Ⅱ:イエローホビット
マリ村は、先ほどジプラと出会ったあの森から、そう遠くなかった。
少し歩くと、視界には畑が広がる。
「ここさ、もうおらの村の土地だっぺ」
「え、ここから?ずいぶん広いんだなあ」
植えられた作物は、元気に育っているようだ。
さらさらと、麦穂が揺れている。
豊かな土の香りが、ガトールークを包んだ。
ジプラが振り返った。
「なあ、いい場所だべ?」
「ああ、ほんとに!
畑って、面白いなあ」
「んだ」
ジプラは、日焼けした顔をくしゃっと笑わせる。
「こん先に、家さ見えっぺ?
おらたちは、皆あそこらに住んでんだべさ」
ジプラが指差した先には、民家が───というより掘っ立て小屋が、まばらに存在している。
あの辺りが、畑が大部分を占めるマリ村の中で、唯一人が暮らしている場所らしかった。
そこに近づくにつれて、その周りを囲む人影が目につく。
白いマント、銀の甲冑…
「…ロッキンレイのナイトだ」
ガトールークはつぶやいた。
「んだ」
ジプラがうなずく。
「ここんとこ、村の若者やら娘やらがどこかさ行っちまうんだけんど、なんでそうなんのかわからねえんだべ」
「…もう何人くらい、いなくなったんだ?」
「四人だあ。
明日いなくなれば、五人になっぺ」
「そんなに…」
ジプラは、麦わら帽子を持ち上げて、ナイトに会釈する。
ガトールークも軽く頭を下げて、集落の中へ入っていった。
村は、閑散としていた。
ところどころに、ぽつん、ぽつんと、老いた女性や、農夫、やぎの姿がある。
くすんだ茶色の風景の中で、ガトールークは、一軒の、乾いた木造の家に連れてこられた。
「ここさおらんちだ、遠慮しねえで上がるべ」
「ありがとう、お邪魔しまーす」
ジプラの家は、この村では大きい方だ。
玄関を入って、廊下を行くと、居間がある。
ものは少なく、わりと広い。
「そこさかけるべ、あんちゃん」
「うん」
ジプラはそれだけ言って、奥に向かった。 台所は向こうらしい。
ガトールークは、ジプラが示した先に座る。
木目の美しい、四人がけのテーブル。
─────────!!!
ガトールークは、はっと息をのんだ。
彼はとっさに、部屋を見渡す。
窓際にある背の低いたんすの上、小さな写真立て。
ガトールークは腕の包帯を強引にはずしながら駆け寄って、それを手に取り、砂ぼこりを払った。
…一組の、新郎新婦。
ガトールークは、立ちすくんだ。
やがて、
「ほい、お待ちどお。
畑で採れたもんしかねえけんど、まあ食ってけろ」
ジプラが、戻ってきた。
彼はガトールークを見て、顔を赤らめて、笑った。
「ああ、息子がその娘と結婚したときの写真だべ」
「あ、ああ…」
ガトールークは、絞り出すように返事をする。
「二人とも、なんかいいな…
“素敵”って、こういうの言うんだな」
「だべ?
いやあ、おらの息子夫婦ながら、なかなかだと思うっぺ」
ジプラは腕を組んで、噛みしめるように、うなずく。
「あんちゃん、飯にするべ」
「ああ、そうだな。
それじゃ、ごちそうになろうっと」
ガトールークは写真をたんすの上に戻し、脱ぎ捨てた包帯をまとめて、テーブルについた。
テーブルには、丸いパンがかごに山と積まれ、焼きなすに枝豆、桃が並べられていた。
ジプラが、マグカップに、ミルクを注ぐ。
「なんか変わった匂いだ、これ何のミルク?」
「やぎの乳だべさ、この村では皆、やぎ放し飼いにしてっぺ」
「へえ…」
ガトールークは、やぎのミルクを一口飲んだ。
独特の甘味が、口に広がる。
「すっごく濃い感じだな! 美味しいよ」
「んだ、当たり前だっぺ」
ジプラは得意顔だ。
二人は顔を見合わせて、声を揃える。
「いただきまーす」
「昼飯だべー」
彼の出してくれた食事は、とても美味しかった。
みな新鮮な、この村の味、お日さまの味だ。
ガトールークはごちそうさまを言って、立ち上がる。
彼は、訊いた。
「ねえ、ジプラさん」
「なんだべ?」
「午後は何か作業ないの?」
「あるにはあるけんど、夕方に雑草取りや虫取りに行くだけだっぺ」
「ふうん、
…なあ、手伝いに行っていいか?」
「あんちゃんも物好きだっぺ、こったら田舎の畑仕事の手伝いさしてえのか」
「お昼いただいたお礼にちょっとだけ!な、いいだろ?」
ジプラは、目を細めて、うなずく。
「本当?
それじゃ俺、時間になるまで少し散歩してくるよ」
「わかったっぺ、時間さなったら呼びに行くべさ」
ガトールークは、足早に、ジプラの家の玄関から外に出た。
彼は、傷だらけの手で、目元をこすった。
温かい雫が頬を伝う。
農夫が一人で住むには広すぎるこの家。
二人の若者。
『村の若者やら娘やらがどこかさ行っちまうんだけんど、…』
…ああ、きっとあの息子夫婦も消えてしまったのに違いない!
ガトールークは、手の甲で、まぶたをぬぐう。
こうしてはいられなかった。
まだ、さらわれた四人が戻ってこないと決まったわけじゃない。
本当に手遅れになる前に、犯人を見つけなければ!
