Knight Allegiance 【騎士】【執着】
前作、Remuの続編です。ストーリー色が非常に強いため、前作から読むのをおすすめします。
Preface-Bug 【序文】【虫】
人間に代わり地上、世界を支配するようになった機械交じりの甲虫。機甲虫という種には四つの階級が存在する。
コロニーを統括する頂点となる女王。女王と交わり、子の種をひねり出す雄虫。
女王の手足となって働く兵隊。
そして、素体となる適合者(人間)を元に作り出される特異固体‐騎士。
Knight-Allegiance 【騎士】【執着】
人間が地上を支配していた時代、その大陸はマグナリアと呼ばれていた 人間の生活圏が地上から空に浮かぶ巨大な飛翔艦に移ってからは人間にとっての地面の意味が変わり、大陸や大地、地上を名称で呼ぶものはほとんどいなくなったのだが、
「間違いないな。マグナリア大陸南東部に巣を張っていた固体。フェロモンを感じられなくなったから来てみれば、まさかコロニーを含め一族全てが根絶やしとは」
壊滅した機甲虫の巣穴を歩く黒色の髪の女性。年齢は二十四か五か。いずれにせよ、そこまでの歳というわけではないだろう。
うなじほどまでの長さの短い髪に、華奢ではあるが、甲虫の節のように硬そうな細い腕。人間が術式を扱う際に用いる機械仕掛けの杖‐魔導機杖は携えておらず、肌に密着した銀色の鎧を身に纏っている。
鎧と言っても頭や腕、腰から下の部位には金属板を身につけておらず、背当てと胸当てを重ね合わせた軽量の胴鎧に手甲を取り付けた、非常に簡易なものになっている。割れた卵の殻や皹の入った甲殻を踏みつけながら、踏み砕きながら、黒髪の女性は薄暗い巣穴のなかを歩き、それを見つけ出す。
「やはり死骸か。しかし息絶えてから、それほど日が経っているわけではない」
頭部を焼き切られ、胴体部にも巨大な風穴の開いた機甲虫の長‐女王固体の死骸に腕を突き刺し、黒髪の女性は生体チップ。すなわち、女王固体の記憶を探ろうとする。
「……?」
しかし臓物を取り出しながら風穴の開いた胴体部を探ってみても、焼ききれた頭部を分解してみても、女王固体の生体チップはどこにも見当たらない。
殺された際に破壊されたのか、首が取れた衝撃でどこかに落ちてしまったのか、あるいは……。
「あら、誰かと思えばノーラちゃんじゃない。死骸をあさるとは、あまり感心しないわね」
Lightning
指先をこすり合わせて生み出した【雷】。
ノーラと呼ばれた女性は、振り返ることなくそれを声の方向に流し込む。
「あら」
Dispel
ノーラに声をかけた女性は【解術】の術式を展開。放たれた電撃を消滅させ、一足飛びでノーラのそばに歩み寄ってくる。軽量の鎧を身に纏った金髪の小柄な女性。年齢はノーラよりも一回りは上だろうか。
にこやかな笑みを浮かべながら、細長い指先の間接を折り曲げてぱきり。澄んだ音を掻き鳴らす。
「容赦のない挨拶をご苦労様。はろう、ノーラちゃん。しばらくね」
「はい。しばらく、アリス・フローベル」
細長い指先の間接を折り曲げてノーラもまた、ぱきり、と指を掻き鳴らす。
「それで、なぜ貴方がここに? この領域は貴方が仕える女王の管轄ではなかったはずですが」
「うん? 私はただの火事場泥棒よ。それに、女王の血が途絶えた領域の支配は早い者勝ちでしょう?」
「……協定を勝手に変えないで頂きたい。近隣の領域を支配するものたちが引き継ぐ。問題が生じた場合、騎士たちの口答によって解決する。貴方も協定を定める際の会議に出席していたのでしょう?」
「若い騎士が固いことを言わないの。古い協定に縛られた機械的、機能的な思考。そういう柔軟性のなさはあまりよろしくないと思うなぁ」
「硬度の問題ではありません。別の種と接触して、いたずらに母様を危険に晒したくないだけです」
適合者を弄ったことで作り出された騎士と違い、純粋な機甲虫である兵隊、および女王固体には感情という概念が存在していない。
備え持っているのはフェロモンによる指示や誘導に従うための神経と本能だけ。いずれにせよ機甲虫の別種と接触した際、交戦を避けるような円滑なコミュニケーションをとるのは不可能なのである。
「ふぅん、心優しい性格をしていることで。でも、たまには狩りだけでなく戦いをやらないと腕が鈍ってしまうわよ」
