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それでも、世界は進む

テレビの会見が終わると同時に、病室に静けさが戻った。

画面にはテロップだけが残り、ニュースキャスターが震える声で状況をまとめている。


氷室史帆里はリモコンを置き、瑛慈に言った。


「今、総理が言ったことは全部本当よ。信じられないだろうけど、昨夜、君が見た魔物も魔法もファンタジーの世界じゃない」

淡々とした口調だったが、その目は冗談ではなかった。


「私は、特異事象対策室…通称"特事室"のメンバー。

私達はこれまで、説明のつかないような超常現象、魔物が起こした事件に対処してきたの。そして、これからそういった事象は増えるわ」

彼女の声は静かだが、張り詰めた緊迫感を帯びていた。


「昨夜魔王は復活した。けど、今は封印班が別空間に閉じ込めている。ただ、それがいつまでもつかは分からない…。

魔王自身、まだこの世界に馴染めていなかっただけだから、完全に力を取り戻すのも時間の問題なの」


瑛慈はじっと拳を握り込んだまま、視線を落とした。

心臓の鼓動が耳の奥で強く響く。

自分が生き残った理由──それがただの偶然ではないような気がしてならなかった。


「……天満瑛慈くん」


ふいに、氷室史帆里が声をかけてきた。

瑛慈は顔を上げる。


「君があの夜、どうして生き残れたのか。……その理由、知りたい?」


瑛慈は息を呑んだ。

喉が乾く。

頭の奥がまだ靄がかかったようだが、彼女の目の奥に宿る真剣さはぼやけずに見えた。


「……まさか、何か理由があるっていうんですか?」


氷室はゆっくり首を縦に振った。


「君はただの運の良かった一般人じゃない。

あの瞬間──君の身体から、強い魔力反応が検出されたの」


「……魔力?」


「そう。魔物の襲撃に直面し、極限状態で君の内側に眠っていた力が目覚めたの。

だから私達はあなた存在を捉え、救出できた」


瑛慈は声を失った。

自分に、魔力?

そんな馬鹿な──そう思いたかった。


しかしあの夜の感覚。

魔物から逃げていたとき、身体から熱いものが溢れ出て、生きたいと思うその一心で駆け抜けたあの瞬間。

言葉にできない“何か”が確かにあった。


氷室はまっすぐこちらを見つめ続けた。


「魔王の復活に伴って、世界の法則が変わり始めている。

元々、誰しもが微力ながら魔力を持っているの。しかし、ほとんどの人間はその力に気づかないまま、一生を終える。

ただ、今回みたいに境地に陥った時、その眠っていた魔力が覚醒することが多いの。

私もそうだったから。

……そして君も、その一人。

魔物と対峙したことで目覚めた」


瑛慈は息を止めた。

氷室は少し間を置き、静かに告げた。


「だから、君に提案があるの」


瑛慈は顔を上げ、彼女の目を見つめた。


「政府は、この魔王の侵攻に備えるために“勇者育成機関”を設立することを決めた。

正式名称は《国家対魔戦術学校》。

戦う意志がある者、魔力を覚醒した者、潜在能力を持つ者を集め育成し、魔王との決戦に備えるための場所」


瑛慈の心臓が大きく脈打った。


「天満瑛慈くん。

君には、入学の推薦資格が与えられたわ。

まだ力の正体は不明だけれど、君はあの夜、死ななかった。

そして、魔力が確かに反応した。

……それは、勇者になる資格があるってこと」


瑛慈は言葉を失い、視線を落とした。


勇者になる資格――?


自分はただ逃げ惑い、泣き叫び、死にかけただけだ。

誰一人救えず、見捨てて、ただ生き残っただけの弱者だ。


そんな自分が、戦う?

勇者?

世界を守る?


