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外天童子  作者: 朽木 良平
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外天童子

外法丸は比津ヶ村へとやって来た時には、日が沈み、夜になっていた。

 最短の道を選んで、無茶とも言える方法で走って来たので、あちこちがボロボロになっている。外法丸は足を引き摺りながらも、集落の周りに広がる畑の間を歩く。

 外法丸は妖を退治する為に、神主を頼ってやってきたのだ。比津ヶ山の中腹にある神社に寄ったのだが、神主は居なかった。ならば、妖の対策について、比津ヶ村の村長と話し合いを続けているのだろう。

 村長の屋敷は、村の集落の真ん中にある。外法丸は集落に向かうと、集落の周りを、木で作られた柵が覆っているのに気付く。

 木の柵は、手首ほどの太さの木を、丈夫な縄で網目状に結び付けた、簡素な造りをしたもので、それが、外法丸の二倍程の高さまで張られている。

 おそらく、妖の侵入を防ぐために取り付けられた柵だろう。

 果たして、あの力強き妖の前にどれだけの効力があるのか疑問ではあるが、人間と言うものは、何がしかの対処をすることによって、幾ばくかの安心感を得たいのかもしれない。

 普段であればよじ登って入ることも出来るのだが、怪我を追っている身の上では厳しく、入口を探そうと、柵の周りを歩く。

「何者だ」

 村の大人衆が、定期的に見回りをしていたのだろう。柵の外を歩いている外法丸に気付いて、誰何の声をかけて来る。

「……俺だよ」

「……お前は外法丸か。――こんな時に盗みを働きに来たか、この呪い子が」

 村人達は、外法丸であることに気付くと、怒鳴り散らして来る。外法丸は特に気にせず、話を切り出す。

「なぁ。村に神主が来ているだろう? 妖について大事な話があるんだ。呼んでくれないか?」

「神主様だと? 確かにいらっしゃるが、お前などに話す資格などない」

 村人は全くと言って良い程、取り合ってはくれない。

 外法丸は苦笑する。おおよそこの反応は予想していた。外法丸は村人に嫌われているのだ。仕方ないことだと、今では割り切れてしまっている。

 それでも、今の会話で神主が、集落にいることがわかった。それだけで、外法丸にとっては十分な収穫だ。

 外法丸はその場に座り込む。

「何をしている?」

 突然の行動に村人は訝しげに聞いて来る。

「体を休めているのさ」

 外法丸は何気なく答えて、脹脛(フクラハギ)や太腿を揉み込む。

 揉み込んだだけでは、酷使した足の疲れがすっきり取れるわけも無い。こんな時は、明音の下でゆっくりと風呂に入りたいと思うが、そんなことが出来るわけも無く、戻らないかもしれない幸せだった時を思い、悲しみが外法丸の心を襲う。

 けれど、ここで悲しみに嘆き立ち止まっていたら、間違いなく、かつての幸せの時は戻ってこない。

 悲しみを振り払い、外法丸は立ち上がる。

 揉み込んだ足は未だに疲れが溜まり重く感じるが、先程よりは足も上がるし、動かすことが出来るようになっている。

「よし」

 外法丸は自分の足の状態を確認すると、助走を付けて木の柵に跳び付く。

「何をしている」

 村の大人衆が騒ぎたてるが、外法丸は気にせずによじ登ると、集落側へとすぐさま跳び下りる。

 足に伝わる衝撃に、外法丸は蹲りそうになるが、なんとか手を付いただけで済ませ、立ち上がると同時に走りだす。

「つ、捕まえろ」

 村人達は慌てて外法丸を捕まえようとするが、外法丸は小さい体をちょこまかと動かし、男達の間を縫って、村人の中から突破する。

 外法丸は、神主が居るであろう村長の屋敷に向かう。

 村長の屋敷は集落の中の中心に近くにある、他の民家よりも際立って大きな家だ。

 寝静まった民家の中で、唯一、村長の屋敷の中からは話し合いが続けられているのだろう。明るい光が煌々と漏れだしていて、薄暗い夜闇の中でも、村長の家をすぐに見つけ出すことが出来た。

 しかし、足が早くももつれ出し、村長の屋敷に辿り着く直前、追いかけて来た大人達に捕まってしまう。

 首根っこを掴まれて、外法丸は地面に叩きつけられる。

「――げはっ」

 痛みに呻く外法丸。それでも周囲の村人達は、外法丸を心配したりはしない。

「ったく、手こずらせやがって」

 村人達は悪態を吐くと、外法丸を痛めつけるように、蹴り始める。

 外法丸は痛みを堪えながら、這ってでも前に進もうとする。

 神主に話さなければ、明音を助けることはできない。自分の痛みなど、明音を助けるためなら、何でも無いと言わんばかりに、諦めずに前へと着実に進もうとする。

「止まれよ。糞餓鬼」

 村人の一人が、そんな外法丸に苛立ったように、背中を踏みつけて止める。

「てめえはさ。何をそんなに頑張ってんのか知らねぇけどよ。俺たちゃ、妖を警戒して忙しいんだよ。それなのに、余計な面倒を起こしてんじゃねぇよ」

 村人は踏みにじる。

「ぐぅ、……俺はただ、助けて欲しいんだ」

 外法丸は痛みに顔を顰めながらも、顔を見上げて懇願する。

「あん? 助けて欲しい? 呪い子が、何を贅沢言ってんだ。お前は周囲を不幸にする。そんな奴が助かりたいなんて、許されるわけがないだろうが」

 今まで外法丸の感じたことのない程の怒りを覚える。

 不幸なことが起こって責められても、自分が悪いのだと外法丸は思って生きて来た。

 何故なら自分は呪い子なのだから、自分が悪いのだと思っていた。

 それは妖になろうとした時も同じこと。

 妖になろうと、実際に悪いことをしていたのだ。自分は呪い子なのだからと居直っていただけなので、実際には周囲に、それほど怒りを感じたことは無かった。

 だが、今回は違う。

 外法丸はただ、助けたかったのだ。

 優しい人を。

 大切な人を。

 愛しい人を。

 それを、目の前の村人達は否定する。

 贅沢だと言う。

 許されないと言う。

 ただ、外法丸が呪い子だからという理由だけで。

「何だ? その目は」

 外法丸が怒りに任せて睨みつけると、顔を蹴りつけられる。口の中が切れたのか、口の中に血の味が広がる。

 外法丸は痛みに顔を地面に伏せながら、自分の中の怒りを抑え込もうとする。

 ……腹立たしい。

 目の前にいる村人達を殴り倒したい。

 それでもそれを実行した所で、外法丸の五体は満足とは言えず、多勢に無勢、負けることは目に見えている。そして、そんな騒ぎを起こしたら、明音を助ける可能性が減るだけだ。

 明音を助ける為ならば、どんなことだって我慢する。

 少なくとも、外法丸は我慢して生きて来たのだ。今更、我慢の一つや二つ、問題などない。そう自分に言い聞かせる。

「……お願いだ。俺はどうなっても良い。だから、助けてくれ」

 外法丸は頼み込む。

「はっ、ふざけるな。呪い子が」

「そうさ、どうなっても良いなら、今この場で死ね」

「そうだな。妖が現れたのも外法丸の性かもしれない」

「そうか。じゃあ、外法丸を殺せば、妖も居なくなるんじゃないか?」

「そうかもしれない」

「そうだ。殺そう」

「殺せば、誰もが幸せになるんじゃ」

「そうか」

「そうだな」

 村人達は口々に言う。

 不味い流れだと、外法丸は思う。少なくとも、彼らに殺されたところで、彼らは明音を救ってはくれない。というよりも、彼らは外法丸の願いすら聞かずに、外法丸を手にかけることだろう。

