Count down 【カウントダウン】 Bパート
カウントダウン。後編、スタートです。
2
あの女は、姉さんは私のことを役立たずと呼んでいた。いや、正確には呼ぶようになった、だ。
歩けない私を背負ってくれたり、手押し出来る椅子を大人の人と共同で作ってくれたり、姉さんは私にたくさんの優しさを与えてくれた。
それが怒りや憎しみに変わるようになっていったのは何時の頃からだったか。
憎かった。
きつい態度をとってくる姉さんがではなく、そんな風に変えさせてしまった自分自身が。
足を動かせない自分が情けなくて、憎くて……何度『変わりたい』と思っただろう。
だからあの日、母様に祝福を与えてもらった私は幸せなのだと思う。
ただ、変わった自分を姉さんに見せられなかったことだけが、強い心残りになってしまっている。
機甲虫に襲われて、気を失って……母様からの祝福を受けて。
事件の後に集落に向かってみたが、赤い斑点が周囲に飛び散っているだけで、人影なんてどこにも見当たりはしなかった。
剥き出しの死体の山なんて兵隊にとっては餌場でしかないから、彼女らが食い散らかしたのだろう。口に出来るものなら何でも食らう雑食の雑兵。本当に、汚らわしい事この上ない。母様に仕えているという誇りが少しでもあるなら、純度の高いマナのみを取り入れて有機物など口にしようとはしないはずなのに。
プライドも誇りも理性も知性も持ち合わせていないから、だからあんな、下賎な真似が出来てしまうのだろう。
巨大な積雲の表面をなぞるように飛翔を続けていると、頭のサーモグラフィに生き物らしきものの熱源が引っかかった。熱源の方向に眼を向けて見ると、真っ黒な鳥が耳障りな音を立てて飛んでいるのが視界に入る。
ばっさばっさという騒がしい音。体毛……いや、羽と同じ薄汚い真っ黒のくちばし。羽のなかにノミが紛れているのか、サーモグラフィが砂粒以下の、小さな小さな点を捉えている。
「不愉快な」
積雲に身体を密着させながら、騎士ノーラ・クリスタは左側の手の平から棘のついた銀色のチェーンを射出。鳥の腹を貫き、鞭のようにしならせたチェーンを下に向けて思いきり振るう。
その勢いで鳥の身体から棘が外れて、赤色の血飛沫を上げながら黒い塊が地上に落ちていった。軽くチェーンを振るって血を飛ばすと、ノーラは手の平にそれを収納しなおす。
今飛んでいたあれは、おそらく渡り鳥の一種なのだろう。私たちに襲われないようこんな雲のすぐ近くを飛んでいて、何かの理由で一匹だけが群れからはぐれた。
雲の中にもぐる、という知恵。
行動自体は失敗に終わったが、あのような汚らわしい肉塊にこちらを巻こうとするだけの知能がある。その事実が、何故だかノーラを酷くイラつかせてしまう。
純度の高いマナのみを体内に取り込む高貴な存在。母様でさえ『知能』というものを持ち合わせていないのに、皮袋に肉が詰まっただけの小汚い生き物がそれを持っている。
感情や思考力そのものを削除し、究極の社会性を得ているとはいえ、その頂点に立つ女王個体にすら『知能』がない。その事実だけは、どうにも痛いものとしてノーラの胸に突き刺さり続けていた。騎士であるノーラがいる以上『思考力』や『知能』を持った個体がコロニーに存在しないわけではないが、女王固体自身が『知能』を得ているわけではない。
ククルが囚われている艦……この方向で間違っていないはずだが、遠いな。思ったとおり、相当に引き離されてしまっているか。
指先を広げてぱきり、と節を折り曲げると、ノーラは積雲の遥か下方に視線を傾ける。微弱だが、サーモグラフィに大型の生き物らしきものの熱源が引っかかったからだ。
目を凝らし、瞳に装着された望遠レンズの倍率を切り替える。
息を殺し……ノーラは、微かな笑みを浮かべ始めていった。
「冷たっ。なんだ、雨? こんなに天気がいいのに」
ぽたり、と上空に浮かぶ雲の方から雫が落ちてきて魔導師‐アエド・グランテは不思議そうに上を見上げ、頬に付いた雫を指で拭う。と、親指の指先に濁った赤色がこびりついているのに気づく。
