僕が見届けよう、君の果てしなき旅路を(3)
[ スカイトラス地方 ~ タルヴォア領 上空 ]
高度三千メッテの空へと舞い上がり、スカイトラス地方を一挙に南下していく。
今の時期だとロンデルバルク王国の上空では南西から北東に向けて強い風が流れていることが多く、ヴィルツにとっては向かい風だったが信頼する飼い竜に乗っている限り大きな問題にはならない。
眼下では標高千五百メッテ級の山岳地帯が連なっており、この地を徒歩や馬車で渡るならば、確実に一週間くらいは費やすことになる。
「こうして見るとベルネス山地も可愛いもんだねぃ。
まあ、この辺りは蒸留酒の名産地だったりもするから、
のんびり歩いて渡っていくのも楽しかったりするよ!」
「流石にデルク同盟の各地で活動してるだけあって詳しいな。
王都で戻って来ることがあれば、その時に覚えてたら寄ってみるか」
背後を軽く振り向きながら返答しつつ、只管に南へと飛んでいく。
ベルネス山地を一挙に越え、スカイトラス地方に隣接するマナスター地方の雄大な大地が視界に映り始めた。
「へぇ……! この一面の緑色のが全部、麦畑だっていうのかい!?」
「うん、秋になったらこれが一斉に黄金色に輝くの!
パンや葡萄酒のおいしいお店もいっぱいあるんだよぅ」
北方ではあまり目にすることがないのか凄まじく広い農作地を目の当たりとしたヴィルツが思わず感嘆の溜息を零し、彼の呟きに相槌を打つかのようにしてアルビトラが肯定と補足の言葉を添えた。
マナスター地方はロンデルバルクで最も肥沃な土地。
エスブルトで例えるならルァザ地方に相当し、古来より国内の食料事情を支えてきた重要な地方である。
「(同じ黄金色だけど、あの錬成像がお姉さんにとって奈落の象徴なら)
(小麦畑の黄金色は生命の象徴って感じだよね……)」
「ふふっ、それは良いことを聞いた。
秋に上等な小麦を仕入れたら、あいつにも送ってやるか……」
遥か遠い国で留守を預かる妻が喜ぶ姿を思い浮かべて気を良くしたのか、より一層と力強く手綱を操り向かい風の中を突っ切っていく。
特に気流が激しい箇所では、ビュゥゥ! と叩き付けてくるような風圧と、風切り音に見舞われるが、意気揚々とするヴィルツにとっては微風に等しかった。
そのまま暫くマナスター地方を飛び続けていると、向かって右側……つまり南西の方角から近付いて来る物体を見咎めた。
「ほよ? こんな高い場所で何か来る? 鳥じゃないみたいだけどー」
「いや、何も視えねぇ……アンタ どれだけ視力が良いんだ?」
アルビトラに言われて南西の方角を注視すること数秒。ようやくヴィルツの視界でも、その物体を捉えることが出来た。
上半分は丸く膨らんでおり下半分は船を彷彿とさせる、というより船そのもので実に奇妙な物体に思えた。
「本当だ! 何だありゃ? 鳥にしてはデカ過ぎるし、魔物っぽくもないな」
「あっ! もしかして……気球船かも」
「気球船? ただの気球とは違うのか?」
「簡単に言っちゃうと、大きな気球の下にそのまま船をくっ付けた感じだね。
普通の気球より大勢のヒトを運べるって聞いたことがあるよ! よ!」
「成程な、キーリメルベス連邦で運用している飛竜船のようなものか」
飛竜船とは、その名の通り四頭から八頭の飼い竜を用いて艦船を浮上させる移動式の軍事拠点の一種。大陸北部では一部の権力者達が古来より運用していた。
しかし気球という代物自体が近年になってデルク同盟の勢力圏で産み出された新しい技術であるため、北方人のヴィルツにとって馴染みがないのは当然だった。
「そうか! この上空の強風に乗って北東へ……つまり僕達とは反対に
スカイトラス地方へ行こうとしているんだな」
「そんな感じがするねぃ」
更に一分ほどが経過すると、いよいよ気球船が目前に迫って来る。
ゴォォォ……と静かに唸るような音を纏わせ、上空の気流の勢いを余さず受けて突き進んでいた。
船体の形状は大陸南部で造られている小型の複合帆船のものに近いが、それを丸ごと飛ばすだけの浮力を与える気球部分は通常のものより遥かに大きい。
気球と船体を合わせた全高は、約五十メッテにもなるだろう。
二人は、球皮に描かれた紋章を間近で垣間見た。
其は、満月へ至らんと進み続ける一条の轍――
この頃になると相手方もヴィルツ達のことを把握しており、甲板では様々な井出立ちをした者達が武器を手に取り警戒を露わにしていた。
「あの紋章、どこかで見たことある気がするー。
軍隊には視えないし、私と同じ冒険者なのかも!」