 外法丸は一か八か、起き上がって走り出そうとする。

 明音は比津ヶ山の神だ。

 少なくとも神主はそう思っている。

 なので、神主にとっても守りたい存在。

 神主と話せれば、明音を救いに動いてくれるはず。

 起き上がった瞬間に体を掴まれる。それでもなんとか振り払おうと、体を暴れさせる。しかし、ビクともしない。

 年相応には程遠い、小柄な外法丸は、すばしっこい動きと言う面では負ける気はしないのだが、力と言う面では同い年にも勝てない。

 自分の無力さに苛立ちながらも、なんとか村人の手から逃れようとすると、村人に殴り飛ばされる。

 呼吸が止まるような痛みに咳き込み、それでもすぐに起き上がろうとするのだが、他の村人が殴ってくる。

 何度も、何度も、何度も、そこには手加減など無く、何度も殴られる。

 このままでは、本当に死んでしまうかもしれない。

 外法丸は、慣れ親しんだ痛みと動かなくなっていく体を感じながら、無性に泣きたくなった。

 明音を助けようと頑張ったのに、何もできていない。

 明音は外法丸を助ける為に命を賭けたのに、こんなところで死ぬなんて、完全に明音は無駄死にになってしまう。

 外法丸はなんとか立ち上がろうともがく。

「……まだ、立ち上がるのか」

 村人達はボロボロになっても立ち上がるろうとする外法丸に気味悪そうにする。

 腰が引けたのか、外法丸から僅かに引く村人達。

 外法丸はその隙に、なんとか歩き出そうとする。ふら付く体。真っ直ぐに歩くことなど出来ずに、今にも倒れそうになるにも関わらず、一歩一歩確実に歩いて行く。

 村人の一人が業を煮やしたのか、クワを持って来た。

 さすがに鍬で殴られれば、死んでしまうだろう。

 外法丸はぼうっとして、まともに働かない頭で、村人が鍬を振り上げるのを見詰める。

「何をしているっ」

 突如、大声が響き渡った。

 声のした方を見ると、村長の屋敷の前に人影が二つあった。

 一つは背の曲がった影。

 一つは背筋が真っ直ぐとした細長い影。

 良く見るとわかる。

 村長と神主だ。

「こ、これは、外法丸が盗みを働こうと――」

 外法丸に暴力を振るっていた村の大人衆の面々は、神主を恐れ、言いわけをしようとする。

 大きな自治組織の無い村では、神主のような、神に近い、徳を持った人間が、人の罪や罰を判断する。

 村人達は自分達の外法丸に行った行為を、神主がどう思うかがわからないので、せめて、自分達の行動を、正当化しようとしたのだろう。

 だが、神主の姿を認めた外法丸は、村人達の思惑などどうでも良く、ただ、必死に叫ぶ。

「神主。――明音が、――妖に、――頂上」

 切れ切れに叫ぶのがやっとの外法丸。

「黙れ」

 村人がそう言って、外法丸を殴り倒した。それでも、外法丸は同じことを喚き散らす。村人が今度こそ黙らせようと、暴力を振るおうとする。

「やめないか」

 神主の一喝で、村人達は動きを止める。それでも、納得がいかないと言うように、村人の一人が発言する。

「し、しかし、こいつは呪い子です。今回の妖も、こいつが連れて来たんですよ。だから、こいつを殺せば――」

「妖が現れたのは、外法丸の性ではない」

 神主は村人の言葉を遮って否定する。

「じゃあ、何故?」

「ここが霊山だからだ。比津ヶ山の強大な気を狙って、欲深な妖がやってくることは、良くあることなのだ」

「……でも」

 まだ、不服そうに言う村人。

「外法丸は呪い子だが、人でもある。お前達が外法丸を殺すと言うのなら、それは業と罪を背負うことになるぞ。そして、私はあなた方をそう捉える。それでも構わないと言うのなら殺すと良い」

 神主の言葉は、外法丸を殺せば人殺しの罪人として扱うということ。

 村人達は気まずそうに、顔を見合わせる。

 人を殺す罪は、何よりも重い。その罰は、死刑か、低くても村からの追放。

 そして、運良く死刑を免れて、村からの追放で済んだとしても、人殺しの烙印を押されてしまった者は、周囲の村が受け入れてくれるわけもなく、頼る者も無い状況で、一人で生きて行かなければならない。外の世界には妖だけでなく、獣や山賊の脅威まであるのだ。村の暮らししか知らない村人に、一人で生きて行くことは難しい。

 村人達も、そこまでの罪を背負ってまで、外法丸を殺そうとは思えなかったのだろう。村人達は、外法丸から離れる。

 神主は、未だ喚き続ける外法丸に近付くと、声をかけて来る。

「外法丸。理解した。良く伝えてくれたな」

 外法丸はその声を聞くと、満足したように意識を失った。


 外法丸が目を覚ますと、そこは大きな居間だった。

 大きいと言っても、他の民家と比べてという程度だが、外法丸は藁布団の上に寝かされていたようだ。今は囲炉裏の火だけが光っているだけなので、居間全体は薄暗い。

 雨戸の隙間からは、全く光が入ってこない所を見るに、どうやら、まだ夜のようだ。

 囲炉裏の傍で寝かされていたおかげで、寒さは感じなかった。

 ここはどこだろうと、外法丸は首を傾げる。そうしていると、(フスマ)の向こう、おそらく廊下なのだろう。そちらから足音が聞こえた。

 廊下側に外法丸が振り向くと、襖が開いて、初老の男が入ってくる。

 神主だ。

「目が覚めたか」

 神主が、外法丸が身を起こしているのに気付くと、声をかけて来た。

「明音は?」

 外法丸は神主のわかりきった問いには答えず、逆にこちらから尋ねる。

「まだ、助けには行っていない」

「何でだ――くっ」

 神主の答えに苛立ちを覚え、言い募ろうと身を乗り出そうとすると、全身に、思い出したような痛みが駆け巡る。

 神主は外法丸のその様子に苦笑を浮かべる。

「無理をするな。理由は話してやるさ。――さて、何故、明音様を助けに行かないかだが、今は夜だからだ。妖は、夜の方が強い。陰の力は夜の方が活性化するのでな。それに対して、私達は妖程、夜目が利くわけでもない。夜に助けに行ったところで圧倒的に不利なのだよ。無駄死ににしかならない」

 神主の言うことは最もなことだとは、外法丸にも理解はできた。助けに行って、返り討ちに遭ってしまっては意味がない。助けるのなら、万全の策を練るべきだ。

 それでも……。

「……でも、明音は今も苦しんでいるんだ」

 そう思うと、今すぐにでも助けに行きたい。その想い、焦りは消えることはない。

 神主にもその想いは伝わったのか、沈痛な表情をする。しかし、だからこそ、神主は首を横に振る。

「我慢しろとしか、私には言えない」

「……糞ったれ」

 外法丸は悪態を吐く。神主にでは無い。すぐに行動に移せない現状にだ。

 神主はそんな外法丸を気遣うように見る。

「早朝になれば、すぐにでも比津ヶ山の頂上に向かう。妖は、そこに居るのだろう?」

「……ああ」

「ならば、お前は少しでも体を休めるのだな。どうせ、お前も明音様を助けに向かうのだろう?」

「当たり前だ」

 外法丸は神主の問いに即答する。

 外法丸は全身に殴られた痛みを感じるし、体の奥底には疲れが溜まり、重くも、だるくも感じる。

 体はいつもの半分も動いてはくれないだろう。外法丸はそう悟りはするものの、それでも行くのだと強く思う。

「これをやろう」

 神主はそう言って、外法丸に小さな布袋を投げて来る。

「何だ?」

 外法丸は受け止めて中を見ると、そこには小石ほどの大きさの丸薬が、二粒入っていた。

「それは私が作った霊薬だ。少しは傷の治りも良くなろう。明日、一緒に行きたいと思うのなら、それを食べてさっさと寝ることだな。足手まといになるようなら、置いて行くからな」

「……わかったよ」

 外法丸は素直に頷き、丸薬を口に含む。丸薬は薬草と小麦粉を練り込んだだけの物なのだろう。口の中に青臭さと、苦味が広がる。

 それでも外法丸はなんとか噛んで、飲み下す。

「さっさと寝るんだぞ」

 神主は外法丸が霊薬を飲み込むのを見届けると、そう声をかけて、居間から出て行こうとする。

「なぁ、神主」

 外法丸は神主の背中に声をかける。

「何だ?」

 神主が振り向くが、外法丸はそっぽを向いている。呼ばれたのに、こちらを見ようとしない外法丸に、神主が不思議そうな顔をする。

「……ありがとな」

 外法丸の消え入りそうな声。その礼の言葉に、神主は笑みを浮かべて居間から出て行った。

 礼を言ったことが恥ずかしくなり、外法丸は頭を抱えて藁布団に寝転がる。しかし、神主に対しての素直な気持ちでもあった。

 外法丸は元々、神主が嫌いだった。けれど、力を貸してくれる神主に、本当に有難いと思ったのだ。

 明音のことが心配で、すぐに寝付くことが出来ないと、外法丸は思っていたが、疲れ切った体はすぐに眠気を誘い、外法丸を泥のような眠りへと向かわせた。


 外法丸は夜明け前に目を覚ました。

 疲れ果ててはいても、置いて行かれてはいけないと、気は張っていたのだろう。

 外法丸は藁布団から身を起こし、体の状態を確かめるように、強張った体の筋を伸ばしていく。

 疲れは完全に取れていた。それに、村人達に殴られて、体のあちこちに痛みを感じはするけれど、我慢できない程でも無い。おそらくは、神主の渡してくれた霊薬のおかげだろう。

 明音を助け終えたら、何がしかで、礼を返さなければならないなと、外法丸は思うが、首を横に振って考えを追い出す。

 そんなことを考えるのは、本当に明音を助けられてからだと、自分の気持ちを集中させる。

 神主に協力してもらったからと言って、必ず助けられるとは限らない。

 明音の予知夢では、明音は死ぬ。

 そして、予知の結果を知らなくとも、今の状況になれば、外法丸は神主に助けを求める可能性は高い。つまり、今までの外法丸の行動は、予知された未来と、変化が無いかもしれないのだ。

 予知の結果を変えるのは、相当に難しいし、果たしてこのままの行動で良いものかと、疑心暗鬼に取りつかれもする。

 だからこそ、外法丸は先を考えずに、今だけに集中することにする。

 明音を助ける。ただそれだけに、全てを賭けられるように。

 しばらく体をほぐしていると、襖を開けて神主がやって来た。

「起きていたか」

「まぁな。あんたのくれた霊薬のおかげで、体の調子も大分良いよ」

「そうか。――今、村長の奥さんが台所で朝食の用意をしている。妖退治に向かう者達と、腹ごしらいをしてから、比津ヶ山に向かうことになっている」

「……そう」

 外法丸は興味無く、生返事を返す。

 呪い子として嫌われた自分が、朝食の席に同席できるとは思っていないからだ。比津ヶ山の頂上に向かう時だって、神主や村人達とは一緒に行動出来ないだろうから、後を追うしかないだろうと、考えていた。

