魂に触れる授業
「さて、魔物については、だいぶ分かってきたかな?」
神結は全員を見渡すと、そこで一拍置いて続けた。
「では、最後よ。
魔物は、目に見えるものばかりではないわ」
再び神結が詠唱を始める。
先ほどとは異なる、より簡素で、それでいて歪みのない五芒星の魔法陣が浮かび上がった。
……だが。
そこには何も現れない。
少なくとも、瑛慈の目にはそう見えた。
あちこちから、困惑したような空気が立ち上がる。
瑛慈と同じように、首を傾げる生徒は多い。
しかし………。
安倍晴香や蘆屋を含む、数人だけは違った。
彼らは、"何か"が見えているようだ。
何もないはずの空間に、視線を向けている。
「見える者は……数人のようね」
神結はそう言って、柔らかく微笑んだ。
「ここには、ゴーストがいるの。
私の−−守護霊よ」
そういいながら、彼女は何もない空間へ、温かい眼差しを向ける。
まるで、そこに誰かが立っているかのように。
「ゴーストが見える人間は少ないわ。
見える者の多くは陰陽師や僧侶といった家系ばかりだ。
そして、ゴーストを扱えるのも、その家系だ」
一人の生徒が手を挙げた。
「それは何故ですか?
魔力を扱えるようになった人でも、無理なんですか?」
「ええ。難しいわ」
神結は即答した。
「ゴーストは"霊力"のみで構成された存在だから。
魔法は魔力を使うと学んだが、陰陽師や僧侶の家系が使うのは、"呪力"なの」
神結は杖をポンポンと手に打ち付けながら、説明を続ける。
「呪力ってのは、魔力と霊力が混ざり合った力よ。
だからこそ、霊的存在を認識し、干渉できるの」
「じゃあ……」
と、別の生徒が続ける。
「神結先生もそういった家系なのですか?」
「そうよ。母方が神職の家系だったの。
私は、元エクソシストでもあるわ。
だから、ゴーストも呼べる。
ただ、普通の召喚とは違うの」
神結は視線をゴーストへ向けたまま、言葉を続けた。
「正確には召喚ではなく、呼び寄せてるの。
呼び寄せるだけだから、向こうが拒めば来ないし、気まぐれで離れていくこともあるわ」
そう言ってから、神結は少しだけ声色を変えた。
「もっとも――今、何も感じないからといって、
すべてのゴーストが同じだと思わないでね」
空気が、わずかに引き締まる。
「ここにいるのは、私の守護霊だから意志も霊力も安定しているし、人に害をなすことはない。むしろ守ってくれる存在よ」
一度、全員を見回す。
「でも、一般的なゴーストは違うわ。
肉体を傷つけることはないけれど――」
そこで、わざと一拍置いた。
「精神には、影響を及ぼすの。
長く近くにいれば、頭痛や吐き気、倦怠感が出ることもある。
でもそれは、意志を持った攻撃ではない。ただ、人間が霊力に慣れていないだけよ。
だから、一般的なゴーストはいるだけで、ほぼ害はないの」
神結の表情が、はっきりと変わった。
「でも、悪霊は違う。
明確な意志を持って、人間に害を与える。
取り憑き、精神を蝕み、放っておけば命に関わることもあるわ」
瑛慈は、魔物とは違う恐怖を感じていた。
「そして、悪霊よりも危険な存在、"怨霊"。
それは、もはや個体ではなく、災厄そのもの
よ。
人間を死に至らせ、土地に祟り、時には天災すら引き起こす。
強い怨念や未練、憎悪といった負の感情が呪いとなり、霊力が歪んだ存在よ。
霊力が歪み、魔力と共鳴して、現実世界に強く干渉する。だから、普通の人間でも"見える"のよ」
言いようのない恐ろしさに、背筋だけがぞわりと粟立った。
「だから、パーティーには必ず僧侶や陰陽師を入れるの。
魔法使いは傷を癒すことはできるけど、呪いの類は魔法では難しい。
霊力を扱える者でしか解くことも、防ぐこともできないの。
そして、祓うことも。
魔法使いでも光属性の魔法を使えば、悪霊や怨霊を倒すことはできるわ。
でもそれは、最終手段……。」
神結は小さく目を伏せた。
「なぜなら、完全に消滅させてしまうから……」
それは静かな声だった。
「エクソシストや陰陽師、僧侶は、悪霊や怨霊たちの恨みつらみ、そして怒りを鎮め、還るべきところへと導く。
魂を救済することが私たちの役割であり、目的なの。
ただ、例外もあるわ。
あまりにも意志が強すぎる悪霊や怨霊、呪いが深く根付いている場合や周囲への被害が甚大の場合は、滅するしかない…」
「でも、覚えておいて。
彼らも、元はこの世にいた者たち。死してなおも、この世にしがみつくしかなかっただけ。
想いを汲み取り、祓ってあげなければ、報われない…」
全員が静かに聞いていた。
やがて、一人の生徒が手を挙げた。
「もし僧侶がいない場合、もしくはやられてしまった場合、その時はどうすれば?」
神結は顎に指を添え、少し考えてから答えた。
「そうね。私だったら、天使を召喚するわ。
召喚魔法は、魔物だけじゃないからね。
