僕が見届けよう、君の果てしなき旅路を(2)
※西角の刻=午前9時
※グントー=重さの単位、1グラムに相当します
[ スカイトラス地方 ~ タルヴォア領 トルカの町 『捩れ木亭』 ]
「ふあ~~~! 気持ちのいい朝だねぃ」
布団から身を起こしたアルビトラは、寝惚け眼ながら両腕を真っ直ぐに上に伸ばして屈伸を行いつつ盛大な欠伸を披露した。
木製の格子窓から差し込む陽光は、そこまで高い位置ではない。
日の出から然程の時刻は経っていないのだろう。理想的な起床である。
「久しぶりの お布団だったから、あの後 すぐに寝ちゃったんだっけー」
寝台から降りると、今度は全身を駆使した屈伸運動を行いながら宿泊した部屋の様子を伺う。眠っている間に変化は起きていないか、侵入者の痕跡はないか……。
それは長きに渡る冒険者生活の中で自然と培われた彼女の習慣の一部であった。
昨日、コルディットを発ったアルビトラとヴィルツは完全に陽が沈むより先にトルカと隣接する『ジュルタンの森』に飼い竜を降ろした。
森に棲む亜人種……樹人の長老と交渉して一晩だけ逗留させてもらえるようになったので、二人は飼い竜を預けて町ですんなりと宿を採ることが出来たのである。
全てはヴィルツの段取りの良さと交渉術による賜物だ。
平凡な純人種でありながら、亜人種に対する偏見もなければ畏怖もない。相手の立場を尊重し、なるべく対等な取引を心掛けていた。
護衛の依頼を受けて同行しているアルビトラとしては、暇を持て余すばかり。
「(森の代表の樹人のお爺ちゃんは かなりの貫禄の持ち主だったのに)
(商人のお兄さんはぜんぜん怯んでなかったし手馴れた感じだねぃ)」
一晩の逗留の代価として、率先して積み荷の一部と北方の情報を渡していた。
予め 相手が納得するであろう量を予期していたのだろう。
二人は順当にトルカの町に入り、ここ『捩れ木亭』に辿り着いたのだが部屋を採る段階になって一悶着が起きる。その時の様子を、アルビトラは徐々に整えられていく意識の隅にて思い出そうとした。
「はぁ? 相部屋になんか出来るわけないだろ!
一人用の部屋が空いてるんだから、それを二つ採れば良いじゃないか」
「でも、それだと お兄さんが誰かから襲撃を受けちゃった時に
直ぐに対応できないかもしれないよ? 私って一応、護衛役なんだよね?」
「いや、だからって女と相部屋になるのは拙いっていうか………」
「んー? 別に私は寝台の下とかでも平気だよー。慣れてるし!
それとも照れてるのかな? かな?」
これまで熟してきた護衛の依頼の経験もあり、わけもなく言い放つアルビトラ。
態度と口調は軽いが言っていること自体は尤もだ。またこうして依頼主と気安く対話するということは、結果的に生存率を上げることにも繋がるのである。
そんな彼女に対してヴィルツは妙に紳士的な態度を徹底しようとしていた。
女性に対して免疫が無いわけではないだろうに。
「あのな……アンタには言ってなかったかもしれないが僕は妻のいる身なんだ。
確かに商売する上で女と行動を共にする機会は幾らでもある。
だからこそ自分なりの線引きをしておきたいんだよ」
「あっ、そうだったんだ! 意外としっかりした考えなんだねぃ」
ここで初めてヴィルツが妻帯者であることを知らされたアルビトラは、軽く驚きつつも彼の態度と流儀に得心がいった。
「悪かったな、そういう男に見えなくて。
というか何かの気の迷いで他の女に現を抜かそうもんなら、その瞬間には
僕はあいつに頭を撃ち抜かれて、脳髄をぶち撒けることになるんだよ!!」
最後の方は迫真めいた表情で、震え声になっていた。
どうやら彼は自分の妻のことを心より信頼している反面、何よりも恐れているようでもあった。
「ともかく そういう事情だから。
戦場のど真ん中でもない限り夜中まで僕の警護は必要ない!!