「お前には、朝食の席で、比津ヶ山に現れた妖について語ってもらう」

「……あん?」

 思いがけない神主の言葉に、外法丸は理解が間に合わず、間の抜けた顔をしてしまう。

「朝食を共にしろと言っているのだ。私達も、妖に無策で挑む程愚かではない」

「……もしかして、俺も一緒に食って良いのか?」

 外法丸が驚きに目を見張りながら尋ねると、神主は呆れたようにため息を吐く。

「何を言っている。当たり前だろう。――付いて来い」

 神主が外法丸を案内するように、廊下に出て歩き出すので、外法丸は慌てて追いかける。


 外法丸が連れて来られたのは、村長の屋敷の庭だった。

 外法丸は辺りを見回す。

 周りには篝火(カガリビ)が建てられ、周囲を照らしている。

 空を見上げると、星明かりは全くと言って良い程見えない。星達は日の光に覆われ始めたようだ。夜明けが近いのだろう。

 庭のあちこちには、藁で編んだ御座が敷かれていて、村の男達十数人ほどが、思い思いに座っている。その男達は、外法丸の姿を見ると、あからさまに嫌そうな顔をするが、外法丸は慣れているので、無視を決め込む。

 しばらく待つと、村長の妻と、村の女手達が料理の用意を済ませて運びこんでくる。

 料理は外法丸にも渡され、その料理の内容に、外法丸は思わず生唾を飲み込む。

 振舞われた料理はとても豪勢なものだった。

 (ヒエ)(アワ)では無い本物の米が炊かれ、おかずにしても、山菜だけでなく、果物や肉が、豊富に使われている。外法丸からしてみれば、米など、産まれて初めて食べたぐらいの贅沢だ。

 妖と戦いに行くと言うことは、命懸けだ。

 精を付けて頑張れと言う意味と、最後の食事になるかもしれないからと、手向けとしての意味があるのかもしれない。

 どちらにしろ、外法丸は目の前にある料理の数々に心を躍らせ、食事の挨拶と共に、勢い込んで平らげて行く。

 米はふっくらしていて、ほのかに甘い。山菜の煮物は、丁寧に下拵えをされているのか、嫌な青臭さも無い。蒸した肉には、香辛料がふんだんに使われていて、味が奥まで染み込んでいる。果実は良く熟れた物が置かれていて、一口食べれば口の中いっぱいに、甘さが広がる。

 今まで外法丸の食べた何よりも、ここにある料理達は美味しかった。しかし、それも、明音のことを思うと、素直に喜んでばかりはいられなかった。

 いつか、明音にも食べさせてやりたいと、外法丸は心から思う。

「……外法丸。そろそろ、妖について話してもらおう」

「……ああ。……そうだったな。……妖か」

 外法丸は思い出したように頷いて、比津ヶ山の頂上で見た妖について考える。

 蜘蛛の妖に付いて、外法丸の話せることなど少ない。

 一つは、妖の外見。

 一つは、人語を解せる程に知能があると言うこと。

 一つは、毒の牙。

 一つは、吐きだす糸。

 外法丸の説明出来るのは、この四つ程度だ。だから、外法丸はありのままに説明した。

 妖を見たことのない村人達は、あまり理解したような反応を示さなかったが、ただ一人、神主だけが頷く。

「どうやら、中々に厄介な妖のようだな。悪知恵が働き、近くによれば、強力な足と毒を持った牙で攻撃して来る。かと言って、遠くに居れば、糸を放って動きを封じて来る。……ふむ」

 神主は考え込む。

 妖に対抗する手段でも考えているのだろう。

 外法丸も考える。正攻法では、外法丸に妖を倒すことはできないだろう。ならば、妖に対抗できる神主の補佐だけに集中するべきなのかもしれないが、それだけでは駄目だと、外法丸は考える。

 自分の手で、明音を助けたいと言う欲はもちろんあるが、それだけでは無く、神主だけで妖を倒せるとは、信じ切れて無い部分があるのだ。いや、予知夢のことを考えると、無理なのではないかと思えてしまう。

 だから、外法丸は妖に対抗する手段を、他にも考える。

 明比花を落としてきたことが悔やまれる。

 神刀の力があれば、対抗する方法も何かあったかもしれない。

 外法丸自身、明比花の使い方もわからないし、どんな加護を得られるかもわからないけれど、神刀と呼ばれているだけあって、何がしかの力があるはずだと期待していたのだ。しかし、今はその神刀もない。

 外法丸は考えて、考えて、ひたすら考えて結論を出す。

 何も思い浮かばないと。

 だからこそ、外法丸は決意する。

 頂上に着いたら、まずは戦いに加わらず、落とした神刀を探すことにしようと。

 外法丸が、妖相手に活路を見出すには、やはり、神刀の存在が重要だった。


 比津ヶ山の山道を、鍬や鋤など、思い思いの武器の代わりになる道具と、矢と弓の狩猟道具を背負って登って行く。

 外法丸は予想に反して、先頭を歩かされた。

 とはいえ、村人の集団に混じって歩いていたわけでは無く、村人達よりも十歩ほど先を歩かされていた。

 表向きは頂上に行き慣れた外法丸に道を案内させる為だったのだろうけれど、裏では、妖が突然襲ってきた場合に、外法丸を矢面にしようとの意志があったのだろう。

 悪意を受けることに慣れた外法丸には、それを容易に感じ取ることが出来たが、不平不満を言うことも無く、外法丸は歩き慣れた道を黙々と歩く。

 少し歩いただけで、外法丸は比津ヶ山に違和感を覚える。

 いつもは聞こえる鳥のさえずりや、爽やかなまでの木々のせせらぎを聞くことが出来ない。まるで、山全体が脅えているように静かになっている。

 これでは、月浦山の山奥だ。

 霊山と言われた比津ヶ山が今、妖の縄張りになろうとしている。

 それに対して、外法丸は明音との思い出の地を穢されているように感じて、いや、実際に穢されていることに、悲しみと焦りを感じる。

 外法丸は気持ちを抑え込むように歯を喰いしばり、周囲を慎重に確認しながら登って行く。


 結果から言えば、蜘蛛の妖は比津ヶ山を支配しきれていないのだろう。頂上まで特に問題も無く登ることはできた。

 頂上にある高原。その切れ目に並び立つ木々の陰に、外法丸は身を隠して高原の様子を窺う。

 いつもは、綺麗な花が咲き乱れているのを見渡せる高原であったが、今は、蜘蛛の分厚い糸が、垂れ幕のようにあちこちに張り巡らされていて、全景を見渡すことが出来なくなっている。

 蜘蛛は一日で巣を作ると言う。これも、間違いなく蜘蛛の妖の仕業だろう。

 外法丸の位置からは、明音の居場所も、妖の姿も見つけることは出来なかった。

「どうするんだ?」

 何の手立ても思い浮かばず、同じように高原の様子を窺っていた神主に小声で尋ねる。

「……ふむ。妖は必ずここに居るはずだが、こちらから姿が見えないと言うのが厄介だな。もし、不意打ちでもされようものなら、一溜まりもない」

「糸を切り開くことはできないのか?」

「無理だろう。あれを見ろ」

 神主が指差す。

 外法丸はその方向を見ると、そこには糸に絡まって、ジタバタともがく鳥がいた。糸自体に強力な粘着力があるのか、もがけがもがく程、糸が絡まって行く。

「切り開こうとしても、糸が絡み付くだけで終わることだろう。それに、ああやって糸に触れれば、妖が我々の位置に気付いてしまうことだろう。……あの張り巡らされた糸によって、ここは妖にとって、この上なく有利な場所になってしまったようだな」

「まぁ、糸なんてものは、蜘蛛にとっちゃ家だからな」

 外法丸は嘆息しながら、他の方法を考える。

 切れないと言うのなら、火で焼くと言うのはどうだろうか。

 果たして、妖の糸が燃えてくれるかわからないが、特性が普通の蜘蛛の糸と変わらないのなら、火ならば絡まることなく糸を消失させることができる。そしてそれだけでなく、火が燃え広がれば妖もただでは済まない。そうなれば、妖は火に対して何らかの行動を起こさなければならなくなり、不意打ちをするだけの余裕を無くすことになる。

 外法丸は名案とばかりに、そう考え付いたのだが、神主に進言することを止める。

 何故なら、もし万が一火が予想以上に燃え広がり、妖にも止めることが出来ずに完全に燃やし尽くしてしまったら、糸に体を縛り付けられた明音も燃えてしまうから。そして、それだけでなく、ここは外法丸にとって、幸せの地。そこに、火を放つなんてことはしたくなかった。

「……神主。俺が囮になる。妖は俺を殺さないって言う、明音との約束がある。すぐには俺を殺さないと思う」

「妖との約束など、たいした効力は無いぞ」

 神主は怪訝そうに眉を寄せて言って来る。少しは心配でもしてくれているのかもしれない。

 外法丸は鼻で笑う。

「わかってるさ。それでも、少しは躊躇いを見せてくれるかもしれないだろう。ならば、他の奴よりよっぽど囮に適しているし、何より、……村の連中はそれを望んでいるだろう?」