それゆえ、機甲虫が生きていくうえで騎士という固体の存在は必要不可欠。彼らは女王を守る刃であり、頭脳であり、手足でもあるのである。
「私は殺し合いを好みません。行うなら殺すだけでいい」
「そう? 残念ね。でも本当にこの領域を支配するつもりなら、狩りだけをするのは不可能だと思うけど?」
そう言ってアリスが取り出したのは、ノーラが臓物を掻き分けながら探していた物体。生体チップ。
「他人の記憶は蜜の味ってね」
右耳の少し後ろ。指でさすって挿入部分を確認すると、アリスはそこに生態チップをかちりと差し込む。チップからデータを読み込み、術式を用いて再生。
「おっとっと、大きくしすぎちゃった」
Image
アリスが手の平に収まりきらないくらい大きく映し出した【映像】には、このコロニーを襲撃したものの姿が記録されていた。真っ黒の法衣服を纏った幼い少年。
右手に携えた光の刃を振るうたび、真新しい機甲虫の死骸が出来上がっていく。
「これは……」
「ふふ、絶句しているわね。良い反応。このコロニーでは変異種という固有名称を定めて、最上級の脅威として認識していたようだけど、どう? 凄いでしょうこの子。それにとっても美味しそう」
「またそういう事を言って」
「あらいいじゃない。騎士は個々の個性を大事にするものよ。でないと、己の存在意義がなくなってしまうもの。あ、美味しそうと言ってもカニバリズムではないからね。オブラートに包まずに表現すると――」
「しなくてもいいです!」
言葉を遮ってノーラが声を上げると、アリスは不服そうな様子で唇を尖らせる。
「ぶぅ、生真面目ね。ノーラちゃんは意外にストライクゾーンが狭かったりするのかしら。それとも同姓がお好み?」
「…………」
「やあねぇ冗談よ、堅物さん。ところで人ではなく、虫として考えた場合はどう? 戦ってみたいとか、闘争本能が刺激されたりしない?」
「殺し合いは好まないといったでしょう。興味なんてありませんよ」
「あら、釣れない返事。せっかくこの私が誘ってあげたというのに」
「貴方の道楽に付き合うつもりはありません。君主危うきに近寄らず。危険な固体だというなら放置して、極力手を出さなければいいだけの話です」
「あらあら、ノーラちゃんの思考は相変わらず固すぎるようで。私なんてどろどろにしたりされたりしてみたいのに」
「……貴方は」
「あら、ごめんなさい。美味しそうなものを見るとどうしてもね。ノーラちゃんはそういう感情に陥ったりはしないの?」
「興味ありませんね。そういう感情を持つより前に騎士となりましたし、騎士になった以上は欲など持つ必要はない」
「性欲、食欲、睡眠欲。おお、確かに」
「何を指折り数えて驚いたふりを……貴方も同じでしょうに」
「うん? いやいや実際確認してみないとわからないことは少なくないからね。それにしても、ノーラちゃんがそこまで無欲とは。仕方がない。それなら、この私自ら手を出してみましょう」
微かな笑みを浮かべて、アリス・フローベルは両手を合わせた手の平の上でころころと映像を転がす。
彼女の手の平の上では、変異種と呼称される幼い少年が刃を振るい続けていた。
飛翔艦‐方舟。数百年前に大量に製造された居住用の大型艦船で、機甲虫によって地上を追われた人々がたどり着いた、空に浮かぶ理想郷。
その理想郷を守るべき剣こそが魔導機杖であり、魔導師であり、そして……。
『出力係数異常なし。術式、安定。よし大丈夫。行けますクリスタさん。出撃許可を』
艦内の通信機を用いて聞こえてきた少年の声がブリッジに響き渡り、魔導師隊の総指揮を臨時で執る事になった女性‐クリスタ・R・クラスタはほんの少しだけ瞳を閉じる。小さく息を吐き出し、少年の魔導師に向けて命令を下す。
「……了解、出撃を許可する。ただくれぐれも無理はしないように。人手は足りているのだから、無理に貴公が気負う必要はない」
『ありがとうございます。でも本当にもう大丈夫ですから。だから早く出させてください』
クリスタの言葉など右から左。通信機越しに聞こえてくる音声は、ただただ、外に出たいという気持ちを押え込んでいるようであった。
少年の名はレム・リストール。
機甲虫側が変異種という固有名称を定め、最上級の脅威と認識している存在で、わずか三日前に母親を失った、いや……見捨てた少年でもある。