コルディットに居た破落戸くらいの相手なら、僕だけでも何とかするさ」
「まあ、お兄さんなら滅多なことじゃ心配は要らないかー」
という やり取りを経て、彼の心遣いに乗じる形でアルビトラは自分用に宛がわれた部屋でぐっすりと眠ることが出来たというわけである。
「よし、こっちも……よし! 特に変わったところはなさそうだね」
寝起きの身体を解し、意識を整え、周辺に異常がないことを確認し終えた途端にお腹が くきゅるるる……と可愛らしい音を鳴らして空腹を訴える。
「うぅっ、朝ごはんを食べに行こうっと!」
一人用の宿泊部屋に泊まっていたので誰に聞かれたわけでもないのに、少しだけ気恥ずかしそうにしながら素早く身支度を整えていった。
「おはよう。昨晩はぐっすり眠れたか?」
一階の食堂に赴くと、隅の四人掛けのテーブルの一席に腰掛けたヴィルツが朝食を採っている最中であった。
この地方では一般的な燕麦パンに野菜を煮込んだスープ。山羊乳の乾酪に濁り酒といった素朴ながらも しっかりと腹を満たせるメニューである。
「おはよーう! えへへ……久しぶりのお布団だったから、つい。
お兄さんは早起きだねぃ」
護衛の受けた者が護衛対象より遅れて起床したのだから褒められた話ではない。
頭を搔きながら少しだけ申し訳なさそうに挨拶を返して、彼が陣取るテーブルへと向かった。
とはいえ、アルビトラが目覚めた時刻とて充分に早い部類に入る。
逆にヴィルツが早過ぎたのだ。
「気にするな、僕は雪国生まれだからな。
朝一番で雪掻きしなきゃならなかったせいで朝は滅法強いんだよ」
「そういえば、お兄さんはマッキリーから来たって言ってたっけー。
あっ、女将さん! このヒトと同じ物を三人分ください!」
ヴィルツと同じ席に着くと、早速 常人では考えられない量を注文する。
なおマッキリーというのは大陸北部を席巻する『キーリメルベス連邦』の中核を成す軍事大国のことであり、北方の例に洩れず年間を通して寒い気候と吹雪の脅威に苛む土地柄であった。
「ああ、結婚して家を建てたのはマッキリーの首都だな。
だけど生まれ育ったのは、もっと北のシルベールっていうド辺境の国だ。
……って、昨日あれだけ腸詰を平らげといて 朝からそんなに食うのかよ!?」
「ふっふっふ、私は腹に猛獣を飼っているのです。
シルベールかー……その辺りは流石にまだ行ったことないねぃ」
「そりゃあまた随分と可愛らしい猛獣なことで」
何故か得意げな表情を浮かべてお腹を摩りつつ、地図上での名前くらいしか聞いたことのないような大陸最北端の国を思い出すアルビトラであった。
「はいよ、おまちどうさま。
……用意しておいてなんだけど、これを貴方 一人で食べるのかい?」
「ありがとう! うん、朝は軽めにしておこうと思ったの!」
「あっはっは! これで満腹にならないだなんて面白いお嬢さんだね。
若者はそうでなくちゃあね! たーんとおあがりよ」
「えへへー」
言われた通りの量をテーブルに運んでくれた女将にお礼を述べつつ、早速ながら三人分の朝食を平らげて行く。
燕麦パンは辺境特有の質素さではあるが外側は固く、内側はやや柔らかい食感。噛めば噛むほど味が染み出してくるだけでなくスープとの相性も抜群だ。
そして野菜を程好く煮込んだスープは、その温かさと併せて起きたばかりの身体には実に沁み渡る。
山羊乳の乾酪はやや癖のある味わいだが、小さな町の宿で提供されている物としては申し分ないと言えるだろう。
最後に濁り酒は、どろっとした喉越しで酒精を楽しむというよりは一日の栄養の補填が目的といった代物で、味はやや苦めだった。
「(んー、このお酒はちょっと苦手かも……後で 水をもらおうっと)」
提供してくれた以上は絶対に完食するのが彼女の流儀。
もきゅもきゅと頬張り、苦手に感じた濁り酒で流し込みながら、あっという間にテーブルの上に空の皿を量産していったという。
貴族家の屋敷が近隣に存在するだけのことはあり、辺境の町にしては素朴ながら申し分のない料理である。
朝食一式での価格が五デルミスというのも良心的だ。一泊の宿泊料と合わせても一人につき三十五デルミス。王都なら、この四倍以上は取られるかもしれない。
農業に向かない土地でこれだけの食材が流通している点からして、近辺の治安がそれなりに安定している証拠なのだろう。
「ふぃー、ごちそうさま!」
「……ははっ、こりゃあ確かに猛獣だな。
あの旅籠屋での食べっぷりもそうだったけど
これでもまだ抑えてるっていうんだから食費も掛かるわけだ」
若干ながら引きつった笑みを浮かべながら相席で一部始終を目の当たりにしていたヴィルツは、彼女が冒険依頼を達成して獲得した報酬の大半を食費に費やしているという話に合点がいった面持ちを見せた。
「よし、じゃあ今日の予定を軽く相談しようか。
とりあえず午前中はこの町でタルヴォア家のことを聞いていこう。