「それは――」

 外法丸の言葉に、神主は押し黙る。

 後方で息を潜ませている村人達を見やる。

 まるで、村人達は外法丸を催促するように見ている。彼らは外法丸が犠牲になることに、何の躊躇いも感じないのだろう。むしろ、当然だとすら思っている。ここを登らされる時だって、外法丸を囮にしていたのだから、今更、躊躇わないはずだ。

 外法丸はそんな村人達の態度に、諦めと悲しみを感じるが、正に、こんなことは今更だと自嘲的に笑う。最近は、明音の優しさに触れていた性か、辛辣な態度に対する耐性が、前よりも低くなったようだ。

「さて、行くか」

 これは、その優しさをくれた明音を助ける為の行動。

 村人など関係ない。

 自分は明音を助ける為に、最善と思われる道を進むのだ。

 外法丸は恐怖に引き攣りそうな顔に、無理矢理笑みを浮かべ、震えそうになる足に力を込めて、高原へと踏み出していく。


 外法丸は糸に触れないように、身を屈めながら歩く。妖と出会う前に、外法丸にはやるべきことがある。落とした神刀、明比花を拾わなければならない。外法丸は念の為、石と木を組み合わせただけの棍棒を持っているが、そんな物で妖に対抗出来るわけもなく、明比花がなければ、妖に対抗できないのだから。

「……確か、ここら辺にあるはずなんだけど」

 咲き乱れた花に小刀は埋もれ、簡単に見つけることができない。

 そうしていると、外法丸の周囲に糸よりも濃い影が差す。

 外法丸が即座に見上げると、そこには巨大な姿があった。それは妖の姿に間違いが無い。

「やばい」

 外法丸はすぐさま転がり離れると、先程まで外法丸の居た場所に、妖の巨体が降りていた。

「フム、……昨日ノ小僧カ」

 蜘蛛の妖は外法丸のことを認め、迷ったような顔をする。

「何ヲシニ来タ。我ハ、貴様ヲ殺サヌ約束ハシタガ、邪魔ナラバ――」

 蜘蛛の妖が殺気を放って来たので、外法丸は思わず息を飲み込み、体が硬直するのを感じる。

 妖の殺意に、根源的な恐怖を揺り起こされる。

 喉がカラカラになる。

 鼓動が、耳にうるさい程の動機を発する。

 怖い。

 逃げ出したい。

 それでも、外法丸は後ろに下がりそうになる足を押し止める。

 逃げては駄目だ。

 逃げたら明音を助けられない。

「じゃ、邪魔はしない。ただ、落し物をしたから、それを拾いに来ただけだ。だから、探させてくれ」

 外法丸は出来るだけ、無邪気な笑みを見せようとする。

 敵では無い。そう思わせる為に。

「……フム」

 蜘蛛の妖は、どうしたものかと考え込んだようだ。

 外法丸は妖の結論を待つ。それは、外法丸にとって無限とも思える時間だった。

 もし、探し物を見つけるだけの時間を与えてくれたなら、明音を助けられる可能性も広がるが、もし断られれば、その時は外法丸の死ぬ時でもある。

 どのくらいの時が経っただろう。外法丸にとっては、数時間にも感じられたが、数秒の思案だったのかもしれない。

 蜘蛛の妖は結論を出す。

「……面倒ダ。貴様ハココデ、死ヌガ――グハッ」

 蜘蛛の妖が首を横に振って、外法丸の願いを断ろうとした瞬間、横から、目に見えないけれど、貫くような衝撃が、確かに妖を襲った。

 直撃を受けた妖は大きくよろめいたが、八本の足を忙しなく動かして、すぐさま衝撃が来た方向を向く。

 そこに居たのは神主だった。畳んだ扇子を、突き出すように構えている。

「貴様ハ、誰ダ」

 蜘蛛の妖は、怒りに満ちた双眸を、神主に向けて叫んだ。

「私は、比津ヶ山を奉る、神主だ。この山を穢す妖は、私が滅してくれよう」

 神主の名乗りに、蜘蛛の妖は笑いだす。

「グググ、貴様ガ我ヲ滅スルダト? 笑ワセル。人間風情ニ何ガデキルッ」

 そう言って、蜘蛛の妖が糸を放つ。それは、神主を捉えるかに見えた。しかし、神主は扇子を広げ、糸に向かって扇ぐと、当然の突風が吹き、糸の狙いを逸らした。

 まるで、神主を守るかのような、突然の風。

 おそらく神主が、自らの気を使って、衝撃波を起こしたのだろう。

 外法丸は強過ぎる風に目を細めながらも、蜘蛛の妖が神主に気を取られている内に、妖から離れる。

 この妖と神主の戦いの中では、外法丸にはどうすることもできない。近くに居るだけ、死ぬ可能性が増えるだけだ。

 外法丸が十分に離れた次の瞬間、神主が動いた。

 扇子をまるで斬りつけるように振るうと、カマイタチが蜘蛛の妖を襲う。蜘蛛の妖は、人の姿をした上半身にカマイタチを受けたが、表面を少し傷付けただけだった。

「グググ。少シハヤルヨウダナ。ダガ、所詮ハ人間」

 蜘蛛の妖は笑うと、見る見る傷付いた体が癒えていく。

 妖の持つ強靭な生命力故なのだろうかと思えたが、外法丸は見た。蜘蛛の妖の足元の花が枯れたのを。

 蜘蛛の妖は、足元の花の生命力を吸い取っているのだ。

 妖が、神主に向かって走りだす。

 糸の攻撃は防がれると悟った蜘蛛の妖は、直接、手を下そうと考えたのかもしれない。

 その動きは素早く、すぐにでも接近を許しそうになるが、神主は衝撃波を放って妖の動きを鈍らせることで、神主はなんとか距離を稼ぐ。

 それでも、無理矢理距離を詰めようとする蜘蛛の妖。

 神主は扇子を閉じ、突くような動作をする。そうすると、蜘蛛の妖は押されたように後ろにたたらを踏む。

 一点に集中した衝撃波なのだろう。集中している分、一点に対する威力は強いのかもしれない。

 それは確実に、蜘蛛の妖の動きを止めた。

 そして、動きが一瞬止まったのを、遠くで見ていた村人達が、矢を一斉に放つ。

 神主の策が上手く発動したように見える。

「小賢シイ」

 蜘蛛の妖は、糸を放って矢を絡め取る。防ぎきれなかった幾本かの矢が、体に刺さるが、すぐに抜けて、体が癒えていく。

 蜘蛛の妖の能力は、神主の策を上回っていた。

 傷付け、弱らせようとしても、蜘蛛の妖は、足元の花から生命力を奪い、回復してしまう。もしかしたら、比津ヶ山と強い繋がりのある明音から、気を奪ったことによる副次的な効果なのかもしれない。

 神主がすかさず、切り裂くようなカマイタチを再度放つが、今度は蜘蛛の妖は受けることなく、八本の足を折り曲げると、巨体からは信じられない程の跳躍を見せて、張り巡らされた糸の中に姿を消す。

「どこへ行った」

 神主は周囲を警戒するように、頭上を見回している。しかし、蜘蛛の姿を時折見えはするものの、神主が衝撃波を放った時には、既にそこにはいない。妖は、糸の上を信じられない速さで動き回っていて、簡単に糸の中に見失ってしまう。

 村人達も、妖の姿を見ると矢を射るが、それは倒す為では無く、恐怖から放ってしまっているだけで、まともに狙いを付けていない矢に、妖は当たることはない。

 神主は不意を突くように襲ってくる糸に苦しめられている。

 未だ、蜘蛛の糸を受けてはいないが、段々と逃げられる空間が狭まり、捕まるのは時間の問題に思えた。

 外法丸は焦る。

 このままでは、蜘蛛の妖にやられてしまう。

 神主は殺され、村人達も殺され、外法丸自身はもちろん、明音だって、助けることなど出来ずに殺されてしまう。

 ……なんとかしなければ。

 そんな思いが、外法丸の頭の中を何度も駆け回るが、堂々巡りで終わってしまい、何も有効な手段を思い浮かべることができない。

 そして、まばらに続いていた村人達の矢が途切れる。

 矢が尽きたのだ。

 今まで神主は、蜘蛛の姿が捉えられない時は、村人達の矢を指針にして、居場所を推測していた。しかし、村人達の矢が尽き、頼りなくとも指針を無くして、神主は、糸の攻撃への対応が遅れていく。

