僕が見届けよう、君の果てしなき旅路を(15)
※東征の刻→午前3時、西角の刻→午前9時
一刻→約2時間(三刻半なら約7時間)
[ ロンデル地方 ~ 王都圏 ロンデ・タン盆地 ]
「ふあ~~……この時間に出発するのも久ぶりだねぃ」
「東征の刻から半刻くらい経ったところだからな。
まあ飛んでいる間に少し仮眠を取ればいいさ」
「うん、そうするー」
微かに白みを帯び始めた空の下、アルビトラとヴィルツの二人は王都から少し離れた岩場に立ち寄っていた。
寝惚け眼を右手で擦りながら、それでいて確かな足取りで歩いていく。
「食糧は持って来ているのか?」
「今日の朝ご飯と、お昼ご飯の分はあるよ! よ!」
「そりゃあ何よりなことだな。
……夕飯のことは依頼を達成してから考えれば良いってことか」
軽いやり取りを交えながら二人はもう一頭の旅の仲間の姿を見つけ出し、傍まで近付いて行く。
「ブレイズ! 朝っぱらから悪いが、ひとっ飛びしてもらうぜ」
「ッ! グルルゥィ」
「この前は一生懸命 飛んでくれてありがとう。おかげで助かったよー」
「グゥルルゥイ!」
予想外の時間に現れた主人に驚きつつも、同行者の狐人の少女に頭を撫でられた飼い竜は人懐っこそうな鳴き声を発しながら承諾してくれた。
その後、飼い竜用に用意した特上の肉塊を振舞い、更に上機嫌になってくれたところでヴィルツ達は騎竜用の鞍へと乗り込み、防風ゴーグルを装着する。
「(瀕死のアルビトラを王都まで届ける時に、かなり無理をさせたからな)
(途中で休憩を挟みながら、少しゆっくりめに飛ばしてやらないと……)」
バルクム・イルド渓谷までは空路で凡そ三刻ほどの時間を要する。
限界まで速度を出せば二刻と少しにまで縮められるが、それは余りにも飼い竜への負担が大き過ぎる。
故に、彼は前日のうちに適切な飛行経路を算出していた。
「よし、じゃあ行くぜ!」
「おー! 今度こそ、あの剣を持って帰ろうね!」
ヴィルツが手綱を引き、飼い竜が盆地の岩場を勢いよく駆け出しながら両翼を広げる。そうして ある程度 助走した後に一挙に大空へと飛び上がった。
[ ロンデル地方 ~ 上空 ]
「わー! お日様が昇ってきたよぅ」
「(そういえば、あの旅籠屋から王都へ向かっていた時は)
(いつも西角の刻 頃から飛び発っていたっけな……日の出前は初めてなのか)」
闇の帳を引き裂いて、払暁の輝きが天と地を平等に照らす。
其れは新たな一日の始まり。新たな戦いの幕開け。新たな死への誘い。
「綺麗だねぃ」
「ああ、折角だし目に焼き付けておくか」
死ぬ気など毛頭ないが、それでも谷底での戦いは厳しいものとなるだろう。
生きて払暁を拝めるうちに、拝んでおく。
或いは、再びこの絶景を目にしながら凱旋することを固く誓うために、ヴィルツはより一層と気を引き締めようとした……が。
「もっきゅ もっきゅ……ごくん」
背後から何とも気の抜けた咀嚼音と、小麦の微かな匂いが漂い出した。
「まあ、そろそろ朝食の時間だもんな……」
「お腹が減ったら戦えないから! いっしょに食べるー?」
「お、おう」
宿屋から借りてきた大き目の木籠の中より硬く焼かれたパンを取り出して、そのまま肩越しに ずいっと差し出された。
常に手綱を握り締め続けるヴィルツへの配慮であったが、その余りにもマイペースな振舞いに思わず肩の力が抜け落ちてしまう。
死出の旅路の風情に陥り掛けていた心が、平常へと戻されていく。
「はい、あーん!」
「いや、片手は空けられるから自分で食べられ……むぐぅ」
「いいから、いいから」
強引に口に捻じ込まれてしまった。
長期保存用に作られたパンは総じて硬く、決して美味しいわけではない。
口に含めば ぼそぼそする。少し噛めば水が欲しくて堪らなくなる有様である。
ただただ口内から鼻腔に掛けて、小麦の味と匂いに蹂躙されるだけの食べ物だ。
「ねえ……無事に谷底の剣を手に入れたらさ」
「むぐぅ」