じっとしていたくないのだろうな。
何となく、クリスタにはレムの気持ちが理解出来てしまっていた。同時に、羨ましくもあった。気兼ねする必要もなく、身軽に動くことの出来るレムの事が。
「あの、いいんですか。艦長、クリスタさん。あの子、たぶんあそこに行くつもりですよ。護衛の小隊を一つくらいつけてあげたほうが」
映像解析を仕事とする部隊の末端に所属する女性‐シャルル・フリージア。
モニターを見つめながらコンソールパネルを叩いていた彼女は、下された命令に不満を抱いたのだろう。金色の髪をふわりとなびかせ、クリスタの方へと振り返る。
「護衛? 足手まといの間違いだろう。残念ではあるが、ご子息の全速力に追いつける魔導師など存在しないよ」
「む、そんな、リーゼさんみたいな言い方をしなくてもいいじゃないですか」
「艦長」
クリスタに頼み込んでも無駄と判断したのだろう。ぷいっとそっぽを向いて、シャルルは方舟の艦長を勤める初老の男性、プロイア・リヴァルの方へと視線をずらす。
「そうだな。追いつけないという主張にも一理あるが、護衛をつけるべきというフリージアの方が正しい。クリスタ」
「……下手に魔導師をつけたところで、あの子の足手まといにしかなりません。それに魔導師隊に関する全権が司令官に一任されているというなら、艦長といえども口を挟む権利はないはずです」
「そうでもないだろう。レム・リストールはリーゼ司令が抱えていた私兵の魔導師。隊に属していない以上、司令官権限の適用外ということになる。それに、新司令のポストがおまえに決まったわけでもあるまい」
「その通り。リーゼ司令ほどのカリスマや技量、指揮能力を備えているわけでもなし。それなのにワンマンショーなんて見せ付けられては、同僚としては堪ったものではないってことさ。部下に対しての示しもつかないわけだしね」
ブリッジの入り口部分が開くと共に、法衣服を身に纏った男女の魔導師が姿を現す。
男性の方はかなりの長身で、百八十はあるだろうか。筋肉質で力強そうなガタイをしており、肩幅もクリスタやシャルルよりも二回り以上は大きく見える。
女性の方は女としては相応だろう背丈をしており、真っ黒な髪を首の後ろ辺りで短く束ねている。目元にはアイラインが丁寧に塗られており、両手の指先には、夕焼けを象った鮮やかなネイル。銀色の魔導機杖をその手に携えており、柄の部分には02という数字が金色で刻印されている。
「トウィザリム・ローにエリディア・ソワン? 魔導師の大隊長どもが雁首を揃えてなんのようだ」
方舟の護衛や機甲虫の破壊を主目的とし、殺虫に特化した戦闘部隊‐魔導師隊は通常、四~五名ほどの人数で構成された小隊単位で任務を行うことになっている。その小隊全てを統括し、全体の指揮を執るのが総司令という役職であり、それに続くのがトゥィザリムやエリディアと言った大隊長というわけである。
「何の用事とはご挨拶なことを言う。司令官らしく立ち振る舞おうという心がけは良いけど、ワンマンはよくないね。それに、貴方ごときにリーゼ司令の代わりは勤まらないよ?」
「同感だな。リーゼ司令が消息を絶ってから三日。緊急措置として近衛魔導師を勤めていたおまえが臨時の司令官に就任したわけだが、臨時の分際で権力を振りかざしてもらっては困る」
「……っ。別にそんなつもりで言っているわけではない。それに臨時とはいえ司令の役職を引き継ぐ事になった以上、前任者に習った行動をするのが当然で――」
「それは言い訳でしかないね。何をしようと、貴方をレム君がリーゼさんと呼ぶわけではない」
「……っ。馬鹿馬鹿しい。私が、リーゼ司令に執着をしているとでも言うつもりか。もういい、トゥイザリム、エリディア。私が指揮を執るのを不愉快と言うなら、お前たちのどちらかが指揮を執ればいいだろう」
激情のままに思いきり当り散らすと、クリスタはレムに向けて声を張り上げる。
「ご子息、魔導師レム・リストール。予定を少し変更。私も出る。貴公は少しの間そこで待機するように。艦長! 私は、一時これで失礼させていただきます」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「クリスタさん、完全に尾を引いていますよね……あれ」
