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変な意地は張るべきではない!

 私は国王の命令で、「リムル」という村に行くことになった。その村はかなりの偏狭の地にあるそうで、まずは城から馬を走らせ「レラノイル」という街へ行き、そこから船を出し、大陸を南に下っていった。そして、着いた港からさらに馬を5日走らせ、ようやく私はその村の近辺を囲んでいる森についた。

「はぁ……」

私は深く息をついた。ここまでの道のりが、本当に長く感じたからだ。距離があるのだから当然だと言えばそうなのだが、この道中色々とあったのだ。

城を出るとともに賊に囲まれてしまい一戦交えることになり、港では酔った中年の男にからまれた。大したことはないと思うかもしれないが、賊の数が半端ではなかったのだ。三十はいたのではないか? あれだけの集団を作れるのならば、その人数で畑でも作れと言いたいところだ。そして、船に乗ってみれば国王から授かっていた船賃をいつのまにか落としてしまっており、無賃乗船になってしまったのだ。強調しておくが、決して賊に取られたわけではない。私はそんなヘマはしない。お金がないからといって船を諦めるわけにもいかない私は仕方なく、掃除に料理、とにかくありとあらゆる雑用をして、船長に乗船を許していただいたのだ。

「ついていないな……」


そう嘆かずには、いられなかった。

 

 森は好きだ。木々が優しく私を歓迎してくれているように思える。風も心地よく、これまでの疲れを癒してくれているような気がした。何より、このあたたかな雰囲気は、ラナンのものと似ていた。

(ラナンか……。元気にしているのであろうか)

時折、レイアスやラバースの兵士が報告書を持って国王の部屋を訪れる。その結果を聞いている限りでは、まだフロート軍に捕らわれてはいないようであった。フロートからラナン討伐の命令が出る度に、私の心は痛んだ。

私は、せっかく久しぶりに森の中を悠々と行けるのだと思い、馬から降りて歩き始めようとした……その時だった。

「なっ……!?」

どうしてか、急に馬が暴れだし、勢いよく走り出したのだ。手綱が上手くひけず、体勢をくずして必死にしがみつく私の気持ちなど、まったくどうでもいいというような感じで、馬はひたすらに走り続けた。

(くっ……飛び降りるか)

そう思った瞬間だった。

「っ……!?」

私の目の前から、陸が消えた。


バッシャン……。


「何なんだ……」


悪態をつくしかなかった。

 

 そこは紛れもなく川だった。あの馬……何ゆえいきなりこんな所にダイブしたのだろうか。それともただ単に落ちただけなのか。その姿を見てやろうと、私は辺りを見渡した。すると、馬の姿は難なく見つけることができた。しかし、気になったのは……馬にはまったく濡れた形跡がないことであった。私を川へ落としておきながら、自分は向こう岸までちゃっかりジャンプしていたのであろうか。私を尻目に、自分は悠長に水を飲んでいるではないか。私は大人気ないとは思いつつも、内心ムッとしていた。しかし、馬に非難の声をあげたところで今の状況が変わるわけでもないので、びしょ濡れになった自分の姿を情けなく眺めつつ、私はこれからどうしようかと色々考えた。

「困ったな……」

このような姿で村に行っても、仕事にならないのではないかと思ったのだ。今回は、フロートへの信仰が薄い偏狭の地での意識改革だとか何とかを行う為にここまで来た訳なのだが、これではただの間抜けな男をアピールしてしまうだけではないのか……という不安に駆られた。


「くすくす」

ひとが真剣に悩んでいるというのに、何者かの笑い声がふいに聞こえてきた。私は、川の中に尻餅をつきながら、顔だけを自分が落ちて来た小高い丘の方に向けた。するとそこには、二十歳前後だろうか。若い女がこちらを見て笑っていた。

「……無礼ではないか? 陰からひとを笑うとは」

私は、みっともなさを誤魔化すようにそう言った。このまま笑われているのはなんだか癪だとも感じた。怖そうな顔つきを以ってこうでも言えば、女は私を恐れて笑うことをやめるのではないかと考えたのだ。しかし、結果は私の思ったようにはならなかった。