「この辺の国では気球を持ってる冒険者なんてのも居るのかよ。
……見える範囲だけでも十人以上。全員 破落戸とは面構えが違うな!」
彼我の距離が零に近付く寸前、ヴィルツは緊張した面持ちで左掌を頭の高さまで上げて、ヒラヒラと振ってみせた。
これは空を旅する限られた者達の間でいつの間にか広まっていた慣習の一つ。
「敵対意志は無い」「互いの航行の無事を祈る」といった意味だ。
大陸中央東部では果たして通用するか分からなかったが何もしないよりは良い。
とりあえずアルビトラも、ヴィルツに倣って諸手で手を振っておいた。
彼女の場合は純粋に旅先で出会った者達との刹那の交流を楽しもうとしているだけなのかもしれないが……。
「あっ! 向こうのヒト達も左掌を振ってくれてるよ……おーい! おーい!
私! アルビトラっていいまーす! お互いにー! いい旅をー!」
「ふぅ~~~、どうやら通じたみたいだな……。
空の上で、ヒト同士の争いなんて僕はもう二度としたくないんだよ」
過去に大きな戦いか何かを潜り抜けて来たのだろうか。
意図が通じて、互いに警戒を解くことが出来るようになりヴィルツは盛大な溜息を吐きながら安堵の笑みを浮かべていた。
そして何事も起こることなく、飼い竜と気球船が擦れ違った。
満月に昇る轍が描かれた球皮が、遥か後方へと遠ざかっていく。
「んー……」
「どうした? 何かおかしなことでもあったか?」
「さっきの気球船の甲板に、ちっちゃな女の子が二人乗ってたよね。
それがちょっと不思議だなって思ったの」
「あの一瞬の間によく気付けたな。
まあ確かに……見間違いじゃないのなら奇妙な話ではある、か」
「もし、あのヒト達と再会するようなことがあったら
どんな関係なのか、ちょっと聞いてみたい気がするねぃ」
「そうだな、気球船自体も実に興味深い。
王都での用事が片付いたら、先刻の連中について少し調べてみるか!」
そうして二人を乗せた飼い竜は、以後は予定していた航路を順調に進み続けた。
陸路ならば一ヶ月は要する王都までの道程も、空の旅ならば三日ないしは四日もあれば到着する。
アルビトラは中々 体験することのない景色を、存分に堪能するのであった。
[ マナスター地方 ~ ハヴィンシー子爵領 『黄蛇の塒』 ]
「今日もよく晴れてくれそうだ。
これなら午前中には王都圏に入って、夕方には王都まで行けそう……か?」
広大な麦畑が広がる土地を越えた先の、地方と地方の端境に建つ旅籠屋で一泊したヴィルツとアルビトラは、陽が昇り始める前に飼い竜に騎乗していた。
なお昨日はあの後、マナスター地方の大き目の町に二回ほど立ち寄り、それぞれ一刻ほどの間 散策して商材になりそうな代物を買い込んでいた。
その際に、ヴィルツが大金を持っている商人であることに目を付けた破落戸から襲撃されたりもしたのだが、アルビトラが危な気なく撃退している。
「んー……王都までの間にある町では、もう買い物しないの?」
「ああ、流石にその辺りで商材を仕入れても王都じゃ珍しくもないだろうからな。
利益が出るとは思えないし、ブレイズに乗せてる積み荷もそろそろ限界だ」
背後を振り向くと、エスピラ高地を出立した時よりも荷物を納めた箱の数が明らかに増えている。彼の言う通り、これ以上の積載は飛行能力を損なうだろう。
「まあ昼食や小休止なんかで降下するくらいだな。
アンタのほうで何か地上に用事があれば、少し早めに言ってくれ」
「はーい!」
「よし、じゃあ そろそろ行くか。今日も頼むぞ、ブレイズ!」
「ギュルゥイ!」
そうして二人と一頭は、三日目となる空の旅へと赴いた。
[ ロンデル地方 ~ グラスファーレ領 上空 ]
暫しの間、南西へと飛び続けていくうちにマナスター地方からロンデル地方へ。
このまま更に進めば『王都圏』と呼ばれる領域に差し掛かる。
「これがロンデルバルク王国の要、ロンデル地方か……まるで蜂の巣みたいだな」
デルク同盟内で一、二を争う歴史ある大国。その政治の中枢にして始祖の地。
王都アンバーハイヴは大陸中央東部最大の港湾都市である。
この湾から伸びるロンダリア河と その支流が人々の生活圏を切り開き、拡張させたことで王都を中心に大小様々な都市が同心円を成すように広がっていた。
「大河の支流を活用して王都の周りに等間隔で都市を築いていったんだな。
その都市群の周りにも小規模な町や村が点在しているわけだ」
「うん、あの一帯を指して王都圏って呼ばれてるんだよ!