 何度か避けた後、追い詰められた神主は、糸を避ける為に大きく姿勢を崩してしまう。

「――くっ、しまった」

 よろめいたことによって、張り巡らされていた糸が神主の足に絡みつく。

 神主はカマイタチで切り離し、なんとか糸を振り解こうとするが、硬く粘つく糸は、簡単に切断することができない。

 手間取る神主に、蜘蛛の糸が襲う。

 神主は、何度か扇子を仰いで逸らすことが出来たが、何度目かで防ぎきれずに、神主は糸に捕らわれてしまう。

「グググ。コレデ終ワリダナ」

 糸に絡められて、神主が身動きを取れないことを確認すると、蜘蛛の妖は、空中に張り巡らされた糸の巣から降りて来て、神主に近付いて来る。

 神主は、そんな蜘蛛の妖を、何も言わずに睨みつけている。

「……フム。アノ娘ニ比ベレバ、見劣リスルガ、貴様モ人間ニシテハ、相当ナ気ヲ持ッテイルナ。貴様モ、我ニ喰ワレテ、我ノ力トナルガ良イ」

 そう言って、ゆっくりと近付いて行く蜘蛛の妖。

「あの娘とは、明音様のことだな。……あの方は、生きているのか?」

「マダ、生キテハイル。奴ノ体ヲ取リ巻ク霊力ノ性デ、直接喰ラウコトガデキナイノデナ。ダガ、スグニ喰ライ尽クシテクレル。マズハ、貴様カラダ」

 蜘蛛の妖は、神主の目と鼻の先まで近付くと、人の部分にある老人の口が、人ではあり得ない程大きく横に裂け、鋭い牙を覗かせる。

 神主が喰われてしまう。そう思った外法丸はなんとか助けようと走り出す。

 何が出来るとは思わない。と言うよりも、思えるような余裕も無い。ただ、神主が殺されてしまったら、全てが終わりだという思いで、突発的に動いただけだった。

 だが、例え、どうにかする方法があろうと、間に合わない。

 外法丸は、巻き込まれない為に、大きく離れ過ぎていたのもあるし、神主の周りには、避けた糸が絡まり合い、簡単には近付けなくなっていた。

 神主は自分の死を目前にして、笑みを浮かべるのを、外法丸は目にする。

 それは強がりにも見え、何か決意するような笑みにも見えた。

「何ダ?」

 蜘蛛の妖も気付いて、怪訝そうな顔をして動きを止める。しかし、神主は気にせず、笑みを浮かべたまま、言葉を紡ぐ。

「良いだろう。私の気を喰らうと良い。たっぷりとな」

 そう言うと、神主の体が白い光に包まれる。

 蜘蛛の妖は身の危険を感じ、咄嗟に離れようとしたが、既に遅かった。

 神主を包んでいた光は、爆発的な勢いで広がると、蜘蛛の妖の体すら取り込んで、白い光の柱へと変貌する。

 白い強烈な光の前に、外法丸は直視できずに立ち止まる。

 それは圧倒的な光の奔流。

 それは全てを焼き尽くす、高熱の光。

 それは神主の命を賭した、気の光。

 白い光の柱は数十秒の間続くと、突如として霧散する。

 白い光の柱の範囲内にあった糸は消滅し、残されたのはほとんど炭と化した神主の体。そして、傷付いた蜘蛛の妖。

 蜘蛛の妖は生きていた。

 体中が焼けただれ、人の部分の腕先は炭化し、蜘蛛の足も左を一本、右を三本失っていて、完全に満身創痍の状態であったけれど、蜘蛛の妖は確かに生きていた。

 外法丸はそれを認めると、神主が死んでしまった恐怖を怒りで誤魔化し、すぐさま動き出す。棍棒を手に、外法丸は蜘蛛の妖に殴りかかる。

「くたばれ」

 叫びながら振り下ろした棍棒の一撃は、蜘蛛の妖の体に当てる。

 石がめり込む鈍い音共に、蜘蛛の妖が悲鳴を上げる。

 蜘蛛の妖が、残った蜘蛛の足で振り払ってくる。

 その動きは、傷付く前とは雲泥の差と言える程に遅いが、それでも、蜘蛛の足は丸太のように太く、遅いとは言え、普通の人でしかない外法丸には、なんとか避けるのがやっとだった。それでも外法丸は起き上がると、棍棒をすぐさま振り上げて蜘蛛の妖を殴る。

「邪魔ヲスルナァァァ」

 蜘蛛の妖が叫びながら再度振るってきた足。外法丸は避けきれず、なんとか棍棒で防ぐことはできたが、吹っ飛ばされてしまう。

 地面を転がり、身を起こしながら自分の状態を確認する。

 棍棒は折れてしまい、持っていた腕も折れてまではいないが、痺れたように動かなくなっている。地面に落ちた衝撃は、ある程度予想していたので、受け身が取れて、たいしたことはない。

 外法丸の心を焦りが掻き乱す。

 外法丸は、蜘蛛の妖が叫んでいた通り、邪魔をしていたのだ。

 蜘蛛の妖の足元に生える花々が枯れて行っている。つまり、体を癒していると言うこと。折角、神主が命を賭して、瀕死の状態まで追い詰めたのに、ここで回復されたら、もう、手の打ちようは無い。このままでは、神主の決死の覚悟まで無駄になってしまう。

 外法丸は村人達に視線を転じる。

「何をしているんだ、あんたら。早く倒さないと、妖が回復してしまうだろうが」

 外法丸はそう叫ぶと、村人達は顔を見合わせて、相談し合う。

 迷っているのだろう。

「馬鹿共が」

 外法丸は悪態を思わず吐く。

 この機会を見逃せば、ここに居る全ての者は殺されると言うのに、目先の恐怖に囚われて、先が見えず、行動に出れていない。外法丸は立ち上がり、村人達に向かって走る。


「何だ?」

 近付いて来た外法丸に、村人達は怪訝そうな顔をする。

「その手に持っている鍬を貸せ。妖と戦う為に持って来たのだろう? 使わないのなら、俺が使う」

「ふざけるな。これを取られたら、俺が妖と戦えなくなるだろうが」

 外法丸に手を差し出された村人が、文句を言って来る。

「ならば、今戦え。それともあんたらは、お優しいことに、妖が完全に癒されるまで待つつもりか? ……神主が、命を賭してまで傷付けたものを、無駄にするの――がっ」

「黙れ。呪い子が」

 村人は怒りに任せて、外法丸を殴り飛ばしてきた。それでも、外法丸は負けじと、睨み返す。

「――はっ、何が呪い子だ。こうやって、自分より弱い子供には暴力を振るい、自分より強い妖には、何もしようとしない。お前らは、全てを見殺しにする。それは、自分達だけでなく、お前らの家族もだということがわかっていながらだ。そんな奴ら、呪い子より最低だ」

「……言わせておけば――」

 まくし立てる外法丸に、村人の一人が、我慢できないと言わんばかりに鍬を振り上げて、殴りかかってくる。

「だから、それが最低だと言うんだ。この、糞野郎が」

 外法丸は鍬の攻撃を避け、振り下ろした鍬を掴みながら、村人の顔面を蹴り飛ばす。

 村人は、鍬を取り落として倒れ込んでくれたので、外法丸はその鍬を担ぐ。

「……呪い子め」

 他の村人達も、鍬や鋤を構えて、外法丸を警戒してくる。それに、外法丸は鼻で笑う。

「――ふん、馬鹿じゃねぇの。……俺を殺して現実が変わらないってのに。……あんたらの言う呪い子に、助けられるという情けない思いを抱えると良いさ」

 外法丸は村人達に失望し、蜘蛛の妖の元へと向かおうとする。

「……待て」

 そんな外法丸に、村人の一人が声をかける。その声は、怒りに任せたものでは無く、何かを耐えるような声だったので、外法丸は振り返る。

「俺も妖と、……戦う。……俺だって、家族を守りたいんだ」

 その男は、恐る恐るではあるけれど、しっかりと、決意するように言った。

「なら、行こう」

 外法丸はその言葉に、笑みを浮かべて、力強く頷く。

「おい。本当に行くのか?」

 他の村人が、戦うと決意した村人に尋ねる。

「行くさ」

「だけど、お前には、産まれたばかりの子供がいるじゃないか。お前が死んだら……」

「わかっているさ。でも、ここで行かなければ、どっちみち俺らは殺される。そして、いずれは俺の子にまで、危害は向かう。俺には、そんなこと耐えられない」

 同じ仲間から主張された意見に、村人達は項垂れ、真剣に考え始める。

 妖と戦うのは怖いだろう。

 目の前で、信頼していた神主まで、妖を倒せずに死んでしまったのだ。出来れば戦いたくなどないと思うのは仕方ないことだろう。

 それでも、村人達の誰もが、家族の顔を思い浮かべる。

 彼らに浮かんだのは、楽しかった思い出だろうか? それとも、これから妖によって行われるであろう、惨劇を受けている家族の顔だろうか?