「あら、こんな寒い日に水遊びをしていらっしゃる貴方が悪いわ」

そう言って女はまた、声には出さずくすくすと笑った。少しも恐れる様子などない女を前に、私は言葉をなくし、顔が熱を帯びていくのを自覚しながら視線を彼女から外した。そして、しばらく川を見つめてから私は、頭も川の中につっこんだ。あまりの恥ずかしさに上がってしまった熱を、冷まそうとしたのだ。

「何をしていらっしゃるのですか?」

当然女は不思議に思ったのであろう。私は顔を上げて堂々と答えてやった。

「風呂だ。いい川があったから、私は風呂に入っていたのだ」

どうしてこんなことを言ってしまったのか……後から私は、恥ずかしさで死にそうな思いをした。

 女はというと、とうとう声に出して大笑いをしはじめてしまった。

「いい年して、可愛い言い訳をなさるのですねぇ。そんなに急いで入らないといけないほど、体が汚れていらっしゃったのですか?」

ここまで笑われたら、もう落ちるとこまで落ちたなと諦め、私は投げやりになってきた。いっそのこと、この方が気分的にも楽になれると思った。

「悪いか?」

「いいえ?」

女は丘の上に腰掛けて、こちらを眺めていた。あんなことを言ってしまった手前、岸にあがることもできなくなってしまった私は、馬を羨ましく思いながら、ただ川に浸かっていた。しかし、もう夏が終わり気温も下がってきていたため、川の水は疲れた体に冷たく刺さってきていた。できれば、早いとこ岸に上がって体を温めたいのだが……。

「あのぉ……早くあがらないと、本当に風邪をひいてしまいますよ?」

(私もそう思う)

などとは、声に出しては言わなかった。これは私の小さなプライドかもしれない。どういうプライドかと問われても困るのだが……。やはり、どこかみっともない気がするのだ。これでも、疾うに成人している大人だ。このような自分よりも年下だと思われる女性に、上から見られて嬉しいはずは無かった。

それにしても、ここが偏狭の地でよかったと心から思った。このような失態をルシエル様や、ジンレートにでも見られたりしたら……私はもう、生きてはいけないかもしれない。

もしもラナンならば、このような私の姿を見てなんと言うであろうか。がっかりでもするであろうか……。

「私は鍛えているから、これくらいなんとも……」


私は愚かだった。


慣れない見栄など張るものではないと、身をもって実感した。

 

「っ……くしゅん」

身体が冷えこんでしまい、とうとうくしゃみをしてしまったのだ。身体がぶるりと震え、恥ずかしさで熱くなっていた身体も、体温低下しているのが分かる。

(もう……駄目だ)

私は川に映った自分の顔を見た。情けない己の顔を、見てやろうと思ったのだ。案の定、耳まで真っ赤になっていた。私は、あまりの格好の悪さにどうしていいかわからなくなっていた。女は必死に笑いをこらえている。口に手をあて、小刻みに震えている。とりあえず、このように赤くなってしまった自分の顔を見られたくはないと思い、手で顔を覆った。

そんな私を見て何を思ったのか、女は丘の上から突然、こちらに向かってジャンプをしてきた。私は気配でそれを悟りはしたが、不覚にも反応が遅れてしまった。しかし、彼女のような華奢な女があの高さからここへ飛び込めば、足でも痛めてしまうのではないかと思ったので、慌てて彼女が落ちてきそうな辺りまで走って、彼女を川に落ちる寸でのところで受け止めた。川の流れに逆らって動くのは、なかなか疲れる動作であった。

「女……無茶をするな。私のように、下に受け止められる男がいたから良かったものの、あのような高さから女が飛び込むことには、感心しないな」

女はまた、私の腕の中でくすくすと笑っていた。

「何がおかしい?」

まじめに聞いている私の様子がまたおかしかったのであろうか。女は私をみて笑っていた。しかし、正直不思議な気持ちがしていた。恥ずかしいという感情が大半をしめていることに違いはないのだが、私のような人間に、これだけ普通に接してくる人間がこの世界にまだいたということは、私にとって驚くべきことであった。