ヴィルツが喋れなくなったのを良いことに、アルビトラは一方的に自分の言葉と意思を発し続けた。
「帰りに色んな場所に立ち寄って、それぞれの名産品をいっぱい食べようね!」
「むぐぐ……」
「その時にでも、ヴィルツくんがこれからやろうとしている事とか
副団長さん達との昔の思い出とか、ちょっとずつ教えてほしいかな」
「……ッ!!」
思わず身震いをして、背後を振り向いてしまった。
彼女から初めて名前で呼んでもらえたからだ。
定命の者とは生きている時間が異なるが故に。
記憶しても、いずれ忘却してしまうが故に。
心が白紙に戻ってしまうが故に。
なるべく他者の名前を口にしなくなった彼女から、名前を告げられた。
其れは、僅かなりとも常理の埒外の化け物から仲間だと認められたという証左。
これから行う戦いに生き残れる可能性がある人間だと評価されたということ。
「えへへー……」
少し照れ笑いを浮かべながら。
アルビトラは木籠の中から水筒を取り出して、自分だけ喉を潤していた。
そんな彼女に対してヴィルツは二、三回ほど首を縦に振って大きく頷いてから、再び前方に向き直り空の一点を見詰め直した。
ようやく口内のパンの欠片が全て喉を通ってくれたようで、辛うじて声を発することが出来そうだ。ただし、干乾びてしゃがれた声色になってしまうが……。
「朝日が目に染みて仕方ないぜ……」
水分が欲しくて仕方ないのに、目尻からは何故か水滴が零れていたという。
[ バルクラント地方 ~ 上空 ]
ロンデル地方を越えて、バルクラント地方の空を渡る。
途中で二回ほど、小休止を挟んで飼い竜を休ませたので普通に空路で移動するよりも少しだけ時間が掛かっていた。
「くー……すぅー……」
西角の刻に差し掛かる頃には、鞍の後部に座ったままアルビトラが穏やかな寝息を立てていた。
たっぷり食べて、しっかり寝る。戦いの前に英気を養うというやつだ。
「こういう時に、図太く眠れる奴こそが優秀な冒険者なんだよな」
冒険者時代のことを振り返りつつ、ヴィルツは自嘲気味に嘯いた。
"北方の勇者"レギ・ゼオの相棒としてキーリメルベス連邦全土を旅したヴィルツであったが、彼は自分のことを優れた冒険者だったとは微塵も思っていない。
「(あの仲間達の中で、僕一人だけが不出来な凡人だった……)」
レギを始めとして集った仲間達は、それぞれの得意分野で百年に一度現れる天賦の才を持つ者と称えられていた。
つまるところ優秀な冒険者とは何たるかを間近で見続けていたのだ。
だからこそ分かる。己が如何に分不相応な存在であるのかを……。
ただし、ヴィルツの仲間達は誰も彼のことを蔑まなかった。
時には小馬鹿にされたり、他愛もない喧嘩を繰り返していたが、それは幼き日のヴィルツの突拍子の無い行動や、根拠のない大法螺に起因しての事である。
天賦の才を持つ仲間達に必死に食らい付く彼の姿を、誰もが認めていた。
昔のヴィルツだけが、場違いな存在だと気に病んでいた……。
「(レギも、ユングも……あいつ等も)
(最初からずっと名前で呼んでくれていた、仲間だと認めてくれていた)
(そのことに気付けたから、僕は最後まで冒険を続けられた)」
名前で呼び合える喜び、そこから生まれる力、導かれる路。
そういったものの価値を人一倍 知悉しているからこそ、アルビトラから名前で呼ばれた意味の大きさや、湧き立つ歓喜と興奮を大いに誇りに感じている。
「僕は絶対に死なない、アルビトラも死なせやしない。
王女様からの依頼を達成させて、そして……願わくば」
背後を振り向いて、まるで緊張感の感じられない寝顔を余さず見定めた。
「これからも……僕が見届けよう、アンタの果てしなき旅路をな」
全てが白紙に戻る、常理の埒外を歩む彼女の行く末を。
一時の間とはいえ関わったからこそ、仲間だと認め合えたと思ったからこそ。
ヴィルツ・ウォーラフの生涯に於ける新たな目標を、密かに打ち立てたのだ。
「むにゃむにゃ……ふふっ」
決意を新たにしたヴィルツが前方の空へと向き直る頃。