ここまで大きな勢力圏は、他だとラナリア皇国の皇都近くの領海くらいかも?
昔は大陸中央のイングレス王国も、いい感じだったんだけどねぃ……」
「……見掛けに寄らず、色々と知っているんだな」
「えへへ、それほどでも……あるかな! 実際に色々と見てきたしー」
この一見すると少女にしか見えないような狐人が、実は数百年の旅路を続けている生き字引であることをヴィルツは改めて思い知らされる。
楽天的で天真爛漫、目の前で起こったことに素直に感情を露わにし、旅先で振舞われる料理をおいしそうに頬張る様子からは想像できる筈もない。
「(この女は何故こうも、まっさらな状態でいられるだ?)
(長い時間を生きて来たのなら、常世の清も濁も見て来た筈だろうに)」
自室に籠って数百年間を過ごしていただけなら分からないでもない。
だがアルビトラは冒険者として数多の国を渡り歩き、そこで出会った者達の輝かしい部分だけでなく、暗い部分も垣間見ているのだ。
故に、ヴィルツは彼女の異常性を身を以て実感した。
「あっ、お兄さん! 左下の方角から魔鳥が迫って来てるよ! よ!」
ヴィルツが物思いに耽り始めた時、アルビトラが彼の肩をぽんぽんと戦いながら警告を発した。
即座に言われた方角を見やると、彼等よりもやや低い位置から小さな黒い影が上昇して来る様子が伺えた。彼我の距離は二千メッテほどだろうか。
「偶然、こっちに向かっている……ってわけでもなさそうだな。
ブレイズを見て襲い掛かろうとするなんて珍しいこともある」
「うん、あれは多分 ケリーコーンっていう魔鳥だよ!
かなり すばしっこいんだけど、頭はあまり良くないんだよねぃ」
「誰彼 構わず突っ込んで来る特攻気質ってことか。
それなら確かに、飼い竜とはいえエアドラゴンにも向かってくるわけだ」
これまでの空の旅でも何度か魔鳥を目撃することはあったが、いずれもヴィルツの飼い竜を認識した途端に一目散に逃げ惑っていた。
なお魔鳥とは魔物の一系統であり、鳥類的特徴を持つ種族群を指す。
他の魔物達と同じく惑星の息吹である魔力を大量に体内に蓄えた果てに、細胞が変質して強靭な肉体と凶暴性を得た生命体なのである。
「王都圏は守りがガチガチだから、この辺りの空を狩場にしてるんだろうねぃ!
あの嘴が刺さると すっごく痛いから先に対処したほうがいいかも」
「そうしたほうが良さそうだな。
アンタのいう通り あの魔鳥はかなり速い……ブレイズでも振り切れない」
僅か数秒前までは黒い点でしかなかったのに、いつの間にかヴィルツ達の居る高度まで昇ってきており、目前まで迫ろうとしていた。
ヴィルツの見立て通り、迂回して戦闘を避けることは出来ないだろう。
「よーし! じゃあ、ぱぱっと片付けてくるよ!
