7 返事
【この章に登場する用語】
エレウォン: 中世ヨーロッパ風文明社会が広がる異世界
レミウム: ニルストリアの都
エイク語: ニルストリアで話されている言葉
ナイス・イン: レミウムにある宿。現在主人公が滞在している
【人物】
一色大: 主人公
ルーカ: ナイス・インで働く少女
エリオ: ナイス・インの主人。ルーカの父親
ウィリー: アメリカ人旅行者。ルーカの婚約者
「結婚話のことは誰にも言わないでくれ。ルーカにもだ」
あの後、あらためてエリオにそう言われた。
思うにウィリーに知られないようにだろう。
ウィリーについてはともかく、ルーカの知らぬところで結婚話を進めるのは、俺としてはやはりどこか後ろめたい気がしてしまう。だが、面倒なことになるのは避けたいのもたしかなので、従っておくことにする。
ルーカはいつも通り、ナイス・インでこまごまと愛らしく働いていた。
俺もこれまでと変わらぬ態度で接していた。
つもりだったが、無意識に目で追っていたのか、あるいは視線が普段とは違っていたのか、ルーカに何かを感付かれたらしい。
あ、すけべな目で見ていたわけではないぞ。
俺はロリコンではないのだ。
目の前を行き来する、あるいは話しかけてくるルーカに重ねてついつい成長した彼女の姿を想像してしまったりはしたが、すけべな目ではないぞ。たぶん。
なお、俺の想像上の二十歳のルーカはモデルみたいにスレンダーで、もう少し胸があるといいなと俺は自分の想像に注文つけたりしてました。
……我ながら無駄に先走ってるな。
すけべな目ではなかったが、なかったはずだが、なかったと思うが、なかったら幸いなのだが、ルーカはかなり勘の鋭い子だった。
どうも何かあると不審に思ったようだ。
「なーに? 私はもうすぐ人妻になるのです。狙っても無駄ですよ」
などと、まるで子供らしからぬセリフで俺をからかってきたりしたが、あるいは鎌をかけているつもりであったのかもしれない。
もしルーカと結婚して浮気でもしたら、きっとたちまちバレてしまいそうだ。
……我ながら無駄に先走ってるな。
当然、ウィリーもしばしばナイス・インの食堂に姿を現していた。
心なしか、ルーカは今までよりも彼と親しげに接してるように見える。
その光景を目にすると、やはり何かもやもやと気になってしまう。
気になってしまうことが、どうにも悔しいような感じがする。
それに、なんだかウィリーに負けたような気がしてくる。
◇
3日が過ぎた。
ナイス・インからさほど遠くない茶屋に俺はいた。
「どうだ、結婚する気になったか?」
テーブルの向かい側に座るエリオが笑顔でそう尋ねてくる。
俺にはその笑顔が、どうしても商売人の打算を含んだ笑顔に見えてしまうが、それは偏見なのだろう。
高い金を出そうという相手に娘を嫁がせようとするのは、おそらくここエレウォンでは当たり前のことであり、またそれこそが親の努めなのだ。
いや、エレウォンに限らず、形はいくらか違えども、親が娘に良い条件の相手のところへ嫁いでほしいと願うのは、日本でもまた他の土地でも同じこと、普遍的なことだろう。
それに俺にだって打算がある。人のことを責められない。
俺は日本に帰ったところで、どうやって暮らすか何の当てもない。だが、もしエレウォンに暮らすのであれば、エリオと縁が深まることはなにかと頼りになるだろう。
エレウォンに移住というのが非現実的なことではなくなってくる。
ルーカと結婚してエリオと関係を作るのは、俺にとっても魅力的な提案に思えた。
もちろん、ルーカの将来に対する期待があるのも事実だ。
それは打算ではないと思うが、それを純粋な気持ちだというのもおかしい気がするな。やましいってことはないと思うんだけど、どうなんだろう、やっぱ人に言えるようなことじゃないよな。
うーん。
ともあれ。
エリオに、俺の答えを言わねばなるまい。
「結婚はしません」
◇
「そ、そうか」
エリオは落胆したようだった。
「俺はおまえを気に入っている。だからウィリーよりもだいぶ低い金額を提示したんだがな」
エリオは食い下がる。
これまで俺は、エリオとそこまで親しく接していたわけではない。彼は、ただ若いというだけで俺のことを気に入ったのだろうか。
「ルーカのことは好きではないのか?」
「そういうわけではないです。ただ、やっぱり子供とは結婚できません」
「エレウォンじゃそれほど珍しいことではないぞ。ルーカも10歳だ。そこまで子供ではない」
「そうかも知れませんが」
10歳では余裕で子供だろうと内心つぶやく。エレウォンでは精神的成長が早いのかもしれないが。ルーカもやや大人びたところはあるし。
俺は続ける。
「結婚はできません。ですが」
「ふむ」
「ルーカを、娘にください」
◇
やはりどう考えても、俺にとってルーカと結婚するという選択肢はあり得なかった。ルーカはそういう対象ではない。
だが、ウィリーにルーカをやるのも癪だったし、エレウォン人との強いコネクションも欲しかった。
それで思いついたのが、ルーカを養子に譲り受けるということだった。
なんだかんだ言って結局光源氏やろうとしてるんじゃないかって?