「あれ? これって……ひょっとして血じゃ」
空から降ってきた異常な色の雨に凍りつきかけた直後、
「アエド……今すぐ、どけっ!」
トゥイザリムの怒号が地鳴りのように響き渡る。
Axe
アエドを吹き飛ばし真上に【斧】を構えた直後、垂直に、銀色の甲冑を着込んだ女性が細長い剣を振り下ろしてくる。
光で形成された刀身同士がぶつかり合って、ばちり、と激しい火花が放たれる。
「血で気づかれたか。運が悪い」
「ちっ」
刃渡りが三十センチはある大斧を振り切り、トゥイザリムは騎士甲冑の女を剣ごと弾き飛ばす。女の側が態勢を崩していないところを見るに、あちらも、仕切りなおしのために距離を取っただけなのだろう。
「全員戦闘準備! 障壁を張りつつ俺の後方に固まれ」
「はいっ!」
吹き飛ばされたアエドを含め、トゥイザリムの隊の魔導師たちはそれぞれに魔導機杖を形状変化させ、前方に障壁を展開する。
「いきなり斬りかかってくるとは穏やかじゃねえな。何者だてめえ。賊のようには見えねえが」
光で作り上げた刀身に目を傾けると、騎士甲冑の女は刃を短く振るう。
「下賎な輩に名乗る名はなし」
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腹部を貫いた鳥の血のことがあったとはいえ、機甲虫の女王に仕える騎士、ノーラ・クリスタは多少計算がずれてしまったことを不愉快に感じていた。
奇襲で人間の一つを殺し、残りを適当にあしらったところで煙に巻く。そもそもククル救出だけを考えるなら、こんなところで油を売る必要などないのだ。憂さ晴らしと言えば聞こえが悪いが、結局は、当り散らしたかっただけということになる。
「隊長! この女、杖を」
後ろに控えていた男の言葉で、隊長と呼ばれたリーダー格らしき男がノーラの手元に視線を集中する。
一瞬どうしたのかと思ったが、そういえば通常、人間は魔導機杖なしでは術式を扱えないことを思い出す。
「……そうか。てめえが、噂に聞いた騎士ってやつか」
「騎士のことを知る人間?」
少しだけ意外に感じたのは、自分が集落で暮らしていた十数年前は、機甲虫の生態などまともに把握していないものがほとんどだったからだ。
地上を這いずり回っていただけの人間と空に生活環境を移した人間。進化というほどの違いはないが、地上で蹂躙されるのを待っているだけのものよりは『知恵』があると考えていいだろう。
それが、ノーラにはたまらなく不愉快に感じた。機甲虫という上位種。その頂点に位置する母様でさえ『知恵』や『思考力』を持ち合わせていないというのに、人間という種は未成熟の幼生でさえ他人を突き放そうとしたり、不甲斐ない自分を責めようとするだけの『知恵』を持っている。
「気に入らない。気に入らない。気に入らない」
Sword-Whip
右腕そのものを【剣】に形状変化させていたそこに【鞭】の術式を重ね合わせ、ノーラは勢いよく鞭を振るう。
ばちりっ。
鞭の一撃をリーダー格の男が防いで、男が少しだけ後ろに下がる。片手を上げて、後方に控えさせていた魔導師たちに合図を送る。
「っと。全員、戦闘開始。援護しろ」
「了解!」
Fire
Fire
後ろに控えていた人間たちの魔導機杖が光を放ち、【炎】の塊が勢いよく撃ち出される。
「連携を取る。連携を取れる。本能がそうさせているのではなく、単一の固体が自己の判断力でそれを執り行なっている」
Whip-Homing
炎に狙いを定めると、ノーラは【誘導】の効果を重ねた【鞭】を振るう。
命ある生き物のように銀色の身体を震わせていた鞭が、与えられたプログラムに従って撃ちだされた炎の塊を切断。残らず破壊する。鞭が暴れまわるその向こうに、リーダー格の男らしき人影が見えた。
「炎は囮」
「おっら!」
予想通り。ノーラが炎に気を取られた隙を突いて、思いきり大斧を叩きつけてくる。
Sword