あとは、結界魔法…アミュレットかタリスマンを持つこと。
やめてほしいけど、光属性の魔法を使う…。
確実なのは、事前に祝詞で守護しておくことね」
生徒の問いに答えると、全員を見回した。
「他に質問はある?」
目配せをするが誰も質問しない。
「無いようね。分からないことがあったら聞いてくれればいいから」
神結はそう言うと、氷室に後を任せた。
「魔物、ならびに召喚魔法についての授業はこんなところね。
まぁ、いくら言葉で説明しても、実際に経験しなければ分からない」
そこで、終了を告げるチャイムが鳴った。
「午後の授業のはじめは教室で行う。
初回の授業で疲れただろうから、休憩時間は二時間設けた。ゆっくり休むのも良し、仲間と親睦を深めるのも良し。学園内から出なければ自由にしていいから」
氷室はそう言い残し、神結とともに魔法陣に入り姿を消した。
皆が忘れていたが、これは対魔校に入って最初の午前の授業だった。
ここにいる生徒の半数は、魔物を見たこともないし、魔法に触れたこともない。ましてや死に直結する戦いをしたことなんてないのだ。
たった数時間。
初めての出来事ばかりで、緊張の糸が切れたのか、瑛慈はその場にへたり込んだ。
「……はぁ~〜」
「大丈夫ですか?」
晴香がしゃがみ心配そうに顔を覗き込んでくれた。
「…ははっ、年をとると体力も落ちるもんですね」
「年をとるって…。瑛慈さん、全然若そうじゃないですか」
「もう三十を越えたおじさんですよ」
「いやいや、三十代ならまだお兄さんって感じですよ!」
晴香が謎のフォローをしてくれる。
あとの二人は黙ってその光景を眺めていた。
「あの~、このあと、みなさんでご飯でも食べながら、改めて自己紹介でもしませんか?」
「そういえば、昼食持ってきてなかった…」
「大丈夫です!この学校、食堂も購買もあったんで!」
「なら、食堂にでも行こうか。私もお腹が減った」
エレーナはそう言うと先に行ってしまった。
「久遠さんもぜひ!一緒に行きましょう!」
会ったばかりのときや、先ほど式神を召喚したときには、少し静かな娘なのかな?と思っていた。
でもそれは、緊張していただけなのだろう。
晴香は案外、明るい性格なのかもしれない。
瑛慈は、晴香と久遠とともに、エレーナを追いかけた。
−−−−
学校内の食堂は案外広く、メニューも和洋中と豊富だった。
瑛慈は無難に焼肉定食を頼み、三人が座る席へと向かう。
ふとエレーナを見た。
オムライスを美味しそうに口いっぱいに頬張り、幸せそうだった。
Full Fleurの不破エレナ、あれは仮初の姿と言っていたが、ここにいるエレーナとはやはり同一人物なんだと安心した。
「オムライス、本当に好きなんだね」
そう、不破エレナの好きな食べ物は、"オムライス"。
彼女のことなら何でも知っている。そのくらいには推していたのだ。
エレーナは恥ずかしそうにこちらを見た。
「やっぱり、ふわとろ卵より、しっかり固め卵派で、上にかけるのはデミグラスソースより、ケチャップか」
「私はそんなことどこかで言っていたかな?」
覚えていなくても当然だろう。
フルフルがまだ世に売れる前、ファンに向けてブログに書いてた一部のことなのだから。
「何で、瑛慈さんはそんなにエレーナさんのこと知ってるんですか?」
「彼女が、アイドルの不破エレナと名乗っていたときから、ずっと応援してきてたので」
「へぇ~、そうなんですね。
アイドルのエレーナさん、見たかったなぁ。
今の姿からは想像がつきませんね」
晴香は楽しそうに笑いながら、エレーナを見つめた。
「そんな時代もあったな。
そんなことより、自己紹介をするんじゃなかったのか?」
「じゃあ、改めて自己紹介しましょう!
まずは、言い出しっぺの私から」
晴香は箸を置き、背筋を伸ばしてから話し出した。
「私は、安倍晴香です。20歳の2級魔導師の陰陽師で、安倍晴明の末裔なんです。
魔法は全然使えませんが、幼い頃に、式神・十二天将を継承しました。
継承権のあった兄妹や親戚は、私より実力がある人ばかりなのに、なぜか私が継承してしまったんです。
一番才能のない私が選ばれてしまって…。
それから頑張って、頑張って、必死に期待に応えようと努力して来ました。
でも、どんなに頑張っても才能がなければ、やっていけない世界だから……」
先ほどの明るさが嘘のように、話していくうちに、声が沈んでいく。
そこで、エレーナがオムライスを頬張りながら呟いた。
「"継承"ってのは、魔物や式神側が術者を選ぶことが多い。
なら、君は彼らから選ばれたということだと思うぞ。
才能の有無よりも大事なことが、式神側にはあったんじゃないか?」
晴香は顔を伏せて、呟いた。
「そんなことはないと思います。
だって、私に協力してくれない式神が半分もいるんですから…」
「もっと自分に自信を持ったらいいんじゃないか?