 村の家族達は、男達が妖を倒してくれると願って、豪勢な食事まで振舞って送り出してくれた。それなのに、彼ら村の男達がしたことは、遠くから矢を射かけただけで、折角の倒す機会にも、何もすることができていない。

 このまま終わってしまったら、悔いを残すことだろう。

 人は死ぬと魂となり、浄界と呼ばれる所に向かい、魂を浄化させて生まれ変わる。しかし、悔いはそれを妨げる。悔いは、人の魂を浄界に向かわせず、現世に留まらせる。そして、悔いは陰でもあるので、現世に残った魂は妖になってしまう。

 いや、妖になるのならまだ良いだろう。

 魂は気なので、陰の気として妖にでも吸われてしまえば、それは存在の消滅となる。人にとって、悔いを持って死ぬと言うことは、何よりも恐ろしいこととされている。

 家族を助けたいと言う思い。

 悔いを残したくないと言う恐怖。

 村人達が顔を上げた時には、決意したような顔をしていた。


 外法丸を発端に、村人全員で蜘蛛の妖に挑みかかって行く。

 蜘蛛の妖は、外法丸達が言い争っている間にも、体を癒そうとしていたが、幸い、体の状態は完全には程遠いようだ。未だに、糸を吐き出すだけの力も取り戻せていないようだ。

 村人達は、鍬や鋤で殴りかかろうとするのだが、蜘蛛の妖は足を振り回して追い払おうとする。なので、容易に近付くことが出来ない。

 それでも、蜘蛛の妖に、村人達は確実に傷を負わせていく。

 だが、外法丸は攻撃を加えながら、歯噛みする。

 確かに蜘蛛の妖を傷付けていたが、同じ分だけ、周囲の花の命を奪って傷を癒している。なんとか神主の与えた傷までは治せない状態ではあったのだが、その均衡が崩れるのも、時間の問題だ。

 蜘蛛の妖が怪我を治せても、村人達はそうもいかない。村人の何人かは既に、蜘蛛の足で打ち払われて動けなくなっている。このままでは、蜘蛛に傷を負わせるのも難しくなる。

 外法丸は蜘蛛の足を受けそうになるのをなんとか、後ろに転がり避ける。

 距離を取ったことを幸いに、荒くなった息を整えながら考える。

 花畑は半分程枯れてしまったが、それでもまだ、半分あるということでもある。息を整えている間にも、二人もやられてしまった。

 今の方法では、手詰まりだ。

 しかし、ちょっと考えた所で、都合良く対応策が思い浮かぶわけもなく、また、村人が一人やられてしまった。

「糞ったれ」

 外法丸は悪態を吐くと、再度、蜘蛛の妖に攻撃を仕掛けようとする。

 その時だった。

 外法丸は視界に違和感を覚える。

 普通であれば、無視して攻撃を仕掛けるべきだったのかもしれないのだけれど、何でも良いから、状況を変える方法を探していた外法丸は、その違和感が気になった。

 自分は何に、違和感を覚えたのだろうか?

 外法丸は焦る気持ちを落ち着けて、周囲を改めて見る。

 宙には糸が垂れ幕のように張り巡らされ、地面の花は、蜘蛛の妖を中心に、半分以上が枯れてしまっている。

 それは確かに、普段、外法丸が行き慣れていた山頂の風景とは違う。

 だが、そんなのは今更であり、先程感じた違和感では無いはずだ。

 外法丸はじっくりと、周囲を見る。

 そして、気付いた。

 外法丸が感じた違和感。

 それは、枯れた花の中で、一ヶ所だけ、不自然に枯れていない場所があることだった。

 そこには何かある。

 外法丸はそう判断すると、花が枯れずにいる場所に走る。

 その時だった。

 蜘蛛の妖が糸を吐き出し、村人が三人、一気に絡み取られる。

 糸を吐き出すだけの力を、回復されてしまったのだ。

 それでも、外法丸は一瞬気を取られただけで、花の枯れていない場所に到着する。

 そして、見つける。

 花を守っていた物を。

 神刀明比花を。

 外法丸は、明比花を手に持ち、鞘を抜く。

 すると、温かいものが、自分を包むのを感じる。

 これはおそらく、明音の気。

 明音が自分を守ってくれている。

 外法丸は胸が熱くなり、涙が出そうになるのを堪えて、蜘蛛の妖に向き直る。

 蜘蛛の妖も、明比花の放つ気に気付いたようで、こちらに体を向けて来た。

 次の瞬間、蜘蛛の妖が糸を放って来た。

 それはとても速く、外法丸には避けられない。

 外法丸は咄嗟に小刀で防ごうと、明比花を前に出すと、蜘蛛の糸は外法丸に当たる直前、霧散して消えた。

「……これが、明比花の力?」

 神主でさえ、逸らすのがやっとだった蜘蛛の糸を、明比花は消滅させたのだ。外法丸は感嘆の声を上げる。

 それに対して、蜘蛛の妖が警戒するようにこちらを見て来る。

 そして、再度放たれる糸の数々。

 外法丸は、明比花をかざして、蜘蛛の糸を消していき、そうしながら、蜘蛛の妖に距離を詰める。

 近付くと、蜘蛛の妖は糸では駄目だと、足を振るってくる。

 外法丸はそれを、明比花の刃の部分で受けると、蜘蛛の足は切り裂くことが出来た。しかし、足の衝撃までは消せず、外法丸は吹っ飛ばされる。

 外法丸は強く背中を打ち、咳き込みながらも身を起こす。

 蜘蛛の妖が悲痛の叫びを上げている。

 それでも、まだ、致命傷には程遠いらしく、怒りに瞳を爛々と輝かせて睨んで来る。

 外法丸は、よろめく体を叩いて喝を入れ、なんとか立ち上がる。

 糸は無駄だと悟った蜘蛛の妖は、残った三本の足を蠢かせて、近付いて来る。

 村人達で動ける者は、五人しか残っておらず、その者達も既に、脅えてしまっていて、何かしてくれるようには見えない。

 今の状況をなんとか出来るのは、外法丸だけ。

 外法丸は腹を括り、明比花を構えて、蜘蛛の妖が近付くのを待つ。

 明比花では、蜘蛛の足を防ぎきることはできない。次、足の一撃を受けたら、今度こそ外法丸は動けなくなるだろう。

 だから、外法丸は蜘蛛の妖の動きを読みとろうとする。

 外法丸に出来ること。それは、蜘蛛の足をなんとか掻い潜り、蜘蛛の体をよじ登って、妖、全てに共通する急所である頭に、一撃を叩きこむ。それしか、活路を見いだせない。

 幸いなのは、この目の前に居る妖は、頭の位置がわかり易いと言うだけだろう。しかし、その頭に近付くのだけで、外法丸には至難の業。

 それでも、外法丸はやらなければならない。

 蜘蛛の妖に残された足は三本。そして、右側には一本しか残っていない。ならばと、外法丸は蜘蛛の妖の右側に回り込もうとする。しかし、蜘蛛の妖も、そうはさせまいと、腹を地面に擦りつけながらも、残った三本の足を巧みに動かし、外法丸に右側を見せないように動く。

 蜘蛛の妖は、外法丸の持つ明比花を、何よりも警戒しているようで、攻撃を仕掛ける隙を、全くと言って良い程見せてはくれない。

 だからと言って、このまま、手をこまねいているわけにはいかなかった。

 時間が経てば経つ程、蜘蛛の妖は体を癒し、力を取り戻していくのだ。足だって、再生してしまうかもしれない。

 外法丸は一か八か覚悟を決めて、攻撃を仕掛けることにする。蜘蛛の妖が常に見せてくる、足が二本残っている左側に向かって。

 外法丸が動いた瞬間、蜘蛛の妖は、一本目の足を瞬時に振るってきた。しかし、その一撃を覚悟していた外法丸は反応し、なりふり構わず地面を寝転がるようにして、下を掻い潜る。

 もし、しゃがんだだけだったら、頭を吹っ飛ばされていただろう。頭のすぐ上を、風を唸らせながら、蜘蛛の足が通り過ぎていった。

 地面をゴロゴロと転がり、振った足が戻ってくる前に、起き上がろうとした瞬間、上から嫌な気配が迫ってくることを感じて、外法丸は起き上がらずに体を横にずらした。

 次の瞬間、先程まで外法丸の頭があった位置に、もう一本の蜘蛛の足が振り下ろされていた。蜘蛛の妖は踏み潰そうとしたのだ。その威力は、大きく陥没した地面を見ればわかる。もし、少しでも判断が遅れていたら、間違いなく潰されていた。

 背筋が凍るような思いをするが、外法丸は今度こそ立ち上がると、すぐ近くにある蜘蛛の体へと取りつく。

 蜘蛛の姿をしている妖にとって、体の近くに居られる方が、攻撃し難いのだろう。足をバタバタと動かすが、まるで、外法丸には届いていない。外法丸は明比花を蜘蛛の体に突き立てて、それを足がかりにして登ろうとする。しかし、明比花を刺した瞬間、蜘蛛の妖は体を激しくくねらせ、外法丸を振り落そうとする。

 外法丸はなんとか、突き立てた明比花を握って、蜘蛛の体にしがみ付くが、蜘蛛の体を取り巻く体毛は、まるでヤスリのようで、外法丸の皮膚を、容赦なく傷付けて行く。

 皮膚を削り取る痛みと、今までの疲れから、外法丸のしがみ付く力は次第に弱くなる。それでも、なんとかしがみ付いていたのだが、明比花が抜けてしまう。外法丸には、再度、突き立てるだけの力も無く、結局、振り落されてしまった。