嵐が過ぎ去った後、ぽつり。シャルルが少しだけ言葉を漏らす。
「拘りすぎなんだよクリスタは。司令が抜けた穴を埋めようと、必要以上の意地を張って」
「元々は司令に仕えていたメイドなのだっけ? 思い入れが強くなるのはわかるけど、だからって私情を振り回されてはねえ」
「そう悪く言わないでやってくれ。トゥイザリム、エリディア。あれがリゼに執着する理由、その非はわしの側にあるのだから」
「艦長のせい?」
「身寄りのなかったあれを引き取る際、体裁を整えるためにメイドとして招き入れたが、それが裏目に出た」
「身寄りがない? あっ、ひょっとしてクリスタって」
「エリディア」
「っと、ごめんトゥー。失言失言」
発言のどこにおかしなところがあったかはわからないが、ともかくエリディアは慌てて口を紡ぎ、そうかぁ、と何かに納得した様子で頷き続けていた。
トゥイザリムもプロイアの言葉の意図を理解しているようだが、シャルルを始め、会話についていけないブリッジクルーたちは首を捻るばかり。
いや、ひょっとしたらシャルルが理解できなかっただけで、他のクルーはほとんどが理解しているのかもしれない。
ただ、今の段階で何よりも重要なのは、シャルルが引っかかっているのは。
「あの、エリディア隊長とトゥイザリム隊長は反対なんですか? クリスタさんが、新しい司令官に就任するっていうことに」
「うん? なあに、お嬢ちゃんは私たちの考えに不満を抱いていたり?」
「そ、そんなの当たり前じゃないですか!」
モニターの前の椅子から立ち上がり、シャルルは、勢いよくエリディアへと突っかかる。
「拘りすぎとか執着してるなんて言って、まるでリーゼさんを想うのが悪いみたいな言い方をして、だいたい、エリディアさんやトゥイザリムさんは知ってるんですか! クリスタさん、寝る間も惜しんで部隊運用の基本や機甲虫の生態系を調べなおしていたんですよ。それなのにワンマンだとか指揮能力がないとか――」
「綺麗事の押し付けはどうでもいいさ。図星を付かれて癇癪を引き起こすような司令官はいらないって、私が言いたいのはそれだけのこと。まあ個人的にもクリスタのことは気に入らないのだけど」
「気に入らないってっ」
「はいはい静かに、慌てなさんな。それとこれとは話が別なのだから。それにしてもお嬢ちゃん、わかりやすい性格をしているねぇ。まっすぐで正直で、人を信じすぎるところがある。魔導師としての素質は低そうだ」
「……っ。私にはシャルルってちゃんとした名前があるんですから、お嬢ちゃんなんて言うのは止めてください! 魔導師の素質のことだって、いちいち言われなくてもわかってます! それでクリスタさんを追い詰めて、追い出して、どっちが司令官をやろうって言うんですか?」
「どっちがと言われてもねぇ」
本当に考えていなかったのか、それともただの演技なのか。エリディアはちらり、トゥザリムに視線を送りながら首を傾ける。
「……臨時は俺がやる。エリディア、あいつの事はおまえに任せた」
「ん、いいの? じゃない。出来るの? トゥー。数十人規模の魔導師のスケジュール管理に大隊の指揮、映像解析補助、書類整理。それから」
「出来るだけ……早めの解決を頼む」
時間とは無機質で無慈悲なものである。時計の針が淡々と時を前に進めていくその中で、私たちに出来るのは『今』をどうするかだけ。
そんな風に、偉そうに説教じみた事を艦長に言ったことがあったが、結局はこれか。
方舟から少しだけ離れた中空の空域。自分の前方を飛翔する小さな背中を目で追いかけながら、クリスタはブリッジでの自分の行動を思い返す。
別に後ろを振り返っているつもりはない。お嬢様がご子息を強く鍛え上げようとしていた以上、私もご子息に対して相応の振る舞いを行う必要がある。
それだけの事なのに、何が権力を振りかざしているだ。知ったような口をきいて。だいたい――。
「あの、クリスタさん。何かあったのですか」
「うん?」
気がつけば先行して前に出させていた少年の魔導師。レムは、クリスタのすぐ近くまで接近してきていた。
「ブリッジから聞こえていた通信、何だか妙に騒がしかったですし、最後のこちらに来るという声も不機嫌そうに聞こえました。だから、何かあったのかなって」