ルーカが成長したら自分のものにしようとしてるんだろうって?
う、うむ。
そういう気持ちがまったくないとは言えない。正直、なくはない。
でも俺は、あくまでルーカを娘として接するつもりだ。
そのうちルーカにも好きな男が出来るだろう。そうしたら恋愛だって自由にさせてやるつもりだ。いや、自由にさせるのも問題あるかな。相手の男は俺がじっくり見定めてやろう。
やがていつかルーカも嫁に行くのだろう。
そしたら俺、やっぱり泣くのかな。
どうも我ながらまた、無駄に先走ってるな。
エリオが問い返してきた。
「どういうことだ?」
彼はちょっと俺の言葉が理解ができない様子だった。まったく予期してなかった返事だったのだろう。そりゃそうか。
「ですから、ルーカを俺の妻としてではなく、娘にください。金30はお贈りします」
英語やエイク語で養子を意味する単語を俺は知らなかった。でもエレウォンにだって、養子という概念はあるだろう。
「う~む」
意味は通じたようだが、エリオは悩み始めた。
娘を嫁にやっても親は親である。ルーカに対する親としての立場や権利を、まったく失うというわけではないだろう。だが、養子に出してしまえば、エリオはルーカの親ではなくなる。親としての立場を失うのかもしれない。
エレウォンの法、慣習がどうであるのかわからないが、おそらくエリオはそのあたりのことを考え込んでいるに違いない。
しばらくして、エリオが口を開いた。
「ルーカを娘にして、ダイになんの利益があるんだ?」
利益という直接的な表現がいささか気にかかってしまうが、俺のエイク語や英語の理解力を考慮するとそうなってしまうのだろう。
「俺はルーカを妻という目では見れません。でも、ルーカのことを気に入ってるのも事実です。手元に置いておきたいという気持ちはあります」
ウィリーにルーカを渡したくはない。
「もちろん、エリオにルーカとの縁を切ってくれというつもりはありません。むしろ今後、俺のこともあなたの家族のように思ってくれると嬉しい。ただ、俺はルーカを妻にはできない。ルーカを娘として、一緒に暮らしたいのです」
「ふむ」
「もちろん、俺もこの先エレウォンで暮らすつもりです」
そう、ルーカを養子にもらうということは、俺にとって今後エレウォンで生きていくという決心をするということでもあった。
「ルーカを娘にして、それからダイは何をするつもりだ?」
「それは……」
ぐっと言葉に詰まる。
正直なところ、エレウォンでどう生活していくのか、具体的なアイディアは何もなかった。
「なにか商売を始めたいとは思っています。その場合、エリオの助けも得ることが出来たら嬉しい」
「うむ」
「ただ、まずはもっと見聞を広めたい。もうしばらく旅を続けたいと思ってます」
「ルーカも連れて行くのか?」
「できれば」
エリオは再び考え込んだ。
思わずルーカも旅に連れて行きたいと言ってしまったが、悪くないアイディアのように思えた。
レミウムを離れれば、英語も通じないところがほとんどだろう。俺の拙いエイク語よりも、ルーカが通訳してくれたほうが役に立つ場面もあるはずだ。
それに、いくら子供であっても、ルーカのほうが俺よりはエレウォンについて、文化、習慣、考え方などよく知っているだろう。ちょっとしたガイドになってくれるだろう。
「どうでしょうか」
「わかった。ルーカを娘にやろう」
エリオはようやく笑顔に戻り、俺の申し出を受け入れた。
話の展開が遅いかなと自分でも思うのですが、うーん。