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Remu【レム】Ⅱ  作者: 飛鳥
10/13

Mind Break 【心】【破損】 Bパート

マインドブレイクというサブタイトル通りなBパート、スタートです。

 

 エデンの園に存在したとされる禁断の果実。

 アダムとイブはそれに手をつけたことで楽園を追放されたそうだが、書物のなかではしばしばイブに入れ知恵を入れた存在。蛇のことが削除されていることがある。


 きっかけを与えたものが別にいても、行動を起こした主犯の罪は変わらない。果実に手を出した、欲を見せたこと自体が罪。


 それらの本が伝えたいのはそういうことなのだろうが、なぜ蛇でなくイブばかりが罪人として扱われるのか。たとえ悪意のない言葉でも、果実を意識させるきっかけにはなると言うのに……。


「ククルちゃんは偉いねぇ。そんな足なのに元気いっぱいで」

 そんな風に話しかけてきたのは誰だったか。


 集落に住んでいた大人の一人だったと思うが、正確な部分ははっきりと覚えていない。二歳の頃か、三歳の頃か。ともかく、それぐらい小さなころに起きた出来事だから記憶が曖昧なのだと思う。


 自分を偉いと思ったことは一度もなかった。足が動かないことを不便と思うこともなかった。身長や顔、性格、髪の色。それら個人個人で違うとものと同じ、『特徴』のようなものと思っていたからだ。


 けれどそれが特徴ではない、弱所であると気づいて。いや、気づかされて……。

 私はその弱所を受け入れかけていたのに、手術で歩けるようになるかもしれない、と果実をぶら下げられて。


 ふざけるなと思った。私は何も望んでいない。集落で姉さんたちと一緒に暮らせるだけで幸せだったのに、急に、自分たちと同じ高みまで来いと手を伸ばされて。そんなもの、怖いに決まっているじゃないか。弱所を弱所として素直に受け入れられるようになっていたのに、ころころと入れ知恵を植え込んできて、それが出来なければそれを私の弱さと決め付けて。


 役立たず。弱虫。そんな風に姉さんは私をけなして……憎かった。あの優しかった姉さんに酷いことをさせる入れ知恵を与えたものが。姉さんを変えてしまった自分自身が。


 憧れと嫉妬、甘え、憎しみ。

 姉さんは私を上に上げようと手を伸ばしてくれたけど、その手を掴んだとして、それで姉さんに並べるとは思えなかった。むしろ弱所があるからこそ開いていた姉さんとの差を無理やり縮められて、余計に惨めさが増すだけのように思えた。


 だから……母様に選ばれたあの時、私は本当に嬉しかった。弱所を持っていても、惨めな心や他人への恨みを抱えていても構わない。それでもいいと、私のあるがままを受け入れてくれたから。姉さんではなく、私を必要としてくれたから。


 姉さんを恨んでいたわけではない。嫌っていたわけでもない。ましてや、対抗意識を持っていたわけでもない。手を伸ばして上にあげようとしてくれていた姉さんに追いついて、姉さんが望んでいたように隣に並び立つ。それは紛れもない、私にとっても夢であったからだ。


 けれど、伸ばされた手を掴むだけでは意味がないように思えた。なぜなら私は認められたかったから。褒められたかったからだ。


 姉さんが出来ないことを出来るようになって、そのことを凄いと褒めてもらいたかった。上の立場から褒めてもらうのでは意味がない。当たり前に出来ることを出来るようになる。それだけでは姉さんとの差が縮まらない。だから、背伸びをする必要があった。


 欲しかったのは姉さんには出来ない。いや、他の誰にも出来ない私だけの力、長所。……その力を得るために支払った代償は、けして小さなものではなかったけれど。


 騎士として生まれ変わってまもなく。私は生まれた集落に再び立ち寄った。でも、そこにはもう何も残ってはいなかった。他が死骸になっているのはどうでもよかったが、生まれ変わった自分を見せたかった相手、姉さんがいなくなってしまったのだけは、何よりもショックな出来事であった。