「重いな」
鞭に変化させていたものとは反対の手に【剣】の術式を発動。大斧の一撃を受け止めたものの、そのまま重量に圧されて、ノーラはじりじりと下に押さえつけられていく。
「質量と力場の差。状況はこちらが不利だが」
「……なんだ? かる――」
大斧を受け止めていた剣の術式を解除。ただの腕に戻った左手が光で形成された大斧に耐えられるはずもなく、一瞬のうちにノーラの腕が焼き斬られてしまう。
もちろん、腕を焼き落とさせたのはノーラ自身の判断によるものだが。
Regeneration
大斧を振り下ろしたことで出来た大きな隙。的のごとく姿を現した腹に向けて、ノーラは【再生】させた腕で、拳を思いきり叩き込む。
「ぐっ!」
「遅い」
真後ろに回りこむと足を振り上げ、ノーラは思いきり頭部を蹴り飛ばす。
墜落していく人間の男を見下し、ノーラはぱきり、細長い指先の間接を折り曲げる。
「剣への変化は間に合わなかったか。即死には至らないが、まあいい」
Lightning
ノーラが右腕を空高く掲げると、晴天の空に【雷】が鳴り響く。物理法則になど支配されることもなく、縦横無尽に荒れ狂う雷の渦の中心で、銀色の騎士甲冑の女性がはらりと髪をかきあげる。
たっぷりと陽光の光を浴びた白銀の鎧が、真夜中に浮かぶ月にも似た、狂気的なまでに煌びやかな輝きで周囲をまばゆく照らしていく。
「ひとまずは、先を急ぐ事にしよう」
Acceleration
【加速】の術式を発動させて、ノーラはその場を後にする。
銀色の旋風が吹き荒れた後。雷鳴だけが周囲に轟音を轟かせ続けていた。
1
トゥイザリムの小隊が騎士ノーラ・クラスタの襲撃を受ける十数分前。
方舟の居住区。繁華街の通称を持つK地区に建てられたデパートの一階、出入り口付近に作られた木材の匂いの香る古風な喫茶店
。
魔導機杖を自分の席の隣に置いて、レムは針のように鋭く尖らせた神経を全身から放ち、周囲への警戒を強め続けていた。
そんなレムの、異常なまでの攻撃的な雰囲気を察したのだろう。
「あの、フォットさん。レム、なんだか物凄くピリピリしてますけど、何かあったんですか?」
黒色の木造テーブルの向かい側に座るフォットに顔を近づけ、ミュウはひそひそと耳打ちをする。
「誰かに見られているような感じがするんだってさ。ずっと見ているくせにちょっかいを出してくるわけじゃない。それが妙で、どうにも落ち着かないみたい」
「そ、それってストーカーってやつですか? 聞いたことがあります。何にも言わずに後ろを追いかけてきて、暗闇でがばっと襲ってくるって」
「いや、たぶんそういうのとは違う気がするけど……まあ、せっかくレム君が率先してボディーガードをしてくれてるんだから、私たちは優雅にティータイムとしゃれ込めばいいか」
紅茶の入ったグラスを口元に運ぶフォットの隣。レムは、向かい側に座るククルにちらりと視線を傾ける。
自分を『視て』いるのはククルではない。これだけ近くの相手がそんなことをしているならすぐに気づけるだろうし、何より、ククルにしては気配の殺し方が上手すぎるように思えた。
居住区の民間の人や動きの単調な機甲虫とも違う。しっかりと実戦経験を重ねた存在。そんなものが、纏わり付いてくるぐらいねっとりとした視線で自分のことを見続けている。
でもその正体も、位置も、方向すら掴めなくて、その事実がレムに必要以上の苛立ちを与えてしまっていた。
「そんなに気を張らなくても大丈夫だよ。避難警報も鳴ってないし、悪いことを考えてる人がいても、これだけ人がたくさんいる場所なら何にもないって」
「大丈夫と言い切るには根拠が弱すぎる。それだけだと、警戒を怠っていい理由にはならないよ」
自分を安心させるためにミュウは言ってくれたのかもしれないが、レムからすれば、そんな曖昧な言葉を信じようなんて気分にはなれなかった。
疑わしきは斬れ。
レムが母親、リーゼ・リストールから教わった考え方。