眠っていた筈のアルビトラから、微かな笑みが零れていた。
[ バルクラント地方 ~ バルクム・イルド渓谷 ]
「相変わらず、すっごい靄だねぃ」
「舌を噛むから、今は口を閉じておけ」
いよいよ渓谷へと辿り着き、上空で飼い竜を何度か旋回させることで徐々に速度と高度を落としていく。
アルビトラの言葉通り、眼下では地面より噴出する水蒸気由来の濃密な靄が変わらず渓谷中を覆い尽くして谷底を視えなくさせていた。
「この間みたいに、また近くの手頃な足場に降りるの?」
「……いいや、今回は直接 谷底までブレイズで降りようと思う。
王都からここまで三刻半ほど時間を掛けてしまったからな」
既に陽光は頭上へと差し掛かろうとしている。つまり昼前ということだ。
尚、二人は既に早めの昼食を済ませている。
「一応、例の二人組はまだ渓谷から出て来ていないとレギが言っていたが
それでも今から徒歩で谷底まで向かうのは悠長過ぎるからな……」
「ん、分かった! ヴィルツくんに任せるよ」
「おう! 前回たっぷり歩いたから谷底までの地形は頭に入ってる。
後は注意して降りていけば何とかなる筈さ」
説明するより実践した方が早いとばかりに、ヴィルツは巧みに手綱を振るって細かく飼い竜に指示を出し、慎重に靄の中を突き進んでみせた。
「…………」
「…………」
一挙に視界が閉ざされていき、渦中の生暖かい大気が肌に触れる。
本能的な嫌悪感が纏わり付くが、それよりも突起した岩にぶつからないように集中しなくてはならない。ヴィルツの額から緊張による汗が滴り始めた。
「もう少しだねぃ」
「……ああ」
「そういえば谷底に充満していた紅い光はどうするの?
この前は、急に気分が悪くなって倒れちゃったよね」
予め滞留していた光粒はゾガルディアの凄まじい攻撃によって全て霧散していたが、数日を経て再び谷底に溜まっていないとは限らない。
「それについては僕なりに対策になりそうな魔具を幾つか用意したさ。
後ろの革籠に入れておいたやつだ」
「あっ、これかー! 気流操作や防毒の術式効果が刻印された頭巾だね」
「それを使ってどうにもならなかったら……まあ、その時に考える」
「そうだねぃ、まずは谷底まで降りてみないとだし」
二人が話している間も飼い竜は懸命に羽搏きながら高度を落とし続け、やがては靄の下端へと到達する。
「そろそろ抜けるぜ……」
静かに呟きながら、ヴィルツは右掌だけを手綱から離して自身の襟元へ。
服の下に入れてあった紐のような物に触れ、ゆっくりと手繰り寄せていた。
ネックレスのようにして首に掛けていた紐の先端に設えてあったのは……。
「あっ! それってもしかしてヴィルツくんの結婚指輪かな? かな?」
「まあな」
煌びやかな宝石飾りなどは見当たらない、シンプルだが上品な金属の塊。
それでいて細部には、何等かの文字がびっしりと丁寧に刻まれている。
その指輪をヴィルツは右掌で優しく握り締め、生還の誓いを胸中で唱えてから再び服の中へと入れ直した。
「ヴィルツくんの奥さんにも会ってみたいなー」
「会わせてやるさ。アンタと僕の路が続く限り、いつかはな」
靄の底を突き抜ける。
渓谷の底が視えてくる。
再戦の舞台が迫っている。
然れど、此度は命辛々に生き延びるためではない。
勝利を捥ぎ取り、大剣を回収し、どこまでも続く路を歩むために挑むのだ。
「着地するぞ、覚悟はいいか?」
「もちろーん!」
「グルゥイ!」
小気味よい応答を交わしたところで、アルビトラ達は戦場へと舞い戻った――
・第2話の15節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・今回は少し短めに決戦前夜を……正確には決戦当日ですけども
戦いの前の一幕ということで、第2話で特にやりたかった事の一つを無事に書けて感無量でございます。
・良ければ彼女達の戦いの結末を、どうか見守ってあげてください。