 姉さんの死骸を見ずに済んだのは不幸中の幸い。姉さんの死骸を直接見たりしていたら、兵隊の五、六匹ぐらいは八つ裂きにしていただろう。

 心の支えにしていた姉さんを失って、私に残ったのは母様に仕える騎士という格式高い誇りだけ。もちろんそれだけでも十分ではあったのだけど、胸にぽっかりと穴が開いているような、そんな虚無感を抱き続けているのもまた、一つの事実ではあったのだ。


 集落の娘。足の動かない娘。クリスタ・クラスタの妹。

 そんな、私をククル・クラスタと定義付けていた全ての皮を失って、母様に仕える騎士という誇りだけを掲げて生きていく。

 人よりも上位の存在となり、人であった際の痕跡や繋がりを失って、それでも今の私をククルと言えるのだろうか?

 考えても、答えなんてどこにもない。我思う故にという言葉があるが、あれとて、自分が『誰か』を定義付けてくれるわけではないのだ。


 自分が誰かわからなくなって、文字通り言葉を失って、ただただ機械的に母様に尽くし続けて十数年。

 そんな日々のなかで、私はあの子を見つけた。

 渓谷の谷間。下に勢いよく川が流れる岸壁。あの場所は、元々は何もない場所のはずだった。地震か地殻変動か、それとも何かの影響で崖の表面が削れたのか。


 ともかくある日突然、あの岸壁に巨大な横穴が姿を現したのだ。幸い内部のコンピューターは死んでいなくて、軽く触れるだけで簡単に立ち上げる事が出来た。入り口近くにあった液晶画面の案内板にはプロテクトが掛かっていて起動出来なかったが(モニターの埃を拭き取りながら徹底的に調べ上げた)、あの子の漬かっていた培養液のロックを外すのはそれほど難しい作業ではなかった。


 培養液の水が全て流れ出て、ぷかぷかと浮かんでいたあの子が地に足をつけ、目を覚まして……。

「ここは……おねえさんは?」


 目を覚ましたばかりのあの子は、自分がなぜこんな場所にいるかがわかっていないようであった。

「おねえさん、誰?」

 誰? そう尋ねられた途端、針が突き刺さるような痛みを胸元に感じた。

 騎士は痛覚を感じる事がない。だからこの痛みが思い込みによるものであるのはわかっていた。


「私は……騎士だ。母様に仕えるただの騎士。ここがどこか、という問いについては私にもわからん」

「キシ? って、なに?」

「騎士というのはだな――」


 培養液の漬かったカプセルに入っていたからか、生まれたばかりだからなのか、目の前の小さな子供は、私が口にする言葉をただただ繰り返すばかりであった。

 けれどその姿は堪らなくいとおしくて、同時に、とても懐かしいもののようにも思えた。

 姉さんを求めていた、姉さんに憧れていた。そんな自分の姿に、どこか重なって見えたからかもしれない。


「貴公、名前はなんと言うのだ?」

「なまえ? って、なに?」

「名無しか……」


 帰ってきた答えは、ある程度予想していたとおりのものであった。これだけあやふやな様子では、名前を覚えていなくてもおかしくないだろう。それにこの子が本当に生まれたばかりだとしたら、覚えていないどころか名前を持っていない可能性だってある。


「名がないなら、私がつけてやるとしよう。そうだな……」

 頭のなかに言葉を羅列しかけていた途中。ふと、一つの考えが浮かび上がってきた。

 私をククル・クラスタと定義付けていたものはもう何も残っていない。ならば、私はもうククル・クラスタではないのだろう。では、ククルという存在はどこに行ったのか。


 もしかしたら、これがその答えではないだろうか?