リーゼのやり方は極端すぎた。そのことをレムもわかってはいるが、かと言って、考え方全てを否定する必要はない。以前にクリスタから教えられたとおり、正しいと思う部分は素直に肯定するべきだろう。
「むぅ、やっぱりレムって堅い。だから頼もしいんだけど……」
オレンジの果汁がたっぷりと入ったジュースをストローで口に運び、レムはもう一度ククルに視線を戻す。ククルが怪しいのは確かだし、斬り落としたとしても問題はない。だけど、そうした場合ククルが抱えている幾つかの謎が解けないままになってしまう。
どうしてクリスタさんと同じ姓を持っているかも気になるし、よほど緊急や危機的な状況に陥らない限り、もう少し様子を見てみてもいいだろう。
と、ククルの監視、観察を続けていると、彼女が自分の目の前に置かれた飲み物に全く手をつけていないことに気が付いた。
「あれ? どうしたのククルちゃん。ぜんぜん飲み物に手をつけてないけど、ひょっとしてオレンジジュースって嫌いだったり?」
そのことにミュウも気づいたのか、レムに変わってククルに疑問を投げかける。
「ううん。初めて口にした飲み物だから好き嫌いのあるようなものじゃない。ただ、水は物凄く貴重なはずなのにこれだけ贅沢に使っているのが不思議で」
「え? 貴重なものなの? 人工降水機からたくさん降ってくるのに」
「人工降水? よくわからないけど、水を作ってるわけじゃないんでしょ?」
「あ、それは……うん。そう言われると少し不思議かも。どうやって雨を降らしているんだろ?」
「ろ過した水を貯水タンクに貯めているんだよ」
うーんと考え込んでいるミュウの前。ぽつりとレムが説明の言葉を挟む。
「方舟の外側では雨風が普通に吹いているから、方舟上部に水を溜め込むための巨大なタンクがあって、それを飲料水や降水機からの雨として降らしてるんだよ。あんまり雨が降らないときは湖や海の近くに方舟を下ろして水を確保するってこともあるけど、近くに雨雲……乱層雲が全くないことは稀だから」
「レム。悪いのだけど、言ってることがだんだんよくわからなくなってきた」
「うん。ごめん、レム。私も」
「……ようするに、方舟の上部に水を貯めてあるってこと」
思いきり言葉を省いてざっくりとした一言。レムは小さく息を吐き出してしまう。
「……なんでフォットさんがこっちを見てるんですか」
「ん、ごめんごめん。いやなんというか、キミは雑学大好きなんだなぁと。普段はそんなでもないけど、説明を始めると止まらないタイプ?」
「説明を始めると止まらないって、そんなつもりは。とっ、」
自分の席の隣に立て掛けておいた魔導機杖が倒れかけて、レムは慌ててそれを掴む。改めて席の隣に立て掛けなおす。
「そんなに大きいものを持ち歩いていても邪魔になるだけだし、待機状態に戻しておけばいいんでない?」
そう言って、フォットは自分の胸元に下げたシルバーチェーンをこちらに見せてくる。チェーンの先に銀色のプレートが取り付けられていて、緑色の小さな宝石が微かに蛍光灯の明かりを反射する。
「いえ、僕の杖。待機状態が存在しないんです。アダマンチウムをフレームの基盤にしていて、合成金属はほとんど使っていませんから」
「およ、アダマン製か。それは強度が凄そうな……魔導石はミスリルだよね。採用している部分は導脈の周囲と先端部分だけ?」
「いえ、柄の部位に少しだけどオリハルコンを使用しています。握る部分の魔力伝導率がいいと、その分だけ昇華効率が向上しますから」
「真鍮を? それは凄いね。コストも跳ね上がってそうだけど」
「対費用効果については、まあ。魔力伝導率だけで言えば申し分ないのですけど」
レムとフォットが言葉を交わすその向かい側。ミュウとククルの二人が顔を見合わせ、うーんと小さく首を捻る。
「また訳のわからない話が始まった」
「うん。レムもそうだけど、フォットさんもそうとうの機械好きだよね。何を言ってるかぜんぜんわからないし……。うーん、仕方ない。ここにいてもしょうがないし、私、ちょっと外を見てくるね。このお店の向かい側、綺麗な小物がたくさん並んでいたもん。星の形のキーホルダーや見たことのない動物の置物」