ついでに何か面白そうな商材が見付かれば、一石二鳥だな」
「了解だよ! ……ここまで見てきて、ちょっと不思議な感じがするし!」
「と、いうと?」
「んー、この前の錬成像事件って、ロンデルバルクとエスブルトの国境付近で
錬成像が暴れているから困ってるっていう出来事だったけど
その割には……昨日立ち寄った町とか、この町のヒトは話題にしてなかった」
「ふむ、たしかにそれは僕も気掛かりに思っていた。
商隊や旅人が襲われているという割には呑気というか、平常過ぎるというか。
食材からしてて流通が滞っている気配が全くない」
「場所を選んで事件を起こしていた可能性もあると思うけどねぃ」
「綿密に計画を立てるタイプなら、そういうことも有り得るな。
じゃあ、その辺りも含めて訊いて回るか……ん?」
二人が疑問点を交えて方針を固めつつあった時に、新たに三人組の男達が食堂に足を踏み入れたためヴィルツは一旦、口を紡いだ。
何故ならば、その男達の身形が明らかに町人や冒険者とは掛け離れた上質な衣服を身に纏っていたからである。
「お食事中に済みませんな。
その恰好、もしや"春風"のアルビトラ殿ではありませんかな?」
「え、私? そうだよー!」
「ほっほっ、やはりそうでしたか。特徴的な御仁で助かりましたわい。
私はタルヴォア家に仕える家宰のグレアムと申す者。
この度は当主のゲイル様の遣いとして やって参りました」
「んー、昨日 コルディットの町で倒したヒト達のことでの呼び出しかな?」
「勿論、その件での謝罪もございます。しかし、本題ではない。
実は御子息の犯したことでお詫びしたいと言伝を預かっておりまして
どうか屋敷の方までご足労願えないでしょうか?」
グレアムと名乗った純人種の男は、六十歳前後の老齢で丁重な人物。
僅かに白髪が残るが既に禿頭に近く、長年の気苦労が伺えた。
背後に控える二人の若い男は、彼の部下の使用人か護衛役といったところか。
「丁度良いんじゃないか? 僕はかまわないぞ。
渡りに船だし、旅では たまにこういう事が起こるから面白いんだよな」
「そうだね! ここはひとつ お誘いに乗っかろう。
あ、お爺さん! 私 今このお兄さんの護衛の依頼をやっているんだけど
このヒトも一緒に付いて行っていい?」
突然の事態に驚きこそすれども動揺どころか逡巡すらしなかった。
ヴィルツもアルビトラも、互いに旅慣れた者同士だからこそ出来る即断である。
「勿論でございます! あくまで要件はお詫びですので……。
貴方様の御事情は最大限 汲み取るようにと仰せつかっております」
こうして二人は、思わぬ形でタルヴォア家の屋敷に招待されることとなった。
[ スカイトラス地方 ~ タルヴォア領 ~ タルヴォア家の屋敷までの街道 ]
宿屋の前に停めてあった馬車に乗せてもらった二人は、そのままトルカの町から南西に続く街道を千五百メッテほど進んで行った。
隣接するジュルタンの森の東側に町が、南側に屋敷が建っている位置関係。
なおタルヴォア家の屋敷の更に西側と南側には小規模な鉱山が存在していた。
「ほっほっ、昔は森から出て来る獣に随分と悩まされたものですが
タルヴォア家が鉱山事業と軍需産業で頭角を現し、
力を得た今では森に棲む者達にも決しては遅れは取りません」
「ほう、昨晩 森の長老と話したが一応の共存は出来ているようだな」
馬車での移動中にグレアムが簡単に領地の説明を行い、ヴィルツが納得したように相槌を打つ。アルビトラは例の冊子に彼女なりにしっかりとメモをしていた。
「然様でございます。何せあちらには負い目がありますからな。
今となっては分を弁えて森の中で息を潜めておりますわい」
「んー、何か大きな出来事でもあったの?」
グレアムが一瞬 見せた不穏な影に、アルビトラは鋭敏に喰いついた。
「……実は御子息の一人、貴方様がお討ちになられたデイル様の婚約者の女性が
森から這い出た獣に食い殺されるという惨劇が起こったのです。
あれ以来、デイル様は狂ってしまわれた……」
車窓に映る森を忌々し気に睨み据えながら、グレアムは言葉を続ける。
主家の事情を滔々と話すのは、これからアルビトラが面会する当主やタルヴォア家そのものに対して、彼女が少しでも理解と慈悲を懐くことを期待してのことか。
「デイル様と将来を誓い合ったカローヌ家の御令嬢……クリステル様は
あろうことか獣に喉首を喰い破られてしまったのです。
我々も成す術なく、その場で苦しみながら息を引き取られました」
「ふーん、そうなんだー」
「それはまた……何とも惨いことで」
「ええ、そしてデイル様は……絶望のあまり御令嬢の遺体を自室に持ち帰り、
お得意の錬金術を用いた防腐処理を徹底的に施されたのです。
我々にはどうすることも出来ませんでした……」
「その御令嬢って、もしかして足元まで届く長い黄金色の髪だったりするの?