でも一応、お兄さんも警戒していてね~」
飼い竜の鞍の上ですくっと立ち上がり、左掌で粋然刀の鞘を握り締める。
接触まで残り数秒。故に、彼女の決断と行動に一切の躊躇はなかった。
「『風紡』!」
三羽の魔鳥のうち、先頭の個体へ照準を定めて独自魔術を行使する。
圧縮した風を束ねたロープを打ち出すと、頭部に着弾して固着した。
「ケェェン!?」
数百メッテ先の魔鳥が驚愕に包まれた頃には、時 既に遅し。
一瞬にも満たない間に何かが迫ったかと思えば、その細長い首が一刀の下に両断されていたのである。
「ゲヤ! ……ケィィン!」
「キギィィ! キケェェ!!」
突然の仲間の死。然れど、知能の低いケリーコーンがそのことを認識するには時間が足りず、ただただ加速した肉体をそのまま飛翔させ続けるのみ。
当初の標的と定めた飼い竜を目掛けて鏃の如き嘴を突き立てようとしたのだ。
「(いきなり跳んだかと思えば、瞬き一つする間に一羽 叩き斬ってやがる!?)
(これが二つ名持ちの冒険者と、あの粋然刀の真価ってことか……)」
右掌で巧みに手綱を操り、飼い竜を落ち着かせながら旋回機動を採る最中、一切の迷いなく自ら空中へと躍り出たアルビトラの大胆不敵さに戦慄を禁じ得ない。
とはいえ自分から跳んでいった以上は戻ってくる算段があるのだろう、と判断してヴィルツは残りの魔鳥へと意識を傾けることにした。
「翼を広げた全幅は一メッテと五十トルメッテ、全長は……一メッテほどか。
体躯の割に嘴だけが異様に長いな」
初めて目撃する魔鳥に対して冷静な検分を行いつつ、外套の裏に仕込んでいた愛用の短剣を左掌で取り出そうとする。
人差し指、中指、薬指、小指の間にそれぞれ一本ずつ、合計三本を構えた。
そして、体内の魔力を活性化させつつ静かに言の葉を紡いでいく――
「祖湖の水面の導きよ、傍らに信、輩に頼を添え、エンダールの義を示す。
我等が刃は円環を潜り、我等は再び結合する……発振!」
汎用的な魔術の詠唱。素早く、淀みなく、慣れた様子で術式を編むヴィルツ。
こういった詠唱句を発するか魔術陣の敷設により術式を構築した後に、体内の魔力を燃料として注ぎながら鍵語を唱えるのが一般的な魔術の手順である。
「『静湖の還刃』……行けよ!」
ヴィルツが魔術を完遂させると、彼の構える短剣が淡い水色の光を纏い出す。
いわゆる物質を強化したり特殊な現象を施す付与魔術の一種。
術式効果の発現と同時に迫り来る魔鳥の一羽に狙いを定めて投擲したのである。
ヒュン…… ザシュッ! ザ ザシュッ!
「……ッ!!」
発光する刀身が魔鳥の眉間、首、左の翼へとそれぞれ突き刺さり、瞬時に絶命。
片翼を停められたこともあり、空中で錐揉み状態に陥りながら三千メッテの高度より呆気なく墜落していった。
「ギキィィ!!」
上空の風の音に紛れて耳障りな鳴き声が響き渡る。
しかし間髪入れずに最後に残った魔鳥が迫る。仲間が討たれてなおも怯む様子はない、或いは矮小な脳では認識するまでに時間が掛かるのか……。
旋回機動は続けさせているが、万が一にでも飼い竜の翼を穿たれては一大事だ。
「チッ! 恐れ知らずってのも、厄介極まりないな」
舌打ちをしながら外套の裏より更なる短剣を取り出そうとするが、流石に間に合いそうになかった。
僅か十メッテの距離。魔鳥の一心不乱な瞳とその形相、そして嘴が放つ鈍い光沢が肉眼でもはっきりと捉えることが出来た。
「悪いな、ブレイズ……」
避けられないことを悟り、先じて長年の相棒に詫びの言葉を継げる。
しかし、そんなヴィルツの咄嗟の心配りは全て杞憂と化したのであった。
彼方より到来する、一本の風のロープ。