 そう考えてみれば岸壁にこの妙な施設が姿を現したのも、そこに幼い頃の自分に重なって見える少女が眠っていたのも、全てに納得が言った。全てに説明がついた。


「ククル、というのはどうだ?」

 そう。ククルは消えてしまったのではない。私がククルでなくなったから別の者が、この子がククルとして姿を現した。


「名前、ククル。どんな意味なの?」

「ん? 意味か、そうだな」


 ククルという言葉にはどんな意味があったか。検索の術式を走らせて調べようかと思ったが、止めた。考える必要などない。

「妹、という意味だ」

 そう。私と姉さんとの間で、ククルという言葉はいつも妹である私のことを差していた。自分一人では歩くことも出来ず、姉を頼り、後ろを追いかけるのが当然と思い込んでいた弱者。


「いもうと? わたし、おねえちゃんの妹なの?」

「ああ。私が姉で貴公が妹。よろしくな、ククル」

 大きな眼をまん丸にして、ククルは何度か首を左右に振り続けていた。しばらくそれを繰り返し、ようやく自分のなかで整理がついたのか。


「うんっ。よろしく、おねえちゃん!」

 とびきりの笑顔で頷いてくる。

 小さな身体を思いきり動かして……姉さんからすれば、私もこの子のようなものだったのかもしれない。そう思うとなんだかとてもおかしくて、自然と表情が穏やかなものになってしまう。


「ねえ。私にククルって名前をつけてくれたみたいに、おねえちゃんにも名前があるんだよね。どんな名前なの?」

「私? 私は……」


 ほんの一瞬姉さんの名前が頭に浮かんだのだけど、それを口にするのは止めておくことにした。

 たしかにこの子はククルだが、だからと言って私がクリスタ・クラスタになるわけではない。私は、もう影を追いかけてなどいないのだ。


「ノーラ。ノーラ・クリスタだ」

 騎士ノーラ・クリスタ。

 それこそが、母様を守護するという誇り高き使命を授かった私に相応しい名前。

 そう。今日この日この瞬間、ククルが新しい肉体を得て生まれ変わったように、私もまた、別の存在へと生まれ変わるのだ。

 ククルを見下ろせるぐらいに強く、気高い存在に……。


 それからの日々は、非常に充実したものであった。ククルは飲み込みがよく、術式のこと、日常生活において必要なこと、機甲虫と騎士について。とにかく、ありとあらゆる知識をスポンジのように吸収し続けていった。

 教えて、実践して、成長して。


 幸いこの施設には周囲を強固な鉄板で囲んだ広い空間があったので、戦闘訓練は十分にそこで行うことが出来た。ターゲットマーカーを空中に表示させたり標的として使用できるダミーバルーンがあるあたり、元々そのための施設だったかもしれないが、真偽のほどはどうでもいい。


 ククルの成長は私にとって非常に嬉しいものであったが、一つだけ大きな問題があった。

 母様が暮らすコロニーとククルの暮らす施設とが、離れた場所に位置してしまっていることだ。母様の守護という使命がある以上そう長い間施設にいるわけにはいかないし、かといってククルを放置しておくわけにもいかない。ククルをコロニーに連れてくるというのも考えたが、愚鈍な兵隊ではククルを敵や食料と認識しかねない。


 候補‐‐騎士

 だから、手駒を得ておく必要があった。私の命令に忠実な兵隊。裏切る心配のない兵士。

 不要‐‐汝=騎士


 母様に新たな騎士の候補が見つかったと伝えた際、当然ながら母様は必要ないとその提案を無視なされた。母様に仕える騎士は一人だけ。それが、長い年月を得て進化した機甲虫の結論であったからだ。


 我‐‐欠陥‐‐短命

 疑問‐‐短命

 病‐‐完治不能 必要‐‐騎士 候補‐‐幼体 守護‐‐必須

 通信‐‐停止 処理‐‐開始


 動きを止めて、母様は頭部をちかちかと光らせ始める。私が伝えたフェロモンによる通信量が多すぎて、すぐには受け止めきれなかったのだろう。

 やはり、母様には私のような騎士が必要か。

 人間同士であれば日常会話と言えるレベルの会話量でさえ、母様は順に処理をしていかなければ言葉の意味を理解することが出来ない。それに感情という低俗なものも持ち合わせていないから、提案をする際は損得を伝えて、母様に『得』と思ってもらわなければならない。