あと、すっごい美人だったり?」
「ッ!! 何故それを貴方が……いえ、然様でございます。
まず絶世の美女と申しても差支えのない御仁でした」
「成程ねぃ、だいたい分かってきた気がするよ」
カルシャナの『真鍮館』で対峙した『中枢個体』……"令嬢"の姿や、それまでに散々交戦し続けたヒトの皮を被せた錬成像達のことを思い出し、アルビトラは脳内で事件の真相について一本の線が繋がったような境地に至る。
つまりはこうだ。
タルヴォア家の嫡子は婚約者を食い殺された衝撃と悲憤からヒトの道を外れた。
そして婚約者そっくりの錬成像を造るべく、エスブルトに留学して最新の技術を学び、女冒険者を始めとした数多くの同期性達を利用し尽くした挙句に処分して回る。
そうして築き上げた錬成像には婚約者の遺体より特定の部位を移植して、生前の彼女を懸命に再現した最高傑作を仕上げた。……それが"令嬢"の正体である。
ヒトの皮を剥ぎ取る趣味に目覚めてしまったのも高度な防腐処理技術があればこそ。首筋狙いの悪辣な殺害方法を採用していたのは、惨劇への意趣返し。
だからどうした?
今更、そんな事情を開示されたところで被害に遭った者達が納得するわけがないだろう? 悲しみや苦しみといった感情が撒き戻るアルビトラだからこそ平素に近い状態で家宰の言葉を聞き続けていたが、常人であれば憤慨している場面である。
一方で、断片的にしか情報を知り得ないヴィルツは訝しむばかりであった。
「自室に遺体を匿って防腐処理……つまりクリステル嬢の死を隠蔽したのか。
婚約相手の生家との関係維持のために?」
「その意味もあったのかと思われます。
彼女の死は秘匿され、デイル様は瓜二つの容姿の別の女性を起用なされた。
結果としてカローヌ家とは婚族として良い関係が続きました。先日までは」
妻帯者であるヴィルツからの睨むような視線を浴びて、所在無さげに困惑した面貌を浮かべながらも、老齢の家宰は尚も淡々と告げた。
「(その婚約者そっくりの錬成像が造られていたことまでは)
(このヒト達は気付いてなかったみたいだねぃ……)」
『中枢個体』は見た目だけでなく、立ち居振る舞いや喋り方すらヒトと寸分変わらぬほど精巧を極めていたのだから無理もない。
「アルビトラ殿、危地に晒された貴方様に申し上げるには忍びないことですが
御子息……デイル様にも並々ならぬご事情があったのです。
どうか、その事だけはご理解をいただ……」
「ん、それとこれとは話が別だよね!」
主家に連なる者の弁明と、慈悲を促す言葉をアルビトラは一刀両断するかのように遮った。
「どんな事情があったとしても、やったことは変わらないよ。
あのヒトのせいで悲しい思いをしたヒトは山ほど居るだろうし?
だけど私の中ではもう終わった依頼だから。特に何も思わないねぃ」
「うっ……」
「これから連れて行って会わせてくれるっていう当主さんの前でも
あの事件で感じたことを蒸し返すつもりはないよ。
お詫びしたいだけなんだったら、それ聞いたら私はすぐ帰りまーす」
一見すると楽天的。天真爛漫さを崩さぬものの、情に絆されることなく明確に線引きをしているアルビトラに対して、家宰のグレアムは何故か背筋が凍りついた。
「(ふん、この爺さんも主家への悪印象を和らげるために必死なんだろうが)
(それにしたって胸糞の悪い話だな……)」
二つ名持ちの冒険者の影響力は絶大であり、遺恨を残すと後々に不利益となるので賢明な者ならば関係の改善に躍起になるのは当然のことである。
だが断片的とはいえタルヴォア家の嫡子が仕出かしたことや、女冒険者に対する仕打ちを聞いていたヴィルツとしては到底 同情する余地は感じられなかった。
横から文句や侮蔑の言葉を吐かなかったのは、それなりに成熟しつつある青年であるからだろう。数年前の彼なら間違いなく怒鳴っていたかもしれない。
グレアムの方も、それ以上は何も言うことが無くなったのか以降の車内はとても静かだった。