「小物店? なら、私も行こうかな」
「うん、行こ行こ。見るだけでもけっこう面白いものだよ。レム、そういうわけで、私たち向かい側のお店を見てくるね」
「ん、了解」
レムが二人のことを見送ると、フォットはレムが手にしていた魔導機杖のフレーム部分をぐっと指で押さえつける。人間で言う動脈に相当する、マナを流すための細い管。導脈を指でなぞっていく。
「ふむ、強度が欲しいのはわかるけど、ここのラインさえ弄らなければ問題ないんでないかな。手の平から心臓部、先端に続く導脈線さえ確保しておけば、アダマンでも問題なくちっこくしておけるでしょ」
「それはそうですけど、待機状態にしておくと初動がどうしても遅くなりますし、多機能化させたぶん術式発動までの処理に時間がかかるじゃないですか」
「処理速度の差といってもコンマ数秒の差じゃないか。魔導機杖の処理速度以上の速さで術式を組み立てられるならともかく、普通に使ってれば遅いだなんて思わないでしょ」
「えっ? 使い慣れた術式だと、魔導機杖側の処理を待って発動させたりしませんか?」
「えっ?」
「えっ?」
顔を見合わせた後、レムは不思議そうに首を捻る。ひょっとして何かおかしなことを言ったかな、と不安になってしまう。
「あ、あ、あー。ととっ。そういえばミュウちゃんたちがいないね。二人とも、どこに行ったんだろ」
「どこって、ミュウたちならさっき向かい側のお店を見てくるって。小物がどうって言っていたかな?」
「うん? そういえばそんなことを言っていたような記憶がおぼろげながら……それにしてもレム君、あれだけククルちゃんのことを怪しんでたのにミュウちゃんと二人で行かせたりして、少しは信用してあげる気になったんだね。うん、良かった良かった」
「いえ、信用はしていませんよ。けど騎士でなく魔導機杖も持っていないなら、そこまで警戒する必要はないかなと」
「……価値観がずれてるのは百歩譲るとして、ククルちゃんは機甲虫と無関係だったんでしょ。それなら、そう物騒な考えや行動をしなくてもいいんでないの?」
「ククルと機甲虫の関係はまだグレーゾーンのままですよ。それに、相手を警戒することと機甲虫云々とは無関係じゃないですか」
「無関係?」
「だって人間にも悪い人はいるでしょう? 機甲虫なら駆除するのが当然ですけど、人間でも、場合によっては駆除することがあるじゃないですか」
「……レム君。それは、リーゼさんが?」
「……? はい。母さんからはそういう風に教わりましたけど、別におかしいところはないですよね」
人の持つ面は一面だけではない。
以前にクリスタから教えられた言葉を思い出し、レムはじっと、頭のなかで考えを巡らせる。
正しいと思う部分があるなら、そこまでを無理に否定する必要はない。
「レム君。それは、もしもククルちゃんがクロなら止むを得ないってこと? 結果的にそうなったとか、何か理由があってという場合でも」
「ミュウに危害が及ぶ危険がある場合は切り捨てます。それが最善なのは間違いないですから」
神聖な法衣服を身に纏った、子どもらしい小柄な身体。肩に担いだ魔導機杖を少しだけ動かした拍子、杖が蛍光灯の光を反射して、少し鈍い、銀色の輝きによってレムの身体を包み込む。
『銀』とは元々は金属元素の一種である。鉄やアルミニウムといった金属類を連想させる色で、それ故に無機質、機能的、機械的といったイメージが強い。
機甲虫の甲殻が鮮やかな銀色であるだけに天敵、あるいは機甲虫そのものを連想する者も少なくないだろう。
自分以外の何色にも染まることのない、真っ黒な法衣服を身に纏った、銀色の魔導師。
「…………」
「ただいま。レム、フォットさん。ってあれ? なんだか凄く真面目な顔してるけど何かあったの? ひょっとして、何か事件が起きたとか?」