飼い竜の鞍へと着弾して広がり、固着する。
「ん、だいじょうぶだよー!」
直進する魔鳥の背後より、更に途方も無い速度でアルビトラの肉体が稼働したかと思えば、次の瞬間には魔鳥の首が切断されて頭部が宙へと投げ出されていた。
ブシュゥゥ……と、一拍遅れて血飛沫が噴き出る頃には、アルビトラは鞍の上へと着地しつつ納刀を済ませている。
早くも酸化した血の臭いが気流に乗ってヴィルツの鼻腔に届く頃には、既に戦いの幕が降ろされていた。
「これで終わりかな? ……あの子達の魂が、無事に巡っていきますように」
眼下の大地へ墜落していく骸に向けて、両掌て重ねて祈りの言葉を発した。
「……霊峰へ旅立てることを願っておくぜ」
ヴィルツもまた北方人ならではの価値観で、散らせた生命の門出を祈ると付近の空域を見渡して他に危険な魔鳥が飛んでいないかを検める。
「どうやら、今の三羽だけだったみたいだな。
ご苦労さん……血脂すら付着させない斬撃とは恐れ入ったぜ」
背後に立つアルビトラへ労いの言葉を発しながら左掌を掲げ始めた。
すると先程 投擲した筈の三本の短剣が物凄い速度で天を駆け上ってヴィルツの手元へと戻って来たのである。
どうやら彼が構築した付与魔術とは、投射物の威力強化と着弾後に自動的に手元へ還って来させるための術式であったようだ。
「えへへー、これくらいなら朝飯前だね。
お兄さんの方こそ、お見事だよ! おかげで余裕を持てたよ。
魔術まで使えるなんて、びっくりだね!」
「アンタがそれを言うのかよ?
ま、僕の魔術なんて必要に迫られて修得した付け焼刃だ、本職には敵わない」
冊子にヴィルツの戦い方のことなどを綴り始めたアルビトラに向けて、腰のベルトに設えた革鞘に短剣を納めながら言葉を返した。
「近接戦闘もそこそこ程度の腕前だし、所詮は器用貧乏ってやつさ。
冒険者の頃は、いつも仲間達のお荷物になっていないか不安で仕方なかった」
「んー、お兄さんくらいの実力で足手纏いになることなんて
そう滅多にないとは思うけどねぃ」
まだヴィルツの手管の全てを目にしたわけではないが、それでも飼い竜を操りながら冷静に魔鳥を仕留める手腕は相当のものである。
「ふん、どっちにしろ僕はもう冒険者は引退した。
家庭も持ったし、商人としての新たな路を歩み続けていくだけだ。
……それはそうとアンタは剣術もそうだが、魔術もとんでもないな」
「ほよ? 長いこと冒険してる間に自然で出来上がっただけだよー」
「そうは言うがな、詠唱句と鍵語を一体化させていたり
自由自在に斬撃の補助として組み込むなんて中々 出来ない芸当だろ?
しかも、こんな上空で平気で跳び回るしな!」
多少なりとも魔術を齧ったことのあるヴィルツだからこそ理解していた。
術式を構築する精度は魔術の第一の要諦。
故に状況が許す限り、時間を掛けて詠唱句を唱えたり魔術陣を描くことが推奨されている。
魔術を嗜む者ならば、その気になれば誰でも手順を省いて無詠唱や無敷設で行使することも可能だが、所詮それは素人の発想であり児戯に過ぎない。
そもそも手順を省いて劣化した術式を披露するくらいなら、最初から術式が刻印された魔具でも使えば良いのである。
「(この女の独自魔術は極限まで詠唱句と鍵語を削ぎ落して仕上げていた)
(たった一言 呟くだけで正当な術式か、それ以上の効果を発揮している)」
しかも魔力の消耗量も極少。粋然刀を振るう挙動の妨げにもならない。
それどころか超高速移動の運動エネルギーをそのまま斬撃の威力として加算させるという、敵対した者を絶対に刈り獲る一撃離脱の必勝法なのだ。
「えへへー、それはほら!