時折、御者台に座って手綱を操る若い男達が心配そうに車内の様子を伺ってはいたが特に何事も起こらず一行は屋敷の敷地内へと到着した。
[ スカイトラス地方 ~ タルヴォア領 タルヴォア家の屋敷 ]
流石は国境を預かる辺境伯の屋敷ということで、その敷地は誠に広大であった。
昨日、立ち寄ったコルディットの町の半分近くはあるだろう。
下手をすればトルカの町よりも面積が広いかもしれない。
「うわぁ……厳重な門だねぃ。
ここまで来ると、お屋敷というより要塞だよ!」
「然様、実際にタルヴォア家の敷地内には複数の軍事施設が設けてあり
近辺の治安維持のための警邏隊の駐屯地にもなっております」
敷地を囲む鉄の壁の正面に設けられた分厚い門を潜ると、幾つかの無骨な建物が散見される他、野外で訓練を行うための演習場や畑、農場なども見受けられる。
「ちょっとした小さな町といったところか。
もう少し規模が大きけりゃ、都市国家に準じそうだな」
「(だから あのヒトはカルシャナの半分を自分のものにして)
(滞りなく運営していくことが出来たのかなー)」
町に匹敵する面積の屋敷で幼少の頃から暮らし、その運用法を見てきたタルヴォア家の嫡子だからこそ、あれほどの城塞都市を手中に収めることが出来たのだ。
「……このまま本館に向かいまする」
「はーい!」
少し気まずそうにするグレアムを後目に、アルビトラは車窓より映る敷地内の景色を楽しそうに眺めていた。先程までの会話での重い雰囲気は微塵も感じない。
敷地内の舗装された路を暫く進んだ先で一度右に曲がり、緩い傾斜を十五メッテほど登っていくと人工林が見えて来た。この近辺では珍しい種の広葉樹である。
エスピラ高地に自生する樹木も同じ広葉樹だが、そちらが明るめの緑の葉を付けるのに対し、こちらはやや丸みを帯びている上に全体的に暗めの色味。
「これは『シジマの樹』と呼ばれる耐火性に優れた種でございます。
本館の防備のために数代前の当主が遠方より取り寄せたのだとか……」
「へー、そうなんだ! これもメモしておこうっと」
初めて目にする植物も旅路の醍醐味の一つ、とばかりに冊子に記述していく。
人工林に沿って進んで行くと佇立する樹木の切れ間に差し掛かり、そこで馬車は左に曲がって林の中へと入った。
「景観の維持だけじゃなくて、本館を隠す盾としての役割を持たせているわけか。
軍需産業を担っているだけあって随分と厳重だな」
「歴代の当主達は用心深い方々でしたので……
そして見えて来ました、あちらが本館になります」
グレアムが指差した先には、暗めの木材の壁で覆われた二階建ての館が聳え立っていた。横幅は五十メッテ、奥行きは三十メッテ、高さは十メッテと少々といった規模であろうか。
「本館入口から向かって右側の通路を渡った先に来賓用の広間がございます。
まずはそちらでお寛ぎください。暫しの後に当主が伺います。
もし、アルビトラ様達さえ良ければ歓迎の宴席なども……」
「んー、それは ちょっと遠慮します!
ご馳走はすっごく楽しみだけど、今は護衛の依頼を最中だからねぃ」
後ろ髪を引かれながらも、首をぷるぷると横に振りながら必死に誘惑を堪えて自分の仕事を優先しようとするアルビトラを、ヴィルツは微笑ましく思った。
高位貴族家の歓待など、何時間 掛かるか分かったものでない。
最悪の場合は数日間に跨って逗留する羽目になりかねないのだ。
「そういうわけだ。要件が済んだら僕達は直ぐにお暇したい」
「……かしこまりました」
年季の入った樫材の扉の手前で停車した馬車より降りると、二人はグレアムの案内で件の来賓用の区画へと通された。
本館内の床には臙脂色の絨毯が敷かれており、暗めの壁色と相俟って全体的に落ち着いた雰囲気を醸し出している。
等間隔で壁に配置されている燭台や、簡易的な造りのシャンデリアが灯る時刻になれば中々の風情を醸し出してくれるそうだ。
「(外側からだと木造みたいに視えたけど、それにしては中はひんやりし過ぎ!)