「ん? いや、なんでもないよ。ちょっとフォットさんと杖について話してただけ。それより、たしかミュウたちは買い物で中央区域の方に来てるんだよね。大丈夫なの? あんまりゆっくりしすぎてると、お母さんに怒られたりするんじゃ」
自分の席の横に立て掛けておいた魔導機杖を掴むと、レムはとん、とそれで小さく床をつく。
「あ、うん。そうだね。そろそろ戻らないとさすがに怖いかも。ね、フォットさん。そろそろW地区の方に戻ろ」
ミュウと言葉を交わすレムの表情は和やかで、誰かが自分を『視て』いることを自覚し周囲に気を配りながらも、どこか落ち着いているように感じられた。
ただ、魔導機杖を握る腕に込めた力だけは絶対に緩ませようとしない。表情を緩ませながらも、笑いながらも『視て』いるものを探り続け、なにより脅威の疑いのあるもの。ククルをじっと捉え続けている。
最初に出会った頃に比べればククルに対する警戒をずいぶん緩めているとはいえ、それでも、レムはククルに対する警戒を完全に解いたわけではないのだろう。
敵と味方。害があるかどうか。
どれだけ仲良くしていても、一緒にいて笑っていても、レムは、ククルに対して薄い壁を作り出してしまっている。
「ようするにぶれないってことなんだろうけど、逆にそれがこわいんだよね」
平静で何もおかしいところなんてなさそうなのに、頭のネジが一本外れているみたいに、どこか狂っている。レムの小さな後ろ姿に、フォットは言い表しようのない不安を抱かずにはいられなかった。
0
と、その直後。かちり、と音を立てて方舟内部の設定時間が昼間から夕方に切り替わったその拍子。
Transference
レムの耳元に、聞きなれない術式の発動音が届く。
「攻撃? フォットさん、ミュウを!」
ミュウたちの方向に目を送り、レムは魔導機杖を強く握り締める。
黒塗りのテーブルや天井に取り付けられた蛍光灯。オレンジジュースが入っていた、飲み終えたばかりの透明なグラス。全ての色が薄くなり、実態のない、霞のようなものに変わってしまう。
レムを襲った術式の正体は【転移】。
ククルが所持していた魔導機杖に搭載されていた、ククルでなければ呼び起こせないはずの術式。
霞に変化した周囲の光景が別のものに入れ替わっていく。周囲が霞から、実態のあるはっきりとしたものに切り替わって、レムは、三百六十度が真っ青な空間に投げ出されたことに気づく。
「空中!? テレポーテーションというやつ!?」
Soar
訳のわからない状況に陥ったことを自覚しながらも、レムは【飛翔】の術式を発動。取り乱しかけた心を沈め、冷静に周囲を探りなおす。
視界の端には巨大な飛翔艦。術式の力で外に投げ出されはしたが、そう長い距離を飛ばされたわけではない。
「……水色の服! 落ちかけてる?」
あまり遠くに離れすぎていたら、景色と同化して気づかなかったかもしれない。
Hard-Bind
ロープや鎖を模すかのように【拘束】の術式を展開。【強化】によって強度を増し、千切れにくくなったそれを水色の服の少女‐ククルの身体にぐるりと巻きつける。
「荒っぽいけど我慢して」
聞こえていないだろうが一応謝りの言葉を述べて、レムは強引にククルを自分の元に手繰り寄せる。
胸元でぐっと抱きかかえて、飛翔の術式の出力を向上。墜落しないよう効力を増加させる。
「いつつっ。レム、ありがと……でいいのかな。助かったけど、凄く苦しかった」
「死なないよりはマシでしょ。とりあえず、二人分を支えてマナを無駄に消費したくないから一度下に下りるよ。どうして飛翔艦の外に飛ばされたか、状況を把握しないと」
「おっと、レム君とククルちゃんを発見。二人も外に投げ出されてたんだ」
安全に足を下ろせそうな地面を探して下降を続けていると、どこからか聞きなれた女性の声が聞こえてくる。
「フォットさん。良かった、ミュウも。二人とも無事だったんだ」
「うむうむ。何とかね。しかし投げ出された時は焦ったよ。杖は待機状態のままだったし、ミュウちゃんは絶賛墜落中だったし」
