エピローグ:帰ってきた平穏
教会のドアが開く音。
掃除をしていたジェニファントが、目をやった。
麦わら帽子をかぶる、日に焼けた男、
その脇に、一組の男女。
ジェニファントは、すぐに理解した。
「ああ、あなた方が、ジプラさんと、息子さんと、そのご婦人じゃな」
「んだ、あんちゃんには、世話になったべ、一度お礼さ言いに行かねばなあと思ってたんだべさ」
ジプラが、抱えてきた段ボール箱を、ジェニファントに差し出す。
「これ、うちで採れた桃だっぺ、食ってけろ」
「これは立派な桃じゃのう、大事にいただきますじゃ」
「あの…」
メアリーが、口を開いた。
「…男の子の具合は、どうなんですか?」
ジムシーの提げた鳥かごの中で、白い小鳥がさえずりだす。
『ジプラさん、ガトールークだよ。
びっくりした?
ほらこの鳥、俺が聞かせたことをそのまましゃべるようになってるあれだよ。
そうそう、うちに帰ったはいいんだけど、俺、腰痛めちゃってさ…
そっちに、服、取りに行けなさそうなんだ。
だから悪いんだけど、ジプラさんがこっちに来てくれないかな?
俺の家は、ロッキンレイの教会なんだ。
城と直接繋がってるし、教会はひとつしかないから、すぐわかるよ。
あ、あと、いきなり逃げたりとかしないから、今しゃべってる鳥も連れてきてくれる?
なんか頼みごとばっかりでごめんな、宜しくお願いします』
「まったくあの年で腰を痛めるとは、爺くさい限りじゃ」
ジェニファントが、ため息をついた。
「腰の骨にひびが入っておったとかでの、医者にはベッドを離れないように言いつかっておるんじゃが、何せきかん坊じゃからの」
「それじゃあ、あんまりよくないんですね」
ジムシーが目を伏せる。
「すみません、俺らが迷惑かけたばっかりに…」
…と、そのとき、
階段を駆け下りる音。
ジェニファントが、頭を抱えた。
やがて礼拝堂の奥から繋がる扉が開き、
「じいさん、誤解されるようなこと言うなよな!」
松葉杖をついたガトールークが、姿を現した!
「あんちゃん!
…横さなってなくて、大丈夫なんだべか?」
「うん、平気だよ。
医者がコルセットとかいうの作ってくれて、はめてるとだいぶ楽なんだ」
ジムシーとメアリーが顔を見合わせて、安堵の表情を浮かべる。
彼らは口々に言った。
「その節は、お世話になりました」
「坊主が一緒にいてくれたから、親父も助かったよ。
ありがとうな、坊主」
「いや、俺はたまたまジプラさんに拾ってもらっただけだし、たまたま皆を見つけただけだよ。
じゃ、俺の日頃の行いがよかったんだな!」
「お前の日頃の行いのどこがいいんじゃ」
いたずらっぽく笑うガトールークを、低い声が小突く。
ジプラが笑って、
…思い出したように、口を開いた。
「あ、そういやあ、あんちゃん」
「ん、何?」
「その箱さ、開けてけろ」
ジェニファントが、受け取った箱を、机に置く。
ガトールークは、箱のふたを開いた。
「うわあ、桃だ! すっごいうまそう!」
彼はそれをひとつ手にとって、
…
「…ん?」
箱のすみに、目をやる。
見慣れた黄色い体。
丸まった背中が、穏やかに上下している。
ガトールークは、注意深くそれをつまみ出した。
指をくわえて眠るそれは、ガトールークがかかえて揺さぶっても、目覚める気配はない。
彼は、息を吸いこんで、
───耳元で、声をあげた。
「ロコっ!」
「プキャッ?!」
手足をばたつかせてガトールークの腕から落ちそうになるロコ。
ガトールークは、その小さな体を抱きなおす。
… 息をついたロコは、
…唇をとがらせた。
「ガトールークびっくりさせようとおもったのに、 ねちゃったヨ」
「ばかだなあ、自分がびっくりさせられてどうするんだよ」
「しっぱい、しっぱい」
ジプラが、言った。
「どうしてもあんちゃんとこで手伝いさしてえって言うから、連れてきたんだべ」
「手伝い?」
「んだ、今、ちっこい魔物さ、村に手伝いしに来るっぺよ」
「ぼく、ここがいいノ」
ガトールークを見上げるロコ。
「ガトールークのいるとこで、おてつだいするノ」
…そうか。
ガトールークは、はっと顔を上げた。
ホビットたちは、おそらく罪滅ぼしのつもりなのだろう。
自分たちが主体ではなく、人間たちもそんなことは知らないものの、やはり善良な彼らは、罪悪感を感じているらしい。
「ガトールーク、ねえ、ガトールーク」
ロコが机に飛び下りて、腕組みをしかけたガトールークの袖を引っ張る。
「いいでしょ、ちょうろうも、いいっていったもん」
「え?
あ、ああ」
思案から引き戻された彼は、ホビットに目をやる。
…そしてようやく、事の次第が、飲みこめた。
「…え?
…ほんとに?