いっぱい戦って、いっぱい失敗して、いっぱい怪我しながら覚えたんだよー。
私って普通のヒトより怪我の治りが早いし……老いることもないみたいだから」
後頭部を掌で搔きながら、少しばかり照れくさそうに弁明する。
「老いることもない」の部分だけは囁くような声量になっていたことをヴィルツは聞き逃さなかった。
「……成程な、身体能力に関しては獣人種なら生まれつき優秀だろうが
魔術や抜刀術に関しては努力と年季の賜物ってわけか」
「うん、魔力量でいえば普通の狐人よりちょっと少ないくらいだよ。
たぶん、お兄さんとそう変わらないんじゃないかなー」
「ふーん、そりゃ世の凡人共にとっては希望に溢れそうな お言葉だよ。
若い時の僕が聞いてれば、もう少し上を目指せたのかもしれないな!」
己を凡人だと謗る割りには、ヴィルツの面貌に苦悩や後悔の色は無い。
或いは現実に向き合い、苦しみ、自分なりの解を得たからこそ今となっては気軽に言葉として吐き出せているのかもしれない。
「(このお兄さん、冒険を諦めて商人になったワケじゃなさそうだねぃ)
(冒険者としてやりたいこと全部やり終えたから、次の路に進んだんだ……)」
確かな実力を持ち、財を築き、家庭を持ち、新たな商機を開拓すべく新天地に身一つで乗り込んでいる。
歩んで来た道程や、積み上げた偉業であればアルビトラのほうが遥かに上回っている筈なのに、何故か彼のほうが路の先を進んでいるような気がした。
故に、この時 初めてアルビトラはヴィルツという男の人生に興味を懐いた。
「さて、少し時間を取られたが さっさと王都圏に向かうとしよう。
また魔鳥に絡まれたら嫌だしな」
「うん! あ、でも……そろそろ高度を落としたほうが良いかも」
「なんでだよ?」
「えっと、もう少し進めば見えて来ると思うけど
王都圏の都市の上空には魔法使いが乗った気球が飛んでるんだよねぃ。
だから上空から近寄ると、遠距離攻撃用の魔法で狙撃されちゃうの」
「……そりゃあ ご大層なことで! 魔鳥がこの辺を飛んでるのも納得だな。
しかも魔術じゃなくて魔法かよ」
本人の学習意欲と魔力量次第では後天的に誰でも扱えるようになる魔術とは異なり、魔法は精霊との交信という先天的な素質を必要としている。
故に魔術師よりも魔法使いのほうが希少とされており、その術式や運用法も魔術とは大きく性質が異なるのだ。
「魔法での狙撃は目視の必要がないから、すごく射程が長いんだよねぃ。
この竜に乗ったまま防ぐのは難しいから低空飛行をお勧めするよ!」
「高度を落とせば飛行速度が落ちるが、仕方ないな……」
精霊に祈りと魔力を捧げれば、後は精霊のほうが勝手に標的に向けて然るべき術式効果を施してくれるというわけである。
魔術が短弓や石弓だとすれば、魔法は弩砲や塔石器のようなものだ。
小回りが利き、訓練次第では移動しながら撃つことが出来る前者に対して、後者は取り回しが悪く発射地点から動けなくなる代わりに射程と威力は絶大である。
「ブレイズ、飛び難くなると思うが 五十メッテくらいまで降下するぞ!」
「ギュルィ!!」
声掛けしながら手綱を軽く引き、竜頭を斜め後方へと傾けさせる。
そうして徐々に地上に向けて高度を落として行った。
「(簡単にやろうとしてるけど、竜は高い場所を飛びたがる性質があるんだよね)
(五十メッテだと普通はすごく嫌がる筈のに、素直な子だなぁ)」
実際に、この付近ではそれくらいの標高の丘等が幾らか存在している。
鳥類よりも小回りの利かない飼い竜としては咄嗟に避けることが難しいのだ。
騎手であるヴィルツの手綱捌きが試される高度だといえるだろう。
「お兄さんのことを よっぽど信頼している証だね!」
そんな所感を懐きつつ、徐々に近付く地上の景色を眺めながら アルビトラは飼い竜の背中をそっと撫でていた。
[ バルティア領 ~ 旧黄金郷 レガトニット城 城館 ]
バルティア領の中枢であるレガトニット城。
その広大なる敷地内で一際巨大な城館の廊下を二人組の男女が練り歩いていた。
「いんや~、流石にカルシャナへの出張は堪えたよ。
この大陸では長距離の空間転移が出来ないようになってるからね。
そろそろ二人乗りの空飛ぶ乗り物でも発明しちゃおうかな!」
「文明の水準を壊さぬよう節度を守れるのなら、好きにすれば良い」
「分かってるって! 相変わらずゾーガさんは大真面目だなぁ」
片方は十歳を僅かに過ぎた隻眼の少女で、頭部の右半分を眼帯で覆っている。
もう片方は二メッテを越える巨漢の武人。少女の歩幅に合わせてくれている。
即ち、城塞都市カルシャナで『真鍮館』の検分を済ませたギラ・レスティートとその相棒であった。
石造りの堅牢な建物の床は固く、並び立って歩を進める二人分の革靴の足音が、こつこつと打ち鳴らされては空虚に響き渡っていた。
「それにしてもだ。いつ見ても辛気臭い お城だよね~。
昔は壁も床も天井も! 全部がキンキラキンの金メッキだって話なのにさ!