(壁と壁の間に分厚い鉄板でも仕込んでそうだねぃ)」
純粋な木造家屋特有の匂いや温かさがあまり伝わって来ない。
そんな微細な違和感から、アルビトラは直感的にそう感じ取っていた。
その後 グレアムは「少々、お待ちください」と断りを入れてから退席し、十数分の後には彼と同じ年代ながら恰幅の良い男性に連れられて戻ってきた。
家宰よりも明らかに上等な衣装を纏っていることから、この人物こそがこの館の主ということなのだろう。
なお当主の背後には六名の体格の良い兵士が控えていた。いずれも正常に呼吸をしており、よく訓練された者特有の足音を微かに鳴らして歩いている。
即ち、擬態させた錬成像ではなく生きたヒトというわけだ。
「おお、貴殿がアルビトラ殿か! 噂通りの御姿だ、よくぞお越し下さった。
私はゲイル・アダン・タルヴォア。この家の当主である。
そして先月、貴殿の手によって葬られた……デイルの父に当たる者だ」
背丈は息子と同じ一メッテと七十五トルメッテほど。頭髪は幾らか後退してはいるが充分な量が残っており、いずれも年齢相応に色が抜け落ちている。
心労の蓄積で寝不足に陥っているのか、目の下に大きな隈が浮かんでいた。
息子の仇を前にして平然と名乗るのは、為政者としての最低限の矜持だろうか。
「アルビトラでーす! お招きいただき、ありがとうございます」
「ウォーラフ商会という新興組織を率いるヴィルツ・ウォーラフと申します。
今回は彼女の新たな雇用主という立場で同行させていただきました。
音に聞こえし辺境伯閣下とお会い出来て、とても光栄です」
当主の牽制を微風の如く受け流し、二人はそれぞれの流儀で名乗りを返した。
アルビトラにとっては引き受けた依頼の一環で当主の息子を斬ったに過ぎず、今更その程度のことで負い目を感じたり、臆したりする道理はない。
一方で、これからロンデルバルクで商売を始めたいヴィルツとしては思わぬ形で高位貴族に名前と顔を覚えてもらう絶好の機会として捉えていた。
「噂に違わず天衣無縫な御仁のようだ……。
旅の途中でお急ぎとあらば、早速 本題から入るとしよう。
今回 貴殿達を招いたのは他でもない……誠意を示させていただくためだ」
タルヴォア家の当主はアルビトラの正面に立ち、上半身を直角に曲げて勢いよく頭を下げた。
「まずは我が領内の者が貴殿達と、飼い竜を付け狙ったことを謝罪する。
貴殿達が遭遇した輩は、半年ほど前までは我が屋敷で奉公していた者達。
素行不良のために追い出したとはいえ、私も全くの無関係ではないからな……」
「ほよ? あー、たしかに! ここで護衛をやっていたと言ってたねぃ」
「つい昨日の出来事なのに、随分と耳が速いですね?」
「うむ、領内の治安を守るため情報網の維持には注力している」
コルディットからトルカまでは、ヴィルツの飼い竜で四半刻ほど要する移動距離だった。伝令役の早馬ならば三刻は掛かるだろう。
或いは魔術師や魔法使いの使い魔を活用しているのかもしれない。
「そして我が愚息が貴殿に牙を向けたことを心よりお詫びしたい!
此度の一件はデイルの暴走によるもので、当家は事件に関わっておらん。
どうか、ご理解とご容赦をいただきたい……」
背後に控えるグレアムと兵士達も、彼に倣うようにして一斉に頭を下げた。
全員が事の深刻さを理解しているといった雰囲気である。
「んー、さっきそっちのお爺さんにも言ったけど。
あの依頼はもう完了してるよ。だから貴方達に思うところは何もない。
逆恨みとかで襲われない限りは私からは何かするつもりはないかなぁ」
相変わらずの楽天的な口調は崩さず、あっけらかんとした態度で言い放つ。
良くも悪くもアルビトラという冒険者がブレることはないのだ。
二つ名持ちの冒険者からの遺恨を抱えることはないと悟った当主達は、安堵の表情を浮かべながら面を上げた。
「貴殿の寛大な御心に感謝する。
……実は先日、王家の御使者と冒険者統括機構の役人、
そしてエスブルト政府の者に詰め寄られてな。そこで初めて真相を知った」
「でも事件を起こしていた錬成像って国境付近に出没してたんだよね?」
「如何にも。しかし我が領内の町や村からは巧妙に離れた場所を選んで
狼藉を働いていたようで、町人達が大きく騒ぐことはなかった。
……悪知恵の回るデイルらしい手口だと、今になって思う」
タルヴォア家の嫡子であれば、当家の情報網のことは知り尽くしている。
故に当主達に気付かれずに自身の野望を成し遂げることが出来たのだ。
「巧みな計画と根回しで、徹頭徹尾 本家の目を欺いていたわけですか。
国境を預かる貴方が気付かなければ、ロンデルバルク側は動けない」
「そういうことだったんだねぃ」
「お恥ずかしい限りだ……そして愚息には心底 呆れさせられる。
辺境を守護する使命を持った家に産まれておきながら、よりにもよって
『廃薔薇機関』などという下劣な組織の援助を受けて、自ら和を乱すとは!」
「(『廃薔薇機関』……あのヒトが死ぬ直前で言っていたっけ)
(ということは、この家 自体はその組織と関わりはないみたいだねぃ)」
僅かに激昂の兆しを見せ始め、つい息子への愚痴を零した当主の言葉を聞いたアルビトラは、冷静で鋭い分析をしていた。
同時に『廃薔薇機関』の知名度自体は貴族家の間でなら、ある程度は知られているものだと察した。
「……失礼。客人の前だというのに、つい熱くなってしまったな」
「(肝心なところで感情的になり易そうのは、血筋みたいだねぃ)」
「我々が気付いた頃には、愚息は外部からの援助を受けて独立した財と権力を
手中に収めていた……仮に気付いていても止められなかったかもしれぬ。
まったく、誅罰を受けて当然の行いだ……」
「心中お察しいたします、ところで辺境を守護する使命といえば……。
御子息の婚約者が、森から出て来た獣に襲われた件が切欠だそうですね?」
「ああ、その時の獣達は我が家の威信に懸けて駆逐した!