ガトールークはぴんと気を張って、自分の今いる位置から、村を見渡した。
…
微塵も魔力の痕跡はない。
『空間移動説』の線は薄そうだ。
ガトールークは、ぼんやりと歩き出す。
小ぢんまりとした家が立ち並ぶなかにも、小さな畑がいくつかあった。
作物は何だろう、ガトールークにはわからなかったが、とにかく青々とした葉をつけて、元気よく体を伸ばしている。
丁寧に耕された畑の脇に、不自然な土のまとまり。
ガトールークは、そこに手を突っ込んだ。
畑の方から、声が飛んできた。
「にいちゃん、そりゃあ、もぐらの穴だっぺ。
なーんも面白いことはなかよ」
ガトールークが声の方に目をやると、腰の曲がった老婆が、作物に水をやっていた。
不思議そうに、彼をまなざしている。
「へえ…
わかった、ありがとう」
ガトールークは、もやのかかったような頭で老婆に生返事をし、またぶらぶらと歩き出した。
…
よく見ると、この小さな土山は、いたるところに点在する。
村人もその原因を知っているということは、ここにはもぐらがよく出るようだ。
これでは、地中から魔物が来ているのかどうか、それすらわからない。
手詰まりだ。
ガトールークは、村のはずれにある果樹の下に寝転んだ。
意識のあるような、ないような眼で、晴れ渡る空の、雲の流れを追う。
ふと自分の横に目をやると、ここにももぐらの穴。
ガトールークはため息をついて、寝返りをうった。
…
彼の視界に、ぼんやりと、小さなものがとまった。
それはとび跳ねている。
ガトールークはおもむろにそれをひょいと取り上げ、そばにあったもぐらの穴に突っ込んだ。
ギュッ、プキキュー!
ガトールークは、その鳴き声で、はっと我に帰った。
黄色い服を着た、クリーム色の生物。
あれだけぼけていたにも関わらず、自分の手は的確に、それを盛り上がった土に半分うずめている。
「うわわっ、ごめん!」
ガトールークはあわてて起き上がり、その生き物をもぐらの穴から引っ張り出した。
その不思議な生物の形状には、ガトールークは見覚えがある。
魔物図録に『人に影響を及ぼさない魔物たち』として載っていた。
黄みがかかった二等身の体、蝶の羽に似た形状の耳、とかげのそれをもっと短くしたような尻尾。
間違いない。
イエローホビットだ。
ホビットは、地面にぺたんと座りこんで、すっかり青ざめてしまっている。
彼は、ホビットの頭をなでて、声をかけた。
「ごめんな、びっくりしたよな」
するとホビットは、思いもかけず、口を開いた。
「ほ、ほんとにおどろいたヨ!
だってきゅうにうめられちゃいそうになったんだヨ?!」
「そうだよなあ、いや、ホントにごめん… お詫びに、一個だけお前の言うこと聞くよ」
「…いいノ?なんでも?」
「うん …
まあ、俺のできる範囲で」
「それじゃあネ、」
するとホビットは、果樹を指差した。
「このきで、いちばんおいしそうなみをとってヨ」
「…美味しそうな?
どんなのが美味しいんだ?」
「まーるくて、おおきくて、まっかっかのだヨ」
「丸くて大きくて赤いやつな?
よし、待ってな」
ガトールークは、手を組んだ。
ふわりと風をまとい、彼の体が宙に浮かぶ。
ガトールークは、果樹の周りを一周した。 少し高いところにぶら下がっている拳大の実が、見たところ一番“美味しそう”だ。
彼はそれを丁寧にもいだ。
すぐに下り立って、彼はそれをホビットに渡す。
ホビットは、嬉しそうに、頬を赤らめた。
「すごいネ、にんげんも、そらがとべるようになったんだネ!」
「いいや、人間皆が飛べるわけじゃない」
「そうなノ?」
「ああ、魔法が飛ばしてくれるんだ」
…
「…まほう?」
「そうさ、魔法!」
ガトールークが、軽く飛び上がり、宙返りする。
瞬間、彼の体は、小さなイエローホビットに変わった。
本物の方のホビットがまだあっけにとられている間に、ガトールークはさっさと元の姿に戻る。
「なっ、魔法面白いだろ」
彼は、ホビットの隣に腰かけた。
ホビットは、そのつぶらな瞳をきらめかせて、一心にうなずく。
「まほう、かっこいいネ!」
「だろ!」
一人と一匹は、お互いを見合わせて、笑いあう。
「なあ、お前、名前は?
俺は、ガトールークっていうんだ」
「ロコ!」
「ロコ?」
「そうだヨ!ぼく、ロコ!」
それから、彼、ロコは、色々なことをしゃべった。
現在、あまりイエローホビットは人前に姿を現さないが、彼らだけが知る地下洞窟で、今も暮らしているのだそうだ。
ホビットの集落は現在食料難で、こうして人里まで食べ物を探しに出てきたところを、ガトールークに見つかったのだという。
長らく魔界を離れて暮らしてきたイエローホビットたちは、人間同様、魔法とは無縁の生活を送っているらしい。
もともとあまり魔力を持たないホビットにとっては、あまり気にする必要もなかったのだろう。
「あんちゃん!」
ロコの話が一段落したところで、ジプラのよく通る声が、ガトールークを呼んでいる。
「そろそろ畑さ行くべ!」
「はーい!」
ガトールークは立ち上がり、
…ホビットを見下ろした。
「なあ、ロコも一緒に行かないか?」
「え、いいノ?」
「大丈夫だろ、ロコはいい子だから!」
「わーい、いくいく!」
ガトールークはロコをさっと抱き上げ、向こうに小さく見えるジプラの方へと走っていった。