……っ。馬鹿か私は。こんなざまで、何がお嬢様を引き継ぐだ。
こちらを心配するレムの声を聞いて、クリスタは自分の迂闊さ、愚かさを恥じる。
無意味に声を荒立てて、ご子息にまでご迷惑をおかけして。
「……大丈夫。貴公には関係のないことだよ。少々不快なことがあり、ついご子息にまで当たり散らしてしまった。すまないな。努力はしているのだが、なかなか貴公の母のようにはいかんよ」
「…………」
「いかがなされた?」
「母さんのやり方なんて、真似をしなくてもいいですよ。僕の生存を最優先に、いえ、それだけを考えて他の全てを切り捨てる。そんな歪んだ思想を真似る必要なんて。第一、母さんはクリスタさんまで切り捨てようとしていたんでしょう。どうしてそんな人のことを敬愛したり、信じる事が出来るんですか?」
「ご子息、人の持つ面は一面だけではないよ。貴公ほどの者なら、それぐらいは分かっているだろう?」
「でも……」
「自分を正当化させるためにあの方を否定するのはいい。心を正常に保つためには、それも一つの必要悪だ。ただあの方を否定する行為に同意を求めるのはやめろ。他人があの方を悪く言うようなことがあれば、全力を持って否定しろ。あの方を咎めていいのは世界でただ一人、ご子息だけだ」
「僕だけ?」
「そうだ。外に出ようと、身体を動かそうと、頭のなかを別事でいっぱいにしようとしても、あの方のことが心の片隅に残り続けるのは変わらない。ならば、出来るのは思考そのものを変えることぐらいだろう?」
「……!」
「どうしてそれを、という顔をしているな。ふふ、ご子息は悩みが表情や態度に出やすい性格をしておられる。それに、あの方のことが心に残り続けているのは私も同じだよ。忘れることなど出来ないのだから、自分の気持ちに整理を付けて、決着をつけて前に進め。それが、残された者たちに出来る唯一なのだから」
「……はい!」
人が持つ面は一片だけではない。自分を正当化させるためにあの方を否定するのはいい。心を正常に保つためには、それも一種の必要悪。
ご子息を諭すために口にした言葉のはずなのに、自分自身の心にも強く響き渡る奇妙な感覚。
そんなものを胸のなかで味わいながら、噛み締めながら、クリスタはじっと上空を見上げてみる。方舟内部の居住区に映し出される偽りの空ではない。本物の……もっとずっと広い、もっとずっと澄み渡った空。
幼いころは当たり前に頭上に広がっていて、存在するのが当然だと思っていた。だから綺麗や壮大なんて思いを抱くことはない。抱けるほど余裕があったわけでもないが、あるがままに受け入れることを当然に思っていた。
お嬢様の事も同じ。正しくても正しくなくても、納得出来ても出来なくても、お嬢様のご意思に従うことこそが最善。あの方が連れ去られるのを震えながら見ていただけの自分には、それぐらいしか出来ることはないのだから。
そう信じてきた。そう妄信してきた。けれどご子息の申されるとおり……歪んだ思想までを真似る必要はない。
人の持つ面は一面だけではないのだから、一面を否定して一面を肯定すればいい。極端な思想に走る必要などない。そういう柔軟な考えを抱けるからこそ、『人』は『人』たり得ることが出来るのだから。
「どうしたんです? クリスタさん。上になにか」
「いや。空がずいぶん綺麗だと思ってな。よし、そろそろ戻ろうご子息。臨時の司令官といえ、上に立つものが癇癪を起こして飛び出したままでは示しがつかないからな」
「はい、了解しました。クリスタ新司令」
「こら、まだそう決まったわけではないよ」
微笑を浮かべながら、クリスタは方舟の方へと振り返る。
そのまま戻ろうとして、レムが方舟とは正反対の方向。ミュウを助けるために乗り込み、女王を潰し、母親を見捨てて方舟に逃げ帰ってきたあの場所、あの方角をじっと見続けている事に気がついた。
「助けに行きたいか? ご子息」
「……いえ、僕がここにいるのは母さんの生き方を否定した結果ですから。それにわかるんです。あの場所に、もう母さんはいないって」
「いない? 生きているというのか?」
「そこまではわかりません。でも、生きているなら必ず自力で帰ってくる。あの人は、そういう人です」
「ふふ、そうだな。あの方は、そういう方だ」