 私は、咎人だから。


「ひとつ、いいかしら?」

「……なんだ?」

私には、女が何を言おうとしているのか、想像もつかなかった。

「私は貴方がいたから、飛び込んだんですよ?」

「……私がいたから?」

女の言葉に、私は首をかしげた。

「こうでもしなきゃ、貴方はあの場所から動けなかったでしょ?」

「……」

確かに、女の言うとおりだった。無駄なプライドのせいで、私はここで風呂に入っているという設定になってしまった為、自分からその場を離れるということが、とてもし辛くなっていたのだ。

「そうだな」

変なプライドを持つべきではない。その教訓から、もう見栄は張らないことにした。急に正直に話し出した私を見て、女は満足したのであろうか。私の頭に手を伸ばしてきた。何をされるのかと一瞬ビクっとし、私は女から顔を離した。

「な、何をする気だ!?」

「正直に生きなきゃいけませんよ」

そう言って、彼女は微笑みながら私の頭をなでた。思いもよらないことをされ、私はまた、赤面したことを自覚した。この至近距離で赤くなった顔を見られることには耐えられず、私は顔を右に向け、女の角度からは見えないように努めた。しかし、早まる鼓動は完全にばれてしまっているであろうと苦笑した。

「早く濡れた衣類は勿論のこと。身体も乾かさなくちゃ。あなた、見慣れない顔よね。旅人さんですか? この先に私たちの村があるんですけど……行きましょうか」

この先にあるといえば、自分が目指していたリムル村に違いないであろう。案内してくれるのならば、こちらとしてもありがたかったし、何より私自身早いところ服を乾かしたかったので、素直にお願いした。

「頼む」

「じゃあ、行きましょう!」

そういって女は私の腕の中から飛び降りた。長いスカートを身にまとっていた為、裾が濡れてしまっていた。

「急にどうしたんだ。服が濡れてしまったではないか。降りたいと言えば、私が岸まで運んだものを……」

彼女は私の話をまったく聞いていないのか、構わずにジャブジャブと岸に向かって歩いていった。そして、もうあと数歩で岸まで着くというところで立ち止まり、こちらのほうに振り返った。その行動を見て、私はまた首を傾げた。

「ひとりでびしょ濡れになっているより、私も一緒に濡れているほうが恥ずかしくないでしょう?」

私は、しばらくその場に立ち尽くしていた。心が揺れている……それを自覚しながら、私は女の笑顔を見ていた。




 村はあの川のすぐ側にあった。本当に小さな村で、入り口から出口まで、簡単に見渡せてしまうほどの広さであった。しかしそんな中でも、広々とした市場を持つ、発展都市レラノイルなどよりも、はるかに裕福そうに見えるのは、ただの気のせいなのだろうか。いや、そんなはずはないな。確かにこの村は裕福なのだ。自給自足が成り立っているのだろう。一応はフロート領内の村だということだが、フロートからあまりにも距離がある為、税の取立てからも外されているらしい。そのため、一切フロートに作物をとられることも、今のところはない。村の中は、畑でいっぱいだった。

(ラナンが見たら、喜びそうな村だな)

ラナンはおそらく、こういった村や街を作りたいが為に、レジスタンスを立ち上げたのだろうから……そして今は、旅をしているのだと思っている。確かに、このような村や街があたり前の世界になったならば、どれだけすばらしいことか……。

(敵……か)

以前ラナンと対峙したときに、そう言われた。事実そうなのだから、仕方のないことではあるが、正直私はショックだった。最も出会いたくない、戦いたくない敵、ラナン。私の頭の中には、常に彼の姿があった。