 情も心も持たない究極的な存在。とはいえ、こちらの訴えすら理解してもらえないのがたまに傷か。


 守護‐‐容認

 しばらくして、整理が完了したのだろう。母様から正式に許可が下りてくる。

 感謝‐‐女王 必要‐‐完全構築


 完全構築(マスターコード)。機甲虫の兵隊を支配下に置くための特殊な術式。本来は特別な状況に際し、有無を言わさず兵隊を動かすための力。

 特例‐‐許可

 新たな騎士の確保。私の寿命がそう長くないと理解してくれた以上、母様にとってもそれは必須事項だったのだろう。兵隊数体分の構築式が直接脳内に送り込まれてくる。

 これでいい。これで、私の代わりにククルを守る手駒が確保出来た。あとはあの子をどうやって時期騎士に据えるかだが、そちらの問題も、いずれ解決することにしよう。






 ……いやに静かだな。

 母様が住まう居城。土と岩を削り取って固めたコロニーに舞い戻り、くるり、と周囲を見渡してみる。兵隊の数が特別減っているわけではないが、作業をしている兵の姿が見当たらない。そういえば、外郭の補強や増設をする兵の数も普段より少なかったように思う。


「あらおかえりなさい。案外遅かったわね、ノーラちゃん」

「アリス・フローベル!」


 上部の足場から視線を感じて見上げると、そこには金色の髪をなびかせた騎士甲冑の女が立っていた。魔導師と呼ばれる人間やククルが手にしていた杖を携えていて、とんとんとん、と右手に手にするそれを左手に打ち付けている。


「騒がしいわねぇ。いちいち呼ばれなくても名前ぐらいはわかっているのに」

「……っ。ふざけるな。なぜ貴方がここにいる!」

「私がどこにいようと私の勝手。それよりノーラちゃんのほうが問題ではないの? 騎士のくせしてぽんぽんコロニーを空けて、これでは守りが手薄になりすぎるのだよねぇ」

「なにをっ」


 Sword

 右腕に光の【剣】を作り出し、地を蹴り上げてアリスの下まで跳ぶ。光の刃を突きつけられても、アリスの表情はほんのわずかも乱れない。


「私に喧嘩を売る前にさ、自分のお母様に謝罪しておくべきではないの?」

「謝罪? 貴様の侵入を許したことか。それならば貴様を排除すれば」

 もはやアリスに対する敬意など欠片もない。敵意を剥き出しにして、ノーラはアリスのことを睨み続けていた。


「人を悪役に仕立て上げるの止めてくれないかしら? 私は貴方のお母様直々に招かれた客人だというのにさ」

「客人、だと?」

「巷で聞いた話なのだけど、貴方、先がそう長くないのでしょう? 重大な欠陥を抱えていて、持ってあと数年の命。だから新しい騎士が必要となった」

「なぜそれを知っている。いや、それよりも……何が言いたい」

「貴方が隠しているつもりだった子供。あれさ、適合者ではないのでしょ? 適合者でないものを騎士に出来ないか。面白く有益な試みだと思うけど、適合者を確認した以上そちらの確保を優先するべきでないの?」


「……あの娘のことか」

「うん、正解。例の変異種が暴れたコロニーのときはわからなかったかもしれないけど、さすがにさっきの戦闘の際には気づけたでしょう? そうなったらさ、まずはコロニー側に連絡を入れる。次に襲撃のために部隊の特別編成を執り行なう。まともな知能のない兵隊ですらそれを行なうことが出来るんだ。騎士である貴方がやらないのは職務怠慢。何より、お母様に対する重大な裏切りではないの? だからさ、貴方の代わりに私が教えてあげといたよ。適合者の容姿やら、いまいるであろう座標やら何やらを色々とね」