そして森に残った樹人達に管理を徹底させている……」
「それで昨晩 森で会った長老達は比較的 穏やかな人物ばかりだったのですね」
自身が直接交渉した樹人の態度を思い出し、納得するヴィルツ。
「いずれにせよ我がタルヴォア家は、これから被害に遭われた数多くの者達に
謝罪し、誠意を尽くすしていくしかないと考えている」
忸怩たる思いが面貌に現れていた。どうやら嘘を言っているようには見えない。
この当主とて諸手を挙げて誇れるような人生を歩んで来たわけではないのだろうが、それでも貴族としての矜持を維持して責務を果たそうとはしていた。
であれば、これ以上 アルビトラの方から何か言うことは見当たらない。
冒険者統括機構が公的に介入済みならば、尚更である。
「んー、それじゃあ この話はここまでってことで! もう帰ってもいい?」
「あ、ああ……本来ならば能う限りの晩餐会を開いて持て成したいところだが
貴殿の旅路の妨げとなるのならば出過ぎた真似は控えよう」
「えへへ、おいしい料理には興味あるけどお仕事の途中だからね!」
「そ、そうか……貴殿さえ良ければ、いつでも気軽に我が家を尋ねてほしい」
当主としては二つ名持ちとの冒険者との遺恨が残らぬよう持て成し、あわよくば今後 懇意にしていくための足掛かりを築く狙いがあったのだろう。
斯様な目論見は、しかし"春風"のアルビトラには通用しなかったのだ。
そのことに朧気ながら気付いていたヴィルツは内心だけで苦笑した。
その後、幾らかの他愛のない会話を重ねた末に全ての用件が果たされたので、この場はお開きとなる。
本館の外にまで見送りに同行してくれた当主は、アルビトラ達との別れ際に小さな長方形の箱を一つずつ手渡そうとした。
材質は上質な白樫材で、この地方の貴族が金子を包む際に用いる代物である。
「わざわざ ご足労をいただいた せめての気持ちだ。どうか受け取られよ。
貴殿達の路銀の足しにでもすると良い」
「んー……私は別にそこまでは要らないんだけどなぁ」
「有難く頂戴いたします。
そしてどうか、市場でウォーラフ商会の旗を目にされた暁には
今日という日の出来事と、このヴィルツ・ウォーラフの顔を思い出して下さい」
汚いお金ではないので貰ったところで、後の憂患にはならないだろうと判断したヴィルツが躊躇なく受け取ったので、一応はアルビトラもそれに倣っておいた。
「はははっ! 流石は"春風"のアルビトラ殿を雇っている御仁だけのことはある。
その抜け目の無さや眼光の鋭さも実に良し!
ウォーラフ殿だな、貴殿のような若者は貴重だ。必ず覚えておこう」
「思わぬ形で良き出会いを得られて、喜ばしい限りです」
商会紋と己の面貌をじっくりと見せつつ、彼等は固い握手を交わし合った。
[ スカイトラス地方 ~ タルヴォア領 ジュルタンの森 ]
意外とあっさりと解放されたアルビトラとヴィルツは、トルカの町には戻らずにそのまま屋敷から北進して飼い竜を留めているジュルタンの森へと向かった。
西角の刻を少し越えたくらいの時刻であり昼食を採るにはまだ早い。
なら陽光が昇りきる前に次の町まで飛んで行って、そこで腹を満たす方針だ。
「お兄さんもしっかりしてるねぃ。
迷わず贈り物を受け取って、顔と名前まで売り込んでさ」
「何とでも言え。商売をしていくなら権力者との繋がりは絶対に必要だ!
あのタルヴォア家の当主は、まあ……底は浅いが悪人とは思えなかった。
取り引きをしていく上では有用だろうよ」
隣に並んで歩いているヴィルツに感心したように話し掛けつつ、アルビトラは先程 受け取った白樫材の箱をぱかっと開けてみた。
中身は予想通りの金塊。縦幅十トルメッテ、横幅三トルメッテ、高さは一トルメッテほど。ただし黄金にしては少しばかり赤み掛かっていた。
「おおっ、それは金なのか!? いや重さは間違いなく金だと思ったんだが」
「あ、そっか。お兄さんはキーリメルベス連邦から来たばかりだから
『バルティアンゴールド』を初めて見るんだね」
「何だそれは……この地方 特有の金属なのか? レアものなのか!?」
屋敷では やり手の商人としての片鱗を見せていた彼の姿から一変して、予想外の珍品の出現に目を輝かせる少年の様な素顔を見せ始めた。
「えっとね、昔 ロンデルバルク王国の一部だったけど
今は独立した『バルティア』っていう領地でだけ採掘できる黄金の一種だよ!