今じゃあ金細工の装飾品すら売り捌かれて見る影もないってやつだ」
「城の造り自体は戦の要諦を弁えている。
華美な装飾が剥がれた現状の方が居心地が良い」
「ま、ゾーガさんはそうだよねぇ……」
やれやれ、といった顔で巨漢の武人を見上げつつ、メッキが剥がされて無骨な本性が露わとなった建造物を見渡しながら尚も歩き進めていく。
ロンデルバルク王国の南西に位置する、バルティア公爵が治める領地。
嘗ては王国に属し、大陸有数の金鉱脈が齎す莫大な富で王国を支え続けていたのだが、度重なる戦乱の中で、次第に黄金は絞り尽くされていった。
約百年前にようやく戦乱が収まり、現在の王国の形が築かれていくと当時のバルティア公爵は王国から距離を取り始めた。
一方、王国側としても金鉱脈が尽き始めたバルティア公爵領には価値がないと謗り、王家への忠誠心を欠いたとしてバルティア公爵家を放逐したという。
「その結果、現在のバルティア領はロンデルバルク王国にも、デルク同盟にも、
ましてや他の大国にも属さない、永世中立地帯と化したわけだ」
「よもや百年以上も存続するとは思っていなかったのだろうな」
「ふふ~♪ ところがどっこい! バルティア公爵は策略家だった。
隣の大陸の有力者達と接触し、挙句の果てに『廃薔薇機関』を立ち上げた」
つまるところ、ここバルティア領のレガトニット城とはデルク同盟の各所で暗躍する秘密結社の本拠地でもあったのだ。
「まあ、何だかんだで今も細々と金鉱石は採掘され続けているし
『バルティアンゴールド』なんていう特産品も絶賛売り出し中だ!
落ちぶれたとはいえ、公爵家もしぶといよね」
長い長い廊下を進んだ先に聳え立つ離れの塔が見えてきた。
その入口である黄金細工の扉の左右には、全身甲冑で武装した二名の重装騎士が佇んでいる。
いずれも重厚な装甲。その表面は赤みがかった黄金で覆われていた。
「レスティート様、ダルジャーク卿、よくぞお戻りになられました」
「他のお歴々は既に揃ってございます」
「うんうん、重役出勤って感じで気分がいいねぇ」
「……ご苦労」
重装騎士達が厳かに扉を開き、二人は塔の内部へと足を踏み込んだ。
[ バルティア領 ~ 旧黄金郷 レガトニット城 円卓の間 ]
離れの塔の螺旋階段を登り、三階に到着すると 其処は一つの階層を丸々用いた大部屋となっていた。
「遅くなってごめんよ~♪
思いの外、タルヴォアくんの後始末に時間が掛かっちゃった」
「…………」
部屋の中央に設えた巨大な円卓に腰掛ける面々を一望しながら、この場には到底 似付かわしくない井出立ちのギラが気安い口調のまま言葉を発した。
これまでの廊下と同じく、悉く金細工が剥落した部屋は無骨にして重厚。常人であれば息苦しくて仕方ないと感じることだろう。
円卓と、周囲に等間隔で置かれた椅子もまた嘗ては黄金に輝いていたらしく、極僅かに残った金箔の残滓が隆盛の跡を悲し気に物語っている。
「ふん、気色の悪い餓鬼が……」
「うふふ、肝が太いのは素晴らしいことですわね」
「はてさて、タルヴォアの子倅がどんな失態を犯したのか。
彼女の口から出る言葉が楽しみですな」
「……」
ギラの態度を訝しむ者。褒める者。面白がる者。無視する者。
反応は実に様々で、この場に集う者達の素性や価値観の多様さを如実に物語っていた。
「いつから『廃薔薇機関』は託児所になったんだ?