「……っ。何を勝手なことを。貴様には関係がないだろうに」

「勝手? 役立たずに代わって仕事をしてやったというのに、ひどい言い草ではないのかい?」

「……黙れっ」

「ととっ」


 ノーラの殺気を感じ取ったのだろう。後ろに引いて、アリスはノーラが突き刺そうとした刃をやり過ごす。

「怖い怖い。それじゃ、歓迎されてないようだし私は引き上げるってことで。またぁね、ノーラちゃん」

「っ。待て」


 ノーラが声を張り上げたのもむなしく、アリスは早々にその場から姿をくらませてしまう。どうにかして後を追いかけようかとも思ったが、女王固体の存在が気にかかり、ノーラは足を止めてコロニーの奥へと向きなおる。

「母様の信号に変化は見られないが……無事、なのだろうな」

 塗り固められた土と粒のように砕かれた石で作られた長い直線通路を走りぬけ、ノーラはコロニーの最奥、王室の前まで辿り着く。


「よかった、無事だったか」

 爆発寸前にまで感情を高ぶらせた後での全力疾走。息を切らしながら母の元にたどり着くと、ノーラはその場に膝をつく。

 生存‐‐確認

 こういう時に電波を使ったコミュニケーションは不便。と、ノーラは肩で息をしながらそう思う。


 安堵した、心配した、無事でよかった。

 そういう意味を持つ言葉を女王固体が認識できない以上、どうしてもノーラと『母』との会話は機械的な、事務的なものになってしまうからだ。


 問 騎士‐‐所在

 応 騎士‐‐帰還


 機甲虫に個々を判断する能力はない。女王や騎士は基本的には単一の存在で、騎士のそれぞれを名前で判断する必要がないからだ。女王固体にノーラやアリスの完全構築が備わっていない以上、兵隊のように固体それぞれを個別に判断できるわけではない。変異種のように特別なケースもないわけではないが、あれの場合は殺される危険すらある脅威への対処。いわば生存本能に従って、という意味合いが強い。


 求‐‐適合

 不要‐‐適合

 否 求‐‐適合


 ノーラという騎士の消費期限が迫っている以上、女王固体が新しい騎士を欲するのは必然。ノーラ自身は騎士の候補たるククルがいる以上必要ないの一点張りだが、女王固体からすれば候補とは名ばかりの曖昧なものより、明確に適合者と判断出来るものを欲するのは当然の流れだろう。


 問 候補‐‐現状維持

 応 候補‐‐処理


「なっ、処理? 殺せと言うのですか!」

 女王固体に情報を伝達する信号音に書き換えるのも忘れて、ノーラは思わず声を張り上げる。

 二体目の適合者など別の機甲虫の巣を潤す糧にしかならないのだから、わざわざ生かしておかず、見つけ次第処理をしてしまった方がいい。

 確かに理に叶った考え方ではある。効率的に、機械的に現状を整理した場合、それが一番良い方法ではある。


 候補‐‐優先 処理‐‐適合

 否 候補‐‐処理

 否 候補‐‐守護


 ただ、どれだけ筋が通っていようと納得できないことはある。理屈よりも効率よりももっと大切で、譲れないものがある。

「母様! 騎士候補の子供には、ククルには素晴らしい才能が備わっています。どこの馬の骨とも知らぬ者よりあの子の方が何倍も、何十倍も母様にとって有益となるはずです!」


 感情が前面に出すぎているのだろう。情報伝達信号に書き換えるのも忘れて、ノーラはひたすらに声を荒立て続けていた。

「母様なら、直々に私を選んでくださった母様ならわかってくださるでしょう。私は、自分の勝手やわがままでこんなことを言っているのではありません。母様にとってどちらが有益か、真剣にそれを考え、どちらが良いかを天秤にかけて――」


 優先‐‐適合確保 起動‐‐完全構築


「……っ。母様!」

 考えることも知らぬ、愚鈍な虫たちが横を通り過ぎていく。頭部を点滅させて、無機質な金属音を掻き鳴らして。


 疑 騎士‐‐欠陥

 欠陥?