「こちらですよ」

いつの間にか足を止めてしまっていた私に、女は声をかけてきた。そして女は、村に入って三件目の家に私を案内してくれた。そこが彼女の家らしい。

「ただいま、母さん」

「あぁ、おかえり。アキト」

それがこの女の名前らしい。髪はふたつに束ねており、銀髪だ。女らしい顔立ちだが、名前はそれにはにつかないように思えた。なんとなくだが、男の名前のように聞こえる。

(まぁ、そんなことは、どうでもよいのだがな)

とりあえず、仕事ができればよいのだから。これから先、ここへ来ることもおそらくはないのではないだろうか。ならば、あまりここに執着だとかそういうものを持たないほうがよい。

「おやおや。お客さんとは珍しいねぇ。ふたりでびしょ濡れになって、一体全体どうしたんだい?」

「これは……」

私は言葉に詰まった。本当のことを言っても、嘘をついても、結局格好の悪いことに変わりは無いのだが、私はどう話そうかと戸惑った。

「お風呂でしょう?」

「おい……」

悪びれもなくさらっと言ってしまった女、アキトを、私は横目で睨んだ。すると、私の反応がおかしかったのであろうか、アキトはまた笑っていた。本当に、よく笑う娘だ。

「ごめんなさい。川でちょっとあったのよ。母さん。彼に服を貸してあげて」

「いや、私は別に、このままでかまわん」

さすがに、そこまでしてもらうのは悪いと思い、私は断ろうと思ったのだが、アキトの母親は私の気持ちはおかまいなしという感じで、ズカズカと私のほうに歩いてきた。そして、自分の背丈と俺の背丈を照らし合わせているようであった。

「な、何か?」

「誰の服を着せようか……と、思ってねぇ」

大柄なアキトの母親は、そこにいるだけで威圧感を感じさせるものがあった。もっとも、それが悪いことだとは思っていない。それだけ、食べるものがあるということなのだから、むしろいいことだ。フロートの管轄化にあり、重い税金制度を課せられている民は、本当にやせ細ってきている。このままでは、フロートは繁栄しているように見え、実体はほんの一部の人間が裕福なだけである、見掛け倒しの王国になってしまう。


 ただし、フロート国王の側近である私が、フロートの繁栄を願っているのかといえば、そういうわけではない。


「私のが一番、合うんじゃないかな? 持ってくるわ」

せっかくのご好意なのだから、私はそれを受けることにした。

「すまない……ん?」

だがしかし、私はそこでふと疑問を感じた。今、「私のが……」と、言わなかったか? 私は、混乱する頭で必死にアキトの言葉を反芻のし、その意味を考えた。

「ほら、あんたは脱いで待っていな?」

「なっ……!」

アキトの言葉が気になって油断していた私は、意図も簡単にアキトの母親に服を剥ぎ取られてしまった。上半身は裸にされ、下も、下着だけの姿にされてしまった。あまりの恥ずかしさに私は気が動転した。手は意味なく宙を仰ぎ、口は空気を食べているかのようにぱくぱくとさせていた。もう、何をやっているのだか、自分でもわからない。

それにしても、なんの抵抗もすることなく服を脱がされてしまうとは……情けないにも程がある。私が間抜けすぎるのか。隙がありすぎるのか。それともこの母親が只者ではないのか。何がどうなのか、よく分からないが、とりあえずは用心すべき人物だと心から感じた。

(もしかしたら、服を脱がせることが本職なのであろうか……)

私は、真面目にそう思った。

「……っくしゅん」

油断をするとこうだ。くしゃみが出てしまう。頭も心なしか、少しぼーっとしてきた気がする。これは、本格的に風邪をひいたかもしれない。このような事態になったのも、すべてあの馬のせいだ。あとでたっぷりと説教をしてやろうと、私は心に誓った。

「体が冷え切ってるねぇ、あんた」

そう言って、母親は私の体をさすってきた。

「うわっ……!?」

上ずった声を、思わず漏らしてしまった。心臓は、離れていても鼓動を聞かれてしまうのではと思うくらい、波打っていた。

「なんだい? お前さん。恥ずかしがり屋さんだなねぇ」

大口で笑うと、母親は私に一枚のタオルを持たせた。これで下着を隠せとでも言っているのかと思ったが、どうやら違ったらしい。

「風呂を沸かしてあるから、着替える前に先に入っておいで」

そして私は、奥の部屋にと案内された。すると、そこには立派な風呂があった。木で造られたそれは、以前ルシエル様が見せてくださった、古代文明の風呂にとてもよく似ていた。

