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踏み出した先

魔王災害から一ヶ月が経った。

そんな中でも会社は再開していた。

瑛慈は、いつものように支度をして家を出た。


表面上は日常を取り戻したように見える街。

だが、ビルの外壁には深く抉られた魔物の爪痕や焼け焦げた黒い跡が残り、歩道には装備を固めた自衛官と、黒スーツに身を包んだ特事室らしき人物たちが巡回している。

瑛慈はそれらを黙って横目に見ながら駅へと向かった。


通勤電車の中でふとスマホの画面を見つめる。

《国家対魔戦術学校、入試受付中!学歴不問》

《あなたも人類を救う"勇者”に!》

何度もスクロールしては、閉じようとして、また戻る。

あの日経験したことは、忘れない。忘れることはできない。

目の前で人が死んだ。

おもちゃのように手足が折られ、投げ捨てられる様子。

人の体がぐちゃぐちゃに、原形をとどめていない肉片が散乱し、転がっている光景。

風が運ぶ血の匂いは鉄のように重く、生温かい甘さを帯びていた。

人の命が潰れると、世界はこんな匂いを放つのだと、あのとき知った。

魔物の咆哮、崩れたビルの中での叫び。

生き残ったのが奇跡だと思う。

それでも、あの匂いと光景は時間を越えて、今でもはっきりと追ってくる。

どれだけ普通の生活に戻っても、ふとした瞬間に戻ってくる。


机の上に置きっぱなしの封筒を思い出した。

推薦資格の通知だ。

有効期限はもう分からない。

どれだけの人が同じ封筒を受け取ったのだろう。

勇者を目指す人はどれだけいるのだろうか。

面白がって受ける人もいるのだろうか?

いやっ、面白半分で受ける人間など、いるはずがない。

あんなものを見て、生き残って、それでも戦おうと思うのは、本気の奴らだけだ。


電車が駅に着いた。

スマホをポケットにしまい、瑛慈はホームへ降り立った。



久しぶりに訪れた会社の建物を前に、思わず呟いた。

「……本当に再開するんだな」


魔物による被害こそなかったが、世間は未だに混乱の渦の中だ。

こんなに早く日常が戻るとは思わなかった。


ドアを開けると、そこにはいつもの景色があった。

魔王災害の日から何ひとつ変わっていない。

奇跡的にこの会社では被害者が出なかったらしい。

「…おはようございます」

定型的な挨拶をして席へ向かう。

しかし、誰もそれに気付かず、笑いながら魔王災害の雑談に興じていた。

魔物を目の前で見たことがないのだろう。

彼らにとっては、ただの他人事のニュースなのだ。



その日、何をしていたのか覚えていない。

普通に仕事をしていたのだと思う。

十年繰り返してきた平凡な日々が、完全に色を失っていた。

空っぽの心のまま働いて、何になるのだろうか。

エレーナが卒業してから推し活に費やすこともなく、心を満たすものは消えた。


視界の端、微笑むエレーナのアクスタが光を反射した。


"私のヒーロー"


彼女の声が聞こえた気がした。

卒業ライブで、彼女は最後の挨拶の締めくくりにそう言ったんだ。

そして俺のことを、最初のヒーローと言ってくれた。

救われたと言っていたが、寧ろ俺のほうが救われていたのに…。

なのに、俺は何も返せていない。


彼女はきっと、今もどこかで生きている。

だから俺は、本当のヒーローになるためにも勇者を目指さなければならない。

そう思った。

そんなことで命を懸けられるのかと笑われるだろう。

だけど、笑うのはいつだって戦ってない奴らなんだ。俺がそうだったから…。

今ならわかる。

テレビの中で活躍する日本人メジャーリーガーも、笑顔で歌って踊るアイドルも、誰かの笑顔のために人生のかけがえのない時間を引き換えにしてるんだ。

"そんなこと"で頑張れてしまうんだ。


だから、理由なんてなんでもいい。

大切な人の幸せを守る…。

懸けるのは、その想いだけで十分だ。


走り出してしまったら、その衝動をもう抑えることはできなかった。

瑛慈は机の上に置いていた封筒を掴んだ。

だが、中身を見て、思わず固まる。


………締切は過ぎていた。


以前の俺なら、ここで全てを諦めていた。

こういう人生だから…と、自分を納得させて。

だが、もう終わらせない。

推薦資格がなくても、一般入試がある。

スマホで申し込み画面を開き、迷いなく指を滑らせた。

送信完了。

すぐにメールが届いた。


一次試験は二週間後。

試験内容は、教養試験の筆記。身体検査。適性検査。

二次試験はその一週間後。

体力試験と面接。


その日のうちに瑛慈は上司に退職を申し出た。



退職願を提出した翌日、瑛慈は早朝の空気を肺いっぱいに吸い込みながら、走っていた。

体力はだいぶ落ちていた。長い間まともな運動をしていなかったのだから当たり前だろう。

数百メートルも走らないうちに息が上がる。

それでも足を止めなかった。

走るたびに胸の奥の迷いと躊躇が削られていくような気がした。


「…はぁ……はぁ……まだだ」


額の汗をぬぐい、ゆっくりと呼吸を整える。

一次試験まで、あと二週間。

訓練でも運動でもない。ただ自分に課した最初の決意の証だった。


その夜、机に並べた問題集の表紙を見つめる。

十年近く触れていなかった文字列が、今はずしりと重く感じた。

本当に、できるのか……。

視界の端に、エレーナのアクスタが映った。

彼女の笑顔が、じっとこちらを見ているように思えた。

……やってやる。


瑛慈はペンを握り、問題集を開いた。


***


そして、二週間後。

一次試験当日。

東京の郊外にある、公的機関の校舎施設。

制服姿の高校生やスーツ姿の社会人、部活帰りの若者、屈強な男、腰の曲がった老人……。

そこにはさまざまな人間が列を作っていた。

その光景に圧倒され、足が止まる。

(こんなにも…いるのか)