あまりにも遠くて、受け止められなかった。


「……俺には、無理です。俺は、ただの平凡な……」


その言葉を遮るように、氷室が椅子を引き寄せ、瑛慈の前に座った。


「ただの一般人が、あんな状況で生き残れたと思う?」


瑛慈は唇を噛んだ。


氷室は優しく、しかし確信を持った声で告げた。


「君には才能がある。

まだ気づいていないだけよ。

その力を見極め、鍛える場所が必要なの。

そして──この世界には、君の力が必要かもしれない」


瑛慈の肩が震える。


その瞬間、病室の扉がノックされた。

入ってきたのは、白衣の医師と背広姿の男。

男の胸には、見慣れない紋章のバッジが輝いていた。


「天満瑛慈さん。正式な文書を持ってきました」


男は封筒を差し出した。

《国家対魔戦術学校 入学候補者・緊急特別指定通知》

その文字を見た瞬間、瑛慈の胸は大きく波打った。


氷室が微笑んだ。


「選ぶのは君だ。

ただ、この世界はもう、昨日まであった平和な世界じゃない。

君がどう生きるのか──その答えを、聞かせてほしい」


瑛慈は震える手で封筒を握りしめた。


目を閉じると、あの夜の光景が蘇る。

飛び散った血、叫び声、絶望……そして、救いの光。


逃げるだけの人生か。

それとも、立ち向かうのか。


息を吸い込み、瑛慈はゆっくりと目を開けた。


「……俺は……」


言葉が、喉の奥からせり上がってくる。


「………すみません…。俺には…無理です………」


それは、精一杯の声だった。


「俺に才能なんてない…。何も…何もないんです。……きっと期待には応えられません…」


氷室の表情が、一瞬だけ揺れた。

落胆。それは隠しきれなかった。

しかし、次に彼女が見せたのは失望ではなく──覚悟の色を帯びた目だった。


「……そう。分かったわ」


氷室はゆっくり立ち上がる。


「選択は尊重する。でも覚えておいて。

拒絶したからといって、世界は待ってくれない。

魔物は、これから確実に増える。

そして──君は狙われるかもしれない」


「……俺を?…なんで………」


「魔力は、私たち魔法使いや魔物には見えるものなの。

そして、魔物にとってそれは食料になる。

魔力量が多い人間を喰らえば、回復し、強化される…。

その力を奪われれば、魔王側が確実に有利になる」


背筋を冷たいものが撫でた。


「戦えとは言わないわ。

でも、守るための力も、逃げる力もないままでは……君は──いずれ殺される。周りを巻き込む」


氷室は、静かに続ける。


「脅してるみたいでごめんなさい。

突然こんな世界になって、あなたも混乱してるわよね。

…だからよく考えて、決断して。

覚悟が決まったら、その封筒を持ってきて」


氷室はそう言うと、二人の男と病室を去った。

瑛慈は封筒を静かに置き、ベットに倒れ込んだ。

あまりにも現実離れした話で、思考が追いつかない。

魔力だの、勇者だの、わけがわからない。

そんなもの、ゲームやアニメの中でしか存在しないはずの言葉。

だが、これは現実だ。

考えることに疲れ、瑛慈は再び眠りへ沈んでいった。


入院から一週間。

検査も終わり、瑛慈は晴れて退院することになった。

あれから氷室史帆里が病室に訪れることはなかった。


病院の外に出た瞬間、思わず立ち止まった。

冬の空気は鋭く、肺に刺さるように冷たい。


「天満瑛慈さん、ご自宅まで送迎いたします」

黒のスーツに例の紋章バッジ。

特異事象対策室の人間だろうか。


断ろうとしたが、周囲にはタクシーもバス停もなく、一般車両さえ見当たらない。

歩いて帰ろうにも、そもそもここがどこなのかもさえ分からない。


「どうぞ乗ってください」

丁寧にドアを開けられ、瑛慈は観念して車に乗り込んだ。

「…よろしくお願いします…」


車窓から流れる景色は、一見、魔物に襲われた面影などない。

ビルも街並みも整然としていた。


だが、瑛慈の住む地域が近付くにつれて、風景は色を失っていく。


横倒しのまま放置された車。

黒く焦げたビルの壁面。

風が吹くたびに鳴るガラス。

赤い警告テープが街路樹に巻き付けられている。


「……本当に、魔物に襲われたんだ」

思わず声がこぼれた。


「魔王が復活し、被害がこれだけで済んだのは奇跡ですよ」


復旧工事は始まっており、交通も徐々に戻っているようだった。

タクシー、宅配トラック、荷物を運ぶ配達員──。

街のざわめきは生気を取り戻しつつあるのかもしれない。だが、どこか焦燥が混じっている。


「…天満瑛慈さん。あなたは勇者を目指さないのですか?

もし、あなたが勇者になったら、ここにいる人たちを救うことができるかもしれませんよ?」


黒スーツの運転手が不意に問いかけてきた。


「…無理ですよ。勇者って、特別な力を持ってたり、強い意志で困難に立ち向かって、人々を救うような人でしょ?

俺にはそんなものないんです。もしあったら、こんなところにいませんよ…」


そう。俺には何もないんだ。

ずっとそうだった。

スポーツも勉強も、器用貧乏の平均点。

だからなのだろう、何かに夢中になることも、熱くなることもなかった。

部活も途中で辞めた。勉強も平均点を取れれば十分だった。

今の会社に十年もいたのは、ただ楽で、Full Fleur(フル・フルール)に出会って、不破エレナを応援するためだけだ。

そんな人間が勇者に?

なれるわけない…。


思考が濁る中、車は止まった。

「到着しました」


そこには見慣れたアパート。

胸の奥が少しだけ温かくなる。

この周辺は被害を受けていないようだ。


「天満瑛慈さん」

振り返ると、運転手が真っ直ぐ立っていた。


「あなたがどんな選択をしても、誰も責めたりはしません。

ですが覚えておいてください。

あなたには力がある。

どうか、それを正し方向へ使ってください」


瑛慈に歩み寄ると、何かを差し出した。

「これは?」


手渡されたものは瑛慈の掌に収まる、どこにでもあるお守りに見えた。

深い藍色の布で包まれ、黒い組紐がきゅっと結ばれている。

そして中央には"護"の文字。


「ただのお守りです。

肌身離さず持っていてください。

必ずあなたを守ってくれる。

……どうか、生きていてください」


深く礼をして去っていく。

瑛慈は車が見えなくなるまで見送った。


お守りをポケットへ入れ、アパートのドアを開ける。


一週間しか離れていなかったはずなのに、そこはやけに懐かしく感じられた。

テレビをつける。

どこのチャンネルも"魔王災害"のニュースで埋め尽くされている。

勇者育成機関の創設も正式に発表された。


非日常が──日常になり始めている。


俺は、この世界で生きていけるのだろうか。


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