「これは……」

私は思わず魅入ってしまった。目を輝かせ、ドキドキしながら湯船を、とりあえず人差し指で触ってみた。歴史を感じた。非常に感動した。

「木だ……」

「そんなの、見ればわかるだろう?」

母親はまた、大笑いをしていた。しかし、今は笑われていることも気にはならない。私は、とにかく興奮していた。まさかこのような物に出会えるとは、思ってもみなかった。

 風呂というものは、現代社会では裕福な上流家庭の家にしかなく、大きな街ならば、銭湯を経営しているところがあるというだけで、本当に数が少ない。それも、城の浴場を含め、風呂はたいてい石でできている。木でこのように作るという習慣はこの時代にはない。

(日本……だったか? このような風呂に入っていたのは)

私は鼻がよく利く。木の匂いを思う存分に堪能していた。すると、いきなり背中を後ろから勢いよく押された。


ザバッ……。


結果、私は頭から風呂に落ちた。

 

「がはっ、ごほっ……!」

一瞬、何が起きたかわからなかったが、鼻に水が入り、とにかく慌てた。ジタバタともがき、必死にお湯から体を抜け出させようと奮闘した。腕に力をこめ、顔を水面から出し、空を蹴っていた足は、なんとかして地に戻した。二、三回息をして、呼吸を整えると、私はキッと後ろにいた人物、即ち私の背中を押した人物、即ち……アキトの母親を睨みつけた。

「何をする! 私を殺すきか」

「お前さんがちっとも動かないから、壊れたのかと思って、軽く押してみただけじゃないか」


なんだか、すごく違和感を覚える言葉だった。


まず、壊れるっていうのは何なのだ? それに、今のが軽くだと? ものすごい勢いで押されたと思うのは、私の気のせいだったのか?

「壊れるとはなんだ?」

私はひとつずつ、聞いてみることにした。なんだか……自分が人間ではないと言われたみたいで、心苦しくなったのだ。いや、事実私は、純粋な人間では恐らくないのだが……。

それでも、「壊れる」という表現は普通では考えにくいものだった。壊れるという表現は、物に対して使われると思うのだが……。

(私は、物に見えてしまうほど表情や動きが硬いのか?)

少し、ショックだった。

「もしかしたら、お前さんロボットだったのかなぁ……と」

「ろぼっと?」

聞きなれない単語だった。しかし、よく思い出してみると、やはりルシエル様に見せていただいた古代文明の本に、そのような単語が載っていたような気がしてきた。ここは、古代となんらかの繋がりが、どの村や地域よりも強く、残っているようであった。

「もしかして……」

そういえば、彼女たちの服装は和風の着物のようであった。古代に栄えていた国、「日本」の民族衣装に似ている。もしかしたら、日本はここにあったのかもしれない。海に沈んだといわれているが、そんな昔のことが分かるはずがないようにも思える。

 私は他にも何か文明の跡が残っているのではと、胸を躍らせた。そして、あたりを見渡し始めた。このとき、単純な私の頭の中には、すでにどんよりとした辛気臭い考えは消えていた。

「本当におかしな子だねぇ。いいから、早く入りなよ」

「あ、あぁ……」

また背中を押されでもしたらかなわないと思い、私は急いで湯船に浸かった。

(気持ちがいい)

この視線さえなければな……と、私は思った。母親が、なぜかこの場から離れようとしないのだ。

「あの……」

「なんだい?」

私が言いたいことなど、想像もできないらしい。母親は腕組みをして仁王立ちしていた。

女とはこういうものであったのか……それとも、アキトの母親が特別なのかと、私は自問した。このように女と関わるのは、いつ以来であろうか。私の記憶が確かならば、七つのとき以来ないような気がする。だから、私は遠い記憶となりつつある、母上のことを思い出しながら、この母親を見ていた。