「うー……まだ頭がくらくらします。数日前にも高いところから無理やり落とされたし、ひょっとして厄年って言うやつなのかな」
「ミュウちゃんは十二だっけ? それならまだ前厄だよ。大丈夫大丈夫」
「そ、それって来年はもっとひどいってことじゃ」
「うん? あー、ま、まあいいじゃないか。前向きに考えてみることにしよう」
フォットとミュウの二人がどうでもいいような話で賑やかせていたその向こう。レムは、魔導機杖をかしゃりと奏でて青々とした空をじっと見上げ続けていた。そして、
「フォットさん、ククルをお願いします。二人を抱えて飛ぶのがきついなら、地上に足を降ろして」
「え? それは構わないけど、どうして急に――」
「早くっ」
ほとんど放り投げるも同然の勢いでククルをフォットに手渡し、レムは魔導機杖の先端で雲の向こうを指し示す。
Protection
ばちり。騎士甲冑を纏った女性の剣が【障壁】とぶつかり合い、周囲に火花が飛び散っていく。
「んわ、わっ。な、なに? 女の人?」
「フォットさん、もっと離れて」
Sword
障壁に攻撃を弾かれ、手をこまねいている騎士甲冑の女性に狙いを定め、レムは掲げた【剣】を勢いよく振り下ろす。
障壁にぶつけていた剣の切っ先をくるりと返し、騎士甲冑の女性はレムの一撃を受け止める。
「あなたは……誰ですか? あなたが僕たちをここに?」
「なんのことを言っている。いきなり姿を現しておきながら」
こちらを騙すつもりで言っているのか、それとも本当に知らないのか。いずれにせよ、問答無用で攻撃を仕掛けてきた以上『敵』と認識しても問題はないだろう。と、
「お姉ちゃん!」
「……?」
「ククルかっ!」
ばちりっ。
鍔迫り合いを続けていた剣を収め、騎士甲冑の女性はフォットが抱き抱えている少女、ククルの方に視線を集中する。
「心配したが、良かった無事だったか。怪我はないな。さ、すぐに帰ろう。お前は、こんな場所にいるべき子ではない」
「うん! けど、少しだけ待ってほしい。お姉ちゃんがプレゼントしてくれたあの杖、まだあのでっかい船のなかで」
「杖をなくした? ああ、そんなものは構わないよ。どのみち、お前を住まわせている施設に置いてあった拾いものだ。護身用の杖なら、適当に代わりを用意しよう」
「…………」
剣に形状変化させた魔導機杖を構え、レムは改めて、その切っ先を銀色の騎士甲冑を纏った女性へと傾ける。
「フォットさん、やはり地上に降りていてください。それとククルの拘束を。本来なら僕がやるべきことですが、先にこの人の相手をしないと」
レムが話しかけた途端、ぴくり、と女性の表情が変化する。
「私とやりあう? 子供の分際でずいぶん大きく出たもの……いや、その容姿。例の変異種というやつか」
「変異種?」
「貴様のことだよ。突然変異で生まれた異常固体なのだろう? 何のためにククルをさらったのかは知らないが、あの子は元々私のものだ。ごちゃごちゃとくだらないことを言わず、大人しく返してもらおうか」
「……遠慮します」
「なに?」
「魔導機杖を所持していないということは、あなたは『騎士』ということですよね。機甲虫の女王に仕える特異固体。どうしてあなたがククルの姉なのかはわかりませんが、」
刃を振るい、ぶん、とレムは一度だけ空気を切り裂く。それを合図にしたように、レムはじっと瞳を凝らす。意識を集中させて、銀色に、黒色の意思を重ね合わせていく。
「機甲虫である以上、『駆除』させてもらいます」
展開でわかるとおり、次パートは戦闘メイン。単語を組み合わせた魔法はアイデア次第で色々なものを作ることができるので、書いていてとても楽しいです。
今回、魔導機杖についての軽く説明しましたが、ほとんど趣味の世界ですね。黒い魔導機杖関連で多少は本編にも関わる話題ですが、原理云々は人によっては読み飛ばすような話題かもしれません。(でもああいった話、好きなのですよねw)