私の人生に光が挿したのは十歳のときだった。手や足を思うように動かせなくて、役立たずの烙印を押されて、生きている事に苦痛すら感じて、そんな日々のなかで、あの虫たちに襲われた。殺されると思った。見知った人たちみんなが真っ赤に染まって、私を役立たず呼ばわりしていたあの女も倒れて、どす黒い赤色に染まった機械仕掛けの虫が目の前にまで迫って……。
でも、助かったのだ。あの方がいたから。あの方が、私を求めてくれたから。
光を浴びて、壊れていた時計の針が私のなかで秒針を刻み始めて、新しい生を受けた気がした。いや、違う。たぶん、本当にあの日に生まれたのだ。
『私』という存在が。
同日の夜。職務を終えて自室のベッドにごろりと横になりながら、シャルルは耳元に電話の受話器を押し当てていた。
『ふーん。それじゃクラスタ隊長、すぐに立ち直ってくれたんだ。よかったね、大事になる前に無事に解決できて。それにしてもリーゼ司令秘蔵の魔導師、レム君だっけ? 彼、規格外の能力を持っておきながら助言や悩みの解決まで出来るなんて、飛びぬけているね。完璧超人というやつ?』
電話の相手はジュニアスクール時代からの腐れ縁、魔導師フォット・バンテ。
クリスタが率いていた小隊に所属していた魔導師で、クリスタの昇進とある事件がきっかけで配属先が変更になった女性である。
「うーん。レムにそんな器用なことが出来るとは思えないのだけど。あの子、真面目だけど少し浮世離れしたところがあるし。自己解決の手助けをしたが正解なんじゃないかな」
『およ、さすがシャルルお姉ちゃん。レム君のことはよくわかっているようで。実は玉の輿を狙っているとか?』
「フォウ。そういう茶化した言い方はやめて。だいたい姉や弟って、再婚したときに両方に子供がいる場合に起こる物凄く特殊なケースの話でしょ。そんなものをぽんと出されてもよくわからないって」
『まあね。でもクリスタ隊長とリーゼ司令の関係って、案外その姉妹に近い関係だったんじゃない? ほら、クラスタ隊長って元々外の……っと』
「外? フォウ、外のってどういう意味?」
『あ、あのね。その、あの、この……わ、忘れて。ね、お願い』
「フォーーウ?」
『うー、話したいけど駄目なんだって。極秘で秘密事項だって、口を酸っぱくして言われてることだもん』
「良いから話してみて。大丈夫。わたしさ、こう見えて案外口が堅いから」
『むぅ、なら話すけど。絶対に言い広めたりしないでね。実はさ、クリスタさんって方舟の艦内で生まれた人じゃなくて、外で保護された人らしいの』
「外で保護? 外に生きている人がいるってこと?」
『うん。方舟以外の飛翔艦ってことでなく、ずっと下のほうの何にもない場所。大地で暮らしていたり、あるいは地下に隠れていたりね。これ、本当は魔導師以外には話しちゃいけないことなんだから注意してよね』
「ちょ、待った待った。外に人がいるのは百歩譲っていいとして、その人たちの存在を魔導師以外に話しちゃいけないってのはどうしてなの?」
『うーん。細かい理由まで含めればたくさんあるだろうけど、一番大きいのは食料問題じゃないかな。ほら、石材や木材くらいなら外から持ってくる事が出来るけど、食料に関しては艦内で自己完結。自給自足でまかなっているわけだし、艦内の人口もそれを意識して人数管理がされているわけでしょ。そのせいで認可が降りなくて、子供を持ちたくても持てない家庭もあるわけだし、そういう人を無視して保護の事実や保護された人を公表したりすると逆に人口が減りかねないでしょ。スプラッター的な意味で』
「……納得。娯楽用の映像資料であったものね。そういうドロドロなドラマ」
『それでね、身寄りのないクラスタ隊長はリヴァル家のメイドって形で引き取られたらしいんだけど、リーゼ司令とは歳が近かったし、クラスタ隊長、ひょっとしたらお姉さんみたいに思ってたんじゃないかなって』
「そっか。それだけ慕っていた人とあの日突然引き裂かれたら、尾を引くなってほうが難しいよね……」
『うん。でももうその問題は解決したんでしょ。なら大丈夫だって。クラスタ隊長、そんなに弱くなんかないもん』
「嬉しそうに……。慕っているねぇフォウは。まあ自分が所属していた隊の隊長だし、特別な任務に任命してくれた恩もあるわけだもんね。それで、どうなの? フォウ。ミュウちゃんの護衛なんて大任を任されたわけだけど」