「いつまでそこに、おられるのですか?」

母親は、あぁ……と言う感じで、笑った。私は分かってくれたのかと思い安心したのだが……甘かった。

「お前さんが出るまでは、ここに居るつもりだよ?」

「は?」

間の抜けた声を出してしまった。この母親、まるで分かっていなかった。

「あの、だから……見られたくないのだが」

何だか自分で言いながら照れてきてしまった私は、言い終わると同時に、顔を鼻のところまで湯の中に沈めていった。ここまで言えば、さすがの母親も分かってくれると思い、私は気配が消えるまで、目を閉じてじっと待つことにした。目で相手の動きを追うのはなんだかいやらしい気がしたからだ。

(……おい)

しかし、なかなか気配はなくならなかった。それどころか、気のせいだろうか。なんだか近づいてきているような気がする。なんだか身の危険を感じ始めた私は、冷や汗すらかきはじめていた。どうしてこんなことで、身の危険を感じなければならないのだと、自分に言い聞かせ、落ち着かせようと努力したが……無理であった。このようなことをされれば、誰だって驚く。

「わっ……!?」

髪を縛っていたリボンをほどかれたと思ったら、いきなり私の体は持ち上げられてしまった。目を瞑ったのは失敗だったと、とてつもなく後悔した。しかし、こうも簡単に接近を許してしまうとは……ここへ来てからというもの、どうも私は感覚が鈍くなっているような気がしてならなかった。

 これでも、私は名の通った剣士だった。そして、長年兵士として仕えている。人並み以上に稽古もしてきているつもりだった。それなのに、ここではそれがまるで通用しないのだ。それどころか、私の方が完全に手玉に取られている。相手の領域なのだから、後手に回るのは仕方が無いにしても、これは酷すぎる。

(いけない。こんなことを思っている場合ではない!)

自分が今置かれている状況を思い出した私は、すぐさま足をついた。そして、私を持ち上げた張本人。この母親の方を睨みつけた。

「何をするんだ!」

「ちんたらしてないで、さっさと体を洗いなよ。ほら、私が洗ってあげるから」

そう言って母親は、強引に私を湯船の中に座らせると、何やらざらざらしたもので私の体をこすりはじめた。やはりこの母親、私の気持ちなどまるで分かっていない様子だった。

(この女には勝てない……)

ここまではっきりと敗北感を味わうのは、人生でこれがはじめてだったかもしれない。観念した私は、成されるがままになっていった。しかしそれでも、母親に取られたリボンのことだけが気がかりで、辺りを見渡してみたところ、入り口のところにちゃんと置いてあることが確認できたので、とりあえずはほっとした。


あれは、城で心を失いがちになった今の私にとって、一番の宝だ。


失くすわけにはいかなかった。


母親は私の体を丁寧に洗ってくれた。これだけ綺麗に体を洗ったことは、相当昔、まだ私が村で暮らしていたとき以来ではないかと思う。

気が緩んできた私は、思わずはっとした。背中を洗い終えた母親が、前も洗おうとしてきたのだ。さすがにそれは耐えられないと思い、女から体をこするものを強引に取り上げ、顔を赤く染めて言った。

「前はよい」

口調は強いものの、やはり私は少し照れていることを自覚した。


それから母親は、私の頭も洗ってくれた。なんだかだんだんと、気持ちがよくなってしまった私は、ついにはうとうととしてしまった。ここまでの旅路に疲れを感じていたのかもしれない。お湯に浸かるということも、城ではそうそうあることではないため、心に油断から生まれることからはじまり、今ではゆとりが生まれていた。


そして私は、ついにそのまま眠ってしまった……らしい。


その為、この後どうされたのかは分からなかった。


正直、風呂場で何か変なことでもされてはいないかと心配で仕方がなかった。しかし、聞くのはもっと怖いと思った私は、結局何も分からないままにしておく道を選んだ。





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