じゃ、ロコ、ここに住むのか?」
「すむヨ!」
「わあっ、やった!」
ガトールークは松葉杖を投げ出し、ロコを思い切り抱きしめた。
「じゃロコ、これから宜しくな!」
「ん、いっしょだヨ!」
「ガトールーク…
お前というやつは、またおかしなもんを拾ってきおって」
ジェニファントは、あきれたような顔をするが、
「…まあ、魔物の一体ぐらい、面倒を見てやるとするかの」
…彼は、それが嬉しいのである。
「それじゃ、達者でなあ、あんちゃん」
「腰、早く治せよ?」
「ロコちゃんのことも、よろしくね」
「うん、ありがとう!
治ったら、絶対遊びに行くよ!」
夕暮れの中、教会の前の階段を並んで下りていく、 ジプラとジムシー、メアリー。
頭にロコを乗せたガトールークと、ジェニファントは、その背中を見送った。
「やっと一段落したわい」
ジェニファントが首を回す。
「夕飯の支度でもするかのう」
「あ、夕飯、何?」
「“すぱげってぃ”!
ぼく、すぱげってぃ、すき!」
「ほう」
ジェニファントが、ひげをなでた。
「じゃ、そうするかの」
「やった、すぱげってぃ!」
「ああっロコ、頭の上で跳ねるなよ、首痛い!」
「あっ、ごめんネ」
ロコがおとなしくなったそのとき、
「ガトールークさーん!」
城の方から、マントをはためかせて、セレスティーナが走ってきた。
手には、新聞を握りしめている。
「どうしたんだよ、セレスティーナ」
「どうもこうもないでしょ、ガトールークさん!
これ何?!」
セレスティーナが、新聞を広げて、ガトールークに押しつける。
ガトールークは、それを声に出して読んだ。
「なになに、
【検証!マリ村の怪】
えーとー…
おっあった、
『現場に立ち会った、ロッキンレイ在住のボブさん(仮名・23歳)は、ペガサスナイトのセレスティーナさん(19歳)がいなければ、失踪した四人の発見はなかったと語り、また』…
…おー、ちゃんと書いてくれてる」
「…ボブさん?」
ロコが、首をかしげる。
「そ、ボブさん」
セレスティーナがガトールークをにらむ。
「そんな怖い顔するなって、だってほんとじゃん」
「嘘だよ!
確かに僕はガトールークさんを見つけて手伝ったけど、どっちかっていうと僕が現場に居合わせた人だよ?!」
「固いこと言うなよ、な」
「駄目!
だってこの記事、僕がみんなやったみたいに書いてあるんだよ、そんなのって─────」
「取材の人が来たとき、最初しらばっくれたのに、マリ村のジプラさんが俺の名前しゃべっててさ…
で、やむなく答えたってわけ」
ガトールークは、頭からロコを下ろし、腕にかかえた。
「いいんだよ、これで。
だって俺、新聞に載るなんて恥ずかしいからさ…
なあ、ロコ」
「ガトールーク、はずかしがりや」
ロコが、笑いかける。
「まったく、ガトールークの頑固を許してやってくれ、ナイト殿」
ジェニファントが、ため息をついて、加えた。
「甘んじて、賞賛を受けなさい。
この事件は、どちらが欠けても解決せんかった。
そうじゃろう?」
「…まあ、ジェニファントさんもそう言うなら…」
セレスティーナが、ガトールークに目をやる。
屈託なく笑う彼を見て、ようやく、セレスティーナも、笑顔を浮かべた。
「今回はいいことにしてあげるけど、ガトールークさん、次は許さないよ?」
「大丈夫大丈夫、もうないから」
「ええ?
…もう、わかったよ!
それじゃガトールークさん、僕まだ仕事があるから行くね」
「ああ、わざわざお疲れ」
また走って戻っていくセレスティーナを遠目に見て、ガトールークはつぶやく。
「…ふふっ、 忙しいやつだなあ」
「お前みたいなのに、ああいう友達がいるなんて、奇跡みたいなもんじゃ。
大事にしろよ、ガトールーク」
「…うん」
二人と一匹は、教会の扉へと、きびすを返した。
礼拝堂の机に置かれた鳥かごの中で、小鳥がさえずる。
『ジプラさん、ガトールークだよ。
びっくりした?
ほらこの鳥、俺が…』
「これ、ずーっとおんなじこといってるヨ」
ロコが、ガトールークの肩によじ登る。
「ああ、もう役目は終わったんだし、解放してやらなくちゃな」
彼は鳥かごの扉を開け、緑に光る小鳥を取り上げた。
両手で包みこむように持ち、
…そして、
…その小さな背中に、そっと口づける。
光が弾けて消え、
────小鳥は、本来の声を取り戻す。
それはあっというまに、窓の外へ飛び立った。
ロコが、うっとりと頬を紅潮させる。
「…ガトールーク」
「ん?」
「ガトールーク、すき」
「い、いきなりなんだよ?
変なロコ!」
タイミングを見計らったように、ジェニファントの声が、彼らを呼ぶ。
「おうい、夕飯じゃぞ!」
「はーい! 行こう、ロコ!」
「ん、ごはん!」
威勢よく階段をかけ上がる二つの足音が、礼拝堂から、遠ざかっていった。