 女王固体から送られてきた伝達信号を受け取り、ノーラの中でぐらり、何かが大きく傾いてしまう。

 母様が私を欠陥品などと言う。母様が、私を見限ろうとする。馬鹿な、そんなことはあり得ない。自分に生きる意味と誇りを与えてくださった母様が、そのような無慈悲な決定を下すわけがない。

 目を閉じて、神経を研ぎ澄まし、ノーラは静かに思考を巡らせてゆく。


 母様がそんなことを行うわけがない。つまり、これが母様であるわけがない。仮に本物の母様だったとしても、心は作り変えられていて、もう……私の知っている母様ではない。


 Sword

 【剣】を形成し、振り上げ、振り下ろす。

 Lightening

 切っ先から【雷】を流し込み、ばちり、と身体に衝撃を流し込む。


 母様を象った木偶は、まともな反応すら出来ていなかった。当たり前だ。機甲虫の女王は繁殖を行えるかわり、ほとんどまともな戦闘能力を備え持っていない。女王に仕える騎士と女王そのものの間には、天と地ほどの力量さが開いているものなのだ。

 まして、これは母様を象って作られた偽者。そんなものが、誇り高き騎士であるこの私に勝てるわけがない。


 兵隊の数匹程度は錯乱して私に楯突いてくるかと思ったが、一向にその気配は感じられなかった。完全構築という操り糸が兵隊を支配して、騎士の素体(適合者)を得るための傀儡(くぐつ)に変えているのだろう。となれば兵隊どもは騎士の素体を得ようとするあまり、ククルを痛めつけ殺してしまう危険がある。


「先行して、ククルを救出するか」

 身体の内側から湧き上がってくる奇妙な熱量を感じ取りながら、ノーラは女王の死骸を足蹴にその場を後にする。


 それにしても、暑い。

 瞳の色は血のように深い紅。節のように細長い指先が小刻みに震えて、額からは大粒の汗が流れ始めていた。けれどノーラ自身がそれに気づいている、自覚している様子はない。

 正気を失いかけていながらも冷静。少なくともノーラ自身は自分が冷静さを保っている、と思い込んでいるようである。


「ククルを救出スルか」

 何のために、という理由など必要ない。今の彼女にはククルを救う、というプログラム的な思考しか残っていないのだから。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 錯乱をして終わりか。騎士を原因とした内部からの崩壊。やっぱり、このケースが一番多いね。

 薄汚れた金属片や黄土色の岩の合間に身を潜ませて。アリス・フローベルは静かにノーラの動向を目で追いかけていく。


 どだい、無理な話なのだよね。心を持たない文字通りの虫けらが、心を持つ生き物を自分たちの環に招き入れるというのがさ。話が通じないなんてものではない。理解する事が出来ない。『理解』という言葉そのものの意味がわからない。根本的な部分がずれているのだから仲たがいなど起きて当然。にも関わらず、虫たちはいくら進化を重ねようと『騎士』を無くそうとはしない。


 動かなくなった機甲虫の女王固体に目を傾け、アリスはふうっと大きな溜め息をこぼす。

 悪魔がこうも愚かでは、それに魂を売ったものが報われない。

 知恵の実を食わせる? いや、有機物を食える個体は兵隊のみだから子孫を残せないか。女王を潰すあの実験ではどうなったのだっけ。ああ、リーゼとかいう騎士の成りそこないに潰されていたか。


 仮に成功していたとしても、知恵の実自体がなければ意味はないか。それに、虫けらが『ヒト』と同列になるというのも面白くない。

 エデンを見つけて生命の実を手に入れる? いや、今のやり方でも問題はないから、無理に面倒を抱え込む必要はない。あの子がシオンの息子なら、その因子は受け継がれている?


「予定変更。ノーラちゃんの顛末を見届けることにしましょ。レム君のことやその周辺のことも、もう少し調べておきたいしね」



後半になればなるほど書く事がなくなってしまいます。次回第七章が今回の最終章となります。(一応、エピローグが少しだけありますが)

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