 激しく地面に叩きつけられる外法丸。

 あまりの衝撃に、一瞬、呼吸が止まる。

 明比花も、どこかに取り落としてしまった。

 それでも、どこか近くにあるはずだと、なんとか、外法丸は起き上がろうとするが、体に力が入らない。

 体が限界に来ているのだ。

 体力は既に底を尽き、体中は傷だらけ。今まで、動いていたのも、気力を振り絞って、やっとのことだった。

 外法丸の体は、普通では動けないだけの怪我と、疲労を溜めていたのだ。それが、背中を強打したことにより、一気に吹き出した。

 蜘蛛の妖が痛みから、怒り狂ったように叫んでいる。

 外法丸に近付いて来る蜘蛛の妖。

 もう既に、外法丸がまともに動けないことを悟っているのか、酷くゆったりと近付いて来る。その顔には、残虐な笑みを浮かべている。

「小僧。……タダデハ殺サン。産マレテ来タコトヲ、後悔サセテヤロウ」

 蜘蛛の妖の言葉に、外法丸は笑う。

「はは、……俺は、産まれて来て、後悔し続けているよ」

 そう、外法丸は、産まれて来なければ良かったと、何度も思っていた。いや、今も思っているのだ。

 自分が産まれなければ、母は死なず。

 自分が生きなければ、父は死なず。

 そして、自分が居なければ、明音は妖に捕まって、これから死ぬことも無かっただろう。

 自分など、産まれなければ良かったのだと、外法丸は何度も思って来た。

「フン。戯言ヲ」

 外法丸の笑みを、強がりと判断したのか、蜘蛛の妖は鼻で笑う。そして、外法丸の太股に噛みついてきた。

「ぐああああああああああああああ――」

 噛みつかれた外法丸は、あまりの衝撃に、我知らず叫んでいた。

 痛かった。

 いや、熱かった。

 どちらとも呼べない、強烈な感覚が外法丸を襲っていた。

 強過ぎる痛みが、痛覚を通り越し、噛みつかれた感覚を正確に認識しようとはしない。体全てが意識を閉ざして、感じないようにさせようとする。

 しかし、それでも意識が薄まらない。

 まるで、何かが邪魔をするように、強制的に外法丸の意識を覚醒して来る。

 それは、蜘蛛の妖の毒だった。

 外法丸が、気を失って楽な死に方を選べないように、毒を流しこんだのだ。

 外法丸は必死に、蜘蛛の妖の頭を離そうとするが、外法丸の力では微動だにしない。

 蜘蛛の妖は、外法丸を咥えたまま持ち上げて、そのまま振り回す。

 太股の肉が、ブチブチと千切れて行く感触が伝わる。

 気が狂いそうな痛み。

 それでも、気を失えない。

 振り回されていると、外法丸の肉が完全に千切れ、外法丸は振り飛ばされる。

 地面に叩きつけられた外法丸は、あまりの痛みに、全く動けなかった。

 太股からは、思った程、血は出ていなかった。もしかしたら、血を流し過ぎて死なないように、蜘蛛の妖の毒の中には、強力な止血作用があったのかもしれない。

「グググ。イタブリ殺シテクレル。次ハ、モウ片方ノ足カ? ソレトモ、腕ガ良イカ?」

 口の中に残った外法丸の肉を咀嚼しながら、蜘蛛の妖が近付いて来る。

 このまま、殺されるのか。

 外法丸は、諦観の気持ちで、そんなことを思う。

 妖に喰われると言うことは、気を喰われると言うことでもある。気とは魂でもある。つまり、妖に喰われると言うことは、魂の消滅でもある。

 実際には、魂全てを喰われない限りは、消滅することはないので、幾分か気を削られても、魂を完全に喰われないことの方が多いのだが、それでも、全て喰われる可能性も、十分にある。

 生まれ変わったら、明音ともう一度会いたい。

 外法丸はそう思うが、果たして、二人とも生まれ変わることができるのだろうか?

 いや。その可能性は低いだろう。少なくとも、この蜘蛛の妖は、明音の気を全て吸い尽くそうとしている。

 それだけは、どうしても嫌だった。

 自分の消滅なら、まだ、仕方ないと思える。しかし、明音の消滅なんてことは、絶対に嫌だった。

 太股からの激痛に、体が引き攣りながらも、外法丸はなんとか動こうとする。

 手に、何かが当たる。

 感触だけでわかる。

 明比花だ。

 明音に、諦めるなと言われた気がした。

 蜘蛛の妖は、外法丸が明比花を拾ったことに、気付いていない。

 外法丸は枯れ草の中に、明比花を隠し持ち、蜘蛛の妖を待つ。

「サテ、決メタゾ。今度ハ、腕ダ」

 襲いかかってくる牙。

 外法丸はそれに合わせて、明比花を突き出した。

「グ、ギャアアアアアアアアアアアァァァアァ――」

 明比花は、妖の眉間に深々と突き刺さり、蜘蛛の妖は叫び、後ろへズルズルと、後ずさる。

「バ、馬鹿ナ。……馬鹿ナ」

 体の表面がボロボロと崩れ始める。

「我ハ、アノ娘ヲ喰ラウ為ニ、百年以上待ッタトイウノニ――」

 蜘蛛の部分は、完全に土くれと化した。

「喰ラウコトモデキズニ、死ヌト言ウノカ」

「明音は、絶対に喰わせないし、死なせない」

 外法丸は上半身を起こし、茫然と呟く蜘蛛の妖を睨みつける。蜘蛛の妖は外法丸の言葉に、嘲笑うような笑みを浮かべる。

「……グググ。アノ娘ノ力ヲ狙ッテ、コレカラ、我ガ押サエツケテイタ妖モ、イズレハヤッテクルダロウ。ソノ時、貴様ニ何ガ出来ルノダロウナ、貴様ハ。ググググ――」

 そして、蜘蛛の妖は笑いながら、完全に土くれとなって滅びた。

 外法丸はその光景を見ながら、ホッとしながらも、沈鬱な顔で俯く。

 おそらく、蜘蛛の妖が最後に言ったこと。あれは本当なのだろう。さすがに、外法丸を不安にさせる為だけに言ったということは無いはずだ。今回は、なんとか妖を倒せた。しかしそれは、神主の命懸けの攻撃があったればこそ。そしてもう、神主は居ない。今度、妖がやってきた場合、果たして退けることができるのだろうか?

 残念ながら、外法丸にはその自信は無かった。

 外法丸は、弱気な考えを振り払うように首を振ると、明音の心配をする。

 妖は倒せた。しかし、明音は本当に無事なのかと。

 周囲に目を転じると、蜘蛛の糸も霧散していく。構築させていた妖が死んだことで、保てなくなったのだ。ならば、糸によって包まれた明音も、どこかにいるはずだ。

 外法丸は首だけを巡らせて、明音を探すと、泉の近くに明音の姿を見つける。

「明音。明音ぇ」

 外法丸は叫び、動かない体で必死に這いながら、明音の下へと向かう。

 明音までの距離は、歩けばすぐの距離だと言うのに、もどかしい位に遅々として進まない。それでも、なんとか辿り着く。

 明音の頬に、恐る恐る触れると、まだ温かく、ゆっくりと息をしているのがわかる。

「……良かった。……本当に良かった」

 外法丸は、明音が生きていたことの安堵と嬉しさで、涙がポツポツと流れ落ちる。

 流れ落ちた涙の感触に気付いたのか、明音は薄っすらと目を開く。

「明音」

 外法丸が声をかける。

「……外法丸?」

 明音は不思議そうに外法丸を見上げ、そして、思い出したように身を起こして、周囲を見回す。

 花々の大半は枯れ落ちていたが、泉や明音の小屋、畑は被害を受けずにいた。

 妖にやられていなかった村人達は、怪我をした村人達を介抱し始めている。

 それらの様子を見回した後、明音は納得したように頷く。

「妖は、退治されたのですね」

「うん、そうだよ。神主や村人、そして、明比花のおかげだ」

 外法丸は嬉しそうに言う。

「――あ、外法丸。あなたは、怪我をしているじゃないですか」

「ん? まぁな」

 明音は心配そうにしてくるが、外法丸は素っ気なく返す。体中に痛みを感じるが、明音さえ無事ならば、外法丸にとっては、自分の体などどうでも良い。

「まぁなって、何ですか。……全く、無茶をするんですから」

 明音は怒ったような、それでいて悲しげな顔をすると、自らの手を、外法丸ぼ傷口に当てる。そうすると、傷口は温かくなり、痛みが薄らいでいく。

「……傷が治っていく」

「ええ。妖に全ての気を奪われたわけではありませんからね。完全に癒す程の力はありませんけれど、傷を塞ぐことはできます。……ただ、傷を塞いだだけですから、あまり無茶はしないで下さいね。傷が開いてしまいますので」