お遊戯なら余所でやれ、我々は子守りをしている暇など無い!」
「おんやぁ? そこに居るのはランカード卿、随分とご機嫌ナナメじゃないのさ。
ロレーヌ家のお宝を取り逃した一件でイライラしてるのかな?」
「こ、この糞餓鬼めが……!」
ギラに向けて特に不満を露わにしていた騎士に対して、一切怯むことなく逆に挑発を噛ます。
「おお、怖い怖い……だけど傑作だよねぇ?
ロレーヌの至宝を狙って意気揚々と屋敷を襲撃しておいて、
結局 目当てのお宝は見つからず、挙句に二人の娘も取り逃して~」
「ぐぅっ、言わせておけば……そこへ直れぇ!」
ランカード卿が立ち上がり、腰に帯びていた騎士剣に掌を伸ばそうとした時。
円卓の中央の席に座る二十代半ばと思しき青年が左掌を軽く突き出した。
「沈まれ、ランカード卿。貴公とヴェイン卿が取り零したのは事実。
その件に関しては後ほど、イルジア卿も交えて対策を検討する算段だ」
「……御意」
どうやら、この青年こそがこの場で最も位の高い人物であるらしく激昂し掛けていたランカード卿は大人しく着席し、それ以降 口を挟むことは無かった。
「二人の同志達の帰還を喜ばしく思う。
ギラ・レスティート、ゾガルディア・ダルジャーク、共に席に着け」
「ただいま~、イルスバルデくん♪ あいかわらず陰気な面だねぇ」
「……公爵閣下もお変わりないようで、何よりだ」
ギラと、ゾガルディアと呼ばれた巨漢の武人がそれぞれ円卓の一角に着席すると一層と場の空気が引き締まる。
この場に集ったのは十二席から成る『廃薔薇機関』の現在の幹部達なのだが一つだけ、ぽつんと空席の椅子が存在していた。
其処はデイル・グルヘイム・タルヴォアが座る筈の席であった。
エスブルト共和国で黄金色の錬成像を普及させた功績を以て正式に秘密結社の一員として迎え入れる手筈であったが……全ては水の泡。
此度の会議の焦点は正しく この件に有り。
そしてタルヴォア家の嫡子の野望を打ち砕いた者への対策だ。
「ではギラ・レスティート、早速ながら君の見解を述べてもらいたい」
「おっけ、おっけ! じゃあタルヴォアくんの大失態ぶりと
それを打ち砕いた"春風"くんについて、僕の解説はっじまっるよ~」
円卓の中央に座す青年……現バルティア家の当主にして公爵位を継いだ人物の指揮にて、『廃薔薇機関』は着実に根を張り巡らせていた――
・第2話の3節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・謎の気球船との擦れ違いから、魔鳥との空中戦、そして王都圏へ。
1節の間に盛沢山に詰め込めたのではないかと思います。
・そして、いよいよ動き出す『廃薔薇機関』の幹部達……。
作者自身にとっても、書いていて最も楽しい瞬間でございますね。
・どのような流れで第2章の1節目 冒頭のシーンに繋がっていくのか
こうご期待くださいませ!
・なお魔術と魔法の違いについての補足ですが
本編の主人公の1人、ノイシュリーベは移動中や近接戦闘の最中でも
おかまいなしに魔法を行使していますが、これは例外中の例外です!!
・精霊に魔力と祈祷を捧げて様々な現象を発現してもらうプロセスの関係上、
別の事をしながら祈りを捧げると、精霊が機嫌を損ねてしまい
そっぽを向いて言うことを聞いてくれなくなるので普通は御法度です。
・もし、この物語での魔術や魔法、魔力、精霊などに
ご興味を持っていただけましたら『用語集Ⅰ』に詳細を添えてありますので、良ければ ご覧ください。
https://ncode.syosetu.com/n8293lo/11