きっと君にしかないものがあるだろう」
エレーナは、ごくりと一度飲み込むと、再び話し出す。
「私は、そういう人間を何人と見てきた。
アイドルの中にもな、歌が苦手な子、ダンスが苦手な子、かわいいことをするのが苦手な子…色々いたよ。
でも、そういう子ほど自分にできることを探し、努力する。
苦手なものだってそのままにせず、必死になって努力するんだ。
そういう子が、センターに立つのを何度も見てきた。
可愛くて何でもできるような子が、必ずしもセンターに立つんじゃないんだよ」
「アイドルのことはよく知りませんけど、センターに立てるのはたった一人だけじゃないですか?」
「そうだな。皆がセンターを目指すが、そこに立てるのはたったの一人。
でもな、大切なのはどこで輝くかじゃない。
どう輝くかなんだよ。
ファンは、たった一人を見ているんだ。
たとえスポットライトも当たらない端でも、ファンは必ず見てくれる」
エレーナが瑛慈をちらりと見た。
「そのファンがどこを好きになったのか、なんで応援してくれるのかなんて、私たちには分からない。
なら、理由がなんであろうと、その人たちのために頑張るしかない。
期待に応えるしかない。
それが最低限の使命だと思うよ」
再び、晴香へ訴えかけるように話す。
「それと同じだ。
君がすべきなのは、なぜ選ばれたのかと考えることじゃない。
期待に応える努力をすることだと思うぞ。
周りの人間より、一番近くにいる式神たちの想いを大切にしろ。
そうすれば、いずれ認めてくれる。
……これから、式神たちの誇れる術者になればいいのさ」
すると、晴香は絞り出すように話し出した。
「それは才能があって、そういうところに立った人だから言えるんです…。
何もなければ、アイドルにすらなれないと思いますよ…」
晴香の言うことは、痛いほどわかる。
俺自身も、あの人には敵わないとか、才能がないとか、そんな理由をつけて逃げてきたから。
きっと、彼女は逃げ場所が欲しかったのかもしれない。
安倍家という由緒正しき家系に生まれた晴香には、計り知れないプレッシャーがあったはずだ。
人知れず努力しても、兄妹や親戚と比べられて、彼らの妬心に窮屈な思いもしてきたのだろう。
ここにいる安倍晴香は、明るく振る舞うことで、自分の心を守ろうと演じてるのかもしれない。
すると、今まで黙って聞いていた、久遠が話し出した。
「あなたは、慰めてほしかったんですか?同情してほしかったんですか?
努力が報われる保証なんて、どこにもないでしょ。
才能がなくても、努力はするんです。
いつか報われると信じて、頑張るんじゃないんですか?
……いやっ。そもそも、そんなものは努力とは呼ばない。承認欲求でしかないです。
本当に努力している人は、努力してるなんて思いませんよ」
久遠は静かに、淡々と続けた。
「俺には、由緒ある家柄の苦労は分かりません。
それでも、俺よりはマシだと思いますよ。
俺には、守ってくれる人も、代わりに責任を取ってくれる人もいない。
努力が報われるかどうか、なんて考えたこともなかったです。
やらなきゃ、生きていけなかっただけですから」
久遠の言葉に感情は見えないが、どこか重くのしかかってきた。
「どっちが楽かなんて知りません。
ただ、報われないって嘆く余裕があるのが、少し羨ましいですよ……」
そして、最後にポツリと呟いた。
「なんか、ごめんなさい……」
晴香は無意識に謝っていた。
「あはは。不幸自慢みたいになってましたよね…。
気を取り直して、自己紹介の続きをしましょう…!」
そして、無理に笑ってみせた。
きっと、彼女はずっとこうやって笑ってきたのだろう。
「…じゃあ、この流れで久遠さん、次お願いします!」
久遠は目を伏せ、ため息をひとつ吐いてから、静かに語り出した。
「……久遠拳護、24歳。元プロボクサーです。
ただ、デビュー戦の前に左目を失明して引退したので、プロとは言えませんが……」
ここまでは、先ほど聞いていた。
物静かな彼は、どこまで話してくれるのだろう。
その過去に、久遠の強さの理由がある。
瑛慈は、静かに耳を傾けた。
それぞれが、それぞれの過去を抱えたまま、 同じ卓を囲んでいる。
やがて命を預け合うことになる仲間を、俺はもっと知りたいと思った。