『機甲虫に狙われている存在。適合者で、レム君が機甲虫から守ることを誓った女の子。そりゃそんな子の護衛につけるのは魔導師冥利に尽きるってものだけど、直々の護衛ならレム君が付くべきではないの? というか、シャルの話だとレム君はミュウちゃんに告白してるんだよね。あれから三日。連絡がないけど何かあったのかって、ミュウちゃんレム君のことを心配しているんだけど』
「告白? えっ、あ、あー告白ね告白。ごめん。あれさ、わたしの勘違いだったみたい」
『勘違い?』
「うん。ミュウちゃんを護衛する魔導師、レムが自分でやりたかったんじゃないかってそれとなく聞いてみたことがあったんだけど、機甲虫の襲撃は外から来るものだから、直接ミュウの護衛に当たる必要はない。外の機甲虫の動きを警戒していた方が効率的だって。レム、そんな風に言っていてさ」
『効……率? はっ、えっ? ちょっ、ちょっとまって。じゃあこれからも君を守り続けるってのは?』
「うーん。なんと言うか言葉通りの意味? あはは、忘れてたよ。あの子が浮世離れしてるってこと。ねえフォウ、悪いけどこの話ミュウちゃんには」
『黙ってるわよ! 言えるわけないでしょ、そんな話』
『あ、フォットさん。お電話、こっちでの生活の報告とかですか? それならレムがどうしているか聞いてもらえると――』
『ひゅんっ! ミュ、ミュウちゃん……ご、ごめんシャル。また今度、こっちからかけなおすから』
「あ、フォウ……駄目だ。切れちゃった」
受話器越しに聞こえてきていた音声がぷつりと途切れ、部屋の中の静けさが急激に勢いを増していった。軽く部屋の中を見回してみたものの、自分以外には誰一人見当たらない。一人部屋だから当然なのだけど、受話器の向こうが賑やかそうだっただけに、少しだけ寂しく思う。
向こうは楽しそうでいいな。フォウは大変そうだったけど。
シャワーでも浴びてそろそろ寝よう。そんな風に思ってベッドから立ち上がると、部屋の入り口に取り付けられたインターホンがぽーんと音を鳴らす。
「あれ? はいはい、どなたですかー」
チェーンロックされているのを確認した上で鍵のロックを解除。ガチャリとドアノブを回して、外を覗き込んでみる。
インターホンを鳴らしたのはブリッジで顔を合わせた魔導師エリディア・ソワン。クリスタを悪く言ったり自分を茶化したり、正直、あまり良い印象を持つことが出来ていない相手。
「はろう。お久しぶり」
「お久しぶりって、昼間にも会ってるじゃないですか」
「あー細かいことは気にしなさんな。そんなことより、ちょいと部屋の中に入れてくれないかい? お嬢ちゃんに言わなきゃいけないこともあるしさ」
どうしよう。と、シャルルは少しだけ戸惑った、困ったような表情を浮かべてしまう。
あまり好きと言える相手ではないけど、そんな理由で断るわけにはいかないし、何より、こんな時間にわざわざ足を運んでくれたのは大事な用があるからなんだろう。
「……いいですけど、お嬢ちゃんって言うのは止めてください。わたし、そこまで子供じゃないんですから」
「うむうむ。たとえお偉いさんだろうと嫌な事を嫌と言える。思っていることを正直に言える。良いねぇ。良い子だけど昇進できないタイプだ」
チェーンを外している間も嫌味を言うことだけは忘れない。やっぱり、この人だけは好きになれそうにない気がする。
「昇進したくて仕事をしてるわけじゃありません。それより、もうエリディアさんはクリスタさんが司令官になるのを反対したりしないですよね。クリスタさんも、リーゼさんのことを吹っ切ることが出来たみたいですし」
「そうだねえ。癪だけど反対する理由はなくなった。まったくあいつは、立ち直るのが早すぎるんだよ。あんなに早く立ち直れるなら最初から問題など起こすなと」
「問題を起こすな引きずるなって、クリスタさんはリーゼさん専属のメイドだったんですよね。物凄く慕っていたみたいですし、大好きな人、尊敬していた人がいきなりいなくなったりしたら、あんな風になるのも仕方ないんじゃないですか?」
「はんっ、それが気に入らないというのさ。リーゼ司令から信用を得られて、息子のことまで託されて、自分の身体や十三年前の事件の詳細まで知らされていたようじゃないか。嫌なんだよねぇそういう特別扱いは。私には、何も知らせてくれなかったというのに」