希少だから普通の金塊よりも高値で取引されてるの」
「へぇ、そんな物もあるんだな……いい学びを得た。
その大きさだと、重さは大体 五百グントーってところか。
普通の黄金なら九万五千から十万デルミスくらいだな」
つまり このバルティアンゴールドの金塊は確実にそれ以上の値が付くということであり、タルヴォア辺境伯が如何に"春風"のアルビトラとの軋轢を恐れているかを物語っている。
「しかしバルティア領か……王都で店を構えることが出来たら
いつかは立ち寄ってみたいもんだな」
「んー、お兄さんの竜だったら王都から一日半くらいで飛んでいけると思うよぅ」
などと話しながら二人は森の中を突き進み、最初に降立った開けた区画へと辿り着くと一日ぶりの飼い竜との再会を果たす。
飼い竜の傍では、ヴィルツが交渉した樹人の長が面倒を見てくれていた。
「ただいまー!」
「ブレイズ、待たせたな」
「ギュルィ!!」
主人の顔を見咎めた飼い竜が元気よく返事を行い、ドスドスと足音を響かせて近寄って来る。主従にして長年の相棒の絆をアルビトラは察した。
「長老殿、一晩 コイツの面倒を見てくれて助かったよ」
「おやおや、思っていたよりも早かったですな。
存外 大人しい竜で、こちらこそ珍しい体験が出来ましたわい」
齢にして二百を超えているであろう老人は、樹皮のような皮膚を微かに蠢かせながらカラカラと笑ってみせた。穏やかで人当たりの良さが伝わってくる。
「あ、そうだ! 樹人のお爺さん、ちょっと聞いてもいい?
答え辛かったら別にいいんだけど」
「何でしょうか、お連れの狐人のお嬢さん?」
「昔、この森に棲んでいた凶暴な獣が屋敷のヒトを襲ったって聞いたんだけど
それって本当のことなのー?」
「…………ッ!」
タルヴォア家の家宰から聞いたことを、ふと思い出したかのように訊ねた。
すると長老は意表を突かれたような表情を浮かべて思わず黙り込んでしまう。
そして数秒の沈黙の後に、少しずつ口を開き始めた。
「……ええ、それは事実です。
二十年ほど前に余所から渡って来た一匹の獣が棲み付き、
瞬く間に森を支配してしまったのです」
「(二十年前……たしか『大戦期』と呼ばれた大きな戦争が終わった頃だな)
(戦地から逃れて来た南方の生態兵器か何かが、此処まで渡って来たのか?)」
それはデルク同盟勢力圏とはまた異なる、大陸中央で栄えたイングレス王国と、大陸南部の覇国であるラナリア皇国による長きに渡る戦乱の時代の幕引き。
「その獣に影響されたのか、元から森に居た猪達も凶暴化しました。
あとは聞いての通り町に住む者達に牙を向け、タルヴォア家から目を付けられ
最後は一頭も残らず討ち獲られてしまいました……」
「そういうことだったんだねぃ。じゃあ今の森は平穏な感じなの?」
「ええ、ご覧の通り。穏やかそのものですな。
あの一件は儂等にとっても大いなる教訓になりました。
タルヴォア家には頭が上がらないものの当面はこのまま過ごして行く心算です」
「ふーん、大変だろうけど がんばってねぃ。
答えてくれてありがとう! 色々と府に落ちたよー」
「貴方達の森が、これからもヒトの町と共存していけることを願う。
そしていつか僕がこの土地で支店を出したら、何か買っていってくれ」
諸手を挙げて感謝の意志を伝えるアルビトラと、ちゃっかり自分の商売の宣伝を加えるヴィルツに対して長老は苦笑していた。
この長老も何か抱えているものがあるのだろうが、それは彼等の問題だ。
一応の納得を得たアルビトラはそれ以上の質問を発することなく、飼い竜に乗って王都への旅路を再開するのであった。
・第2話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・タルヴォア家の嫡子の実家へ寄り道するという回となりますが
如何でしたでしょうか。令嬢のことや彼の来歴について、
第1話の補完として楽しんでいただければ幸いです。
・タルヴォア家の当主自体は無難に職務を全うする貴族ですので
以降、嫡子デイルは一族の汚点として語り継がれていくことでしょう。
これにてタルヴォア領での物語は一区切りとなります。
・さて、次回はいよいよ王都へ到着したり
第2話冒頭のシーンでアルビトラを破った武人……ゾーガさんなのですが
彼等を始動させていきたいと考えていますので、こうご期待ください!




