私は赤面しながら後悔していた。そして、私は慌てて腰に巻いていたシーツを正しい位置に直した。転んだ勢いで、前の部分がはだけてしまい、アキトに借りてはいていたスカートが見えてしまったのだ。あまりにも恥ずかしくて、私の心臓はバクバクしていた。今にも飛び出そうだ。


 覚悟はしていたが……やはり、思い切り笑われた。


「お前さん、情けないねぇ。こんなことも出来ないのかい?」

「……すまない」

重すぎて出来ないとか、そういうのは言い訳にはならないことはわかっていた。彼女達は、それを軽々と扱っているのだから……。私はこんなことも出来ずに、今まで生きてきていたのかと、ショックを受けた。

 肩を落とし、悲しげに俯いている私を見てどう思ったのか……。彼女達は、先ほどよりも少し、優しくなったような気がした。

「もしかしなくても、畑仕事は初めてかい?」

「……はい」

すると、シトフは私の前に立って、鍬を持った。

「お前さんは、持ち方がまず悪いんだよ。左右握るところの間隔をあけなきゃ。ほら、こうするんだ。やってみな?」

「え、はい……」

私はとりあえず立ち上がり、シーツについた土を払うと、シトフに言われたとおり、鍬を持ってみた。考えてみれば、剣を持つように持てばよかったのだ。

「こ、こうですか……?」

「そうそう。それで、振りかぶって……下ろす。あぁ、そこまで振りかぶる必要は無い」

シトフの動きを見てから、私も同じようにやってみた。まだ重いが、やはり先ほどよりはバランスが取れているため、倒れずに振り下ろすことができた。とりあえず、私は一歩前進出来たと安心した。これで何とかやっていけそうな気がしてきたのだ。

「出来るじゃないか。じゃあ、後は頼んだよ」

「えっ?」

アキトもシトフも、鍬を放り出して家の方に歩いていってしまった。取り残された私は、暫く広い荒地の中、呆然と立ち尽くしていた……。




(どうして私がこんなことを……)

心の中で、いったいどれだけ悪態をついたことか。しかし、何だかんだと言って、半分ほどは綺麗に耕すことが出来た。普段は税を取り立てるなどのひとを苦しめてしまうような仕事ばかりをしている私にとって、これは異色である仕事であった。正直かなり大変な重労働だ。腰も痛くなってきたし、手には肉刺ができ、さらにそれがつぶれて血がにじんでいた。それでも……充実感というものを感じ始めてきていることを、私は自覚していた。普段の仕事なんかよりもずっと、清々しい。

「人間の生活……か」

大変ではあるが、これこそが私の夢見た生活なのかもしれないと思い始めていた。何より、こうやって過ごしていると、懐かしい家族のことや、村人達のことを身近に感じていられるのだ。

「……悪くない、か」

あれだけ馬に怒りを感じていたのが、嘘のように思えてきた。今ではあの馬に、感謝さえ出来る。出来ることならば、いつか……。

(いつか、ラナンと……)


こういう暮らしができればよいのに……。




しかしそれは、叶わない願いであると、知っている。




 ラナンは私の敵。




 私はラナンの敵なのだから……。




 私は、物悲しさを感じながらも畑を耕し続けた。




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