あの日を経験したのは自分だけではない。

生き残った人も、失った人も、守るものがある人も、皆、ここに立っているのだ。


受付で受験票を提示し、指定の部屋へ向かう。

試験室に入ると、試験に備えて問題集を解いてる者、仲間内で話している者、寝ている者、年齢も性別もバラバラの人達が集まっていた。


瑛慈は自分の番号の席に座り、試験の準備をしていると試験官が入室してきた。

静寂が満ちる。

よくある資格試験のように注意事項などの説明が始まった。

そして試験用紙が配られ、裏返しのまま置かれる。


「それでは、一般入試・一次試験を開始します」


開始の合図と同時に、紙をめくる音が響く。

瑛慈は迷いを振り切り、文字の海へとペンを走らせた。

時計の針が進む音だけが、頭の中で鮮明に響いた。


やがて、最後の一問を解き終える。

ペンを置いた瞬間、全身から力が抜けた。


「筆記終了です。ペンを置いてください。解答を集めますので、少々お待ちください」


ざわめきの中、瑛慈は深く息を吐いた。

まだ、身体検査と適性検査が残っている。

だが、もう逃げる理由はどこにもない。

机の上に置いた手に、じんわりと熱が宿った。


ここからだ……。



試験官の案内のもと、体育館に移動し身体検査が行われた。

身長・体重・視力・などの基本的な身体測定、他には血液検査や心電図など、一般的な健康診断と同じ内容だった。


終わった受験者からグラウンドの方へ移動し、適性検査が行われた。

グラウンドにはいくつかの魔法陣のようなものが描かれ、全体を覆うように黒い半透明をした壁が四方を囲んでいる。

そこには特事室のメンバーが数名待機していた。


「では適性検査を行う。ここからは私語禁止だ。思ったことがあっても口にするな。

そして、これが一次試験で最も重要な検査だ。ここで合格すると決まっても過言ではない」


壁の外にいた一人が話し始めた。


「バックはそこの棚にしまえ。身に付けている時計やアクセサリー類、スマホもだ。

準備ができた者から、ここにある対魔専用武器を手に取り、あの円の中で待機しろ」

武器は剣や槍、杖、銃……様々な種類があった。

瑛慈は勇者がいかにも持ってそうな剣を取った。


円の中には二十名の受験者が待機していた。誰もが話したいことがあるだろうに、私語禁止を守っている。

そして、特事室の一人が説明を始めた。


「何があっても武器を振り回すな。一歩も動くなとは言わないが、この円の中からは絶対に出ないこと」


円の外にいる特事室のメンバーに合図を送ると、ぶつぶつと何か唱え始めた。

すると目の前の魔法陣が光り、そこから何かが出てきた。あの日見た光景を思い出した。

何体もの魔物だ。

瑛慈の腰よりも下くらいの大きさの鬼のような姿だ。


「これは"ゴブリン"。"鬼"の一種だ。

………では、次はあの円の中に入れ」


全員が移動すると、円の外の特事室メンバーが再び詠唱し始めた。

魔法陣が光ると、次に現れたのは、体は獅子のようだが、頭部は鷲のようで大きな翼を広げた魔物だった。

人間よりはるかに大きい。悲鳴をのみ込む受験者たち。


「こいつは"グリフォン"。想像上の生物とされているが、実際に存在するんだよ。

では、次だ。向こうの大きい円に入れ」


これまでよりも大きな円の中に入った。

特事室メンバーが詠唱を始める。先ほどよりも長く唱えている。

魔法陣が眩しく光る。

見た瞬間にそれが何なのかが分かった。


"ドラゴン"


見上げたその姿は、大型の爬虫類のようだが、大きな翼、長い尻尾、ゴツゴツとした鱗、鋭利な爪と牙。

多くのの受験者が震えて立ち尽くす。


「説明の必要もないな。"ドラゴン"だ。上位の魔物だから、お目にかかれるのは滅多にない。…では次で最後だ…」


「なぁ、あんた…。もしかして魔法資格持ってんの?」

そのとき隣にいた、少しチャラそうな青年が小声で話しかけてきた。

「…いえ、そんなもの持ってませんけど…。何ですかそれ?」

「ふーん…。あんた面白い力持ってんね。

きっとあんたのおかげで、ここにいる奴らは合格するよ」

ポンポンと瑛慈の肩を叩き、先に行ってしまった。

意味が分からない。

だが、胸の奥にざわつくものが残る。


そして、最後の魔法陣が光った。

今度はどんな魔物が出てくるのだろうか?

しかし、何も出てこなかった。

だが、先ほどの青年と数名だけが一点を凝視している。

「見える奴もいるみたいだな。…ここにいるのは"ゴースト"。いわゆる幽霊だ。

…以上で適性検査は終了だ」


瑛慈は武器を返し、出口へ向かった。


結局、戦うわけでもなかった。

ただ魔物を見て回っただけ。

それなのに、胸は熱く、震えていた。


あの青年の言葉も気になる。

俺にはどんな力があるというのか…。

二次試験は一週間後。

合格しているかは分からない。

だが、準備するしかない。


瑛慈は会場をあとにした。

進むべき道は、もうきまっている。


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