「あの……ひょっとしてエリディアさんが反対していた理由って嫉妬――」
「ん、いやいや。それとこれとは話が別と言っただろう。吹っ切れたというなら文句はないさ。で、そんなことよりわざわざ部屋にまで訪れた理由だけど……あながちクリスタと無関係でもないのだよね。でもその前に、お譲ちゃん。貴方クビだってさ」
「はい?」
「はい? じゃなくてクビ。ブリッジのモニター解析業務は別の人が引き継ぐから、貴方は明日から来なくてもいいって」
アナタクビダッテサ。
頭のなかで言葉を紐解いて、シャルルは自分なりに言葉の意味を理解しなおしてみる。クビというのは、やっぱりそういう……。
「えっ、えっ、ええええええええ! じょじょじょじょ、冗談ですよね。わたし何か失礼なこと……はいっぱいしてますけど、それでも」
「落ち着きなって、些細なことで取り乱すのは子供の証拠だ」
「こ、これが落ち着いてられますか! な、ななな、なにかの冗談ですよね」
「いやいや、残念ながら艦長直々の命令でね。映像解析は別の人に当たらせるって。それでクビになったお嬢ちゃんの配属先だけど、貴方、司令官補佐をやりなさいってさ」
「艦長直々って、映像解析は別の人に当たらせるって……えっ? 司令官補佐? クビなんじゃ」
「そう。モニター業務はクビ。で、クリスタを支えてやるようにって艦長からお嬢ちゃんに命令が下ったのさ。今日のことでもわかったと思うけど、クリスタはしっかりしているように見えて危なっかしいところがある。誰かが支えてあげないといけない。だろ?」
思わず釣られてしまいそうな笑顔を向けられたものの、踊らされたという感覚が頭の中に残っているせいで、どうしても素直に喜ぶことが出来ない。
「うん? どうしたんだい? 私は嘘が好きだけども、今回ばかりは嘘じゃない。おめでたい話題を持ってきてあげたのだから、素直に喜んでくれればいいじゃないか」
「それが本当なら嬉しい話ですけど、どうしてわたしなんかに司令官補佐なんて大役を? 自分で言うのもなんですけど、わたしにそんな役は」
「自分を過小評価するものじゃないさ。それに私としても適役だと思ったよ。貴方はねー、馬鹿正直な子だ。誰に対しても物怖じせずに意見を言える。しっかりとした、自分なりの正義感を持っている。それがいいんだよ。クリスタみたいに物事を抱え込みやすいタイプには、外からガンガン食い込んでいく馬鹿が必要だからね」
「……褒められてる気がしないのですけど」
「ははっ、気にしなさんな。それじゃ、明日正式に転属手続きが行われるだろうから頑張りなさい。それと、言い忘れてたけど昇進おめでとう」
「エリディアさんって」
「うん? なんだい」
「本当に、性格悪いですよね」
「はん、そう褒めなさんな。照れるじゃないか」
飛翔艦‐方舟から南東三百メートル。
自室で身体を休めていたシャルルがエリディアにからかわれていたのとほぼ同時刻。
中空に、一人の女性が漂っていた。
魔導機杖はその手に携えておらず、傷一つついていない美しい指先をピアノ線のように細長く伸ばし、ぱきり、間接を折り曲げて澄んだ音を掻き鳴らす。
「見つけた。空飛ぶお船。ふふふ、大きい」
女性の名はアリス・フローベル。
機甲虫の女王に仕える騎士であり、『人』ではなくなってしまった存在。
「いますぐに乗り込んで変異種を抱きしめてあげたいところだけど、じっと我慢しないとね。物事には順序があって、楽しみは後にとっておくもの。さて、それじゃあ」
Communication
右腕を天高く掲げて、アリスは【伝達】の術式を発動させる。
「ゲームスタート」
レム 第二章スタートです。今回は新展開というよりも前作の後始末的な部分がメインになってしまいました。
続きを書くなら掛け合いが出来る敵を出したかったので、今回から登場する機甲虫の騎士たちは気に入っているキャラクターたちです。前作、レムでは不完全な騎士としてリーゼが出ていただけですが、今後は主人公たちと敵対する者として騎士の出番を増やして行こうと思います。
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@Charlotte0083