「うん、ありがとう。気を付けるよ」

 外法丸は素直に頷く。

 外法丸は嬉しかった。

 こうして、明音と再び話せることが。

 もう、二度となかったかもしれない時間。

 この時間が再び戻ってきた。

 蜘蛛の妖は言った。

 明音の力を狙って、妖がまた、襲ってくると。

 だが、それならば、強くなれば良い。

 外法丸はまだ子供。

 いくらでも強くなれる。

 外法丸は、そう信じた。

「明音」

「何ですか?」

 外法丸が声をかけると、明音は外法丸の傷を塞ぎながら、首を傾げる。

「俺は、強くなって明音を一人でも守れるようになるよ」

「……ふふ。そうですね。お願いします」

 明音は微笑んだ。


 しかし、外法丸は気付かなかった。

 明音の笑みが悲しげであったことに。


 蜘蛛の妖を退治した二日後。

 明音の小屋が燃えようとしている。

「やめろ。やめてくれ」

 外法丸は必死に叫ぶが、誰一人やめようとはしてくれない。

 小屋の中には明音が居る。

 このままでは焼け死んでしまう。

 村人達はそれをわかっていながら、やっているのだ。

 外法丸自身、明音を助けようと、火を放つ村人を止めようとするのだが、妖との戦いで、怪我を負った外法丸は、簡単に押さえ付けられてしまう。

「俺は聞いたぞ。妖が言っていたことを。あの娘が居ると、また妖が狙ってやってくると」

「妖の性で、何人が死んだと思っている」

「神主様もだ」

「全ては、あの娘の性だ」

 村人達は口々に言う。

「ふざけるなよ。明音は何も悪くは無い。明音は優しい人なんだ。俺はどうなっても良い。……だから、明音を助けてくれよ」

 外法丸は涙ながらに訴える。

 しかし、村人は頑として聞き入れない。

「あの娘が優しいかどうかが問題なのではない。あの娘がいることで、妖が来ると言うことが問題なのだ。今の我々には、妖に対抗する手段が無い。次に、妖が襲ってきたら、我々は間違いなく全滅する。……これは、必要なことなのだよ」

 村長が、外法丸を諭すように言う。

「……何が必要だ。俺にとって、必要なのは明音だけなんだ。――くそ。……何で、……何でこんなことになるんだよ」

 明音は、こうなることを知っていたのかもしれない。明音の使う予知によって、村人達に殺されることを。

 思ってみれば、明音は妖から助けられた時、それほど喜んではいなかった。当然だ。明音は知っていたのだから。妖によって死ぬことは無いと。

 そして、村人によって殺されることを知ったからこそ、外法丸には言わなかったのだ。

 もし、外法丸がそのことを知れば、明音を守ろうと、村人に危害を加えようとすることが目に見えている。

 明音は優しいから、自分のことよりも、村人の身を案じたのだ。自分を殺す村人の身を。

 外法丸は悔しかった。

 何で、村人の為に明音が犠牲にならなければいけないんだと。

 火が燃え上がり、完全に小屋を包む。

 炎に気を取られ、外法丸を取り押さえていた村人の力が緩む。外法丸はその隙を見逃さず、村人を振り払って、明音の小屋に向かう。

「明音」

 叫びながら小屋の中に入ると、明音は小屋の中央に正座していた。

 明音は外法丸に気付くと、困った子供でも見るように微笑む。

「……外法丸、ここは危ないので、早く出ないと駄目ですよ」

「何を言ってんだ。明音も一緒に出るんだ。ここに居たら死んでしまう」

 外法丸は座りこむ明音の手を取って引っ張ろうとすると、明音は外法丸の手をやんわりと払い除け、首を横に振る。

「駄目ですよ。村の人達は、私の死を望んでいます。それに、村人達の考える通り、私を狙って、妖はやってきます。……私は、生きていてはいけないのです」

 自分の生を諦めきった、明音の言葉。

 外法丸は、明音に生きていて欲しいと言うのに、諦めてしまっていることが腹立たしく、なによりも悲しかった。

「ふざけるな。生きてて駄目なわけがあるか。明音のおかげで、この山は霊山になっているんだろう? なら、それを話せば、村人達だって納得する」

「無理ですよ。確かに私がここに長年住んだことによって、比津ヶ山は霊山に変わった。そして、それは私が死んでも変わらない事でしょう」

「つまり、村人達にとって、もう、明音が死のうと関係ないってことかよ」

「……そうです」

「くっ、……でも、そんなのは、黙っておけば済むだろう。明音はこの山に住まう神様で、必要な存在だと思わせておけば――」

 明音はとても悲しそうな顔をするので、外法丸は思わず、黙ってしまった。

「確かに、騙してしまえば私は生きられるでしょう。しかし、その性で人は死ぬのです。……私には、そんなことは耐えられません」

「でも、俺は、俺は……」

 外法丸の頬から涙が溢れだす。

 嫌だった。

 明音が死ぬのなんて嫌だった。

 やっと、遊んでくれる人が出来たのだ。

 やっと、笑い合ってくれる人が出来たのだ。

 やっと、優しくしてくれる人が出来たのだ。

 やっと、……好きな人が出来たのだ。

 それなのに、その人は、死ぬことを選んでいる。

 どうすれば、救えるのだろう?

 どうすれば、一緒に居られるのだろう?

 どうすれば……。

 考えても考えても答えは出ず、周囲の炎は勢いを増して、ここに居られる時間も少なくなっていく。

 明音は外法丸の心を読みとったのだろう。悲しげに頷くと、明音は立ち上がり、外法丸を抱きしめて来た。

 明音の胸にうずまる外法丸は、明音の温かさと共に、生きている鼓動を感じる。

「ごめんなさい、外法丸。ずっと、一緒に居て上げられなくて」

「どうして……」

「……どうしてなんでしょうね。私もただ、……外法丸と一緒に居たかっただけなのに」

「なら――」

 一緒に居ようと外法丸が言おうとするが、明音は強く抱きしめて、それを遮らせる。

「……前に、話したことを覚えていますか?」

「……前に?」

 脈絡のない言葉に、外法丸は眉を寄せる。

「もしも、生まれ変わったらと言う話です」

 明音の言葉に、外法丸は思い出す。

 外法丸が天海に産まれたいと言い、明音は外法丸とまた一緒に居たいと言ったのだ。その時外法丸は、神の力で、生まれ変わった明音を探してやるよと、軽口を叩いた。

 他愛の無い話。

 けれど、明音にとっては、大切な話だったのかもしれない。

「……覚えている」

「……もしも、生まれ変わったら、外法丸は神様で無くとも、私を探してくれますか?」

 外法丸は言葉に詰まる。

 もちろん、本心から言えば、絶対に探す。けれど、それを言ってしまえば、今の、明音の死を受け入れてしまうと言うことだ。

 だから、外法丸は首を横に振る。

「探すかよ、馬鹿が。……俺は探さない。……だから、ここで死ぬな」

「ふふ。外法丸はやっぱり、素直じゃないですね」

 明音はひとしきり笑うと、外法丸の瞳を見詰めて来る。

「外法丸。村の人達を恨まないで下さい。彼らも大切な人を守るため、仕方なかったのです。……ごめんなさい、外法丸。愛しています」

 明音はそう言って微笑むと、抱きしめていた外法丸から離れる。そして、外法丸の唇に、柔らかいものが触れる。

 目の前にある明音の顔に、口付けをされたのだと、外法丸は呆けたように思う。

 突然、明音は外法丸を投げた。それは、気の力を使っていたのか、明音の細腕からは信じられない距離を飛ばされた。

 外法丸は成す術も無く、小屋から投げ出される。そして、投げだされた瞬間、先程まで外法丸の居た場所に、天井を支えていた桁が燃え崩れて、落ちて来る。それはまるで、明音への道を閉ざすように。

「明音、明音ぇ」

 外法丸は叫んで戻ろうとするが、既に炎は、外法丸を近付けさせようとしない。

 炎の隙間から、痛い程に熱いはずなのに、微笑みを浮かべた明音の顔が見えた。

 そして、それが外法丸の見た、生きている明音の、最後の姿だった。


 明音の小屋が燃え尽きるのを、外法丸はただただ茫然と見つめることしかできなかった。

 村人達は燃え尽きた小屋を見ると、帰って行った。

 さすがに生きてはいないと考えたのか、もしくは、人を殺した罪悪感から、自分達で確かめることが怖かったのかもしれない。

 外法丸は村人達が立ち去った後、燃え尽きた小屋を掘り起こす。

 明音が生きているかもしれないと、淡い期待からの行動だ。

 明音は神だ。その可能性だって無くはないはずだ。

 まだ燻る木々や灰を退かしていく。

 自らの手に、火傷を負っても構わずに。

 しかし、突き付けられたのは絶望。

 見つかったのは、焼け焦げた明音の遺体。

 外法丸はまだ熱い明音の体を抱きしめて、泣き叫んだ。


 外法丸の泣き声は、いつまでも響き続けた。

 それは延々と、途切れることも無く続く。

 朝も昼も夜も関係なく、泣き叫ぶ外法丸。

 深い悲しみに囚われた外法丸は、既に普通の人間ではなくなっていた。

 外法丸の泣き声は、数日経とうと、数十日経とうと、途切れることは無かったのだ。

 そして、明音が亡くなってから丁度一年経つと、泣き声は唐突に止まる。

 外法丸は一年間、泣き続けることで悲しみを吐き出していた。それでも、悲しみは無くならなかったが、吐きだし続けたことにより、悲しみは、ほんの少しばかりだが薄れ、外法丸の中のもう一つの強力な感情、怒りが表に現れた。

「……悪いが明音。俺は、あんたの言い付けを守れない。……俺は許せない。俺から明音を取り上げた、村の連中も、この世界も、何もかもが許せない」

 そう呟く外法丸の額には、一本の角が生えていた。


 この時、一人の鬼が生まれた。


外天童子と言う名の鬼が。


 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 この作品は元々、鬼を主人公にしたダークヒーローものみたいなものを書こうと思ったことがきっかけです。

 鬼を主人公にするとして、どうやって鬼になったかを考えていたら思いつきました。

 外天童子が本当にダークヒーローになってくれるかは、微妙ですが……。

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